676 名前:いつかの228 投稿日: 2004/12/17(金) 21:09 [ Hh7o.8Cs ]
さて、物語はいよいよ佳境に入ります。
今回はちょっと解説が多くなってしまった感じもありますが、
最終回への布石としてご勘弁を

タイトル「異世界の果ての女王」です。

前回までのあらすじ
 未知の平原に乗り出した自衛官片桐と、聖女スビア。そこで初めて出会ったのは戦士トルンドだった。彼の話ではこの平原世界の名前はヨシーニア。出会った者同士いつ決闘が始まってもおかしくない。刺すか刺されるかという殺伐とした世界だった。
 この殺伐とした世界に点在する村、ギルティで一躍注目を浴びてしまったスビアは殺人鬼トラボロに目を付けられてしまう。それを察知してトルンドは片桐たちを彼の隠れ家に案内するが、お世辞にもそこは快適とは言えなかった。しかも、トルンドはスビアを求めて彼女の寝込みを襲うが、彼女の機転でそのもくろみは失敗に終わる。夜襲をかけてきたトラボロ一派をまいて、トルンドの言う「腑抜けの街」を目指す2人。
 街にたどり着いたとき、追跡してきたトラボロ一派の強襲を受ける。片桐は門を開いてくれるように街の衛兵に頼むが時間がかかり、トルンドは射殺されてしまった。間一髪、門を開いてくれた警備隊長ドロスの案内で片桐、スビアは街での在留資格を問う評議会に出頭する。都市の名前はリターマニア。片桐が召還された大陸、ヌーボルのさらに北にあるコロヌーボルにある神聖ロサール王国の自治都市だった。
 在留資格を得た2人はドロスと伴侶タローニャの親切な歓待を受け、街でつかの間のバカンスを楽しんだ。リターマニアは高度に洗練された魔法文明と自由な雰囲気、平和的で教養ある人々であふれる理想郷のように思われた。
 翌日、殺人鬼トラボロの弾丸からドロスを救い、彼を射殺した片桐はドロスとの友情を確固たるものにして、その夜に行われた年に1度の「神の御心」の対象者選考を迎えた。惜しくもはずれて残念がるドロスだったが、スビアが見事当選した。周囲の祝福ムードに流され彼らの言われるがままスビアと別れた片桐だが、そこでドロスから「神の御心」について衝撃的な内容を教えられて血の気を失った。

677 名前:いつかの228 投稿日: 2004/12/17(金) 21:10 [ Hh7o.8Cs ]
 ドロスのにこやかな表情とは正反対の宣告を聞いて片桐は愕然とした。それと同時にこの恐ろしい選考にはずれたことを心底残念がるドロスを理解できなかった。狼狽する片桐をドロスはタクシーに乗せた。すうっと走り出した車内で片桐はドロスにつかみかかった。
「ドロス!それはあくまで「権利」なんだろ?拒否することもできるんだろ?」」
 慌てて片桐はドロスに尋ねた。彼は、少し驚いた表情をしたが、すぐにいつもの穏やかな顔に戻った。
「実質拒否はできないよ。それに今まで拒否した人を聞いたことがない。だって、不本意な死(彼らは戦死や殺人、病死などをそう呼ぶ)でなく、神の意志による死だよ。神に近づく最大の栄誉なんだ!拒否なんてしないよ。」
 だが片桐にはその理屈は通用しなかった。死は同じだ。永遠に別れることを意味するにすぎない。
「ドロス、止めてくれ!」
 片桐はドロスにタクシーを停車させた。そしてドアを開けて飛び出そうとしたが、ドロスがそれを止めた。彼の意図を察していたのだ。
「止めておけ、ここに来て間もない君には理解できないだろうが、これも彼女の運命だ。そしてそれは不幸な運命ではないとわたしは信じている。それに、彼女を奪い返すということはこの都市だけでなく、神聖ロサール王国の法律に違反することになる。わたしに君を逮捕させないでくれ・・・」
 その言葉に片桐は反論しようとしたが、ドロスはそれを無視して言い含めるように彼に言った。
「それにもう遅い。スビアはわたしのタローニャの手伝いで支度を整え、首都ヴァシントに送られた頃だろう」
 思わず片桐はシートにうずくまった。愛する聖女がもうここにはいないこと、そして自分ではどうにもできない状況に置かれたことを悟ったのだ。最後に彼女が残した笑顔で言った言葉が片桐の脳裏に繰り返し流れていた。
「片桐!よくわからないけど、楽しみにしていて!」
 楽しみにできることなどあるはずもなかった。ポルを使った全国中継で彼女が心臓をえぐり出されたり、首を切られたりする断末魔のあえぎを中継されることなど、楽しみのはずもない。そしてここは高度な魔法文明社会だ。今までみたいに無茶な冒険でどうにか道を切り開けるようにはとうてい思えなかった。
「さあ、片桐。着いたよ」
 ドロスはそう言って片桐をタクシーから降ろした。彼の部下である士官の家のようだ。うなだれる片桐を出迎えたのはドロスの部下と彼の伴侶だった。
「おめでとう!」
「おめでとうございます!」
 口々に祝福の言葉を捧げるドロスの友人に片桐はもはや反論する気力もなかった。形だけ乾杯につきあうと、早々に提供された部屋に入った。

678 名前:いつかの228 投稿日: 2004/12/17(金) 21:10 [ Hh7o.8Cs ]
 ベッドに突っ伏すと片桐は大声で泣きたい心境に駆られた。こうなるとわかっていたら彼女をこんな危険な抽選から棄権させることもできたかもしれない。そもそもこんな恐ろしい都市に足を踏み入れることもなかったかもしれない。自責の念だけが彼を襲い続けた。つい1時間前まで片桐の腕の中にいた最愛の聖女は、今はいずことも知れない地、すなわち彼女の生涯を強制終了させられる地、に送られているのだ。
「片桐・・・」
 ドアが開いてドロスが顔をのぞかせた。
「お願いだから、変な気は起こさないでくれよ。そして最愛の友人に君を逮捕させるような悲劇は見せないでくれ・・・」
 そう言ってドロスはドアを閉めた。今の彼の言葉は自己の保身のためではないことは片桐も承知していた。彼は片桐がショックのあまり暴走することを恐れていたのだ。そうなれば、警備隊長であるドロスは片桐を逮捕して、この都市の最高刑である追放刑に処さねばならない・・・。それを心配しての言葉だった。それと同時に、ドロスが片桐とスビアを友人として受け入れてくれていることも知っていたし、片桐も彼の教養や人柄以上に彼を友人と思っていた。
「変な気ね・・・」
 ベッドにうつぶせて片桐は彼の言葉を反芻した。変な気・・・・
「あっ」
 思わず片桐は飛び起きた。そして意識的にか、無意識的にかわからないドロスの友情に感謝した。ドロスは「変な気を起こすな」と警告しつつも、片桐を1人にしているのだ。これを利用する手はなかった。片桐の心に自衛隊で鍛えた不屈の精神が再びよみがえっていた。そうと決まれば話は早い。電光石火。片桐はドアの外を確認して、本当にだれもいないことを確認すると窓にとりついた。
「けっこう高いな・・・」
 2階の窓から地面まで4,5メートルあったが、片桐は窓枠に彼が着ている、この世界の着物の腰巻きを結んでぶら下がった。これで足腰に負担なく、悟られることなく屋外に出ることができる。だが、それを実行に移す前に、ドロスのおだやかな笑顔が片桐の脳裏によぎった。
「ドロス、すまない・・」
 彼に聞こえるはずもないが、せめてもの気持ちでそうつぶやくと、ぶら下がったベルトから手を離して地面に降り立った。そしてタクシーを拾うと、タローニャしかいないドロスの家へ向かった。

679 名前:いつかの228 投稿日: 2004/12/17(金) 21:11 [ Hh7o.8Cs ]
 警備兵はすでにドロスの家からはいなくなっていた。スビアを連れて首都ヴァシントに出発したのだろう。ここでの片桐の用事は決まっていた。彼の荷物と銃だった。玄関をさけ、ゲストルームに面した窓が開かれているのを確認した。中ではタローニャが宴会の片づけをしている。
 用済みの革の靴を脱ぐと素足で窓を飛び越えた。キッチンに洗い物を運んだタローニャの口を後ろからふさいだ。
「んん!」
 警戒の声を出そうとするタローニャの耳元で片桐はささやいた。
「タローニャ、俺です。片桐です」
 その声を聞いて彼女は声を出すのをやめた。片桐はそれを見届けて彼女を拘束していた手を離した。
「タローニャ、スビアはどこです?」
 片桐の意外な来訪に気がついてからすぐに彼の意図を察したであろうタローニャは悲しげに首を振った。
「もう手遅れです。彼女は先ほど首都ヴァシントへの船に乗りました。他の当選者と共に。片桐、今なら遅くない!ドロスのところへ帰って!わたくしをからかった悪ふざけということでなんとかなります!」
 タローニャの言葉に片桐は無言で首を横に振った。半分悟っていたのだろう、タローニャは美しい顔に苦悶の表情を浮かべた。
「すまない・・・、タローニャ」
 彼女をキッチンの手ぬぐいや布巾で後ろ手に軽く縛り、両足も同じように軽く縛った。
「痛くないですか?」
 片桐の質問に彼女は無表情、無言で頷いた。それを確認すると、スビアと片桐に割り当てられた部屋に駆け込み、着慣れた迷彩服と防弾チョッキを身につけ、愛用の89式小銃を手に取った。と、机に向かうと大急ぎで一筆書いて懐にしまった。
「片桐・・・あなた、どうしても行かれるのですか」
 キッチンに戻った片桐の姿を見てタローニャが小さく叫んだ。そんな彼女の元に片桐は歩み寄った。
「タローニャ、君とドロスの恩は忘れない。だが許してくれ。俺はスビアをこんな形で失いたくないんだ。」
 そう言って片桐は先ほど書いた手紙をタローニャの懐にねじ込んだ。中には、この計画は片桐単独で謀ったこと、ドロスはそれを知らないし、タローニャも不意をつかれて拘束されたことを記していた。
「それじゃあ・・・」
「片桐、無事を祈ります・・・」
 そう言うタローニャの口に猿ぐつわをかまして片桐はキッチンの窓から外に出た。そして再びタクシーを拾って今度は街の門に向かった。シートの中でドロスとタローニャへの罪悪感で思わず吐きそうになったが、最愛のスビアを失うことを考えたらそれもどうにか我慢できた。

680 名前:いつかの228 投稿日: 2004/12/17(金) 21:12 [ Hh7o.8Cs ]
 門の前の衛兵は昼間、ドロスと共にいた衛兵だった。
「やあ、どうしました?」
 衛兵は陽気に片桐に声をかけた。迷彩服姿の片桐を大して気にしていないようだった。
「昼間やっつけた男の確認にドロスと出かけるんだ、開けてくれ」
 片桐の言葉を信用して衛兵は門の通用口を開けた。それをくぐって片桐は街と外界を隔てる第1の門へと向かおうとした。が、その前に、警備隊に預けてある彼の弾薬が必要だった。馬小屋は無人だった。
「いい子で待ってろよ・・・」
 船に乗るのに愛馬を連れていくことはできない。片桐は賢い愛馬に別れを告げて第1の門へと向かった。
「異世界人片桐、こんな時間にどうしました?」
 第1の門を守る門番は不思議がって片桐に質問してきた。無理もない、完全武装で夜中に外界に出るというのはちょっと考えられない。片桐は第2の門番へ言った嘘と同じ嘘を彼についた。
「ドロスと、昼間倒した男の確認に行くことになってるんだ」
 だが、この門番はそれを鵜呑みにしなかった。
「だったら、2人だけで行くのは危険です。護衛の小隊が必要です・・。わたしからドロス様に言いましょう」
 そう言って、門に備えられた伝声管にとりついた。ここで下手に連絡されてはすべてが露見してしまう。片桐は決心した。
「すまん・・・!」
 背中をさらした衛兵に片桐は飛びつくと彼の右手の親指を締め上げて、背中に腕を持ってこさせた。彼のベルトをはずし後ろに回った右手を縛り、左手も素早く奪うと後ろ手に縛り上げ、ベルトのもう一方を門の柱に縛り付けた。
「すまん、俺は行かねばならんのだ」
「異世界人片桐!その通用口を開けてはだめだ!君はその瞬間、全土のお尋ね者になってしまう。わたしは君の人相書きを見たくはない!」
 ここでも片桐への言葉はドロスやタローニャと同じ内容だった。しかし、それを気にしてはスビアを助けることはできない。片桐は通用門を開けて外界、ヨシーニアへ踏み出した。

681 名前:いつかの228 投稿日: 2004/12/17(金) 21:12 [ Hh7o.8Cs ]
 ヨシーニアに出て、すぐに片桐は海沿いのギルティへ向かった。こんな殺伐とした世界に長くいる理由はなかった。目的は船だった。コロヌーボルにある首都ヴァシトンへ向かうための船が必要だった。片桐は村にはいると一目散に、商店に入った。例によって愛想の良くないガンドールが窓口にいた。
「おい!船をくれ!」
 そう言うが早いか、片桐は手持ちの金を全部、窓口のガンドールに差し出した。しかし、ガンドールは驚きながらも平静を保っている振りをして答えた。
「今すぐには無理だよ!」
 面倒をいやがったのだろう。言い訳するガンドールに片桐は有無を言わさず89式を突きつけた。横柄なガンドールもさすがに息を飲むのがわかった。
「演説はいらない。今すぐ出航できる船はあるんだろうな?」
 殺人鬼トラボロを射殺した彼の銃の評判を知っていたのだろう。ガンドールは怯えながら船の手配をはじめた。
「あるよ!1隻だけな。でもあんたが望んだんだ!後で文句は言うな!」
 負け惜しみに近い感じでガンドールはそう言って、許可証を片桐に出した。

682 名前:いつかの228 投稿日: 2004/12/17(金) 21:13 [ Hh7o.8Cs ]
 船着き場で指定された船を片桐は見つけた。長さ20メートルほどで漁船みたいな形をしている。帆が大きく張ってあり、船外機らしきものも船尾に見受けられた。大きな後部甲板に片桐は装備を乗せた。
「ええっと・・・、エンジンはどれだ?」
 キャビンに入った片桐は操舵室らしきところでエンジンを動かそうとしたが、うまくいかない。そこへ1人のクーアードが通りかかって片桐に声をかけた。
「エンジンがかからないのか?」
「ああ、俺には操縦できないようだ」
 片桐の言葉を聞いてその男は船に乗り込んでいとも簡単にエンジンを始動させた。聞けばこの男、遠洋漁業から戻って仕事がないということだった。
「よし、俺をヴァシントまで送ってくれ」
 ミストと言う男は二つ返事でそれに応じた。コロヌーボルは目と鼻の先だ。片桐もポルを使ったエンジンを動かすことのできる船員を手に入れて満足だった。
「出航するぞ!」 
 ミストの得意げな大声が夜空を裂いた気がした。だが、その言葉と裏腹に、船のスピードはいまいちだった。
「片桐、エンジンの調子が悪いみたいだ」
 ミストが片桐に操舵室から叫んだ。あのガンドールめ。思わず片桐は舌打ちした。当然、彼にこの世界の船の修理なぞ出来はしない。自然、ミストに任せることになった。数百メートル沖に出たところで、やくざな木造船は停止した。片桐は夜の海を見ていた。岸にはついさっき、飛び出したリターマニアがの夜景が見える。ほんの数時間前まで理想郷のように思っていた大都市が今の片桐にはなにか、恐ろしい魔都のように見えた。
 そこへ、1隻の木造船が接近してくるのが見えた。何者が潜んでいるかわからない。片桐は89式のセレクターを安全から「3」へ切り替えた。そうしているうちにも船はどんどん接近して片桐の船と横に並んだ。
「おい!ミスト!いいカモを捕まえたな!」
 船には3人の男が乗っていた。どうやら海賊のようだ。片桐が89式を構えようとすると、彼の耳元をゲベールの弾丸かかすめた。
「変なまねするな!今度ははずさないぞ!」
 そう言って男がゲベールに弾丸を込めようとした。その隙をついてマガジン1本分の5・56ミリ弾を海賊どもが乗る木造船の喫水線あたりに撃ち込んだ。
「うわああ!」
 轟音と水柱で3人の海賊は尻もちをついてしまった。弾丸が命中した部分は見事に壊れ、恐ろしい量の水が船に流れ込んでいる。
「このやろう!」
 ミストが後ろから飛びかかってきた。それをひょいっと交わして片桐はミストの背中を押してやった。哀れ、ミストは頭から海に落ち込んだ。
「おい!こっちに捕まるんじゃない!」
 泳げないのだろう。ミストは沈みゆく海賊船にしがみついた。その重みで船はますます傾くのが見て取れた。
「た、助けてくれ!」
「お願いします!俺たち泳げないんです!」
 口々に海賊たちが片桐に助けを求めた。あきれたことに海賊たちは4人とも泳げないと言う。片桐とて無益な殺生を望んでいるわけではない。それにポルを使った船の操縦は彼には難しすぎた。ザンガンは片桐のポルの量が多いと言っていたが、実践となるとからっきしだ。あまり才能がないように思えた。
「よし、こっちに乗れ」
 片桐は油断することなく、哀れな海賊を船に乗せてやった。

683 名前:いつかの228 投稿日: 2004/12/17(金) 21:13 [ Hh7o.8Cs ]
 海賊たちは嘘のように片桐に従順だった。そして彼がリターマニアの評議会から6000サマライの懸賞金付きでお尋ね者であることを知っていた。すでに全土にそれは知れ渡っているようだ。たった数時間で異世界人片桐は、お尋ね者片桐になってしまったわけだ。だが、それがかえって海賊たちの尊敬を集めたようだ。
 聞けば彼らもリターマニアを追放刑で追い出された連中だった。陸の殺伐とした世界を逃れて海に出た連中だった。
「キャプテン・片桐!目的地はどこです?」
 片桐にゲベールを撃ったトータが質問した。どうやら片桐はこのちんけな海賊団のボスになったようだ。もう1人のタリマはせっせと何か針仕事をしている。ミストは服を乾かし、もう1人、マルージが船を操縦している。
「ヴァシントだ。どこにあるかわかるか?」
 その言葉にトータはうなずいた。首都ヴァシントは対岸に見える都市ではなかった。対岸の都市はつきだした半島の先端に位置していた。そこからコロヌーボルは北に向かって東西に広くなっていく。ヴァシントはその東岸に位置していた。この船で2日の距離だった。トータの話によると、コロヌーボルはヌーボルほど大きな大陸ではない、みたいだった。というのも、ヴァシントから北は山脈が多く、寒冷で神聖ロサール王国の支配地域ではなく、あまり知られていないのだ。異種族が住んでいるそうだが、神聖ロサールとは仲が悪く交流もないということだった。
「よし!できたぞ!」
 タリマが大声をあげた。さっきから黙々と針仕事をしていたがそれが終わったようだ。
「おい、タリマ!何を作ったんだ?」
 服をようやく乾かしたミストが尋ねた。タリマは自信満々に彼にその仕事の成果を見せた。
「キャプテン・片桐の旗だよ!」
 そう言ってタリマはみんなにも旗を見せた。自衛隊の三等陸曹の階級章を模した見事な造りだった。口々に海賊が驚嘆の声をあげた。そして、「キャプテン」片桐は思わずため息をついた。俺は自衛官なんだ。海賊の親分になった覚えはないぞ!と叫びたくなったが、彼らに自衛官とはなんたるかを説明する気にはなれなかった。

684 名前:いつかの228 投稿日: 2004/12/17(金) 21:14 [ Hh7o.8Cs ]
 首都ヴァシントの港は壮観だった。大きな18世紀のコルベットに似た軍艦や、ガレオン船のような商船。それらと港を行き来する様々な小舟が無数に見えた。
「ヴァシントの自慢はその海軍だそうですよ。キャプテン、あれをご覧なさい。」
 そう言ってトータは港の向こうを指した。港のさらに先に軍港が見えた。そこには100隻近いコルベットが停泊している。よく見てみようと片桐は双眼鏡を探した。だが、見つからない。
「あっ」
 思い出した。リターマニアの城壁でドロスに貸したままにしておいたのだ。しかたなく、肉眼で見える範囲でそのコルベットを観察してみた。パサティアナで見た大砲が数門装備され、船首には衝角がついている。片桐は海上自衛官でないが、船の構造でこの世界の海戦がおおよそ飲み込めた。
 まず、大砲を互いに撃ち接近する。そして、チャンスがあれば衝角で敵船にぶつかり、甲板上のゲベール隊が水夫を減らし、接舷して突入するのだろう。
「キャ、キャプテン!」
 操縦していたマルージが怯えた声をあげた。それを聞き、片桐は軍港の観察を止めた。振り返ると、さっきまでつぶさに観察していたコルベットが間近に接近している。その砲門は間違いなく、片桐たちを狙っていた。
「異世界人片桐と見受けた!こちらに乗船せよ!」
 甲板で士官が叫んだ。港からはかなり離れていたつもりだったが、自分のうかつさに片桐は歯がみした。
「キャプテン、どうします?」
 トータがゲベールを構えようとしたが、片桐はそれを止めた。今更1発撃ったところで大砲にこの船を木っ端みじんにされるのが落ちだ。片桐だけならいざとなれば泳いで港までたどり着けるだろうが、残念ながら彼の忠実な部下は全員がかなづちなのだ。
「心配はいらぬ!お尋ね者としてではなく、客人として迎える。グンク・シュブのお達しだ」
 この国の王はシュブと言うらしい。抵抗も無駄。逃げることも難しいとなれば選択肢はなかった。運が良ければスビアを生け贄からはずすように王に直談判できるかもしれない、と思った。非常に楽観的だが、今の片桐にそれ以外の選択肢はなかった。

685 名前:いつかの228 投稿日: 2004/12/17(金) 21:15 [ Hh7o.8Cs ]
 港に着いた時点では、グンク・シュブの約束は守られているようだった。片桐の部下は拘束されることなく、船に残された。そして片桐は海軍士官と共に王の待つ城へと向かった。ヴァシント海軍の士官はドロスたち、リターマニア警備隊と似たり寄ったりの格好だった。そして首都ヴァシントの町並みも同じだった。高度な魔法文明社会だった。だが、この高度な文明社会に「生け贄」という野蛮な習慣が存在しているのも確かであり、そのために片桐は愛するスビアを失う危機に直面しているのだ。
 王宮はまるでヴェルサイユ宮殿を思わせる造りだったが、その大きさはヴェルサイユほどでもなかった。しかし内部の豪華さは引けを取っていなかった。豪奢な絨毯に、壁に描かれた美しい絵画の数々。そこを行き来する士官たちの出で立ちや淑女のドレスや装飾具の美しさは夢の世界のようであった。
 そして王座の間の前にある扉には警備隊の通常装備である革の装具と剣以外に様々な装飾具で飾った親衛隊が控え、恭しくその扉を開けた。高い天井に真っ赤な絨毯の先にある玉座にグンク・シュブは座っていた。その両側には彼の側近や閣僚がずらっと居並んでいる。
「さあ、私をまねて控えて・・・」
 海軍士官が片桐にささやいた。彼は片膝をついて王に敬意を払った。とりあえず、片桐もそれに習った。
「異世界人片桐、よもやこんなに早く貴殿と会えるとは思っておらなんだ」
 グンク・シュブは小柄な茶髪の中年で、一見すると王とは見えない。だが、彼の言葉と雰囲気から発されるオーラは間違いなく王のそれであった。
「この2日で君をとりまく状況が変化したことをまずは説明したい。君のリターマニア評議会での審査結果は聞いている。そして君がリターマニアから6000サマライの懸賞金で追われていることも」
 グンク・シュブは淡々と片桐に話した。時折、そばの女性が彼にペーパーを見せている。あれに片桐に関する情報が書かれているのだろう。
「だが、昨日余とリターマニア評議会を決裂させる決定的事件が起こった。それは以前からの古代ロサールの神々を巡る解釈の違いだったんだが、今の君には関わりないことだ。その結果、ヴァシント評議会は全会一致でリターマニア評議会のこれまでの宗教的解釈を異端とし、その行為を反逆と見なした。」
 そこで再びシュブはペーパーを見た。彼はあまりすらすらとしゃべることが得意でないように思えた。
「そこで、この国における君の罪状は取り消しとなった。君を罪人とすることを評決した評議会自体が違法と判断されたからだ。したがって、その評議会が選考した「神の御心」を行使する権利も無効となる。異世界人片桐、君の今回の行動の動機も聞き及んでいる。反逆者のしたこととは言え、君に多大な苦痛を与えたことを国民に代わってお詫びしよう」

686 名前:いつかの228 投稿日: 2004/12/17(金) 21:15 [ Hh7o.8Cs ]
 一瞬、片桐はグンク・シュブの言った意味を理解できなかった。が、数秒してその意味を知ると涙がこぼれそうになった。自分自身がお尋ね者でもなくなったと同時に、スビアも生け贄ではなくなったのだ。
「この国は古代ロサールの神々の恩恵で今日の繁栄を築いた。歴代の王は都市に、神への解釈、法律の制定など、ある程度自治と自由を与えてこの国をよりすばらしい国にしようと努力した。しかし、リターマニアの評議会はそれを軽んじ、越えてはならぬ一線を越えてしまった。フェルド、海上封鎖の準備はいいか?」
 フェルドと呼ばれた将軍は王の前に進み出て報告した。
「はっ、目下50隻のコルベットを動員して海上封鎖の準備を行っております」
 その答えに満足したグンク・シュブは今度はペーパーを持っていた女性に声をかけた。
「イラス、国民への呼びかけはどうだ?」
 彼女は賢そうな表情をした女性だった。そしてその返答は彼女の外見通りだった。
「はい、国民に彼ら反逆者の悪行をわかりやすく、正義感をかき立てやすい内容にしております」
 それを聞いてグンク・シュブは満足げに頷いた。そして片桐に向き直った。
「余は王であると同時に国民への奉仕者でもある。自由と神への敬意を第一に考えておる。そして余の敵は背教者どもだ。」
 そこへ伝令が入ってきた。伝令はイラスに内容を伝えて立ち去った。彼女の表情から見てあまりいい知らせではないようだった。 
「グンク、また今年も「神の御心」に選ばれた市民がさらわれました」
 グンク・シュブの顔つきが先ほどまでの善良な王の顔から怒れる王の顔に変わった。
「またしてもウィンディーネの仕業か!」
 王の言葉に居並ぶ閣僚の中でただ1人、無表情だが怒るグンクに軽蔑的な視線を向ける人物を片桐は見つけた。だが、その男は一瞬そのしぐさを見せただけで、その後は無表情のままだった。
「異世界人片桐、君の探す聖女を含めた「神の御心」当選者が北のウィンディーネにさらわれたそうだ。彼らは捕まえた捕虜を数ヶ月生かして太らせ、食料にすると聞いている。余はこの非人道的な事態を看過するわけにはいかない」
 片桐は目の前が真っ暗になりそうだった。彼の愛する聖女は、心臓をえぐり出される危機から転じて、今度は食人種のメインディッシュにされるというのだ。怒りと絶望でふらふらしながら、片桐は目の前の王に尋ねた。
「で、俺・・・、いや自分は何かできることが?」
 片桐のその言葉を待っていたのか、グンクは顔をあげた。その顔は今度は悲壮感にあふれていた。場合が場合でなければ、相当な役者だと片桐も思えたことだろう。
「我が軍は現在再編成中で兵力不足だ。リターマニアへの海上封鎖と首都の防衛で手一杯なのだ。そこで君にお願いしたい。命令ではない。先発隊としてウィンディーネに行ってはくれないだろうか?君のこの世界での功績や武勲は聞き及んでいる。今、この事態を打開できるのは君しかいない!」
 片桐としては彼の願いは断る理由もない。せっかく、生け贄から解放されたスビアは今度は食料となる危険にさらされているのだ。
「わかりました。すぐにでも出発したいと思います。グンク、お心遣い感謝します」
「余とて、いかに百戦錬磨の君だけでは困難な話ということはわかっておる。パウリス!」
 王に呼ばれて一歩前に進み出たのはさきほど、グンクに冷たい視線を投げた閣僚だった。
「パウリス、君は異世界人片桐と共にウィンディーネの状況を探ってくれ。しかる後、余が自ら軍を率い救出に向かおうぞ!」
「はっ!」
 こうして、片桐には名君主に見えるグンク・シュブとの会談は終わった。

687 名前:いつかの228 投稿日: 2004/12/17(金) 21:16 [ Hh7o.8Cs ]
 片桐に割り当てられた王宮の部屋は豪華絢爛だった。豪奢なツインベッドに美しい浴室。そしてその広さは下手なホテルのスウィート以上だった。だが、今の片桐にはその豪華な寝室を堪能する気分ではなかった。グンク・シュブの話では数ヶ月あるスビアの生存期間だが、この世界の伝え聞く話はあまりあてにならない。この手で彼女を抱きしめない限り、その無事を信じることはできなかった。思えば、片桐はこの世界でスビアと別れ別れになったのは、ガルマーニで拘束された2日と、パサティアナでの2日だけだ。3日目、たった3日で片桐は身を削られるような気持ちになった。
 この世界に召還されて数ヶ月、古代ロサール滅亡の謎を解き、世界を安寧に導く秘術を求めて旅に出てから、片桐の支えは文字通り、スビアだけだった。今、翌日の旅立ちを控えている間でも片桐は彼女を求めていた。彼女の美しい黒髪、彼女の柔らかい唇、暖かい指。その感触だけが心の支えだった。
「入るぞ・・・」
 不意に声がしてドアが開かれた。入ってきたのは同行するパウリスだった。グンク曰く、彼はこの国の国務大臣で最高の剣士ということだそうだ。彼は手近なイスに座った。がっちりとした彼の身体は豪華なイスには若干窮屈のようだった。
「片桐、君に警告に来た。」
 いきなり開かれたパウリスの言葉は意外なものだった。少し驚く片桐を無視して彼は言葉を続けた。
「出発前に言うのも何だが、グンクは我々をお払い箱にするためにこのような無茶な旅をご下命なさった。君は異世界人だ。妙な思想を国民にふれさせないため、そして、わたしが指名されたのはグンクやフェルドが進める軍国主義に反対する勢力を黙らせるためだ」
「え?この国は都市が自治しているんじゃないのか?」
 その片桐の質問にパウリスは肩をすくめて笑った。無骨な剣士らしい笑いだった。
「わたしは剣士として常に戦場に立った男だ。その中でグンク自身の保身や利益のために戦った戦争も多かった。君の言う、都市の自治を認めた最大の原因は、ロサールの神々への解釈の違いで大規模な宗教戦争が起こりかけたからだ」
 パウリスが言うには、10年ほど前、グンク・シュブたちの急進的な保守主義、すなわち神への帰心とその教えを全世界に広げようとする復古運動に反対する都市が独立を宣言したことがあった。その論争は国を2つに分ける勢いであったという。それを納めるべく、グンクは宗教的解釈を各都市の評議会に任せることで妥協したのだ。その見返りに、現在の軍拡、世界統一路線を容認させた。すべては正義の名の下に世界をその支配に治めるためだ。それに宗教的観点から唯一反対していたのがリターマニアの評議会だという。
「彼らは無法地帯ヨシーニアだけでなく、君の来たヌーボルの西部地域の状況をふまえて、神聖ロサール独自の支配は不可能だと反対していたのだ。それが、先日のグンクとの会談で決裂に至った。」
 そう言って、パウリスはポルを使った魔法ラジオのスイッチを入れた。
「親愛なる国民のみなさん、グンク・シュブです。今日はみなさんに悲しい発表をしなくてはいけない・・」
 スピーカーから聞こえたのはグンク・シュブの声だった。
「かねてより、意見の分かれていたロサールの神々についてのリターマニア評議会との交渉で、ヴァシント評議会はついに彼らとの決裂に至りました。彼らは神のご意志である世界の統一を否定し、あつかましくも、ヌーボル西部の原住民との共存を訴えました。古代ロサールの聖地を抱くヴァシントの、そして神聖ロサール王国のグンクとしてわたしは彼らのこの冒涜にこれ以上甘んじることはできません。」
 次にグンクから放たれた言葉は片桐にも少なからず衝撃を与えた。
「わたしは、ロサールの神々のご意志を受け継ぐグンクとして、このような背教者に対し海上封鎖による制裁を発動することを決心しました。」

688 名前:いつかの228 投稿日: 2004/12/17(金) 21:17 [ Hh7o.8Cs ]
 恐ろしい内容だった。一見民主的で合理的だが、その実気に入らない主張をする勢力は「神と正義の名」において罰するというのだ。
「神聖ロサールとその善良な国民に神のご加護があらんことを・・・」
 ラジオはその言葉で終わった。パウリスはスイッチを切った。さっきまでの演説を聞いて片桐の脳裏に浮かんだのはドロスとタローニャのことだった。今や、グンク・シュブの庇護を受ける片桐はドロスとは敵になってしまったのだ。彼の屈託のない笑顔と、タローニャの美しい笑顔が脳裏をよぎった。
「こういうことだ。グンクは政治力に優れているが、敵を恐れている。命令が下った以上、わたしもグンクの命令に従う・・・。悲しいものだな」
 パウリスの言葉を片桐もイヤと言うほど理解できた。元々の世界では彼も自衛官だ。上官や政治家の無茶な命令で死ぬとわかっている命令も受けなければならなかった身だ。
「で、この時期にここにいられちゃ都合の悪い我々が、野蛮なウィンディーネへの潜入を命じられた訳か・・・」
 片桐はグンク・シュブの政治力に驚いた。彼が今までで会ってきたこの世界の王や指導者とはグンク・シュブは違っているように感じた。むしろ片桐の世界にいる政治家に近い。
「とにかく、お互い死出の旅だ。仲良くやろう」
 そういってパウリスは部屋から出ていった。

689 名前:いつかの228 投稿日: 2004/12/17(金) 21:18 [ Hh7o.8Cs ]
 数日後、片桐とパウリスは雪を抱く山々を見ながら高原地帯を北上していた。山と言っても木々はほとんどない。岩と、湖が所々にあり、森はその周辺にぽつぽつある程度だ。気温は低く、温度計がないので正確にはわからないが、氷点下を下回っている感じだった。2人は毛皮のコート、と言えば豪華そうだがその実、ただのオーバーコートにすぎないような代物だけで高原を歩いていた。
「俺は死なんぞ!生還して、評議会にグンクの政治責任を問うまではな!」
 ここ数日のパウリスからの説明、半分愚痴のようなものだったが、によると、彼らは政権内で分裂しているようだ。
 まず、強硬派のグンク・シュブとフェルド。穏健派のパウリス。そして中立のイラス、評議会は表面上中立だが立法権や宗教的解釈の裁量をグンクから与えられている手前、表だったグンク批判はしない。
「自由や正義は押しつけではない。君のいたアムターやガルマーニ、エルドガンたちに我々の宗教解釈と正義感を押しつけるつもりはない。共存していくうちに彼らが学んでいけばいいのだ」
 片桐からすれば、強硬派でも穏健派でも、結局彼らの考えはヌーボル西部の人々に受け入れられるべきであると言うことに変わりはないようだったが、この寒さの中、歩く以外にすることもないのでパウリスの政治学講座を止めることはしなかった。
「なあ、ところで、グンク・シュブが言ってた「古代ロサール」の聖地ってなんだい?」
 話の内容がパウリスの考える異民族との共存論に入ったところで片桐は鼻水をすすりながら尋ねた。
「言葉の通りだ、古代ロサールの神々が眠る聖地だ。もっとも、そこには歴代のグンクと評議委員しか入れないがね。我々が偉大な神から受け継いだ自由と正義の根元なのだよ。」
 思わず片桐は歩を止めた。アムターから旅立って数ヶ月。おそらくそこがこの旅の最終目的地であろうことが予想できた。
「そこに何がある?この世界を平和に導く秘密の魔法でもあるのか?」
 片桐の思わぬ食いつきように驚いたパウリスが答えた。
「わからん。俺はそこには入ったことはない。だが、君も見てきただろう?古代ロサールから受け継いだ我が国の魔法文明の数々を。そしてアムターの聖女の他、少数が受け継いだと言われる召還魔法。あれらはすべて古代ロサールの残された秘伝だ。その源があそこにあると言われている。」
 パウリスの答えは片桐の質問の答えとは違っていたが、それでも彼は確信を持ちつつあった。だが、直感的な疑問も発生した。もしも、その聖地にスビアの求めるものがあったとして、なぜ、歴代のグンクはそれを修得することも、行使することもなかったのか?グンク・シュブのような野心あふれるグンクばかりだったわけではあるまい。そして「神の聖地」を抱く神聖ロサールはなぜ、このような王制とも共和制ともつかない奇妙な政治体制で、各都市、異民族と政治的、宗教的な対立と融和を繰り返しているのか・・・。
 その疑問はふと聞こえてきた奇妙なもので中断された。

690 名前:いつかの228 投稿日: 2004/12/17(金) 21:19 [ Hh7o.8Cs ]
「おい、パウリス・・・。聞こえるか?」
 自分の聞こえたものが幻聴でないことを確認すべく片桐は彼に声をかけた。パウリスも聞こえたのだろう。立ち止まって耳を澄ませている。それは歌だった。この世界ではあまり音楽は聴かないし演奏もされない。それがなぜかはわからないが、そうなのだ。片桐にとってこの世界の歌を聴くのはほとんど初めての経験だった。
「こんな寒いところで演奏会か?」
 今、片桐とパウリスがいるのは広大な高原のまっただ中だ。ところどころ雪が積もり、湖も凍り付きそうな寒さの中なのだ。
「あっちからのようだ・・・」
 パウリスが示す方向には大きな湖とその周辺に雪をかぶった森が見えた。その向こうには数千メートル級の山々がはるか彼方まで連なっている。このあたりが世界の果てと言うのかもしれないな、と片桐は思った。
そして、その世界の果てで歌声は間違いなく2人の耳に聞こえていた。その歌声はソプラノ歌手のような声にも、アルトのような低音にも聞こえたが、思わず聞き惚れる美しさだ。
「行ってみよう・・・」
 どちらからともなくそう提案して2人は湖の岸辺へと出た。高原の湖はきらびやかな水面と、吸い込まれそうになるほどの透明度で2人を出迎えた。歌声は今やすぐ近くから聞こえていた。湖につきだした大きな岩の上にその歌い手がいた。
「あれはいったい・・・」
 半分呆然と片桐はつぶやいた。歌い手は女性だった。ほっそりとした体つき、美しい青みがかった髪、湖に負けないくらい透き通った白い肌・・・。そしてこの寒さに関わらず彼女はしなやかなローブをまとっているにすぎなかった。その姿で岩場に腰掛け、足を伸ばして水面を蹴っている。白昼夢のようにすら思える光景だった。パウリスとて同じ思いだったのだろう。この奇妙な光景に剣を持っていることを忘れているようだった。食人種の野蛮人の地に足を踏み入れて、このような光景に出くわすとは夢にも思っていなかったようだ。

691 名前:いつかの228 投稿日: 2004/12/17(金) 21:19 [ Hh7o.8Cs ]
「ヴァシトンの貴族と異世界人・・・」
 不意に女性が歌うのを止めて片桐たちに振り向いた。今や3人の距離はいくらもない。片桐もパウリスも歌声に導かれるように彼女のすぐ近くまで歩み寄っていたのだ。
「あなたが噂に聞く異世界人ですね・・・」
 静かに女性が言った。その美しい顔にこぼれたほほえみに思わず片桐は見とれてしまった。それに気がついた女性は伸ばした足で湖の水面を軽く蹴った。
「わたくしはウィンディーネの女王、セイレースです。勇敢な異世界人、よくぞ世界の果てウィンディーネまで来られました」
 その言葉にパウリスが夢から覚めたようにはっとして、即座に剣を抜いた。
「おのれ!ウィンディーネの女王、セイレース!我が国民を数年にわたって誘拐し、無惨に殺した罪をこの剣で償わせてやる!」
 その言葉にセイレースは軽くほほえんだ。パウリスはひと飛びで彼女に飛びかかり斬るだけの間合いにいるのだ。
「ヴァシントの貴族パウリス。あなたほどの聡明な男がそのような世迷い言を信じているとは・・・」
「世迷い言だと?貴様がさらったのは我が国民でも「髪の御心」に選ばれ、その意志で神の国に旅立つ者たちだ!それを太らせて食うなどと、神を冒涜するにもほどがある!」
 電光石火、剣を構えて飛びかかろうとしたパウリスの足下に音もなく、つららが数本刺さって彼の足を止めた。彼女のポルが作り出したつららだった。
「うっ・・・」
 歴戦の剣士パウリスは、自分が再びセイレースに斬りかかろうとしたら間違いなくそのつららが自分を切り裂くであろうことを悟った。
「ついて来るがよい。わたくしが本当に食人をしているか・・・。それを確かめてからでもそなたの剣を振るうのは遅くはない・・・」
 そう言ってセイレースは岩場から立つと森に向かって歩き出した。片桐とパウリスもそれに続いた。まるで彼女の優美な歩みに引き寄せられるように・・・。

692 名前:いつかの228 投稿日: 2004/12/17(金) 21:20 [ Hh7o.8Cs ]
 山に面した岩の壁にセイレースの居城は造られていた。その麓の森の中に城下町があった。建物は木で作られ、その屋根には森の木と同じ葉で覆われていた。暖房と、偵察の目を欺く2つの効果を期待してのことだった。村の人々は男はクーアードと見分けがつかないが、女性はみな、セイレースのように透き通る肌が印象的だった。
 セイレースの居城は岩の中、豪華な装飾にも関わらず底冷えするような雰囲気だった。その中に作られた玉座の間に置かれた氷のように輝くクリスタルの玉座に彼女は座った。周りには毛皮を着た幕僚が控えている。
「みな、席を外せ」
 開口一番、女王が幕僚に告げた。幕僚たちはざわめいた。
「セイレース様、彼らの武装もまだ解除しておりません。どうかお考え直しを・・・」
 そう言う幕僚にセイレースは優しさに満ちた目を向けた。
「彼らなら心配はいりません。さあ、言われたとおりになさい」
 口調こそ優しかったが、彼女の言葉にはその場の者にこれ以上の異論を差し挟ませない空気があった。それを察して幕僚たちは次々と玉座の間を辞した。広い部屋には片桐とパウリス、そして美しい玉座に座る美しい女王だけになった。

693 名前:いつかの228 投稿日: 2004/12/17(金) 21:21 [ Hh7o.8Cs ]
「さて、ヴァシントの貴族パウリス。そなたはわたくしたちが、そなたたちから奪った捕虜を食べていると言いましたね?その証拠はどこにあるのです?」
 玉座から身を乗り出すようにセイレースはパウリスに問いかけた。彼は少し口ごもった。
「我がグンク・シュブとフェルドの調査の結果である!」
 それを聞くと女王はくすっと笑った。
「では。3年前に「神の御心」に選ばれたそなたの親族を覚えていますね?」
 意外なセイレースの言葉に歴戦の剣士がうろたえた。そう言えば、数日にわたった彼の愚痴の中にそんなことを聞いた記憶が片桐にはあった。
「これへ!」
 女王は玉座の横にある扉に声をかけた。1分も立たぬうちに1人のクーアードが玉座の間に入ってきた。それを見てパウリスが驚きのあまりその場に座り込んだ。
「パ、パロウス!?幻ではあるまいな・・・」
「パウリス様、夢ではありませんぞ」
 パロウスは驚く剣士に駆け寄ってその手を取った。その手の温かさにパウリスもようやくこれが現実であると判断したようだ。男泣きに泣きながらパロウスを抱きしめた。
「おお!神のお慈悲だ!」
「神のお慈悲ではありません・・・・、その答えはセイレース様から聞くがよろしかろう・・・」
 そう言って、パロウスは感涙むせび泣くパウリスから離れ、女王に跪いた。それを見てセイレースは玉座から立ち上がり、片桐とパウリスに歩み寄った。
「パウリス、そなたならこれからわたくしが見せることは評議会で使われる魔法と同じく、嘘偽りないこととわかるであろう・・・」
 そう言ってセイレースは右手を片桐、左手をパウリスの額に近づけた。ひんやりと冷たい感触が片桐の額に伝わった。それと同時に彼女のポルを介して強力な映像が彼の脳に流れ込んできた。

694 名前:いつかの228 投稿日: 2004/12/17(金) 21:21 [ Hh7o.8Cs ]
 そこは狭い一室だった。大勢の男女が恍惚に満ちた顔で座り込んでいる。そこへ、グンク・シュブの親衛隊がやってきた。丁重に室内の男女を連れだした。室内の人々も王の親衛隊の誘導に喜々として応じた。
「さあ、こちらへ」
 親衛隊が人々を案内したのは暗い地下室だった。しかし、その広さはかなりの広さで、奥までは暗くて見通せない。「神の御心」当選者たちはそこに全員入場した。
「では、神のご加護を」
 そう言って親衛隊は入ってきた扉を閉じてカギをかけた。数ヶ月待たされてようやく神に近づくことができる人々は暗い地下室で神の迎えを待った。だが、そこに現れたのは彼らの想像した神の使いではなかった。
「ぐるるるるる・・・・」
 血に飢えたうなり声をあげて歩いてきたのは身長2メートルを超える醜い怪物だった。犬歯の発達した口からよだれを垂らして、延びっぱなしの爪で武装された指をくねくねさせている。想像しない「神の使い」に人々はざわめいた。
「おお!神よ!」
 それでも、先頭の1人が化け物に向かって身体を差し出した。次の瞬間、化け物はその身体に噛みつき腹の一部を食い破った。
「わぁぁぁぁぁぁ!!!」
 その男は絶叫しながら床を転げ回った。あまりの出来事と、化け物の目的を察した人々に動揺が広がった。一斉に閉じられた扉に飛びつく。
「開けてください!」
「我々はオーガに食われるために選ばれたんじゃない!」
「神の御心とはこれだったんですか?」
 その直後、数匹の化け物は幸運な「神の御心」当選者に一斉に飛びかかった。

695 名前:いつかの228 投稿日: 2004/12/17(金) 21:22 [ Hh7o.8Cs ]
 片桐は気がつくと玉座の間の床に座り込んでいた。身体には脂汗がびっしりと出ているのがわかった。そしてそれはパウリスも同じであった。
「あ、あれは伝説の魔人オーガ・・・・」
 古代ロサールの聖地で儀式的な死を迎えることを希望していた幾多の人々の末路をかいま見てパウリスは驚愕していた。グンク・シュブが語ったウィンディーネの野蛮さは、そっくりそのままパウリスの祖国のことだったわけだ。
「これは哀れな生け贄と共に捕らえた親衛隊の兵士の記憶です・・・。」
 セイレースの言葉にパウリスは真っ青になった。彼の中にあった神への自己犠牲の精神がぼろぼろに壊れていくのを感じていた、
「まさか、歴代のグンクはあいつらを飼育するために・・・、「神の御心」と称して市民を選んでいたのか・・・」
 うろたえるパウリスの自問を聞いてセイレースはうなずいた。
「わたくしもこのことはつい数年前まで知りませんでした。ひょんなことからそれを知ってそれ以来、見つけられる範囲で彼らをさらって救っていたのです」
 セイレース曰く、あの化け物はオーガと言い、不老でほとんど不死の食人鬼だ。神聖ロサール歴代のグンクは彼らを飼い慣らし、生け贄として餌を提供して飼育していたのだ。それが、神聖ロサールの勢力拡大を助けていたわけだ。そして餌の安定供給のために「神の御心」と言う、半分自発的な生け贄選考を行っていたのだ。すべては「神の名において」自由と正義を世界に満ちさせるために。
「な、なんということだ・・。」
 あまりの事実にパウリスは言葉を失った。それを見たセイレースは今度は片桐に向き直った。

696 名前:いつかの228 投稿日: 2004/12/17(金) 21:23 [ Hh7o.8Cs ]
「そなたが探し求める聖女もここにいます・・・」
 そう言って女王は先ほどと同じく扉の向こうに声をかけた。そして現れたのは片桐の探し求めたその人物だった。
「片桐・・・?」
 別れたときのローマ風の白いドレスと、ここに来て与えられたのだろう毛皮のコートをまとった女性は間違いなく、スビアだった。
「スビア!」
 思わず駆け寄ろうとした片桐の首筋に冷たい感触の何かがふれて彼の足を止めた。
「待ちなさい・・・」
 そう言ったのはセイレースだった。そして片桐の首筋に当たった冷たいものとは、鋭いつららだった。首筋から数センチのところで止まっている。そして同じものがスビアにも向けられていた。
「スビア、わたくしはこのような世界の果てまであなたを追い求める異世界人に感心しました。そしてその実物を見て、愛するに至りました」
 意外な人物の意外な言葉を聞いてスビアは驚愕の表情を浮かべた。それを見てセイレースは冷たい微笑を浮かべた。
「わたくしの意志ひとつであなたたちの前のつららはどうにでもなります。」
 セイレースの言葉を確認するつもりで片桐は真横に動いてみた。つららは片桐の喉元数センチの距離を保ちつつ、平行に動いた。
「片桐、あの聖女を捨てわたくしを受け入れなさい。そうすればあの聖女をアムターまで無事に帰しましょう」
 その言葉にスビアは怒ったような、驚いたような表情を浮かべた。そしてセイレースに対抗するように1歩、前に進んだ。つららの鋭い先端は彼女の首ぎりぎりにまで迫る形となった。
「わたくしは片桐を捨てることはありません!」
 きっぱりと言う彼女に従って片桐も1歩前に進んだ。これは推測だったが、セイレースは本気で2人を殺すつもりがないように思えた。それがなぜかはわからないが、彼にはそう思えて仕方がなかった。それを見てセイレースは自嘲気味に笑うと首を横に振った。そのとたん、彼らに突きつけられていたつららは床に落ちて見る見る水になって溶けてしまった。
「私の負けです!異世界人片桐、聖女スビア!」
 玉座で女王が宣言した。

697 名前:いつかの228 投稿日: 2004/12/17(金) 21:23 [ Hh7o.8Cs ]
「これはあなたがたの愛を試す、わたくしの芝居です。やはり、あなたがたは本気で愛し合っているのですね。わたくしの悪い癖です。どうか許してください。」
 その言葉と同時に片桐とスビアは駆け出していた。そして互いの感触を確かめ合うようにきつく抱き合った。
「片桐!怖かった!まさか、わたくしが生け贄になるなんて夢にも思ってなかったから!」
 底冷えのする最果ての玉座の間で2人は互いの体温を確かめ合うかのごとく抱き合った。突然の事態を見守っていたが、ようやく我に返ったパウリスが赤面するほどだった。
「片桐、スビア、これが愛なのですね・・・」
 2人が落ち着いたところでセイレースがつぶやいた。その顔には安らかなほほえみが浮かんでいた。
「わたくしたちが、ヴァシントの哀れな生け贄を助けることにした動機があるのです」
 女王は閑散とした玉座の間で話し始めた。3人はそれに聞き入った。
「わたくしたちウィンディーネは女系血族です。産まれる子供はすべて女子です。だから子孫を迎えるには男子を外から招くほかありませんでした。わたくしの王家に伝わる歌も、思えば太古、男をいざなうためのものだったのでしょう・・・」
 女王は今度は少し悲しげな表情を浮かべて言葉を続けた。
「そんな中でわたくしたちは、愛情を失いました。わたくしたちに備えられた美しい歌。美貌は子孫をもたらす手段としてしか見られなくなったのです。どういうわけか、わたくしは少し違っていました。生け贄にされる神聖ロサールの民を哀れみ、今、あなたたちの愛し合う姿を見て心が動いています。異世界人片桐、そして聖女スビア。あなたがたはわたくしたちウィンディーネが凍らせていた「心」を溶かしてくれたのかもしれません」
 セイレースはパウリスに向き直った。
「パウリス、そなたは神聖ロサール王国の最高機密を知ってしまいました。おそらく、ヴァシントには帰れないでしょう。評議会も今、そなたが見た記憶と、パロウスの生存を見ればそなたがうそを言っているとは言えないはず。」
 パウリスは女王の言葉にしばらく何か考えていたが、思いついたように手を叩いた。
「リターマニアへ向かいましょう。リターマニアの評議会で我々の記憶を見せて、生け贄の真実を全国民に知らしめれば、グンク・シュブの権威は地に落ちる!」
「だが、フェルドはリターマニアを封鎖しているぞ・・・」
 片桐は玉座の間で交わされたフェルドとグンク・シュブの言葉を思い出していた。2人の話を聞いていたセイレースはポンポンと手を叩いた。玉座の間に1人の士官が入ってきた。

698 名前:いつかの228 投稿日: 2004/12/17(金) 21:24 [ Hh7o.8Cs ]
「クランガートを準備なさい。この者たちをリターマニアまで送り届けます」
「はっ・・・」
 聞き慣れない言葉に片桐とパウリスが互いに顔を見合わせた。それを見てスビアが笑った。
「大きな鳥です。彼らはそれに乗って空を飛ぶのです。空から行けば、海にいくら艦隊がいても関係ないでしょう?」
 それを聞いて片桐は少し考えた。パウリスから道すがら聞いた「神の聖地」のことを思い出していた。
「セイレース、俺1人だけでもヴァシントへ送ってもらえないでしょうか?」
 その言葉にスビアが驚きの声をあげた。セイレースも驚きの表情を浮かべて片桐を見つめた。
「ヴァシントの「神の聖地」。その謎を解くことが、おそらく俺たちの旅の最終目的です。できれば、合図をしたら俺を収容してもらえたらありがたいのですが・・・・」
 そう言って片桐は2台のトラックからはずしてきた発煙筒を取り出した。
「用事が済めばこれで合図します。」
「待って!わたくしも行きます」
 予想しなかったわけではないが、その言葉に片桐はスビアを振り向いた。今度という今度はあまりに危険すぎる。
「今回はいくら何でもやばすぎる・・・。先にリターマニアに行くんだ」
「イヤです!それに、片桐。あなただけで古代ロサールの魔法が理解できて?」
 彼女の言葉に片桐は反論の言葉を失った。確かに、片桐1人では、聖地を見てくるだけで大したこともわかりそうにない。
「わかった・・・。セイレース、彼女も一緒にお願いしたい・・・」
 セイレースが頷いて、再び手を叩いた。先ほどの士官が再び入ってきた。
「ショーク、そなたもクランガートを出しなさい。そして異世界人と聖女をヴァシントまで送り、合図を待って彼らを収容し、リターマニアへ向かうのです。できますね?」
 ショークと呼ばれた士官は膝をつき、王女に恭しく一礼した。
「仰せのままに・・・・」
 危険な任務を引き受けたショークにセイレースは歩み寄ると、彼を抱きしめた。
「ショーク、生きて帰ってくるのですよ」
「もったいないお言葉に存じます」
 かつては愛情もなく、氷のような世界で氷の心持っていたウィンディーネに生まれた、暖かい心を持った女王は忠実な部下の額に優しくキスをした。

699 名前:いつかの228 投稿日: 2004/12/17(金) 21:25 [ Hh7o.8Cs ]
 王座の間から出てすぐの岩山を利用したバルコニーにクランガートが準備されていた。クランガートは体長5メートル近い、白鳥のような鳥で手綱のようなロープで操縦者が操るようであった。
「片桐、リターマニアで待っているぞ!」
 パウリスと親戚のパロウスが先に飛び立った。巨大なクランガートは颯爽と大空に飛び立ち、かなりのスピードでリターマニアに向かった。
「セイレース、いろいろとお世話になりました。では・・・」
 片桐もそう言ってショークが乗るクランガートに乗り込もうとした。しかし、それをセイレースが止めた。
「そなたたちの愛を試すようなまねをして、申し訳ないと思っています。きっと、わたくしに流れる祖先の血があんな行動をさせたのかも知れません。」
「あなたが我々を本気で殺すとは思っていませんでしたよ。」
 その言葉にセイレースは少し微笑んで、スビアに向き直った。
「できることなら、片桐に感謝の気持ちを込めたキスをしたいのですが、許してくれますか?」
 スビアは黙って頷いた。彼女にはそれが「感謝の意」だけではないことはわかっていたが、醜い嫉妬心で彼女の申し出を断る気持ちもなかった。同時にその気持ちは哀れみでもなかった。自分でもよくわからない感情だった。セイレースは片桐の顔に自分の顔を近づけると、遠慮がちに少しだけ唇に触れた。冷たい感触が片桐の唇に感じられた。
「さあ、お行きなさい。自らに課した旅の結末を確かめてくるのです・・・。そして、2人の愛を永遠のものにするのです・・・」
 セイレースは後ろを振り返った。そのまま、玉座の間に入っていった。
「では出発します」
 ショークが手に持った手綱を動かすと、巨鳥クランガートは2人を乗せて大空に飛び立った。

700 名前:いつかの228 投稿日: 2004/12/17(金) 21:26 [ Hh7o.8Cs ]
 思ったよりもクランガートは乗り心地がよかった。ショークは怪鳥を操りながら片桐に質問した。
「しかし、先ほどの筒でどうやってわたしに合図を」
「派手に煙が出るし、炎も出る。上空からでもわかると思うよ」
 片桐は彼の後ろ、怪鳥の背中の上でスビアの肩を抱きながら答えた。今、彼は迷っていた。ようやく、安全を取り戻したスビアを、最大の危機に立たせようとしているのではないだろうか、と。その不安を察したようにスビアは片桐の手を握った。
「片桐、後悔しないで。これはわたくしが望んだことです。それに、ショークが迎えに来てくれれば何も危ないことはありません」
 その言葉を聞いて片桐は考えるのを止めた。もはやここまで来ては、彼女を止めることはできない。その考えを振り切るように、今度は片桐がショークに尋ねた。
「ショーク、君の女王は愛を知った初めての女王だそうだが・・・」
「ええ、彼女の両親は心の底から愛し合って、女王を産み、育てました。それまでのウィンディーネは、その美しい歌声で導いた男と交わるだけで、愛情はなかったのです。その瞬間からウィンディーネは変わりました。平和で友好的な民族に変身したのです」
 なるほど、愛し合った末に生まれ育てられた彼女だからこそ、哀れな生け贄の末路を知って助け船を出したわけだ。ショークは言葉を続けた。
「しかし、セイレース様はお気の毒です。彼女は愛を知っている故、愛に飢えておられる。先ほど、玉座であなたたちにあんな行動をしたのも、愛を知っているが故・・・」
 片桐とスビアは、最果ての女王に同情の心を抱いた。愛を知り、強く求めるが故の悲しさを抱く女王に将来、幸せが訪れることを祈らずにいられなかった。
「まもなくヴァシントです。「神の聖地」は郊外にありますので、そこまでお送りしましょう。そして上空で旋回してあなたの合図を待ちます」
 ショークは郊外にそびえる神殿を指さして言った。3階建ての壮大な神殿には人影もなく、王宮のような豪華さもない。神殿と言うより、なにか巨大な墓地に見えた。
「ショーク、あなたはヴァシントにいたことがあるのですか?」
 スビアの質問にショークは振り返ってにっこり笑って答えた。
「わたしもかつて「神の御心」当選者でした。セイレース様に助けられた1人なのです」
 無人の神殿の屋上らしきところにクランガートは着陸した。ショークは発見されぬように素早く飛び立った。広い屋上には片桐とスビアだけだった。

701 名前:いつかの228 投稿日: 2004/12/17(金) 21:27 [ Hh7o.8Cs ]
700げと

「ホントに広いな・・・」
 3階建てとはいえ、その屋上は遙か数百メートルから1キロ以上の幅を持っている。福岡ドームよりもはるかに多くの人間を収容できそうだった。
「さあ、片桐。行きましょう・・・」
 手近な入り口を見つけて2人は階段を下った。片桐は89式を構えて慎重に進んだ。長い階段は薄暗く、直接1階までつながっているようだ。どうやら、この神殿は巨大な吹き抜け構造であるようだ。しかし、見張りが誰もいないというのが、片桐には疑問だった。パウリスの話ではここは、グンクと評議会しか入れないと言うが、聖地ならもうちょっと警戒厳重でもいいものではないのか・・・・。
「どうやら、下に降りてきたようです・・・」
 スビアの言葉に片桐は下を見下ろした。階段は終わって、薄明かりが外から漏れている。いよいよ古代ロサールの聖地のすべてを見ることができるかも知れない。2人は思わずつばを飲み込みながら階段を下りきった。
「な、なんだ・・・これは?」
 思わず片桐は声をあげた。この建物が吹き抜け構造になっている理由がわかった。今、2人が降りてきた階段に沿った壁一面、びっしりと2メートルほどの大きさ、ガラスのような物質でできた「棺桶」が置かれている。その上にも、その上にも、15メートル近い天井の上までびっしりと・・・・。数列おきに梯子があり、それを使って上の方にある棺桶まで行くことができるようだった。壁だけではない。幅4、5メートルの通路以外、巨大な神殿は一面、何十にも重なったガラスの棺桶で覆われているのだ。何万、何十万あるかわからない。
「これが、古代ロサールの聖地・・・」
 スビアが予想とは全然違う「聖地」を見て呆然としている。彼女の期待していた「聖地」は、古代ロサールの秘術を収めた数々の文献と、偉人たちの残した言葉だった。だが、それはこの「聖地」のどこにも見あたらない。彼女の思いつく限りの言葉でこの「聖地」を表現するなら・・

702 名前:いつかの228 投稿日: 2004/12/17(金) 21:28 [ Hh7o.8Cs ]
「まるで集団墓地だ・・・」
 片桐の言葉の通りだった。片桐は「棺桶」のひとつを確かめてみた。中には今まで見たことのない人種の男が眠るように、ほほえみすら浮かべて死に顔を見せていた。なぜ、死体が腐敗しないのかまではわからなかった。そして片桐が何より不思議だったのは、天井に近い「棺桶」までびっしりと入った死体の数々だった。そこまで行く手段は小さな梯子だけだ。この梯子を死体を担いで「棺桶」に収めたのか。それとも、死体を収めた「棺桶」を組み立てたのか。
「いや、違うな・・・」
 「棺桶」は壁沿いのものは壁に埋め込まれている。まるで最初からこのように設計されていたようだ。とすれば、この中の人々は自らの意志で「棺桶」に入ったことになる。ふと、片桐は無人の「棺桶」を見つけた。
それを丹念に調べてみた。
 「棺桶」は心地よい羽毛みたいな材質で包まれている。頭が収まる部分には枕のような、何かがついている。驚いたことに、「棺桶」の蓋は内側から閉まるようにできているのだ。
「スビア、ここの連中は自分からこの「棺桶」に入ったんだ・・・、こうやって・・・」
 そう言って片桐はその「棺桶」に入った。
「片桐!何をするのです?」
 スビアが片桐の行動を見て叫んだ。片桐の頭が、枕のような何かに触れた瞬間、彼の意識は飛んだ。
「片桐!どうしたんです?片桐!」
 慌ててスビアが片桐を抱きあげた。その瞬間、片桐の意識が戻った。しかし、その顔は真っ青で脂汗が浮かんでいる。
「なんてことをしたんです!」
 しばらくしてようやく片桐は我に返った。そして、静かにつぶやいた。
「・・・・彼らの意識が見えたんだ。ここは墓場じゃない。いや、墓場じゃなかった・・・」
  水筒の水を飲んで一息ついた片桐は、一瞬の間にかいま見た古代ロサール人の末路を話し始めようとした。
「異世界人片桐!」
 その時、巨大な神殿にグンク・シュブの声が響いた。どこにいるかはわからない。片桐は89式を構えて周りを警戒した。だがやはり姿は見えず、その不敵な声だけが響くばかりだった。
「まさか、ウィンディーネから生還してよもやこんなところにいるとは思わなかったぞ!しかも、古代ロサールの聖地まで侵すとはな!」
 2人は身を隠すために駆け出した。だが、数歩走ったところで彼らは自分たちの足が床を踏んでいないことに気がついた。いつの間にか、落とし穴がその床に開いていたのだ。
「貴様らには、オーガの餌になってもらおう!最近腹を減らしておるのでな!聖女の村も、侍の村も、余が艦隊を率いて殲滅してくれるわ!」
 グンク・シュブの恐ろしい声を聞きながら片桐とスビアは、真っ暗な穴にまっさかさまに転落していった。



704 名前:いつかの228 投稿日: 2004/12/17(金) 21:55 [ Hh7o.8Cs ]
最終回に備えてこれまで出てきた異世界用語をみなさんのため、自分のためにw
まとめてみます。読む際の参考にしてください

アービル=別世界。この物語の場合日本を指す
アクサリー=石。ポルを増幅させる。ゲベールなど魔法を使う道具に多く使われている。
アムター=聖女スビアの治める村。古代ロサール語で「豊かな森」と訳されるという。
アンバード=蛮人。アムターはじめヌーボル西部の森を荒らし回っていた。
イラス=神聖ロサール王国、グンク・シュブの補佐官
ウィンディーネ=コロヌーボル北方の山岳民族。女系社会で女王セイレースが支配する
エルドガン=耳長人。エルフみたいな人種
エル・ハラ=片桐がエルドガンの都市パサティアナで出会った少女。ホントはエルドガンの王女
オーガ=伝説の魔人。不老でほとんど不死。神聖ロサール王国が生物兵器として密かに飼育していた
ガルマーニ=ドイツ人が作った都市。元ナチ幹部ボルマンが支配していた。
ガンドール=人種。こびと
ギルティ=平原世界ヨシーニアにある交易所。中立地帯
クーアード=人種、人間とほとんど同じ
クブリル=海岸に住む、ワニに似たどう猛な生物
クランガート=ウィンディーネが使う大きな鳥
グンク=王の呼称、王女の呼称はグンクラート
コロヌーボル=ヌーボル北方の大陸

705 名前:いつかの228 投稿日: 2004/12/17(金) 22:23 [ Hh7o.8Cs ]
ゲベール=この世界で広く使われる武器。ポルで弾丸を飛ばす。
サクート=ガルマーニのレジスタンスを率いるリーダー
サニート=ヨシーニア戦士の階級。下級戦士。
     中級戦士はボサニート、上級戦士はデボサニートという
サマライ=この世界の通貨単位
ザンガン=アムターの長老。両親を失ったスビアを育てる
ジャキータ=平原に住む肉食獣。食うとうまい
シュブ=神聖ロサールのグンク。世界制覇をもくろむ。
シュミリ=海沿いの村。召還された馬を育てていた
ショーク=ウィンディーネの士官。クランガートを操る
ジョニーチ=ロサリストの指導者
神聖ロサール王国=強大な魔法文明国家。古代ロサールの聖地を抱く
セイレース=ウィンディーネの女王
セピア=片桐の愛馬。スビアの愛馬はローズ
ゾード=赤い満月。なぜそうなるかは不明
タボク=片桐に救われたシュミリの村人
タムロット=シュミリの長老。スビアを敬愛している
タリマ=海賊
タロール=エルドガンの警備隊長。エル・ハラと結ばれた
タローニャ=リターマニア警備隊ドロスの伴侶
トータ=海賊
富田竜之助才蔵=侍の末裔。片桐の盟友
富田弥太郎=才蔵のいとこ
トラボロ=ヨシーニアの戦士。大勢を率いる殺人鬼
トルンド=ヨシーニアの戦士。片桐に助けられるがスビアを襲う
ドロス=リターマニア警備隊長
ニル=エルドガンの王
ヴァシント=神聖ロサールの首都
バートス=才蔵の「草」忍者
パウリス=神聖ロサールの国務長官にして剣士
パサティアナ=エルドガンの要塞都市
バストー=アムターのガンドール。片桐と初めて出会った
パタトール=アンバードなどが使う原始的な弓
ハルス=元Uボート艦長。ボルマン打倒後、リーダーの1人になる
ハルスマン=ボルマンの副官
パロウス=パウリスの親族
パンサン=異世界の戦士を召還する魔法
フェルド=神聖ロサールの将軍。強硬派
フランツ=元親衛隊中尉。片桐の盟友
ヘラー=ボルマンの敬称。フューラーがなまった
ボスポース=六本足の馬
ボルマン=元ナチス幹部。この世界にたどりつきガルマーニを支配した
ポルンゴ・ロッサー=ロサリストの叫び「ロサールの神に栄光あれ」の意
ポル=魔法力の意味。さまざまな魔法の根元

706 名前:いつかの228 投稿日: 2004/12/17(金) 22:27 [ Hh7o.8Cs ]
マルージ=海賊
ミスト=海賊で片桐の船に乗り込む
ミスタル=アムターに咲く花
ヨシーニア=殺伐とした刺すか、刺されるかの世界
リターマニア=神聖ロサールの自治都市
ロサール=古代に滅亡した王国
ロサリスト=エルドガンに発生した過激派

我ながらこれだけの異世界言葉をよく考えたもんですw