30  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  15:19:17  ID:???  


<年表>  

二○○四年  

九月二十日深夜  
日本、海外・衛星との全情報の交信途絶。  

九月二十三日  
日本国政府、国民に向けて非常事態を宣言。  

九月二十四日  
消失した韓国付近海域を捜索中の海上保安庁巡視船、正体不明の飛行生物の襲撃を受け大破。  

同日  
航空自衛隊のスクランブル機、  
巡視船を襲撃した飛行生物の群れが福岡に接近したために航空総隊司令官の判断により威嚇射撃を実施。  
尚も進路を変更しなかったため、一匹をミサイル攻撃し、撃墜。  
群れは進路を変更し、領空外に退去。  

統合幕僚長三自衛隊に非公式の防衛出動待機命令。  

佐世保、呉、横須賀の自衛艦隊が日本海側に緊急展開。  

国会では、武力行使と防衛出動待機命令はやりすぎであり、  
撃墜したことにより中立的立場を失ったとして議論が紛糾。  

責任をとって命令を下した航空総隊司令官が辞任。  

−後に飛行生物の所属はヴェロスニア帝国疾空竜騎士団であったことが判明。  




31  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  15:19:54  ID:???  

九月二十六日  
海上自衛隊護衛艦、正体不明の大陸を発見。  
現地人と接触。  

同日  
国民へ異世界への召喚の事実を緊急発表。  


十月一日  
反帝国陣営の各大使との会談が実現。  
報道管制が敷かれ、この際に話し合われた内容の詳細は不明。  

反帝国陣営は日本への無償の食糧支援と資源提供を約束。  
後に自衛隊の軍事協力と引き替えであったことが判明し、国会で内閣不信任案提出気運が高まる。  


十月十日  
政府は資源確保のために特別対策室を設置。  
本格的な大陸からの資源調達が始まる。  

十月十一日〜  
北部方面隊と第一空挺団を中心とした陸上自衛隊一個師団の大陸への投入開始。  
国会で内閣への不信任案が提出されかける。  

同日  
ヴェロスニア帝国、日本へ宣戦布告。  
ヴェロスニア帝国植民地に大使として駐留していた外務省外交官二名が、  
皇帝直属の過激派騎士により惨殺される。  




32  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  15:21:42  ID:???  

十一月二日  
大陸の南部の反帝国陣営の国境線を帝国軍十万名が越境。レステリア平原に待機中の陸上自衛隊一個師団七千名と衝突。  

日ヴェ戦争開戦。  

特科隊による砲撃とヘリによる航空攻撃で勝敗は二時間で決する。  
夜間、戦車隊による突撃により完全に帝国軍は瓦解。  

十一月三日  
帝国軍、死者約四万五千名を出してレステリア平原より撤退。  
自衛隊側の死者は四名。  
後に精神病を患う隊員が続出する。  

この後数ヶ月間、キレシュト山脈を超えるまで帝国軍は相次いで潰走。  




33  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  15:24:57  ID:???  

二○○五年  

五月十八日  
日航ジャンボ機二三一便、突如進路を変えて大陸内陸部に不時着。  
帝国、乗客を人質に自衛隊の大陸からの撤退を要求。  

五月二十二日  
陸上自衛隊の混成部隊が人質救出のために作戦開始。  

魔法都市ネリェントス事件発生。  

自衛隊員の死傷者多数。人質の大半は死亡が確認される。  
多大な犠牲と作戦計画の杜撰さが国会・メディアで大きく批判され、事件の責任をとって統合幕僚長が辞任。  

六月  
ネリェントス、再編成された陸上自衛隊第七師団の突入により陥落。  
その後、補給の遅延と兵力不足により戦争は双方とも膠着状態に突入。  

九月十日  
帝国軍、浸透工作員の一斉蜂起に呼応し反攻作戦開始。  
自衛隊、戦線崩壊。  
政府、大陸北部の放棄を決定。  

笠間直人衆院議員の独自の働きかけ等により、中立的立場をとってきた在日米軍が参戦。  
後に大陸で不法渡航していた笠間議員の娘を救う目的であったことや、  
不透明な米軍との間に交わされた協定の存在が暴かれ、問題となる。  

十月までに米軍の参戦により帝国軍反攻軍はほぼ沈黙。  
後に帝国は大陸から完全に撤退。  




34  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  15:26:41  ID:???  

九月二十五日  
停戦協定のための帝国大使一行、日本本国の外務省に突如来訪。  
帝国と日本、停戦協定成立。  
事実上、日ヴェ戦争は終結する。  


十月一日  
諸々の責任を負い、内閣は総辞職を表明。  

後継内閣、大幅な政策転換を打ち出す。  
この後、派遣自衛隊の規模は縮小されるようになる。  


十一月  
亜人種など日本国籍を有さないが日本に対して忠誠を誓う者を自衛官として採用し、  
危険地域への進出にあてる外人志願者制度の募集開始。  

世論の支持率は賛成四割、反対二割、分からないが四割。  




35  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  15:28:02  ID:???  

二○○六年  

三月二十日  

第一期外人志願者新隊員、入隊。  
教育隊で一般新隊員と訓練を共にする。  

七月三日  
大陸南部で新興国家群が邦人を人質に、日本国政府に完全な独立と食糧・資源徴収の取りやめを要求。  
自衛隊部隊とにらみ合いとなる。  

その他一部地域に不穏な兆候が見られたため、  
防衛庁は牽制として、教育中だった外人志願者部隊を招集・編成し、ロスーキ都市国家群へと急派。  

七月十七日  
ロスーキ都市国家群、日本に宣戦布告。  
同時に大陸方面隊第一混成戦闘団(外人志願者部隊)の先遣隊二百名を虐殺。  



そして、本隊は四万を超える軍勢に包囲される……  





36  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  15:30:55  ID:???  





「バディのいた風景  2  〜海の向こうの故郷  夕暮れの誓い〜」  







37  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  15:33:07  ID:???  






今や戦場は生ける屍の野原と化した  
死を覚悟する者は生き  
生き延びようとする者は死ぬ  

−漢武帝  







38  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  15:34:56  ID:???  


神基歴二一三○年  七月二十日  
大陸南部  ロスーキ都市国家群領内  


雲一つない快晴だった。  
丘を越えてきた微風が頬を優しく撫で、運ばれてきた若草の匂いが現実をしばし忘れさせてくれる。  
翻る戦旗が平原を埋め尽くし、甲冑を擦らせる音、武具を打ち鳴らす音を奏でながら、兵士らは布陣を終えて出撃を待っていた。  
戦旗に商業繁栄と、一大産業である鉄鋼を表す麦と剣を交差させた紋章を刺繍したロスーキ都市国家群の騎士団は、  
今、侮れない敵≠ニ相対していた。  
敵の数はおよそ千五百から二千。  
対するロスーキ側は傭兵団を含めると四万を超える大軍で、しかも現在敵を目の前の高知に追いつめ包囲することに成功している。  
だがそれは安心できる要素にはならないことを上級の騎士らは理解していた。  
むしろ、相手の指揮官は四日前の開戦直後の混乱の中、よくここまで有利に事を運んだものだとさえ思う。  
しかし、既に敵は最も重要であるはずの補給を絶たれ、大きな脱出作戦に出る様子もない。  
静まりかえった高地は、いつものように優しく空の下に寝そべっている。  
頂上までの高さは二百メートル前後、大小十数個の丘が点在する、最寄りの都市国家群国境線から八十キロ程度の場所だった。  




39  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  15:36:29  ID:???  

「静かでございますね」  

軽甲冑に身を包み、羽根飾りのついたヘルムを被った纏った一人の少女が言った。  
少女の前にいる一人の青年に対して向けられたものだったが、青年は聞こえているのかいないのか、反応はない。  
彼女の目の前で遠見眼鏡という珍しい道具で高地で観察する男は、少女と違い鎧や武器の類は身につけていなかった。  
法衣のようにも見えるゆったりとした服の背には唯一、ロスーキの名家として有名な、豪奢なユニコーンをあしらった家紋が輝いている。  

「……あーあ。一世一代の大合戦に立ち会えると勇んでたんですけどね」  

少女が拗ねたように呟く。  
まだ二十歳を過ぎていないであろう、純粋さが分かる真っ直ぐな瞳を、自分がまたがっている愛鳥≠ノ向け、あくびをするそれをそっと撫でている。  
彼らはこの地方で馬よりも強く賢いため重宝されるプレリュト≠ニ呼ばれる藍色の羽毛を持つ地鳥にまたがっていた。  
馬同様に貴重な機動力であり、軍でも騎士階級でなければ乗ることはあまりできない。  
このロスーキに古くから伝わるある種の迷信で、  
蒼い羽毛を持つプレリュトは幸運を司る神の使いであるというものがあり、馬よりもプレリュトに乗ることがロスーキ騎士のステータスでもあった。  
彼らは立派な装飾の施されたそのプレリュトに乗っていることからも、身分の高さが伺えた。  




40  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  15:38:01  ID:???  

「この戦にそんな華やかさはないと思うな」  

初めて男が口を開いた。  
自分のぼやきを聞いてくれていたことに少女は驚き、思わず身を固くする。  
この軍師は、巷では腰抜けの放蕩息子呼ばわりされているものの、時として思わぬ鋭さを発揮することがある。  
名家の出でなければこんな高位に就くことはなかったというのが、世間一般の評価で、  
自分のような没落してから商人のようになってしまった家の出の騎士が護衛に任命される時点で、その評価は正しいかのように思っていた。  
だが護衛の任に就いてまだ一ヶ月が過ぎ、このアイギス・クレルハーンという若者については、何一つ分からないということだけしか分からなかった。  
一日中詩を詠んでいるかと思えば、身なりを汚くして平民を装い町中に繰り出すという無茶な性格かと思いきや、  
この高地に敵が逃げ込むと見越して包囲の準備をさせるという怜悧さも見せた。  
護衛しようにも、今のように所在が分かっているのは稀なことで、自分はいつ任を解かれてしまうか気が気でなかった。  

「ひょっとしてウェリカは前線に出たいのかな?」  

唐突に発せられた質問に、ウェリカは最初戸惑った。  
滅多に表情を変えず、いつも不機嫌なのか無気力なのかよく分からない顔をしているアイギスの問いは、いつも簡潔でいつも唐突だ。  

「私の任はアイギス様の護衛でございます。戦列に加われないのは少々騎士として口惜しいですが……」  

彼女は正直に答えることにした。  
一ヶ月で分かったことがもう一つだけあった。  
この軍師は階級や身分をあまり気にしない。  
こんな答えを普通の軍師に自分のような平騎士が言えば最悪不敬罪で絞首刑だろうが、彼なら平然と言える。  
悪い人ではない。  
あ、なんだ、結構あたしこの人のこと分かったんじゃない。  
ウェリカはそう考えて、自分がそこまで無能ではないことに気付いた。  


41  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  15:40:36  ID:???  

「見るといい」  
「え?」  

差し出された遠見眼鏡に驚く彼女だったが、アイギスの視線の先に味方らしき人影が見えたので慌てて手に取る。  
以前何度かアイギスに貸してもらい扱い方は分かっていたので、すぐに倍率を調節して人影を見つける。  
どうやら命知らずな傭兵の斥候のようだ。  
三人が高地に向かい、膝まである雑草をうっとうしそうに掻き分けながら歩いている。  
彼女は高地に視界を転じるが、相変わらず敵の姿はどこにも確認できない。  
完全に包囲をしているため、敵がどこかへ逃亡したというはずはないが、  
まるで無人のように静まりかえっているのを見る限り、  
斥候の軽い足取り同様に彼女も敵がもしいたとしても、  
ただ戦意を失って隠れ震えているのではないのかと愉快な想像をしてしまう。  
聞いたところによると今包囲している敵≠フほとんどは、この世界で行き場のない卑しい異種族の兵士の混成軍団らしい。  
そんな連中の士気など、恐れるに値しない。  
ニホン≠ヘ戦力の消耗が激しく、もうそんな連中に頼るまでになっている。  
今こそ、この大陸を帝国でも異世界人でもない我らの手に取り戻す時。  
レコンキスタ(再征服)の時だ。  
彼女は偉大な歴史の一歩に立ち会っているのだと胸に熱いものが溢れてくるのを感じた。  
彼女は剣で草を払いながら、何か冗談を言っているのか笑顔を見せる斥候の傭兵達に思わず苦笑した。  
ああ、早くこの手で武勲を立てたい。こんな腰抜けの蛮族兵相手の戦ではなく、帝国を追い出した異世界の強兵と一戦を交えるのだ。  
こんな所で残党狩りなどしている場合ではないはずだ。  



42  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  15:42:36  ID:???  

そう思った瞬間だった。  
高地の中腹の数カ所の茂みで、何か≠ェ小さく光った。  
そして同時に剣で草を掻き分けていた傭兵達が、突然血飛沫を上げて地面に倒れた。  
彼女はいったい何が起こったのかすぐには理解できなかった。  
少しして、何かを打ち鳴らしたような重々しい音が残響を伴って聞こえてくる。  
その音を境に、また高地に風音しかない静寂が訪れた。  
倒れた傭兵達の中に動く者は誰もいない。全員が即死したようだった。  
彼女はしばし息をするのも忘れ、その光景をただ凝視していた。  
敵の姿も気配も、何もなかった。だが、彼らは何らかの攻撃≠受け、死んだ。  
どうやったらこんな現象が起こりうるのか、彼女にはまるで分からない。  
戦争というのは、雄々しく剣や槍を振り上げ、戦の神官が闘いの歌を朗々と唱い、勇敢なる戦士達が互いの誇りと命をかけて戦う場。  
そういったもののはずだ。  
だが、今彼女の前に起こったことは、彼女の価値観でいう戦争ではない。  
遠見眼鏡越しに、名誉も誇りも存在しない、ただ乾いた死≠ェ突然現れた、抗いようのない空虚な世界が広がっている。  
こんなことがあっていいはずが……  



43  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  15:44:50  ID:???  


「見たかい?  僕らの常識が通用する相手じゃない。弱った獅子でも、獅子は獅子さ」  

まるでこうなることを予見していたような軍師の言葉に、彼女は我に返る。  
慌てて彼の顔を窺うが、いつもの無表情が張り付いているだけだった。  

「今日からは、この名もない丘は血を吸うことになるよ」  

何を聞き、何を言うべきなのか分からない彼女を置いたまま、彼は彼女の手から遠見眼鏡を取り上げる。  
再びそれを覗き、彼はまるで神託の予言のように呟いた。  

「きっと敵は我々の接近を死にもの狂いで阻もうとする……」  








44  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  15:46:35  ID:???  


自分がこんな場所で、こんな状況におかれているのは、きっと罰だからだ。  
柴田はそう思って薄暗いトーチカの中で一人、肩を抱いた。  
他の隊員は高地の合間に流れる川に飲料水を確保に行ってしまっているため、今この狭いトーチカには柴田しかいない。  
外からは巧みに偽装されて見えないであろうここから、  
不気味に麓を見下ろしている六二式機関銃を横に、柴田は先刻起こったことを思い出す。  
敵の斥候が、無警戒に阻止限界線を超え、狙撃された。  
柴田は心のどこかが麻痺しているのか、人が死ぬことへの人並みの恐怖心や嫌悪感は覚えなかった。  
ただ、人の命が消えるのは随分と呆気ないのだな、と思った。  
柴田は三十五年自衛隊に勤めておきながら、今更銃火器の持つ無機質な殺傷能力を実感した。  
無理もない。  
業務隊一筋で、年次射撃以外は銃に触る機会は皆無に等しかったのだ。  
今回この部隊への志願が認められたのは、奇跡に近い。  
自分は員数合わせに過ぎない。  
それでもここへ来たのは、やはり心のどこかであえて人生を全うする必要を感じなくなったからだろう。  
抜け殻だ。  
自分は抜け殻だ。  
朽ちていくのを待つだけの、空っぽの肉体だ。  
人間に備わっている最低限の欲望すら煩わしい。  
精神科にかかったとき、大切な人を立て続けに亡くしたことによるストレスが原因だと診断され、薬の処方やメンタルケアを受けたが、  
そんなもので癒されるものではなかった。  


45  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  15:48:16  ID:???  

苦しいわけではない。  
憎いのだ。自分自身が。夫として、父親として、何一つ義務を果たしていなかった自分が。  
やるべきことが分かったとき、既にそれはできないことになってしまっていた。  
もう全ては取り返しがつかない。  
あの撃たれて死んだ敵兵のように、もう二度と死んだ人間は還ってこない。  
喪失感に、傍に立てかけている実弾の入った六四式小銃が不意に目に留まった。  
今なら、全てを終わらせることができる。  
薬物の禁断症状にも似た感覚が身体を駆けめぐった。  
銃なら、引き金を引くだけだ。今の自分には便利な機械ではないか。  
囁く誘惑に、彼はそっと小銃を手に取った。  
さあ、やるんだ。やってみる価値はある。  
自分でそう言い聞かせるが、何かが心の中でそれを咎めた。  
罪悪感でも、怖じ気づいたわけでもない。  
ただ、ここに戻ってくる連中のことが脳裏をよぎった。  
……俺が自殺なんかしたら、あの子達は悲しむのかな?  
そう思い、安全装置を解除する切り替え軸部を指先でいじりながら、柴田は一つため息をつく。  
それに、分隊長の自分が自殺したとあっては、純粋で生真面目な彼らのことだ、きっと自分達を責めてしまうだろう。  
そういえば遺書も書いてない。ここで死んで、彼らにあらぬ嫌疑がかけられでもしたら事だ。  
憂いなく死ぬというのは、意外と難しい。  
そう考えていた時だった。  




46  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  15:49:52  ID:???  

「おーみずーわぅー!」  

ガラガラと幾つもの水筒を紐で結んで首にかけた少年がトーチカに駆け込んできた。  
彼の尻でふりふりと尻尾が揺れるのが目に入った。  

「馬鹿、静かにせぬか!」  
「お主もな」  

続いて入ってくる数名の隊員の姿。  
全員、耳が尖っていたり、肌が褐色であったり、  
純日本人は柴田一人だけだった。  

「シバタ曹長。先刻、銃声が聞こえましたが……」  

まだ幼さを残す顔をしているが、どこか落ち着いた雰囲気のダークエルフ隊員が柴田に尋ねた。  
柴田は特に隠そうとも思わず、すぐに答える。  

「敵の斥候を撃ち殺したんだ」  

隊員らの表情に緊張がみなぎった。  
きっと、これが正常な感情なのだろな、と柴田は思った。  


47  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  15:51:30  ID:???  

「近々、本格的な戦闘になりますね」  

ダークエルフ隊員、ルールカが呟いた。  
柴田は少し後悔した。  
考えてみれば、戦闘になればこの隊員らを分隊長として指揮しなければならない。  
自分が死ぬ分は構わないが、彼らの命まで預かることを思うと、気が重かった。  
分隊長。  
柴田は外人志願者部隊の基幹隊員の不足があったために、事務職種であったにもかかわらずここに来ることができた。  
自衛官とて家族がいる。危険地帯に行きたくないのは誰だって同じだった。  
柴田は願い出た時点で、すぐに受理された。  
そして、一連の非常事態に際して予定よりも早く転属し、フェリーの船内でこの分隊の指揮の任を命じられた。  
やったことがないわけではないが、戦闘分隊の指揮など素人に毛が生えた程度でしかない自分には、重過ぎる。  

「ドワーフの連中のおかげで、最低限必要な陣地の構築は終わっているのが、せめてもの救いか……」  

はっとするような美青年のエルフ隊員、セティスが呟いた。  
この高地一帯に布陣してから、拠点防衛戦の準備に直ちに取りかかった外人志願者部隊は、大地の民であり、多くが優れた鉱夫であるドワーフ族の隊員が中心となってトーチカの構築を突貫作業で進めた結果、丘の上などの機銃陣地や狙撃陣地の構築はほぼ完了していた。  
柴田はドワーフを始め、異種族隊員らのタフさには驚かされっぱなしだった。  
エルフやダークエルフは力仕事には向かないものの、集中力と忍耐強さは全員がまさにレンジャー並だ。  
夜間、その笹の葉のような耳でどんな些細な物音も聞き逃さない。  
味方でいてくれることは非常に心強いと純粋に思う。  


48  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  15:52:56  ID:???  

しかし、それでも今の状況は楽観できるものではない。  
防御陣地はあるものの、圧倒的に武器・弾薬が不足していた。  
開戦の混乱の中、車輌の多くは放棄してきたし、かき集めるだけかき集めてきたものの、人力で運べる物資の量はたかがしれている。  
まともに戦えば、一会戦で弾は切れる。  
そのため、現在も陣地を後方に構築し続けており、持ちこたえられそうにない場合は前線の陣地を放棄しそこへ撤退しゲリラ戦を続けるというのが今のところの方針だった。  
弾もない状態で戦闘が続けられるものかと思ったが、この異種族部隊はそうでもない。魔法や暗殺術に長けた隊員や、敵から奪った剣や槍さえあればそのまま戦える元傭兵なども大勢いる。  
だがそうなったときは、数に劣るこちらはやはり敗色は濃いだろう。  
友軍は遙か彼方、車輌なら二日、徒歩なら一週間以上はかかる距離にある港湾都市だ。  
しかも、ヘリはほとんど新興都市国家群の方面に回されているため、こちらへ補給や脱出のために飛来してくる可能性は限りなくゼロに近い。  
柴田は少し不思議な気分になった。  
これはつまり、見捨てられたということではないか、と。  
二千人もの人間の命が、放っておけばこの世から消えてしまうにも関わらず、誰も助けにはこない。  
上層部で誰かが発した、仕方がない、という一言で、命の行方が決まってしまったのだ。  
孤独。  
死を目前に、自分が見捨てらるという状況は、自分には無関係だと思っていた。  
これが戦争なのだ。  
派手な戦闘や屍などの具体的な形ではない、人間の命が限りなく安くなってしまう状態。それこそが戦争の本性なのだ。  
本当には命に平等な価値などないのかもしれない。  
生まれた場所と、その時代によって変化があるだけだ。  
きっと、自分達二千人の命が失われ、数十年後、なんて悲惨な戦争だったのでしょうと嘆かれるのだ。  
人類はそうして、平和と戦争の狭間を行ったり来たりしているのではないか。  
柴田は不意に、出会った頃の妻の顔を思い出した。  


49  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  15:54:40  ID:???  

人間ってさ、楽園を夢見ていつも失敗するんだ。何百年何千年も前から  

……そうだな、きっとそうだ。京香。  

「分隊長?  どうしたわう?」  

気が付くと、目の前に不安そうにこちらを見つめる少年の顔があった。  
すぴすぴと鼻をひくつかせ、自分を心配しているようだった。  
彼を見た柴田は、どうしていいのか分からなかった。  
こんなに、真っ直ぐに誰かに見つめられたのは、いったい何十年ぶりだろうか。  
少年、レプ二等陸士は、底なしの純粋さを持つ円らな瞳で、  
こちらの心の奥底にある何かを見透かしているような気がして、柴田は思わず目を逸らした。  
ややあって柴田はぎこちない笑みで首を振った。  

「いや、なに。怖くてね」  

言ってしまってから、これは指揮官としてまずかったのでは後悔した。  
咄嗟に何かを言うという生活をしていなかったことが、今更ながら悔やまれる。  
トーチカ内の部下達が、案の定静まりかえった。  

「そうですね」  

だが意外にも、静かだが同意を示す隊員がいた。  
ルールカだった。  



50  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  15:56:07  ID:???  

「過酷な状況下で求められるのは、勇気ではなく慎重さです。恐怖は呑み込まれなければ、人を適度に慎重にさせてくれますから……」  

部下の何人かが、そういう意味だったのかとはっとした表情を浮かべ、感心したような目で自分を見つめた。  
そんな深い意味で言ったつもりはなかったのだが、柴田はそう思ってくれているのならそれでいいと曖昧な相槌をうった。  
柴田は彼らと出会ってから、いつも不思議に思う。  
彼らは、この状況下でもまるで諦めていない。  
それどころか、士気は高く、敵の襲来を今か今かと待ち望んでいるようにさえ見える。  
怖くないのだろうか。  
このルールカというダークエルフの若者は実戦経験者らしいし、そういった感覚が麻痺しているのかもしれない。  
部下達は、互いに頷きあい、自信に満ちた表情で高地の下の敵陣を睨んだ。  
彼らを自分達の立場も知らない愚か者だとは柴田には思えなかった。  
彼らは、自分と違って、満たされている。  
彼らには何かしら信じる未来があるのだ。  
羨望と、微かな自分への劣等感に、柴田は軽くため息をついた。  

「なんだ、あれは?」  

部下の一人の声を聞き、柴田は振り向いて下界を見た。  
敵陣から白旗を掲げた一団が、ゆっくりとこちらへ歩いてきていた。  

「降伏わう?」  
「愚か者。軍使だ」  

レプの無邪気な呟きに、エルフ隊員のセティスがぶっきらぼうに言った。  






51  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  15:57:47  ID:???  


ウェリカは緊張のあまり心臓がはち切れそうなほど高鳴っていた。  
斥候隊が全滅してからこの軍師が言い出したことに、やはり命をかけてでも反対すべきだったと思う。  
軍師自ら降伏勧告だなんて、馬鹿げている。  
あの斥候隊の二の舞になったらどうするつもりなのだろう。  
その当初の悪夢のような予想は幸いにも外れたが、今はまた別の恐怖にウェリカは縮み上がっていた。  
自分はこんなにも腰抜けだったのか、と彼女は自分の小心さを知って自分で自分の首を跳ねたい気分だった。  
……こんな、こんな、ニホン軍の将軍達と高地の中腹で相対しているというだけで。  

「ロスーキ軍を代表して参りました。軍師、アイギス・クレルハーンと申します」  

ウェリカはこの軍師の評価を改めた。  
どうして彼はこんなにも堂々としていられるのだろう。  
まるで草原の妖精のように、草の合間から湧き出るように現れ、あっという間に囲まれた今の状況と、  
目の前の異形のニホン兵達の姿に、自分は錯乱して剣を抜いて挑みかかってしまいたい衝動に駆られているというのに。  
殺気に満ちたニホン兵の姿は、まるで野蛮人のようだった。  
緑や茶色のまだら模様の服で、草木を身体中に身につけ、顔を緑色や茶色に塗りたくっており、  
手には斥候隊の命を奪ったであろう、異世界の恐るべき武器ジュウ≠ニいう鉄の棒を持っている。  
噂で聞いていた以上の異様さだった。  




52  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  15:59:28  ID:???  

「陸上自衛隊大陸特別方面隊、第一混成戦闘団、二等陸佐、須田だ」  

一人だけ、草を身体に巻き付けていない中年の男が歩み出てきて、そう名乗った。  
長身で、引き締まった体つきをした男だった。  
戦闘で負傷したのか、左目を包帯で覆っており、その上に黒いベレーを載せている。  
ベレーにはサクラ≠ニ呼ばれる、ニホンの花をあしらった紋章が刺繍されていた。  

「お会いできて光栄です。スダ将軍」  

アイギスは彼に歩み寄ると、手を差し出した。  

「用件は?」  

スダというニホン軍の将軍は厳しい表情のまま、その手を見ようともせずに一言だけ口にした。  
アイギスは苦笑とも、不敵な笑みともとれる微笑を返し、短く、しかしはっきりと言った。  

「降伏してください」  

スダは表情を変えなかった。  

「断る」  

「どうしてもですか?」  

「ああ」  

その場をしばしの沈黙が支配した。  



53  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:01:21  ID:???  

ウェリカはすぐにでも剣の柄に手をやれるように身構えた。  
降伏を拒否したということは、このまま殺されるか、最悪捕虜にされる恐れがある。大抵の場合、敵への見せしめとして吊し上げられるのだ。  
帝国軍はそうしなかったことはないくらいだ。  
アイギスが倒れたり虜囚となったところで、軍師の換えはいないわけではないから問題はないものの、だからといって許容できるものではない。  
スダはアイギスを射殺さんばかりの視線を放ちながら、おもむろに口を開いた。  

「一つ聞かせてもらいたい」  

「どうぞ」  

「何故ここへ来た?」  

アイギスは間をおかずに答える。  

「降伏してくれるなら、これ以上兵を失わずに済みます。私は四万の兵の命を預かっている。その命の責任は、重い」  

ウェリカはハッとした顔でアイギスの横顔を見つめた。  
彼が常々口にしていることを思い出したのだ。  
軍師の仕事は、敵を殲滅することではない。軍師の仕事は、いかに味方の犠牲を少なくして達成目標を果たすかにある。  
ここへ来る前の軍議で各将軍から猛反対を受けながらも、頑なに譲らなかった彼は、その信念を貫いていたのだ。  
自らの命を危険にさらしてまで、彼は……。  

「あなたも分かっているはずだ。補給は絶たれ、援軍が来る予定もない。包囲されてはもう終わりです」  

アイギスはスダに毅然とした態度で言った。  
ウェリカはその姿に敬服する思いだったが、スダは厳しい表情の中に若干の怒りを滲ませた。  

「あなたは今、兵の命が大切だと言った。あなたは敵だが、それには同感だ。  
だが、私はもう二百の部下を失っている。  
しかも、騙し討ちでだ。そんなことをする連中に降伏し、部下の命が保障されるとは考えられん。  
よって、部下の命を守るには、徹底抗戦しかない。そう判断した」  


54  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:02:20  ID:???  

アイギスが目を細め、冷たい表情を浮かべる。  

「全滅しますよ。間違いなく」  

「やれるものならやってみろ。そちらもただではすまんぞ」  

そう言い放つと、スダは目配せして部下に包囲を解かせた。  
ウェリカは意外に感じた。どうやら自分らを無事に帰すつもりらしい。  

「私を人質にしようとは?」  

「あなたならそうするかね?」  

「……徹底抗戦するなら、少しでも敵に損害を与えようと思います」  

スダが初めて、軽く笑った。  

「卑怯な連中に大した戦果も期待できんのに卑怯な手段で応じては、部隊の名誉が汚れる。  
私は部下の生命だけではなく、名誉も預かっている。それを守るのも務めだ」  

「……そうですか」  

初めてアイギスが、悲しげな表情を浮かべたのを、彼女はどう受け取るべきか分からなかった。  
高地をあとにしながら、アイギスの後ろを歩くウェリカは、そっと彼に疑問を投げかけた。  


55  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:03:31  ID:???  

「アイギス様……」  
「なんだい」  
「なぜ、あの時あのような悲しげな顔をなされていたんです?」  

アイギスが顔だけ彼女に向け、彼女の不安げな顔を一瞥した。  
彼は立ち止まり、高地を寂しげに眺めた。  

「ウェリカ、君はニホンの兵士がどう見えた?」  

彼女は予想外な質問に戸惑ったが、正直な感想を漏らすことにした。  
彼に嘘をついても始まらないし、彼の問いに無意味なものがないことを、彼女はよく知っていた。  

「……汚らしい服装で、野蛮人のように見えました」  

「そうか」  

そうだろうな、と続けて呟いてアイギスは苦笑した。  
ウェリカは彼の言わんとしていることが理解できず、聞き返す。  

「ではアイギス様はどう思われたんですか?」  

「……高度に訓練され、洗練された軍人達に見えたよ」  

ウェリカは唖然とした。  
敵に対してそんな感情を抱くというのが彼女の理解の範疇を超えていたのだ。  


56  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:04:13  ID:???  

彼女は、ニホンは恐ろしい兵器を手に帝国を追い出した国ではあるが、それに対して敬意を抱いたことなど一度もなかった。  
ニホンは武力と引き替えに自分達の食糧や資源を搾取する、帝国より若干マシな程度の侵略者でしかない。  
帝国の脅威が去り、ニホンも疲弊している今、この大陸を自分達の手に取り返すべきだ。  
それがロスーキでの一般的な人間の価値観だった。  
それに加えて彼女は落ちぶれているとはいえ騎士であり、  
騎士道精神を持たないニホン兵など、同じ武人として考えることはできないといった反感もあった。  
正々堂々と勝負を挑まず、隠れて遠距離からジュウ≠ナ狙い撃つなど、何と卑怯な連中なのだという怒りさえある。  
だが、アイギスはそれを全く意に介さず、ニホン兵を洗練された軍人と評した。  
確かに、彼らは自分達を捕らえようとはしなかったが、彼女はニホン兵のあの異様な格好にばかり意識が集中してしまい、  
野蛮人であるという認識ばかりが一人歩きしてしまうのだ。  
野蛮人から我らの地を取り返せ、そのスローガンはロスーキ人に、いやこの大陸に住む人々全てに共感されるはずだ。  
だが彼はそうではないようだった。  

「彼らと、敵同士で出会わなければならなかったことは、とても悲劇的なことだと思うんだ……。  
時期尚早過ぎた。ニホン人が我々を蔑ろにしているのは確かだけれど、交渉の余地はあったはずだろうに」  

アイギスの言うことは、ウェリカにとっては祖国への裏切りのように聞こえた。  


57  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:06:02  ID:???  

憎むべき敵に対して、解決の糸口があったはず?  
おそらく、相手がアイギスでなければ、彼女は剣を抜いて相手の首を跳ねていただろう。  
大陸で日本が犯した過ちは、日本という国を理解してもらおうと動かなかったことだった。  
日本人は無意識のうちに、過去の戦争の教訓とも恐怖ともつかぬ思いから、異世界の人々にあまり歩み寄ろうとしなかった。  
派遣されてきた少数の外務省職員や、自衛隊、資源採掘などの民間エンジニアに関わる一部の政府の人間しか現実の日本人を知らず、  
当の日本人も危険であるという理由や、日本人の気質か、積極的に自己を主張し理解してもらうという感覚に乏しかった。  
政府主導で日本を知ってもらうということをやれば、  
一歩間違えばかつての皇民化政策≠セと本国で問題になりそうだという役人根性からくる責任回避の感覚もあったのかもしれない。  
何より、日本にとっての最優先事項は自国のライフラインの確保に他ならず、  
他国の人間からどう思われようがそれは二の次の問題でしかなかったのだ。  
結果的にそれは悲劇を生んだ。誰にも予想のできない形で。  
この世界の人間の多くが、日本人に対して無知と無理解による誤解と偏見を持ってしまったのだ。  
帝国という重圧から解放され、大陸の人々に芽生えた日本への感情は、圧政から開放してもらったという感謝の意ではなく、  
恐ろしい武力を持つ第二の支配者が現れたという潜在的な恐怖心だったのだ。  


58  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:06:49  ID:???  

帝国と違い、恐怖による支配など当然だがしていなかった日本は、思わぬ形で刃を向けられる結果になった。  
今の自分達には自由と力がある。今なら支配者を打倒できるのだ。  
皮肉なことに、日本人は悪魔のような支配者で、自分達から搾取しているという情報を流したのは、他ならぬ反帝国陣営の権力者達だった。  
帝国という圧政から解放され、自由を手にした民衆は、自国の新政権に期待を寄せた。  
だが、権力者の多くは利権に群がるばかりで、多くの民衆は帝国支配と変わらないと不満を募らせたのだ。  
その不満のはけ口が必要だった。  
日本の存在はそれにうってつけだったのだ。  
今の自分達が貧しく苦しい原因は、ニホンにある。ニホンは我々から食糧と資源を搾取しているのだ、と。  
あとは雪だるま式に誤ったデマが流行していく。  
この異世界の大陸には情報化社会のように正しい情報を得る手段はなく、誤った情報の真偽など確かめようがない。  
反日思想に染まった民衆や国家が増えた結果、今回の新興国家群とロスーキの宣戦布告は起こったのである。  
日本人は、あまりにも大陸の人々を知らず、知ろうとせず、そして大陸の人々も日本人を知らず、知ろうとしなかった。  
疑心暗鬼と集団心理の末に、誰が加害者で誰が被害者なのかも分からずに戦争は起きた。  


59  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:07:40  ID:???  

「無知と無理解、無関心と無気力は、結果的に多くの不幸を生む。今回もそうだろう……」  

ウェリカは思わず心の中に生まれた疑念を呟いた。  

「アイギス様。あなたはニホンに……」  
「僕は軍師だ。与えられた任務は達成する。勘違いしないでくれ」  

今まで感じたことのない鋭い声に、彼女は思わず言葉を呑み込んだ。  
ウェリカは彼を信じたかった。  
理由は説明しにくいが、彼は今まで出会ってきた人物の中で最も、理解不能で、  
そして、自分にはとても見ることのできない真実が見えているように感じるのだ。  
しかし、自分は騎士である。あのニホン兵を擁護するようなことを言う人間を、立場からも感情からも容赦できない。  

「こんなことを言うのはね……」  

そんなウェリカの心中を見透かしたかのように、アイギスは珍しく微笑を浮かべた。  

「相手が君だからだよ」  

これだから彼はずるい、とウェリカは思った。  
きっと、大丈夫だ。  
いや、大丈夫でなくとも、自分は彼についていくかもしれない。  
信じると決めた。  
ウェリカは、アイギスの見ているものと同じものが、彼の見る真実≠ェ見えないかと、再び高地を振り返った。  
相変わらず静まりかえった高地は、  
人間の罪深い行いが自分の上で繰り広げられようとしているなど、まるで分かっていないかのように、  
微風に草を揺らせていた。  


60  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:08:21  ID:???  








夢を見た。  
いきなり殴られる夢だ。  
強烈な鉄拳をくらい吹っ飛んだらしく、仰け反った時によく晴れた空が見えた。  
課業時間外なのか、空はもう朱に染まろうとしていた。  




61  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:09:03  ID:???  

「立て。もっぺん言ってみろ」  

野太い男の声が朦朧とする意識の中に入り込んでくる。  
口の端の血を拭いながら起きあがると、  
そこにはよくアイロンのかかったパリパリの深緑の作業服姿の、逞しい陸士長が仁王立ちしていた。  
隊舎の屋上。  
ぺっと血を吐いた時、二等陸士の階級章が自分の肩に粗く縫いつけられているのが目に入る。  
三十五年前の、新隊員だった頃の自分だった。  

「もう、山下を……自分のバディを……殴らないでください」  

言った瞬間、今度は腹に蹴りがめり込んでいた。  
嘔吐しそうになるのを堪え、屋上の地面にうずくまる。  

「いい度胸だ」  

陸士長がせせら笑う。  

「ヒーローごっこか?」  

襟首をひっ掴まれ、無理矢理立たされると、今度はパンチが繰り出された。  
歯が折れかける嫌な音が口の中でするが、それをかみ殺し、不敵に笑う陸士長を睨み付けた。  
一瞬士長が意外そうな顔をし、ややあって今度は大きく笑った。  
そして笑いながら、自分を地面にものすごい力でねじ伏せる。  


62  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:11:15  ID:???  

「靴を舐めろ。今ならそれで許してやる」  

……こいつ、狂ってる。  
その時柴田は本気でこの陸士長を殺してやろうかと思った。  
憎しみや恐怖ではなく、それが班のみんなのためになると思ったのだ。  
入隊してから、この助教の受け持ちになったのが自分を含め班員十二名の運の尽きだった。  
最古参の陸士長。教育訓練にかこつけて病院送りにした新隊員の数は両手両足の数では足りないと噂の輩だ。  
バディの山下は九州のヤクザの実家から逃れたくて上京してきたはいいものの、食うに困って入隊した訳有りの隊員の典型のような奴だった。  
そのことを皆にひた隠しにしていたが、唯一、バディの自分にだけは打ち明けてくれた。  
山下はヤクザの息子になど見えない優しい奴だった。  
自分同様に、あまり人に話したくない理由で入隊した者同士という妙な連帯感もあったのか、  
自分と山下は何をするにも一緒という関係になっていった。  
だが山下には一つ決定的な欠点があった。  
喘息が持病だったのだ。  
ある日、教練中に発作が起き、衛生隊に担ぎ込まれる騒ぎがあった。  
それが災厄の始まりだった。この狂った陸士長に目をつけられてしまったのだ。  
山下だけ、執拗なまでに指導の名の下に鉄拳制裁を受けた。  
日を追うにつれやつれ、正常な顔つきでなくなっていく山下を、自分は放っておけなかった。  
その結果、こんなことになってしまった。  
……馬鹿だ、俺は。  
今まで、誰も信じなかった自分が、先々有益になりそうでもないのに人を助けようとしている。  
柴田は歯を食いしばった。  
……でも山下だけだったんだ。  
孤児の施設育ちで、生まれてからずっと一人で生きてきた自分の名前に、  
シバっちゃん、と愛称をつけてくれたのは。  


63  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:12:20  ID:???  

「どうした。早く舐めろ」  
「……舐めたら山下への暴力をやめてくれますか?」  

意地なんて張ったところで、絶対的な力の前では無力なのは十分今までの人生で分かっていた。  
中学生の頃に地元の不良グループに袋にされて泣いて詫びを入れたときから、抗うということを諦めていたはずだった。  
でも、この意地だけは張りとおさないといけない。  
殺されたっていいとさえ思う。  
逆上したこいつに殺されれば、いくらなんでも警務隊が動くはずだ。そうすればこいつもお終いだ。  
陸士長を睨み付け、柴田は凶暴な荒い息をついていた。  
おそらく、覚悟と憎悪と殺意が入り交じった凄まじい形相なのだろうな、と柴田は思う。  

「面白ぇな」  

陸士長が腕を組み、柴田を見下ろす。  
その言葉には心底何かが楽しいような感情がこもっていた。  

「気に入った。めだたねえ奴だとばかり思ってたが」  

そう言うと、首根っこをひっつかんで柴田を乱暴に立たせた。  
まるでつまみ上げた子猫の顔を見つめるように、血だらけの柴田の顔に顔を近づけた陸士長は、にやりと笑った。  

「昔の俺に似てるぜ」  

次の瞬間、腹に重い拳がめり込んでいた。  


64  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:13:39  ID:???  

冗談じゃない。誰がお前みたいな士長になるもんか。  
そう思いながら、柴田は意識を失った。  
後で見ることになるであろう山下の満面の笑顔が脳裏に浮かぶ。  
些細なことでもやり遂げた自分を、初めて自分で褒めてやっているような気がした。  
ああ、そうだ。  
この記憶は、自分が最初で最後の意地をはり通した時のものだ。  
なんで、こんな幸せとはほど遠い、いや、むしろ嫌なことばかりだった時代のことを思い出すのか、分かった。  
これはまだ自分が、単純な世界に生きていたときなのだ。  
明日は未来と同じ意味だったときだなのだ。  

シバっちゃん……こん、ほたぼけが……  
馬鹿、泣くなよ……。おまえ九州男児だろ  
すまん。すまんシバっちゃん……俺ぁ、俺ぁ一生忘れんけんな……  
なあ……山ちゃん……  
ん?  
俺とお前は、似たもの同士だなぁ……  
……ああ、そうやな。似ちょるもん同士や。俺とシバッちゃんは、似たもの同士  

シバっちゃん……  
柴田くん  
柴田  




65  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:15:36  ID:???  

「シバタ曹長?」  

誰かが呼ぶ声に、柴田ははっと目を覚ました。  
一瞬、目を開けても暗いままの視界に、まだ夢を見ているのかと思ったが、  
すぐに自分が光の一切ない夜のトーチカにいるということを思い出す。  

「あ、うん……?」  

居眠りしてしまったのか、しまった。  
柴田は申し訳なく思いながら、自分を起こした部下の顔を闇の中に探した。  
微かな月明かりに、二つの光る犬のような瞳が見えた。  
思わずぎょっとした柴田だったが、すぐにその光る瞳に見覚えがあるのに気付いた。  
レプ二士か。  
確か、自分と同じ時間に警戒時間が当たっていた。指揮官が寝ていて、思わず起こしたのだろう。無理もない。  

「シバタ曹長、うなされてたわぅ」  

近づいてきたレプの輪郭がおぼろげだが月明かりに浮かんだ。  
心配そうにこちらを覗き込んでいる。  
柴田は会ってから今まで、この少年の裏表のなさには呆れと好感を抱いていた。  
心のどこかで、他界した娘と重ね合わせている部分があるのかもしれない。  
それ故に、じっと見つめられると目を逸らすしかなくなる。  
まるで娘が、自分を無邪気な瞳で責めているような錯覚に取り憑かれるのだ。  


66  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:16:32  ID:???  

「そうか?」  
「何か怖いことがあったわぅ?」  

本当に裏表のない少年だ。心に思ったことを隠したり我慢することがない。  
聞かないで欲しいことだったが、不思議なことに柴田は彼には正直に話してもいいような気持ちになった。  
人が自分のことを知られるのを恐れるのは、  
相手が自分のことを上辺の表情とは裏腹に蔑んだり嫌悪したりしないだろうかという恐れが生まれるからだ。  
その点、この少年はそういった負の感情とは無縁だった。  

「いや何。昔のことを思い出してな……」  
「むかしのこと?」  

首を傾げるレプの顔がおかしくて、柴田は苦笑した。  

「ちょうど君のような新隊員だった頃だ」  
「教育隊?」  
「そう。教育隊の頃のことだ」  

柴田はレプが教育隊という言葉を口にした時、笑顔の後に一瞬、悲しみの表情を浮かべたことに疑問を感じた。  
そういえば、彼らは教育隊を卒業間近にここへ派遣されてきたらしい。  
悲しそうな表情を浮かべるなど、もしかして教育隊で酷い差別でも受けたのだろうか。  
柴田自身は、異種族隊員について肯定も否定もしない。ただ無関心なだけだ。  
柴田は家族を失って以来、全てにおいて無関心だった。  


67  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:17:31  ID:???  

彼が命をかけ、絶対に失いたくない存在は唯一家族であり、それのない世界など、異世界であろうが意味を成さない。  
極端にいえば、柴田は日本がどうなろうが知ったことではなかった。  
無関心ゆえに、異種族隊員らが日本のためにこうして戦おうとする理由が疑問ではあるが、あえて知ろうとも思わない。  
だがこの少年については枯れた柴田の心の中でも、ほんの少しだけ湧き出る好奇心があった。  
フェリーで、マーメイドが物珍しそうに海面から顔を見せるのを大はしゃぎで指さしていたこの優しい少年が、なぜ自衛隊に志願したのか。  
もしかしたら、自衛隊に志願すれば難民として保護されている家族の待遇がより改善されるというのは本当だったのかもしれない。  
それを思うと、柴田は胸が痛んだ。  
仕方がなかったのだな。  
昔の自分のように……  

「君は、教育隊は楽しかったかい?」  

柴田は自分でも珍しいと思える、自分から他人への質問をしていた。  

「とっても楽しかったわぅ!」  

ぱっとレプの顔が華やいだ。  
柴田は少し安心した。どうやら教育隊は彼にとって悪い場所ではなかったようだ。  

「……でも」  
「でも?」  

さっきと同じ暗い表情を浮かべたレプに、柴田は思わず聞き返す。  
レプは狭いトーチカの中で、まるで寒いかのように両膝を抱いてぽつりと呟いた。  



68  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:18:50  ID:???  

「バディと一緒に、卒業したかった……」  

柴田は起きる前にみていた夢が脳裏を過ぎった。  
偶然だろうか。  
いや、偶然に違いない。自衛官なら誰でも教育隊は経験するのだ。バディが話題に上るのも珍しいことではない。  
柴田は夢のことを頭の片隅に追いやると、今度は意外なことに思い至った。  
確か異種族隊員のバディは日本人の新隊員だったはずだ。  
文化の違いや意識の差からうまくいっていないという噂を耳にしたことがあったが、彼の場合はどうやら違うようだ。  

「君のバディは、どんな奴だった?」  

いつの間にか、頭の片隅に追いやったはずの夢の中の、かつてのバディ、あの山下の顔が浮かんで離れなくなっていた。  
思えば、あの若かった時代は、辛い思い出の中に、決して忘れたくない幸せな思いが隠されていたのかしれない。  
これはきっと、人生の意味を失い、ただ死を待つだけの無為な日々を送る自分の中で、風雨にさらされ、  
無駄な記憶が削げ落ちていき、尊い思い出が剥き出しにされているからだろう。  
バディ、部隊という概念の最小単位。好むと好まざるとに関わらず運命を共にすることを義務づけられた、二人の男達。  
山下がまさにそうだった。  
山下だけを苦しませてはいけない。  
あいつは他人だ。自分には関係がない。そう思って関係を切り離そうとしても、切り離せないのだ。  
今の自分は奴がいなければいないし、奴も自分がいなければやっていけなかった。  
そこには一切の打算も妥協も馴れ合いもない、どこか軍隊的な気味が悪いくらいの、ただ純粋な絆があった。  
日本人でなくとも、それは同じことなのだと思うと、柴田は無性にレプと話したくなった。  
誰かと関わりを積極的に持ちたいなど、いつぶりだっただろうか。  
それが、共感という感覚だと、柴田は気付かなかった。  


69  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:19:36  ID:???  

「……!」  

柴田がレプのいつもどおりの景気の良い答えを期待していると、レプの顔にはいつの間にか笑みが消えていた。  
柴田がその様子に疑問を抱くと同時に、レプは鼻を小さく鳴らして何かの匂いを嗅ぎ取ろうとしていた。  
まるで家庭のプロパンガス漏れでも気付いたかのような様子に、柴田は彼が何をしているのかまるで見当がつかなかった。  
当然、このトーチカの中には、そして周囲のどこにもガスや異臭を放つものも存在しない。  
柴田が声をかけようとした瞬間、レプがトーチカの外の暗闇を見つめ、独り言のようにぽつりと呟いた。  

「……たくさん人間の匂いがするわぅ」  
「え?」  

一体彼が何を言っているのか理解できず、怪訝な表情を浮かべると、遠くで何か気の抜けた音がした。  
以前聞いたことのある、照明弾を打ち上げた時の音だと気付き、柴田も外に目をやった。  
外の暗闇は月明かりだけでは払拭されることなく、空に星々がなければ上下感覚さえ曖昧に思えるであろう黒い世界を広げていた。  
敵の気配など、何一つ……。  
そう思った刹那、照明弾が弾け、白い光が夜空から高地全体をなめ回した。  
そして柴田は、ほんの二十メートル先にいる人間達と、目が合った。  
まるで忍者のような黒装束を纏い、口元も暗い色の布で覆っている、数は百人は下らない連中だった。  
腰にはクナイのようなダガーを数本吊り下げ、刃も黒く塗ってあるのか、照明弾の光にも白刃と輝いてはいない。  
この世界にどんな連中がいるのかなど無知に等しい柴田でも、すぐに理解できた。  
目の前にいるのは、敵の特殊部隊だと。  


70  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:20:48  ID:???  

「わぅ!?」  

レプが驚きと恐怖に耳をぺたんと垂らして身を伏せた。  
柴田は咄嗟に手元の六四式を引っ掴んで安全装置を解除した。  
前方の敵集団は声を上げることもなく懐に手を突っ込み、すぐさま何か球形のものを取り出した。  
推察はつく。陣地破壊用の原始的な手製爆弾だろう。  
敵はある程度自衛隊の戦い方を知っているようだった。  
一番陣地に近かった十名ほどが、一斉にこちらへ向かって肉薄してくる。  
柴田が声を上げるより早く、戦闘態勢を取った者がいた。  
いつの間に起きていたのか、六二式機関銃にダークエルフ隊員のルールカが取りついていた。  

「敵襲ぅーーー!!」  

柴田の代わりとばかりにルールカが絶叫すると同時に、六二式の銃口に閃光がほとばしった。  
指を軽く引いただけの一掃射で、手製爆弾の投擲距離にいた五人ほどの敵兵が導火線に点火する間もなく、  
7.62o普通弾の直撃を腹に受けて吹っ飛んでいた。  
その銃声が合図だったかのように、各陣地で銃火が瞬いた。  
照明弾という歪な太陽に照らされる中、黒い空を曳光弾が切り裂きながら飛び交い、  
敵が悲鳴を上げることもなく、まるで意志を持たない人形のように倒れていく。  
隣の丘からの援護射撃と、ルールカの構える機銃とでちょうど十字砲火を浴びる形になった敵集団は、  
一発目の照明弾が燃え尽きるまでに半数の兵が為す術もなく倒れていた。  
残り半分は、浅い茂みになっている草地に身を隠し、煙幕のようなものを焚いて身をくらました。  
だが、敵が態勢を立て直すより早く、そこへ迫撃砲弾が降り注ぎ、草地ごと敵を粉砕していた。  
その間、ほんの十分にも満たない。  
照明弾が燃え尽き、再び闇が支配する世界が訪れた時、迫撃砲弾の着弾点で赤く燃える炎だけが、その世界で生きる唯一の光だった。  




71  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:21:51  ID:???  

「……良かった。間一髪だったな」  

柴田は結局一発も発砲することなく、六四式の銃口をトーチカの中に引っ込めた。  
ルールカも六二式から手を離していた。  
だが、彼は今度は自分の六四式を手に取ると、安全装置を外して銃口を闇の中に向けた。  

「おい。どうしたん……」  

言い終わらない内に、ルールカは引き金を躊躇いなく引いていた。  
単発の銃声が夜の高地に響き渡る。  
前方の茂みで、何かが草の上に転がる気配がした。  

「……死体の影に隠れていた奴が逃げようとしました」  

ルールカが冷静に説明した。  
柴田は久しく忘れていた、何物かに対する不気味さという感覚を味わった。  
柴田は生まれてこの方、ここまで淡々と人を殺すことができる人物に出会ったことがなかった。  
いや、そもそも人を殺したことのある人間というもの初めてだ。  
会ってから今まで、大人びていて、冷静で温厚な姿しか知らなかった柴田は、  
このルールカという若者の知ってはいけない一面を知ってしまったような気がした。  




72  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:22:49  ID:???  

「おかしいですね。本気で襲う気がなかったみたいだ」  

ややあって、ようやく銃口を引っ込めたルールカは、思案顔で呟いた。  

「もしかして……威力偵察なのか?」  

柴田はなんとかその一言を絞り出す。  

「はい、おそらく。本気で襲撃するつもりなら、もっと大規模なものだったはずです」  

ルールカはなおもじっと、もう人を焼く炎も消えかかった闇を睨んでいる。  

「一人でも生かして帰したら、こちらの負けだったかもしれませんね」  

まるで部活の試合結果を反省するような自然な口調で、殺戮の評価をする若者に、柴田は薄ら寒いものを感じた。  
そして初めて、やはり彼らは日本人ではないのだということを認識した。  
日本人というには、彼らはあまりにも意志が固く、そして躊躇いも容赦もなかった。  

「レプ?」  

柴田はトーチカ内で部下達が落ち着いてきたのを確認し、細部報告をマグで行うと、ようやく一息ついた。  
警戒は厳にせよとのことだったが、ルールカは今夜はもう何も仕掛けてはこないだろうと言っていたので、根拠はないがそれを信じて安心する。  
そこでようやく、部下の一人の様子がおかしいことに気付いた。  
レプだった。  


73  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:24:04  ID:???  

トーチカの片隅に小さくなっていたので気付かなかった。  
彼は身をかき抱き、小刻みに震えながら、何かに酷く怯えているようだった。  

「殺しに来る……ニンゲンが……大切な人……殺しに……」  

うわごとのように歯をカチカチと鳴らしながら呟く彼の様子にぞっとするものを感じた柴田は、  
慌てて彼の傍に身を寄せた。  

「レプ二等陸士!」  
「あ……シバタ曹長」  

肩に手をかけてようやく柴田の存在に気付いたレプは、焦点の合っていない瞳で柴田を仰ぎ見た。  

「ご、ごめんなさい……レプ、戦わなくて……」  

消え入るような心細さと情けなさを含んだ声を漏らしたレプに、柴田は今更ながら、この少年の心根の優しさと年齢を痛感した。  
とてもではないが彼は戦闘に参加できるような人物ではないのだ。  
いったい何故彼を入隊させたのか、柴田にはまるで理解できなかった。  
怒りというより、腹の奥底が煮えるような腹立たしさを感じながら、震えが止まらないレプの紅い髪の頭を、柴田はそっと撫でてやった。  
人は、肌を通じて感情を読み取ることができる。それは恐怖と不安に苛まれたときの孤独を、最も癒してくれる手段でもある。  
昔、妻にそうしてもらったことが、無意識にそうさせていたのかもしれない。  
触れたレプの髪は柔らかく、犬のような耳は、子犬のように温かかった。  
どこかでこんな頭を撫でてやったような気がする。  
ああ、そうだ。小さかった娘の努(ゆめ)の頭だ。  
あの子も、この少年のように、底の見えない優しさを持っていた。  
しかし部下に対して、こういった感情を抱いてはいけないのかもしれない。  
柴田は自戒する意味も込めて、撫でる手を離した。  
幸いにも、レプの震えはもう収まっていた。  
いつも思ったことをそのまま口にする彼も、どうしていいか分からない様子で柴田を見つめている。  
その表情は、戦闘で役に立たなかったことへの悔しさや恥ずかしさに加え、  
柴田の思いの片鱗を読み取ってしまったのか、どこか複雑な感情が入り交じっているように見えた。  


74  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:24:53  ID:???  

「いいさ。次にがんばればいい」  

柴田はとりあえずそれだけ言った。  
レプはそれでもまだ黙っていたので、「俺も一発も撃ってないんだ」と苦笑してもう一言付け加える。  

「……わぅ」  

「何も恥ずかしいことじゃないさ……」  

他人をこんなにも気遣う自分に軽い驚きさえ抱くが、柴田は心のどこかで、この少年に自分自身の若い頃と、  
それどころか我が子にまで重ねてしまっていることに気付いていた。  
自分は、枯れた抜け殻ではなかったのか。  
抜け殻は、まるで失った中身を取り戻そうと、内を満たす存在を求めているのかもしれなかった。  
おぞましい。柴田は、より一層自分のことが嫌いになった。  








75  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:25:48  ID:???  


「我が名の契約の下に、来たれ!  異界の獣共っ!」  

召喚士の詠唱に、魔の淡い紫の光を宿した魔法陣が蠢く。  
高地からほど近い森の中では、夜を徹しての召喚を続けていた。  
その進行状況の確認に足を運んだアイギスの傍らのウェリカは、森にひしめく召喚獣の姿に目を丸くした。  

「ガルムにコボルトにゴブリン?  こんな汚らしい連中をどうするおつもりです?」  

召喚獣を戦力に加えるのは分かる。しかし、大抵の場合、召喚獣は量ではなく質に重きがおかれる。  
召喚後に御しやすいか、賢いか、そして強いのか。  
だが、今この森で目につく召喚獣は皆、下級であったり、さして秀でた能力のない種類のものばかりだった。  
数だけみればかなりのものだが、ニホン軍が数で圧して勝てるような相手ではないことはアイギス自身が証明したはずだ。  
ウェリカはこのような無意味に等しい戦力のために貴重な召喚士を総動員するのか、分からない。  

「文字通り、消耗戦さ」  

アイギスは召喚が順調であるのに安心したのか、ややあってウェリカの質問に答えた。  


76  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:28:45  ID:???  

「敵の強力な武器は、極めて効果的に配置され、しかも正確な位置を把握するのは困難だ。  
そのため大軍を用いたとしても、接近する前に壊滅的打撃を受ける」  

ウェリカは、先刻の高地での戦闘を思い出す。  
ロスーキの歴史の裏世界で暗躍し、権力者の最後の切り札とまでされた暗殺・密偵部隊の精鋭約百名が、ほんの数分で壊滅した。  
ギルドマスターが、下らない命のせいで無駄死にだとばかりにアイギスに非難の眼差しを向けていたのが、印象的だった。  
しかしアイギスは、何かの結論に達したように、どこか結果に満足そうでさえあった。  
その答えなのだろうか。  

「しかし、あれだけ強力な武器を持っていながら、牽制攻撃さえこちらにしてこないのは何故だと思う?」  

アイギスがウェリカに抑揚なく尋ねる。  
彼女が首を横に振ると、相変わらずの態度で淡々と説明を続けた。  

「敵はもう打って出るだけの余力などないからだよ。時間が経てばたつほど不利になるのが分からない連中ではないはずだしね」  

彼は森で蠢く下級召喚獣らを睥睨する。  

「絶え間なくこれらを投入しつつ敵の息切れを待つ……」  

つまりは、とウェリカが呟く。  

「無駄弾を撃たせるための、捨て駒……!?」  

アイギスは頷いた。  
少しだけ、表情が険しいのがウェリカには分かった。  


77  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:30:24  ID:???  

「遠くない内に、必ずほころびは生じる。でなければ、玉砕覚悟の暴挙に出るか……  
だが、あのスダ将軍の様子ではそれはないだろう。  
しぶとく抵抗を続けるだろうし、組織的抵抗が終わっても、残党狩りが問題かもしれない。  
そのための手はずもうっておかねば……連中はただの落ち武者ではないからね」  

ウェリカはアイギスの顔をまじまじと見て感嘆するばかりだった。  
一連の偵察命令は、一つも無駄ではなかったのだ。  
敵の有効射程、接敵時の対応の仕方、その裏に隠された敵状……  
総攻撃はまだかとはやりたてる諸将軍を抑え、静観していたのは、全てこのためだったのだ。  
敵の強い部分を打ち崩すより、地味であろうが敵の弱点を突く方が、より効果的なのだ。  
この青年の深謀遠慮にウェリカは、この戦の勝利を確信した。  
そして、彼のためなら、自分はきっと騎士として命を捧げることができるだろうと強く感じた。  
彼は、万の軍勢よりも大切な戦力なのだから。  

……アイギス様、あなたは私が命にかえてもお守り致します。  







78  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:32:07  ID:???  


高地中央の最も標高が高い丘の頂上付近に、通信アンテナまで偽装されて構築された司令部では、  
須田を始めとする団幹部らがバラキューダで屋根を偽装した狭い半地下陣地内に一堂に会していた。  
夜が明け、八時を過ぎ、もう日も高いはずだが、今日は高地全体に霧が立ちこめており、白に染まった視界は見通し距離百メートルもない。  
日の光がないため、司令部内は薄暗く、まるで集合した幹部らの心中を表すかのように陰鬱とした雰囲気を醸し出していた。  

「本国からの連絡は?」  
「現状を維持し、被害を最小に止めよ。現在、脱出用のヘリの準備をしているそうです」  
「その命令は突き返したはずだ」  

須田は苛立たしげに通信幹部に言う。  
部隊の布陣状況が記された高地周辺の即席地図を中央に向きあっている幹部らの表情には、須田を除いてどこか力がなかった。  

「……もう、決断すべき時ではないでしょうか?」  

須田の表情を窺いながら、一人の幹部が地図の広げられた卓上にそれとなく視線を落としつつ呟く。  
次の瞬間、須田が拳で卓を叩き、静かだった司令部に大きな音が響いた。  
幹部の何人かが驚いて身を竦める。  

「我々を信じる部下を見捨てて日本人隊員だけ脱出するのが、決断だと!?」  

鋭い眼光で睨み付けられた幹部達は、萎縮するばかりだった。  
須田は明らかに、普通の自衛隊幹部としては異質な存在だった。  
この高地へ退却する戦闘で、須田は最後尾で陣頭指揮を執り、先遣隊二百の死者以外は一人も出さなかった。  
その時に敵に斬りつけられて負傷した片目に包帯を巻いた姿は、まるで戦国武将のような印象を見る者に与える。  
しかし、須田と年齢の近い何人かの幹部は不思議でならなかった。  
須田は防衛大学にいた時代、あまり目立つ存在ではなかったし、闘争心はもちろん愛国心に燃えているわけでもなく、  
任官してからの風評も、ごく普通の温厚なお父さん幹部のそれでしかなかった。  
召喚後に実戦を経験したのが豹変の原因だと噂されているが、誰も怖くてそのことを確かめようとはしない。  




79  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:32:50  ID:???  

「我々の国は……命の選別をするつもりなのか……!?」  

「ですが……須田二佐」  

遠慮がちに、また違う幹部の一人が発言した。  

「マスコミには壊滅状態になったので退却したと伝えれば、事の真偽など……」  

その幹部は言い終わらない内に、須田の殺気を孕んだ目に射すくめられ、それ以上何も言えなくなった。  

「見捨てる千八百の隊員が、全員日本人だったら、貴様は同じことが言えるのか?」  

須田の言葉には遠慮というものがなかった。  
誰もが思っていても口にしない心の奥底の思いを指摘された幹部達は、ただ俯くしかなかった。  

「俺の部下である以上、日本人だろうが異種族だろうが、一人も無駄には死なせん。見捨てるなど、論外だ」  

「降伏は考えられませんか?」  

「ネリェントスを知らんのか?  捕虜の命を保障する条約など、この世界には無いんだぞ」  

何より既にもう二百の隊員が虐殺されているのだ。降伏はすなわち死を意味する。  
敵はこちらを人間だと思っていない。いや、同じ世界の人間同士でさえ、そうなのだ。それが当たり前の世界だというだけなのだ。  
進退窮まった幹部達の間に不穏な雰囲気が漂い始めた。  
そもそも、最初からこの部隊の日本人隊員の士気は低い。  
寄せ集めの即席部隊で、ろくな装備も支援もなく辺境に向かわされるという任務と、  
異種族部隊に対する奇異の目を反映してか、どこか不名誉な役割であるかのような意識が隊員に蔓延しているのだ。  
しかも、ここで死力を尽くして戦っても、何の名誉も、成し遂げられる目的もない。  


80  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:35:10  ID:???  

いったい何のための戦争なのか、自分達は何のために戦っているのか。  
ベトナム戦争の帰還兵のような隊員が増える中、この部隊に命をかけて戦おうとする日本人隊員は当然少なかった。  
日本国内では、反戦というよりは厭戦の意識が国民に広まっていた。  
戦争は自分達の生活を支える上で仕方がないことだ。  
戦争は嫌だが仕方がないから目をつむるしかない。  
大陸で異民族が何人死のうが、それは結局元の世界にいたときにテレビでなんとなしに聞いていた、  
どこかの紛争地域の話のように他人事に過ぎない。  
自衛隊に向けられる国民の視線は、冷ややかなものだった。  
巨額の防衛費をまかなうための増税に、多くの国民があえいでいる。  
その自分の苦しみと、戦地にいく者への憐憫とが混じり合った、奇妙な視線。  
官も民も、日本人全体に、この世界で自分達が何をなすべきか、どうあるべきかなど何一つ考えず、  
ただただ自分達の周囲の陰惨な現実に囚われ、それを打開するための気力も持ち合わせていない。  
帝国支配を終わらせた功績を外交にどう使うかも分からず、  
国内の問題に右往左往していたばかりに、大陸の人々の意識が誤った方向へ進んでしまった。  
この世界をより良く、弱者を救うために変えることができた唯一の国であったかもしれないにもかかわらず、  
数々の少数民族からの救済を求める声があったにもかかわらず、言葉を濁すだけで取り合おうとしなかった。  
現在異種族部隊の中核となっている難民たちの受け入れにしても、  
ぼろぼろの木造船で渡航してくる女性や子供を大勢抱えた集団を追い返したり銃撃するほどの覚悟がなかっただけで、  
つまりは成り行きで保護することになってしまったのだ。  
国家の意志としての弱者救済や、大陸の今後の方針への参画など、ほとんど行われていない。  
誰もが流れに身を任せ、狂った歴史が転がる。それが召喚後数年を経た日本という国の、現実だった。  


81  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:37:45  ID:???  

「あなたを解任するよう上に具申してもいいんですよ」  
「何だと?」  

重苦しい空気の中、情報担当の幹部が、意を決した表情で須田に言い放った。  
微かなどよめきが司令部を駆けめぐった。  

「あなたの思考は常軌を逸している。ヘリでの脱出は正式な命令なんです。本来なら、突き返すなどありえない話だ」  

「俺からしてみれば、部下を見捨てるほうがありえん話だ」  

「話のすり替えはよしてください。あなたが上からの命令に従わないということが一番の問題なのです」  

須田の眉がぴくりと動いた。  

「……罪の意識はないのか?  指揮官として、いや、一人の人間として、恥ずかしくないのか?」  

「須田二佐。正直に言いましょう。私には、家族がいます。息子と娘のためにも、私はこんなところで死ねない」  

確かに日本人にしては珍しく、正直な物言いだと須田は思った。  
そして、例えそれが醜い利己心であろうとも、須田自身も、それを責めることができないのは分かっていた。  
いまや名誉も目的も理想も未来も、人々を団結させ、行動させる要素を失った召喚後の日本で、  
この大儀なき戦争で命をかける理由を持つ者など、自分以外、いようはずがなく、今の状況におかれたならば、家族を思うのは仕方がないことだ。  




82  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:38:44  ID:???  

「わ、私もです!」  
「自分も!」  
「そもそも彼らは日本人じゃないんです!  降伏させれば敵も悪いようにはしないのでは……」  

口々に言う幹部らに、須田は一縷の望みも崩れていくのを感じた。  
須田は、無言でしばらく彼らを見つめる。  
降伏させれば無事という考えは苦しい言い訳以外の何物でもないだろう。  
間違いなく、憎むべきニホンに味方した反逆者として処刑されるはずだ。  
だが、もうそんなことを言っても、彼らは聞き入れはしないだろう。  

「……分かった」  

彼らを引き留めることが不可能であるという結論に、須田は無力感に襲われた。  
指揮官である日本人隊員がいなくなれば、もう、組織的な抵抗ができなくなるのは時間の問題だった。  
この部隊の指揮官を命じられた時の使命感と罪悪感は、今はただ無力感と絶望にとって代わられていた。  
しかし、それでも須田は譲れない一線があった。  

「ただし、私はここに残る。最後まで、彼らと共に戦う」  

有無を言わさぬ口調で副官にそう告げると、彼は腕を組んで簡易パイプ椅子にどっしと腰を据えた。  

「何故そこまで……!?」  

幹部らが信じられないものを見るかのように須田を凝視した。  


83  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:39:44  ID:???  

「私は、あのキレシュト山脈での撤退戦の時、そこの少数民族に救われた……」  

あまり多くは話したくはない様子で、須田は呟いた。  

「俺はもう、自分を信じてくれている者を裏切ることは、できない……」  

ただそれだけ、須田は思いを口にしたきり、黙り込んだ。  
幹部達は須田の過去を垣間見て、気の毒に思ったが、しかし、今の自分達には重要なことではないとも思っていた。  
自衛官だけでなく、多くの日本人からしてみても、須田のような人間は、異端であるにちがいない。  

「そうですか……」  

副官はその場を纏めるように腰を上げた。  

「これより私、倉本三佐が指揮を執る。ただちに撤収準備にかかれ」  

須田は最後まで、席を立とうとはしなかった。  
須田は司令部から人気が少なくなっていくのを感じながら、自分を救った少数民族の人々のことを思い出していた。  
あの敵の大反攻の中、車輌の数は足りず燃料もなく、まるでかつての南方の旧軍のように敵から発見されぬように、  
森を徒歩で撤退する中で出会った山岳少数民族達のことを。  
須田は震えが止まらなかった。  
自分達を救ってしまったせいで帝国軍に虐殺された彼らの、別れ際に見た最後の笑顔が頭から離れないからだった。  





84  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:41:20  ID:???  



霧が晴れないな、と柴田は双眼鏡から目を離してから思った。  
今朝からずっとこうだ。この地域独特の気候なのかもしれない。  
昨夜のこともあって、敵も迂闊に忍び寄ってはこないだろうが、索敵装置がないとあっては視界がきかないのは不安なものだった。  
これではまるで第二次大戦の時代の陸戦だ。  

「何で残ったんですか?」  

一人霧を睨んでいると、ルールカの声に、柴田は振り向いた。  
腕を組んでこちらを窺うように見つめているダークエルフの若者に、柴田は苦笑する。  

「日本に帰ったところで、居場所なんてないんだ。俺はここでいいよ」  
「ここは居場所なんてものじゃない。ただの墓場です」  

ルールカの言いたいことはなんとなく分かった。  
彼は物静かな人物だが、日本という国に報いることを人生の目的にしている。  
そんな彼からしてみれば、日本人が犠牲になってしまうのをみるのはあまり良い気分がしないのかもしれない。  
彼は最初から、日本人隊員だけが脱出することになるのは予想していたようだった。  
全てを納得し、諦観ともとれる覚悟までしている若者を、柴田は心のどこかで恐ろしく感じていた。  


85  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:41:59  ID:???  

「墓場、か」  

いいじゃないか、今更、妻子の墓に図々しく入り込む気はない。妻の家族が許さないだろう。  
自分に肉親はいない。入る墓もないのなら、ここで死んだ方が誰にも迷惑がかからなくて、むしろ良いとさえ思える。  

「そんなこと言うものでない。ルールカ」  

エルフの若者が会話に割って入ってくる。  
霧に紛れてヘリが日本人隊員らを運び去っていったのが二時間ほど前のことだった。  
殺到する日本人隊員らを収容したヘリ部隊は、全員が搭乗しているかなど確認せずに飛び去って行ってしまった。  
異種族隊員らに最後に与えられた命令は抗戦し、継戦不能と判断された場合は各自降伏せよ≠ニいう、事実上、彼らを見捨てるというものだった。  
救出のヘリが来るとは言っていたが、誰も信じてはいなかった。  
千名を超える人間を輸送できるほどのヘリがあれば、わざわざそんなことをせずに弾薬や増強部隊を送り込んできて敵を殲滅しているはずだ。  
異種族隊員らの反応は大きく分けて二つだった。  
ニホンに裏切られ、忠誠を尽くすことに疑問を感じ始めた者と、敵に一矢報いて討ち死にしてニホンへの忠誠を示そうと思う者だ。  
両者の全体比は三対七ほどだった。  
この程度で済んだのは、最高指揮官であった須田二等陸佐は運命を共にするとして高級幹部としてはただ一人残ったことや、  
異種族隊員の多くが自分達が捨て駒であるということを納得してやってきているという理由がった。  
全体としてはできうる限り組織的な抵抗を続けることでまとまったが、本国から見捨てられ、  
敗北が確実となった今、さすがの異種族隊員らの士気も落ち込んでいた。  
そんな彼らにとって、柴田のような隊員は、心のより所のようなものなのかもしれなかった。  




86  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:42:35  ID:???  

「シバタ殿は我らのためにその身を死地に置いてくださったのだ。感謝こそすれ非難する理由などなかろう」  

セティスの実直な性格に内心苦笑しながら、柴田は曖昧に笑みを浮かべた。  
同時に柴田は、本当に自分がここに残ったのはそんな死に場所を求めているからなのかと疑問に思った。  
ここに来て、自分の中で確かに何かが変わっている。  
まるで、壊れていた時計が、再び時を刻み始めたかのような、そんな、生きているという実感がある。  
この理解不能な若者達と、そして……  

「シバタ分隊長……」  

ここに残ったことに、嬉しさと悲しみの混じった思いでこちらを見上げてくる無垢な瞳の少年に、自分は少なからず影響されているのだ。  
もう少し、生きていたいのかもしれない。生きて、彼らと歩みたいのかもしれない。  
柴田は、自分の身勝手さにうんざりする。  
しかし、今は少しだけ、心が楽になったような気がした。  

「その……皆いいかね?」  

柴田は自分でも分からない内に、トーチカの部下達に向かって声をかけていた。  
初めて全員に向かって注目を促した柴田を見て、部下は一斉に顔を上げた。  
初めての経験に柴田も戸惑うが、意を決して静まりかえったトーチカ内で口を開く。  


87  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:44:10  ID:???  

「皆とは、これから戦闘を共にする。  
その……私は、事務屋で、戦いなんて、ほとんど知らない。至らない指揮官だと思う。だから……」  

柴田はレプや、ルールカら幼さを残す顔を見渡した。  

「私が死にかかっていても、助ける必要はない。戦いに長けた者は、仲間を、後輩を、助けてやってくれ。まずそのことを、第一に考えて欲しい」  

部下達が目を丸くした。  
これでいい、と柴田は続ける。  

「命を粗末にしてはいけない。君たちには、まだ未来≠ェあるんだから……」  

未来、そう、未来だ。  
彼らには信じるものに向かっていくための、明日があるのだ。  
かつて自分が恐れて手に入れることのできなかった、可能性の数々を。  
彼らには、それを失って欲しくない。こんな戦争なんかで、奪われてはいけない。  
彼らには、具体的には言えない、何かを成し遂げてくれそうな力があるように思う。  
柴田は切に願った。  
この命、彼らの未来のために使っても、誰も迷惑はしないだろう。もとより使い道のなかった命だ。  
だから、生きてくれ。  
生きて生きて、希望を追いかけてくれ。  




88  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:47:14  ID:???  

「シバタぶんたいちょ……」  

レプが喜んで良いのか、悲しむべきなのか、考えあぐねているような顔で歩み寄ってきた。  
この少年は、裏表のない性格をしているが、人一倍、相手を思いやる心が強いためか、こうして切なげな表情をすることがあるようだった。  

「レプ二士」  
「は、はい」  

柴田はそっと少年の肩に手をかけた。  
レプの言いたいことは、見当がついた。  

「諦めないさ。みんなで一緒に、帰ろう」  

「帰る?」  

「そう、日本に帰るんだ」  

柴田は内心苦笑した。  
死に場所を求めて日本を出た自分が、今は帰還を望んでいる。  
いや、本当は望んでなどいない。  
帰還したいのではなく、帰還させたいのだ。  
彼らを。  
この少年達を。  
我が子のような、子供を……  



89  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:48:14  ID:???  

「ぶんたいちょ……」  

レプが涙を浮かべるが、必死になって堪えている。  
その純粋な涙から、今は目をそらさぬように、柴田はレプの顔を見つめ続けた。  
もう失いたくない。  
それだけが、柴田の胸に沸き上がった。  
その感覚は、いつか、どこかで感じたことのあるものだった。  
あの夕暮れの隊舎の屋上で、殺される覚悟さえした、あの時の……  

「分隊長!」  

ルールカが緊迫した叫び声を上げた。  
突然のことに、トーチカ内が騒然とした雰囲気に包まれる。  
まさか、敵襲!  
柴田は霧の海を睨んだ。  
何も見えない。  
しかし自分には見えないかもしれないが、彼らには見えているのかもしれない。  

「何が見える?  いったいどうしたんだ?」  
「……何か気配がします」  
「敵か?」  
「それ以外は考えられません」  



90  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:48:49  ID:???  

柴田はルールカの話に頷くと、目配せをして部下達に戦闘準備を促した。  
無言でそれぞれの銃を手に取り、トーチカの外へと構える。  
固唾を呑んで待ちかまえる中、ルールカの予言した通り、確かに周囲に何かがいるような気配が感じられた。  
羽音のような音と共に、人の大きさほどもありそうな大きな鳥のようなものが、霧の中で旋回しているようだった。  

「敵の召喚した飛行系召喚獣か……?」  

ルールカが腑に落ちない様子で六二式機銃を構えた状態で首を傾げた。  

「斥候か……?  一匹だけとは……」  

この視界でいったいどうしてそこまで正確に見極められるのかと、柴田はルールカの五感の鋭さに改めて驚かされる。  

「どうする?」  

指揮官である自分がそんなことを聞いていたのではお先真っ暗かもしれないが、  
柴田は今は恥や外聞を気にしている場合ではないと、最善と思われる判断をした。  


91  名前:  元1だおー  2006/06/03(土)  16:50:00  ID:???  

ルールカはしばらく黙考し、  

「どうやら近くに降り立ったようです。……相手は一人ないし二人。捕獲しましょう」  

と答えた。  



<続く>