704  名前:  元1だおー  04/01/19  17:18  ID:???  


「新兵より予備のない幹部だ。そんな簡単に殺してもらっては困るな……」  

僕は突然背後から発せられた男の声に思わず振り返った。  
そして、その姿を認めるや、歓声をあげずにはいられなかった。  

「佐久間!?」  

さっきまで僕が立っていたドア前には、  
今まで見せたことのない厳しい表情を浮かべ、シュレスヴァイラに向け六四式小銃を構える佐久間が立っていた。  

「うへぇマジで修羅場ってるし」  

佐久間の後ろからおどおどと現れたのは、同じく六四式を抱えた前島。  

「ほう……」  

シュレスヴァイラは予想外の展開に戸惑いを覚えつつも、殺気に満ちた視線は変わらずに  
こちらを睨みつけている。  


705  名前:  元1だおー  04/01/19  17:19  ID:???  

「すみません三尉。武器庫に行って銃を取ってくるのに時間がかかりました」  

佐久間が銃を構えたまま僕の隣へ進んでくる。  
ここで、ようやく僕は疑問を抱いた。  

「なんでここに俺がいるって分かったんだ?」  

「領主様が地下へ降りて行くのを見たというメイドがいたからです」  

僕の問いに答えたのは佐久間ではなかった。  

「リオミア……?」  

スラリとした長身と銀髪、切れ長のアイスブルーの双眸が部屋の武装メイドらを睨みつけていた。  
彼女の手には、あの隠し短剣が握られている。  
よく見ると、佐久間と前島はヘルメットにボディアーマーまで装備した完全武装だった。  
なんでここまで用意がいいのだろうか。  


706  名前:  元1だおー  04/01/19  17:20  ID:???  

「彼女がそわそわした様子で部屋に戻ってきたんで不審に思って問い詰めたら、案の定、この館  
にヤバイ連中がいるって話を白状しましてね。慌てて三尉の後を追いかけたんですが、  
途中で会ったメイドに聞いたら地下へ入っていくのを見たってのを聞いた途端、彼女が  
顔を蒼くしてたんで更に問い詰めたら、ここのことを」  

「……申し訳ありませんでした」  

佐久間が今までの経緯を説明すると、彼女は頭をうな垂れた。  
なるほど、そういうことか。  

「形勢は逆転したぞ。無駄な抵抗は止めて武装解除しろ」  

佐久間がシュレスヴァイラに向かって冷徹な声を投げかける。  
メイド長は、その美貌に狂気を浮かべ、笑った。  

「逆転?  これで逆転したと?」  

哄笑が室内に響き渡った。  

「我らを止めたくば、屍にする以外に方法などありはしない」  

これはやばいな。こいつら銃火器の威力を知らないんだ。  
佐久間は、メイド長の言葉に何も言い返しはせず、しばらく  
黙ったまま銃を構えていたが、ややあって静かに口を開いた。  


707  名前:  元1だおー  04/01/19  17:21  ID:???  

「三尉」  

「え、なんだ?」  

「射殺許可をください」  

僕と前島が、思わずギョッとした顔になる。  

「馬鹿いうな!  正当防衛以外で許可なく武力を行使するのは禁止されて……」  

「三尉。こういった状況で、この世界の人間を『人間』と思ってはいけません。  
この状況なら十分すぎるほど正当防衛に値します」  

慌てて止める僕に、淡々と佐久間は説明した。  

「この世界の人間は、『我々』が考えているほど『人道的』ではありません」  
「ど、どういうことだよ?」  

佐久間の言葉は、説明的なようで、どこか解せない。  

「ネリェントスで、自衛隊も民間人も、一体何人死んだと思ってるんですか?  三尉」  

佐久間は、今までの彼とはどこか違っていた。  
目が、言いようのない不気味なものに支配されている。  


708  名前:  元1だおー  04/01/19  17:22  ID:???  

「佐久間……お前まさか…!?」  

僕はハッとした。  
聞いたことがある。  
あの地獄とまで言われたネリェントス市街戦で、  
激戦区内で生き残った隊員たちが、隊を解かれて他の部隊へ編入されていると。  
隊を解かれた理由は、無論、部隊として機能しないほど死傷者が出ていたからだ。  
そういえば、佐久間の履歴書には、曹候補生過程を終えてから一年ほどの空白がある。  
部隊配備されていたはずが、その記述がなかったのは……。  

「かっはははは!  これはいい。あのネクロポリスで異世界軍は大敗したというが、その生き残りとはな」  

僕の頭の中を代弁するかのように、シュレスヴァイラが高笑いしながら叫んだ。  

「……どうした?  憎いであろう?  殺したいであろう?  我らもまた同じよ」  

シュレスヴァイラは、今にもフルオートで小銃をぶっ放しそうな佐久間に挑発的な言葉を叩きつける。  

「仕えた主を奪い、我らの存在意義を奪った、我らは貴様ら異世界人が憎い!  
内臓を抉り出してもまだ足りぬほどになっ!」  

佐久間が、それは俺も同じだと言わんばかりに目を見開き、銃右側にあるセレクターレバーを  
『タ』から『レ』に変えた。  
いけない!  
そう僕が思った刹那だった。  
白い人影が、佐久間とシュレスヴァイラの間に歩み出た。  


709  名前:  元1だおー  04/01/19  17:23  ID:???  

リオミア!?  

「……なんだ。裏切り者」  

シュレスヴァイラが、意外な外野の侵入に怪訝な表情を浮かべる。  

「その主は、一体あなた達や私達、そしてこの街の人々に何をしたのですか?」  

ゆっくりと、噛みしめるような口調だった。  

「暴力と圧政、懲罰と恐怖を植えつけただけではないですか」  

彼女は、今までの無感情なものではなく、哀しく訴えかけるような声で言った。  
まさか、彼女が前領主を否定する言葉が出てくるとは思わなかった。  
彼女は、優秀なメイドとして前領主に可愛がられていたのではないのだろうか?  
言葉少なく、無表情な今までの彼女からは、それらを確かめることはできなかった。  
しかし、今の彼女は……。  

「黙れっ!  貴様はランクロード様に御寵愛を受けていたというのになぜそこまで……」  

ヒステリックに喚くシュレスヴァイラ。  
しかし、リオミアはそれを聞いて、突然凄絶な笑みを浮かべた。  


710  名前:  元1だおー  04/01/19  17:24  ID:???  

「寵愛?  私が寵愛を受けていたというのですか?」  

「……!?」  

その見るものが石と変わり果てるという美女の姿をした妖魔メデューサのごとき  
妖艶な笑みをたたえたまま、彼女は何を思ったか、おもむろにそのメイド服に手をかけ、ゆっくりと  
脱ぎ始めた。  
彼女が一体何を考えているのか分からない僕らだったが、その有無を言わさぬ雰囲気に、どうすることもできなかった。  
やがて、彼女はボウ・タイをほどき、上着を脱ぎ捨てた。  

「うっ…!?」  

次の瞬間その場にいた全ての者が声にならない呻き声を上げ、そして驚愕の表情を浮かべた。  
彼女の白磁のような白い肌には、まるでおぞましく蟲が這い回った後のように、赤い傷痕が走ってたのだ。  
鞭で打たれた痕、焼けた鉄棒を押し当てられた痕、  
長袖に隠れて今まで見えなかったが、手首には縄で縛られた痕も生々しく残っていた。  
そしてリオミアは薄く笑みを浮かべたまま続けた。  


711  名前:  元1だおー  04/01/19  17:24  ID:???  

「あの男は、市場で売られていた奴隷の分際で自分に身も心も捧げない私を屈服させたかっただけです。  
あなたの言う、『寵愛』がこれです。  
毎日毎日、あの男は私を『躾』と称した拷問にかけては  
死の淵ギリギリまで追い詰め、そしていくら痛めつけても慈悲や許しを請わず心を渡さない私に怒っていた。  
こんなみすぼらしい奴隷の女が自分の思い通りにならないことに耐えられなかったのですよ」  

「あ…あああ……」  

シュレスヴァイラは、驚きのあまり声がでないようだった。  
おそらく、あの女の中では今まで信じていたものが、音を立てて崩れていっているのだろう。  
リオミアは、凛として言葉を紡いだ。  

「あなた達は、生きる意義を奪われたと言いましたね。  
それはつまり、あの男に魂を売っていたということ。  
ならば、何故あの男がここを去るときに無理にでもついて行かなかったのですか?  
本当は怖かったのでしょう?  
あの男についていって、これからも懲罰を受け続けることが。  
でも魂を売っていたあなた達は女王バチを失った働きバチも同然。  
結局はここに残ってからも、あの男の強要した『生きる意義』にすがってこうして仲間に懲罰を加える  
ことでしか自己の生を見出せないでいる。そう、あなた達は……」  


712  名前:  元1だおー  04/01/19  17:25  ID:???  

一息おいて、リオミアは、キッと武装メイドたちを睨み、宣告するように言い切った。  

「自ら『生きる』ことを放棄した敗北者です」  

彼女の言葉が、まるで死刑宣告であったかのように、武装メイドたちを襲った。  

「うあああああああぁ!!  黙れぇーーー!!」  

髪を振り乱し、シュレスヴァイラが吼えた。  

「!?」  

そしてシュレスヴァイラは、狂気に突き動かされたかのように、  
手にしたシミターを振りかぶって半裸のリオミアに襲い掛かる。  
そのメイド服からは想像もできぬような無駄がなく、鋭敏な動作だった。  


713  名前:  元1だおー  04/01/19  17:26  ID:???  



バンッ!  




次の瞬間乾いた一発の銃声が部屋に激しく響き、シュレスヴァイラが血を吹いて  
床に転がった。  

「…あぁあ…がはっ……!?」  

九ミリ・パラベラム弾が肺を貫通したシュレスヴァイラは、血の塊を吐いて床をのたうった。  
部下の何人かが、反撃しようと動こうとする。  

「やめろっ!!」  

僕は天井に向かって拳銃を威嚇射撃し、大声を張り上げた。  
そのときの僕は、正直、リオミアのあの行動と、そして真実を知った衝撃に頭がどうかしていたのかもしれない。  
反撃に移るべきかどうか逡巡している残りの武装メイドらに、  
僕はこう叫んだ。  


714  名前:  元1だおー  04/01/19  17:27  ID:???  

「主が欲しいか!?  ここの新しい主は俺だ!  生きる意義が欲しいか!?  
そんなもんでいいならくれてやる!  俺に従えっ!」  

武装メイドたちは、僕の絶叫に近い声にビクリと肩を震わせ、次の瞬間には反射的に頭を下げていた。  
彼女らの、生まれてこの方染み付いてしまった哀しい性だった。  

「さ、三尉……?」  

佐久間と前島が、その僕の変わり様を、不気味そうに凝視していた。  




510  名前:  元1だおー  04/01/24  23:55  ID:???  


「一命は取り留めたそうです」  

街の小さな教会の祭壇近くの長椅子に浮かない顔をして腰掛けていた僕は、  
奥の部屋から戻ってきたリオミアの澄んだ声に現実に呼び戻された。  

「そうか……」  

とりあえずホッとして、僕は疲れた笑みを浮かべる。  

「神官によると一週間ほどは絶対安静が必要だそうです」  

小銃を背負い、リオミアの後ろについてきていた佐久間が補足する。  
あのとき拳銃で、しかも至近距離で撃たれたシュレスヴァイラは、肺を貫通され虫の息だった。  
もう助からないならここで一発ぶち込んで楽にしてやりますと恐ろしいことを平然と言ってのける佐久間を  
抑え、なにか助ける手段はないかと思わずリオミアに尋ねたところ、  
街のスラムにある教会なら救えるかもしれないとトラックを飛ばして担ぎこんだんだ。  
最初はこんな場所に医者でもいるのか疑問に思ってたけど、話を聞いて呆れちまったよ。  
『この教会に癒しの魔法を操れる神官がおります。神の奇跡を信じましょう』  
さすがに半信半疑……いやほとんど疑ってたが、まさか助かったとはな。  


511  名前:  元1だおー  04/01/24  23:56  ID:???  

「もう意識は戻ったのか?」  

「はい。ですが……」  

「なんだ?」  

「何で死なせてくれなかったのか、と泣き喚いたので、また眠ってもらいました」  

リオミアがいつも通りの無表情で淡々と説明する。  
代わって佐久間が、首をトントンとチョップする仕草を見せた。つまり手刀を叩き込んで気絶させたらしい。  

「まあ……なにはともあれ死人が出なくて幸いだったよ」  

率直な今の気持ちだった。  
正当な拳銃使用だったとはいえ、人殺しにはなりたくねえよ。  

「三尉、そろそろ帰りましょう。前島一人では館が心配です」  
「そうだな……」  

とにかく疲れていた。  
眠ってしまえばもう再び起き上がれないのではと思える疲労感だ。  


512  名前:  元1だおー  04/01/24  23:58  ID:???  

「あら……可愛い籠の中のメイドさんは無事だったようですわね?」  

「!」  

僕を含めた三人が一斉に正面扉を振り返った。  
夜の帳が下り、闇に閉ざされたスラムの街から、ぬるりと抜け出るかのように  
扉から中へ入ってきたのは……  

「サキュア・ナイトロード……」  

僕はその名を無意識に呟いていた。  
露出度の高い皮製の服が、まるで闇に生きる者の保護色のように写る。  

「そんな嫌そうなお顔をなさらないで下さいまし。この一帯は我らのテリトリーですのよ。  
私がいても不思議はないのではなくて?」  

彼女は艶然と微笑んでこちらへ歩み寄ってくる。  

「なんか用ですか?」  

僕は憮然として尋ねる。  
この女は、どうもきな臭い。  



514  名前:  元1だおー  04/01/24  23:59  ID:???  

「用?  いいえ、私は領主様に御用があってここを訪れたのではありませんわ」  

心外そうに答え、彼女は僕らを素通りして祭壇前へと歩き去る。  
彼女が通り過ぎるとき、甘い香水の香りが鼻腔をくすぐった。  

「私、これでも光母神の信者なのでしてよ」  

質素な造りの祭壇に祀られた聖母の像を見上げ、彼女はクスリと笑って言う。  

「これはこれは。サキュア殿ではございませんか」  

さっきリオミアが帰ってきた奥の部屋から、もう一人の人物が現れ、  
サキュアの姿を認めるや、親しげな態度を見せた。  
年齢は四十半ばくらいだろう、温厚そうな神官だった。  

「お久しぶりですわ。アールマン司祭」  

彼女の容姿からは想像しにくいであろう丁寧なお辞儀をする。  
どうやら、この教会の祀る宗教の信者であるのは本当のようだ。  

「いやはや、領主様があのようなものに乗って現れたので、もうここもおしまいかと冷や汗をかきました」  

「どういうことですか?」  

司祭の苦笑混じりの言葉に、僕は疑問を抱いた。  


515  名前:  元1だおー  04/01/25  00:01  ID:???  

「あら、御存知ないのですかしら?  この街が帝国領だった頃、マーラル教は邪教扱いでしたのよ」  

司祭の代わりに、サキュアが答えた。  

「はぁ……」  

それって答えなのか?  
よく分からないので曖昧な返事を返していると、司祭がしみじみと思い出すように語り始めた。  

「ええ。闇を司るヴェルーア原理教以外の信仰が禁じられ、多くの他宗教信者が異端者狩りにあって処刑されました。  
そんな中、この教会を救っていただいたのが、サキュア殿の母上だったのです」  

僕と佐久間が一斉に信じられないといった表情を浮かべ、飄々とした態度のサキュアを見やった。  
このフェロモン姉ちゃんが!?  

「お母様は私よりも敬虔な信者でしたから、苦労はしたでしょうけど、ね…」  

昔のことを思い出したのか、彼女は遠い目をして言う。  

「ここは酷い街ですわ。でも、皆ここで生まれ、ここで死んでゆく運命。その到底幸せとはいえない人生で、  
せめて神に慈悲を乞うことだけは許されるべき……と言っていましたわ」  

在りし日の母の姿に思いを馳せ、彼女は語った。  
彼女の母は、前領主に対して知謀の限りを尽くしてこの界隈の暗黙の自治権を得、  
そしてその中にひっそりと教会をかくまったという。  
どうやら奇麗事だけでは済まなかったらしく、領主の側近の買収や上玉の娼婦をあてがっての懐柔など、  
あまり聞いていて心地よいとはいえないことも相当行ったようだ。  
僕は、この世界、この街、この教会、そして彼女について、あまりにも無知だった。  


516  名前:  元1だおー  04/01/25  00:02  ID:???  

「それでも、立派な方だったんですね……」  

口をついて、そんな感想が漏れた。  

「……?」  

サキュアが、驚いたように僕の顔を凝視する。  

「そんなどうしようもない状況下で、よく弱者のために命をかけたもんです」  

自嘲の笑みを漏らし、僕は独り言のように呟いた。  

「自分には真似できませんよ……」  

僕がここに着任してから、まだたったの三日しか経っていないのに、問題は山積。  
解決する術も見通しもない。  
彼女の母もそうだったか、それ以上の絶望的状況だったのかもしれない。  
そんな中で、人々のために自分を犠牲にできることが、僕にはとても眩しく思えた。  
そして、自分はなんと情けない人間なのだろうか。  
犯罪者と謗りを受けながらも、この小さな教会を守った彼女の母と、それを守り続けている彼女の  
方が、ずっと立派だ。  



518  名前:  元1だおー  04/01/25  00:04  ID:???  

「あの、司祭さん?」  

「はっ、はい。なんでございましょうか領主様?」  

僕が突然話しを振ってきたことに狼狽したアールマン司祭は、慌ててかしこまった。  

「寝込んでいる彼女のこと、お願いできますでしょうか?」  

「え、ええ。構いませんが……」  

「お願いします。彼女とは後日、きちんと話しに来ますので。  
自分はこれで帰ります。夜分にご迷惑をおかけしました」  

「そ、そんな!  領主様。もったいのうございます!」  

司祭は頭を下げた僕に慌てて取りすがった。  
僕は苦笑し、今度はサキュアに向き直る。  

「情けない話ですけど、僕らの命を狙っているのはあなた方だけじゃないみたいです」  

「………」  

「では」  

僕は軽く敬礼すると、佐久間とリオミアに目配せして帰る意を示した。  
教会を出て行く際、サキュアに向かってリオミアが、鋭い視線を向けているのが気になったが、  
今は深く考える余裕はないので何も尋ねようとはしなかった。  


519  名前:  元1だおー  04/01/25  00:05  ID:???  

「リオミアさん……」  
「はい。なんでしょう?」  

トラックが領主の館へ向かう中、僕は薄く明りの漏れる家の窓から僕らの乗るトラックを恐ろしげに盗み見るこの街の人々を  
眺めながら、呟いた。  

「僕は……いや、僕らは、これからどうすればいいのかな?」  

リオミアは、初めて何も答えようとはしなかった。  
そのことに促されるように、僕は続けた。  

「僕がやったことは……正しかったのだろうか。  
彼女達の人生を縛るなんて、正しいことなのだろうか……」  

一呼吸おく。  
佐久間も、リオミアも、無言だった。  

「僕だけじゃない、この世界は……この街は……日本は……どうすればいい……」  

トラックのエンジン音にかき消されるように、僕は呟いた。  




521  名前:  元1だおー  04/01/25  00:06  ID:???  

「珍しいですな?」  

異世界からの客人が去り、  
礼拝を終え、教会から去ろうとする彼女の背に、司祭は声をかけた。  

「異世界人は誰だって初めてですものね」  

「いえ。サキュア殿が裏世界の者以外に興味を持たれるなど……何か理由でも?」  

「…何も、ございませんわ」  

彼女は司祭の問いに冷たく答えると、そのまま扉の外へと消えていった。  


「あの領主、今なら殺れたのでは?」  

いつからそこにいたのか、扉から出た彼女の横で、  
痩せた顔の中で眼光だけは不気味に鋭い男が尋ねる。  


522  名前:  元1だおー  04/01/25  00:06  ID:???  

「決起もまだなのに殺してしまってどうするおつもり?  
殺せば本国から増強部隊が送られてくるし、下手をすれば残党の集結を気取られるのがオチですわ」  

教師が出来の悪い生徒相手に話すように、彼女は答えた。  

「今は静観しなさい。そもそも、我らは闇の存在。闇は底なしの自由。  
帝国も異世界の国も我らには関係ない。ただ、その欲望のみに忠実たれ……」  

「…?」  

リドルのような主の呟きに、アサッシンの男は無表情に疑問を抱く。  

「ふっ…まあいいですわ」  

しかし彼女はその疑問に答えることもなく呟き、彼らの住処、闇の街へと戻っていった。  



64  名前:  元1だおー  04/01/26  00:49  ID:???  

港湾都市ビネ・ゼル・ジークグリス  
海上自衛隊専用埠頭  


潮風に乗った海鳥が舞い、朝日が湾内を飴色に変えている。  
ひんやりとした朝の空気が心地いい。  
戦時下でなければ、そうも思えただろう。  
古来より中継貿易によって栄えてきたこのジークグリス連邦だが、  
ほんの一年前まで帝国という招かれざる客に怯えていた。  
しかし、ある珍客のおかげでその恐怖も解消された。  
珍客とは、ニホンという異世界より召喚された国である。  
魔導兵器による圧倒的な軍事力を以て、帝国による大陸制覇の野望は打ち砕かれた。  
そして、この街に異世界からの客人が求めたことは唯一つ。  
ここの戦略的重要性から、港の半分を貸せということだった。  
中継貿易の要である港を半分も渡してしまうことに当初人々から批難があったものの、  
ニホンからの貴重な交易品が流入してくるにつれてその不満も解消されていった。  
今では、すっかりこの街は異世界人と中継貿易を両立させていた。  


65  名前:  元1だおー  04/01/26  00:50  ID:???  

ぴぴーぴぴぃー!  

けたたましい警笛の音が朝の簡易倉庫群の中で響き渡った。  

「こちら警務第二分隊!  不審者を発見した!  服装からして違法渡航した日本人と思われる!」  
「そっちに逃げたぞ追えー!」  

二人の警務隊の腕章をつけた隊員が思わぬ事態に慌しく対応していた。  
巡回警備中に昨晩搬入されたコンテナの中から人影が出てくるのを発見したのだ。  
数は二人。  
ちらりと見えたその姿は、この世界のコソドロが着ているみすぼらしいものではなかった。  
一人は着古されところどころが破けたジーパンに、上着は収納ポケットの多くついたミリタリージャケット。  
そして頭には『大漁』なんてなめたロゴの入った帽子を逆さにして被っている。  
もう一人は、黒の三本白線ジャージに、白シャツの上にどこで手に入れたのか、紺色の防弾チョッキを  
着込んでいる。  


67  名前:  元1だおー  04/01/26  00:51  ID:???  

「あっはははぁ!  まさかいきなり警備員と出くわすなんてねぇー」  
「笑ってる場合ですかセンパイぃ!?  わーん私犯罪者として新聞に載りたくないですぅー!」  
「だったらちゃっちゃと走るっ!」  

重いリュックを背負いながら、追跡される身となった二人は口々に叫んだ。  
背後で、鋭い警笛の音と、自衛隊員と思われる警備員の怒鳴り声が聞こえてくる。  
だが彼女らにはさして気にはならなかった。  
それはもちろん、自衛隊員は米兵と違って民間人を撃ったりはしないからだ。  
それが同じ日本人、ましてや民間人となればなおさらだろう。  


68  名前:  元1だおー  04/01/26  00:52  ID:???  

「イっちゃんあそこだ!」  
「は、はいぃ!」  

まだ設備に十分な予算が割けていないのか、申し訳程度のフェンスがそこにそびえている。  
彼女らでも、よじ登れそうだった。  

「おりゃあ!」  
「えいっ!」  

背負っていたリュックを向こう側へ放り投げ、続いて自分たちがフェンスをよじ登る。  
警務隊員たちがすぐそこまできていたが、間一髪でフェンスの向こう側へ飛び降りた。  

「コラー!  止まれー!」  

警務隊員らの叫び声も空しく、日本人らしき二人の人影は、朝の漁港へと消えて行った。  


324  名前:  元1だおー  04/01/26  23:39  ID:???  


朝、眠れぬ夜を過ごした僕は、佐久間と前島だけで会議を行い、  
今日やるべきことを割り振った。  
誰を信用すればいいか分からない状況下で、毒をもられる危険を考え、  
朝食は自衛隊のカンヅメで済ませる。  
純潔の猟犬が事実上消滅した以上、街の自警団を統率し治安の維持に  
努める必要が出てきたので、今日はそのことも含めて評議会と協議しなくてはならない。  
帰ったら帰ったで、軟禁している純潔の猟犬のメンバーと、教会で療養中のそのリーダーの  
処遇も決めねばならない。  
ああ、その他にも盗賊ギルド絡みでも色々考えないと……。  

「領主様……それは?」  

半ば懊悩しながらトラックの荷台でごそごそとやっている僕に  
いつものようについてきていたリオミアが目を丸くしてその物体を凝視した。  

「自転車」  
「は、はぁ……」  

明らかに分かってない返事をするリオミア。  
駐車しているトラックの荷台から、中古みえみえのママチャリを降ろす。  


325  名前:  元1だおー  04/01/26  23:40  ID:???  

「その……何のために使う道具なのでしょうか」  
「乗り物」  
「は、はぁ……」  

またしても分かってなさそうな返事をするリオミア。  
その上、僕の態度がいつにも増して他人行儀なのに気付いているのか、  
どこか話しかけにくそうな様子だ。  

「リオミアさんは前島の手伝いをしてください。今日は俺一人で仕事こなしてきます」  
「そ、そんな!?」  

僕の言葉にリオミアの血相が変わる。  

「リオミアさん」  
「は、はい!」  

自転車の空気入れをやめ、僕が面と向かって声をかけたことに、  
彼女は狼狽した様子だった。  

「……心配せんでもいいです。自分が暗殺でもされりゃ、また代わりが誰かきますよ。  
きっと俺より優秀で頼れる奴です。あなたに俺の身の安全を気遣う理由は、よくよく考えたら  
ないんだって、昨日やっと分かりましたから」  

彼女は、石の彫像のように固まった。  
でも、たぶんこれでいいんだ。  
畜生め……どんなに考えても、彼女を信じたくても、信じられねえよ。もうあんなことを知った後じゃ。  


326  名前:  元1だおー  04/01/26  23:41  ID:???  

「……それじゃ、行ってきます」  

場がもたない。  
いや、僕自身、彼女のその表情を見たくなかった。  
僕は逃げるように自転車を押し出した。  
その時、僕は腕に華奢な手が回されるのに気付いた。  

「なっ…!?」  

リオミアが、唇を噛んで僕を睨むように凝視していた。  

「私も行きます」  

一言だけ、彼女は言った。  

「アンタな……」  

無性に腹がたった僕は、思わず強く振りほどこうとする。  

「私はあなたに媚びているわけじゃありませんっ!」  

彼女は、短く叫んだ。  


327  名前:  元1だおー  04/01/26  23:42  ID:???  

「あ……」  

僕は思わず彼女のその表情に目を見張った。  
今まで見せたことのない彼女の感情。それは怒りだった。  

「言ったはずです……私たちを初めて人間として見てくれたと」  

彼女は精一杯に抑えた口調で言葉を紡いだ。  
そして、掴んでいた僕の腕から手をおそるおそる放す。  
やり場のない感情を逃がすかのように、僕から顔を背けて地面に視線を落とす。  
その姿は、何故か優美に感じられた。  

「……私のことが信じられませんか?」  

彼女は僕を聞き分けのない子供に言い聞かせるようにキッと睨みつけ、尋ねた。  

「……すんません」  

僕は一言だけ、曖昧ともとれる答えを返した。  
それ以外、うまく説明できる言葉もなかった。  
彼女は、いったいどういう人生を歩んできたのかは知る術もないが、  
たった一人でランクロードに立ち向かっていた。  
奴が去ったあとは、この館のメイドたちを守るために残留した。  
そして、新しい支配者である僕たちの不興を買わないように媚びへつらっていた。  
あげくの果てには、影に隠れて命を守ってもらってまでいた。  


328  名前:  元1だおー  04/01/26  23:42  ID:???  

だがそれも全て、自分と仲間のメイドたちを守るためであり、僕らのことを心配してでの  
ことではないのだ。  
おそらく心の中では、僕に向かって反吐をはいていたのだろう。  
考えてみれば、こんな綺麗な女の子が身も心も捧げて僕みたいな男に尽くすなんて  
こと自体に疑問を持つべきだったんだ。  
脳裏に、昨日の彼女の傷だらけの裸体が蘇る。  

……クスッ  

彼女が口に手をあてて、頬を赤くしている。  

「え?」  

もしかして笑った、のか?  
今まで、どんな冗談を言っても困った顔か理解できていない顔しかしてこなかったのに。  
いきなりなんで、しかもこんな状況で。  
ワケが分からず、僕は無意味に混乱した。  


329  名前:  元1だおー  04/01/26  23:44  ID:???  

「領主様は、人が良すぎます」  
「え、えええ?」  

困ったように、だがそれもどこか和んだ口調で、彼女は言った。  

「領主様、私は生きるためには何でもしてきました。  
領主様の国のように、ただで生きられる場所ではなかったからです。  
ここでは疑わねば生きていけないのです。それと同時に、騙さなければ生きていけません。  
……領主様と過ごしてまだほんの数日ですが、  
領主様はあまりにもお優しすぎて納得してはもらえないことは承知しておりました。  
ですが、いつか真実を話してもいいと思えたのも、また事実です。  
これで御説明にはなりませんでしょうか?」  

最後は俯き加減に、彼女は語った。  
僕は、彼女のその言葉を頭の中で整理することもできずに  
引きつった表情を浮かべる。  

「あ、いやその……」  

何か言わなくては、答えなくてはいけない。  
畜生め!  彼女に本音で話して欲しいだなんて思ってたくせに、本当に本音で話してくれたらこのざまだ。  


330  名前:  元1だおー  04/01/26  23:45  ID:???  

「私は私で、必死な思いだったのです。新しい支配者が、いったいどんな人物なのか……」  

焦って黙りこくる僕を、不信をぬぐいきれていないと勘違いしたリオミアは躊躇いがちにそんなことまで打ち明けた。  
僕は、いつの間にか彼女を真っ直ぐと見つめていた。  
彼女はその視線に気付くと、まるで細波一つない湖に一羽の白鳥が舞い降りたときのような清廉な微笑を浮かべた。  
そして、目を細めて呟く。  

「おかしな気持ちです。その支配者を目の前にしてこんな事をいえるなんて……」  

そう呟いたきり、彼女も黙ってしまった。  
僕は、彼女のその双眸を魅入られたかのように見つめ、彼女もまた見つめ返している。  
不思議な静寂にその場が包まれた。  
トラックを停めてあるその場の隣にある小さな花壇に咲く花々の蜜を吸いに、小鳥たちが舞い降りた。  
細やかなさえずりが風景に溶け込む。  

僕は彼女に背を向け黙って自転車を押し出した。  

「ツジハラさん……」  

僕の背中を見た彼女が珍しく、僕を名で呼んだ。  
いつもの無機質な声ではなく、想い人に別れを告げられた少女のような、切なげな声だった。  


331  名前:  元1だおー  04/01/26  23:45  ID:???  

「なにしてんですか、リオミアさん」  

僕は振り返らずに言った。  

「……?」  

彼女がワケが分からずに息を飲んだ表情が手に取るようだ。  

「ついてくるんでしょう?  急がないとまた遅くまで会議になっちゃうんですから」  

少しだけ顔を後ろへ向け、彼女を促す。  
彼女は、一瞬固まっていたが、すぐに返事をした。  

「は、はいっ!」  

それは今まで聞いた中で、一番気持ちのいい返事だった。  
今は彼女がいったい何者なのかなんて気にしなくていい。  
それでいいんだ。  
うららかな日差しと、彼女のぎこちない笑顔が、そんな気持ちにさせてくれた気がした。  




32  名前:  元1だおー  04/01/29  23:05  ID:???  


「りょ、領主様、大丈夫でございますか……?」  
「よっ!はっ!  ああ、なんとかね」  

お世辞にも活気があるとはいえない大通りを異質な存在が通り過ぎていた。  
ママチャリのペダルを息を切らしながらこぐ迷彩服姿の若者と、その後ろにおっかなびっくりと  
乗っかっているメイド服の少女だ。  
道行く少ない人々が、思わず目を丸くしてその二人が通り過ぎていくのを眺めていた。  
まー、なんだ。  
多少苦しくしても女の子に手を回されてくっつかれているのは悪いもんじゃないな。  



キッ!  

ようやく評議会議事堂に到着した。  
街の中心付近にあるだけあって、かなりの距離を二人乗りしていたことになる。  
見上げてみると議事堂は結構な建物で、維持費だけでも相当の費用がかかるように思われた。  
議事堂前の広場には、数十人の男たちがざわめきながら集まっていた。  


33  名前:  元1だおー  04/01/29  23:06  ID:???  

あれが例の自警団だろう。思い思いの武器や防具を身につけた年齢も着ているものの質もバラバラの  
民兵というのもはばかられるようないでたちだ。  
おそらく、シュレスヴァイラが命令にこないので身動きできないでいるのだろう。  
あの女のことだ、勝手なことをしようものなら容赦ない懲罰を加えていたのだろう、  
男たちの顔に自警団としての使命感や自覚は見受けられない。  
ただ、不安そうにたむろしているだけだ。  

「すんません。あなた方ひょっとして自警団の人?」  

チャリをカラカラと押しながら、自分でも驚くほどすんなりと声をかけていた。  
男たちが、一斉にこちらへ向かって奇異の視線を送ってくる。  
む……なんだよその訝しむような目は。  


34  名前:  元1だおー  04/01/29  23:07  ID:???  

「なんだ貴様。こっちは忙しいんだ。ん……?」  

リーダー格とおもしき髭面の中年男が不機嫌そうな様子で僕を追っ払おうと口を開いたが、  
途中で僕の後ろに控えているリオミアに気がついて表情が変わった。  

「こ、これはリオミア様!  シュレスヴァイラ様に代わってここへおいでくださったのですか?」  

僕を完全にスルーして、男は安心したように声を上げた。  

「……あの女は新しい領主様に対して反逆つかまつったので現在投獄されている」  

リオミアは男の問いに完結かつ冷徹に答えた。  
次の瞬間男たちが一斉に驚きの声をあげ、その場のざわめきが一層うるさくなった。  


35  名前:  元1だおー  04/01/29  23:09  ID:???  

「お、おい……」  

僕がいきなり話が飛躍しすぎだと抗議しようと思うと、  
彼女はそっと目配せして僕の言葉を遮った。  
つまり、ここは自分に任せて欲しいということだろうか。  
僕はぐっと黙って彼女に軽く頷いて見せた。  

「静まりなさい。新しき主の前で、不敬であろう」  

射るような冷たい表情で動揺する男たちを睥睨し、リオミアは一瞬にしてそのざわめきを黙らせた。  

「新しき、主ですと?」  

あの男が周囲を慌てて見回す。  
こいつ、わざとやってんじゃねえだろうな……?  

「おほん…」  

僕は意味ありげに咳払いして見せる。  
男がまだいたのかと言わんばかりに僕を睨んだ。  


36  名前:  元1だおー  04/01/29  23:10  ID:???  

「リオミア様、その領主様はいつここへいらっしゃるのですか?」  

媚びたような笑顔をつくり、男はリオミアに詰め寄った。  

「あなたの目の前におられますでしょう。まだ分からぬのか、無礼者」  

しかしリオミアは微笑み返しもせず、まるで人形のような表情のまま突き放すように言い放った。  
そして、僕に向かってうやうやしく一礼してみせる。  

「申し訳ありません領主様。この者たちの躾、なっておりませぬゆえ平に御容赦願えますでしょうか?」  

彼女はまるで忠犬のごとく振舞った。  
朝見せた微笑など、今の彼女を見る限りではまったく想像すらできない。  
僕はいつものように混乱するかと思ったが、予想に反して冷静だった。  
こんなまねをしてみせるなど、彼女なりに何か理由があるのだろう。  
僕はそのことについては後で問いただすとして、今は彼女の思惑に乗ってやろうと即決した。  


37  名前:  元1だおー  04/01/29  23:11  ID:???  

「あ、ああそうだ。日本国陸上自衛隊よりここの領主として派遣された。辻原英気だ。階級は三等陸尉」  

自衛隊の観閲式などで幹部がやっているような威厳に満ちた声で、そしてできるだけ偉そうにふんぞり返ってみる。  
男たちを先刻よりも大きな衝撃が襲った。  
悲鳴に近い声をあげ、次々と地面にひれ伏す男たち。  

「ごっ…ご…御無礼をお許しくださいっ!」  

今までの尊大な態度はどこへやら、蛇に睨まれたカエルのように顔面を強張らせて地面にひれ伏すおっさん。  
僕はその異様な光景に驚きを通り越して呆れてしまった。  
領主という肩書きの持つ威力というのは、なにもメイドに限ったことではなかったようだ。  


38  名前:  元1だおー  04/01/29  23:12  ID:???  

「お優しいのは結構ですが、なめられてはいけませんので……」  

リオミアが皆に聞こえないように耳打ちしてきた。  
なるほどね。  
僕という人間をよく見てらっしゃる。彼女の機転のお陰で、この連中の指揮権についての掌握はうまくいきそうだった。  
その後、自警団の指揮権限を僕が持つことと、私刑行為の禁止や俸給の支給(士気低下を防ぐために)の約束などを言い渡した。  
最初は人の上に立つことに不安や躊躇があった自分が、こんなにすらすらと領主の役を演じていることにいささか驚きもした。  
リオミアのサポートがないとどうしようもないのは情けなかったが、大分らしくなってきたんじゃなかろうか。  
そして尊大に振舞うことも、ここでは必要なことであると、知りもした。  
…ママチャリ傍らにふんぞり返っては威厳もなにもあったもんじゃないけど。結果オーライ、かな?  


39  名前:  元1だおー  04/01/29  23:12  ID:???  

「領主様、どうぞこちらへ」  

ようやく議事堂に入った僕らは、文官に大会議室に案内された。  
ドーム状のどこか大学の講義室を思わせる大会議室に入ると、集まっていたギルドマスターや街の有力者、  
そして近隣の農村の村長たちが一斉に立ち上がって恭しく一礼する。その光景は、やはりどこか異様なものを感じる。  
こういうのは上座というのだろうか。壇上に席を用意されている。  
リオミアは座ることを拒み、僕の席の後ろにメイドのように…というかメイドなのだが…控えることにした。  

「えー。お忙しい中、本日お集まりいただきありがとうございます」  

僕は議事進行はいらないと文官に話し、無駄を省いた会議をしようと考えた。  
開口一番の挨拶に戸惑いを覚えたように目を丸くする者が大勢いたが、構わずに続ける。  


40  名前:  元1だおー  04/01/29  23:13  ID:???  

「今日はこの街の現状と議決が必要な事案を優先的に決定もしくは否決します。  
議会役員そして各ギルド及び村々の方々は自分の質問に正確かつ隠匿なしにお答えください」  

そんなに大きな声というわけでもないのに、この議事堂は音響まで考えて造られているのか、よく声が通る。  

「ここまでで不都合あるいは質問は何かありませんか?  可能な限り答えますよ」  

僕が一旦言葉を切ると、議事堂内は相変わらずのしんとした雰囲気だ。  
ひょっとしたら、こういう会議形態は初めてなのだろうか。  
まー、前の領主が領主だからなぁ。  
そんなことを考えながら、僕はノートパソコンで打ち込んでプリントアウトしておいた諸々の書類をバックパックから取り出す。  

「質問はないようなので、会議を始めます」  

宣言し、僕は書類に視線を落とす。  


41  名前:  元1だおー  04/01/29  23:14  ID:???  

「確認事項からいきます。徴税担当もしくは農業担当の方?」  

突然指名されたことに驚いたのか、顔を見合わせながら二人の役員が起立した。  

「お名前は?」  
「アクル・イクナルスと申します」  
「フォン・カタルアにございます」  
「帝国の税体制が今まで維持されてきたわけですけど、その内容を詳しく教えてください」  

二人の役員は自分に答えられる範囲の問いだったことに安堵の表情を浮かべ、  
丁寧な口調で説明を始めた。  

「はい。帝国は植民地に対しては一等、二等、三等の三つの身分を与え、その階級に応じて税を課しております。  
ここエクトは二等階級に属しましたので、税は食料ならば収穫の四割、商工関係には総収入の同じく四割、そのほか、  
鉄などの生産品徴収も場合によってはありました」  

「ふーん……」  

つまり十万円稼いだら四万円もってかれるのか、随分な重税だな。  
今更だけど、ここって植民地だったんだよな。  
いや、今だって彼らにしてみれば支配者が代わっただけで、植民地には違いないのだろう。  
まあいいや、いちいち考えたところで何が変わるわけじゃないのはここへきて散々感じたことだろう。  
必要なのは、変えるように行動することだ。  


42  名前:  元1だおー  04/01/29  23:15  ID:???  

「農村の村長の方々、質問がありますが…」  

前々から気になっていたことを確認すべく、僕は会議を進める。  

「は、はい」  

農民は下の存在として見られているのか、議事堂の後ろにひしめくように集まっていた村長らがざわめいた。  
その中で、リーダーらしい長身の男が起立した。  

「税で徴収される作物の量が四割とあったんですけど、それで一年間大丈夫なんですか?」  

彼に向かって僕は質問を投げかける。  

「それは……その」  

男は僕の顔色を覗いながら言いよどんでいる。  


43  名前:  元1だおー  04/01/29  23:16  ID:???  

「?  なにか問題でも?」  

「実際は領主の取り分もありますので、作物はどんなに寛容な年でも七割は取られてしまうのです……」  

躊躇いながら、彼は答えた。  
ええっと、つまり汗水流して作った作物の残りは事実上三割くらいだと。  
おいおいおいおい。  

「そ、それって越権行為じゃないんですか?」  

思わず僕は感想を述べてしまう。  

「本国へ必要な税を納めている限り、後は領主の自由でございますので……」  

少しだけ忌々しげに村長は話した。  

「もしかして、酷い年には餓死者が?」  

初めてここへきたとき出会った少女のことをハッと思い出す。  


44  名前:  元1だおー  04/01/29  23:17  ID:???  

「酷い年でなくとも毎年出ます。口減らしに子供を売ることも珍しいことではございません」  

畜生……最悪だ。  
今まで帝国に好感など持ったことはないが、少なくとも憎しみは持っていなかった。  
だが、今はっきりと帝国を憎いと感じた。  

「……じゃあ、いくつか聞いていいですか?」  

だが僕がここで憤慨していても始まらない。  
自らの無力さに苛立ってくるが、仕方がない。  
僕は僕の仕事をするだけだ。  

「はい。なんなりと……」  

「一年に必要な食料はいったいどれくらいです?  全体の何割くらい?」  

村長は少し考えこむように視線を天井へ向けた。  



47  名前:  元1だおー  04/01/29  23:23  ID:???  

「そう……ですな。五割…い、いえ四割あればなんとか」  

「ではここの主食は?  その他の作物の種類は?」  

「大麦と小麦が主でございます。これが村にもよりますが全体の六割ほどにございます。  
その他は、芋や人参、ジャガイモも多いです。畜産もある程度あります」  

「ふーん……。総生産量の正確な、いやそうでなくていいからどれくらいの単位なのか分かればねぇ」  

「袋に大の大人一人分の重さを詰めて馬車約一千台分ほどにございます」  

村長が分からないのか焦燥の表情を浮かべているのを引き継いで、徴税担当の役員が答える。  
つまりえーと……。  
馬車に積める袋の数が百と仮定して、馬車一千台なら十万袋。  
袋が大人一人分を六十キログラムとして約六千トンか。  
農作物のほかに畜産とかも含めると結構豊かなはずだ。  
三万人をまかなうには十分だが、これから税で七割ないし八割をひいた場合は……  
たったの一千二百トン!  
そりゃあ餓死者もでるわな。北○鮮並じゃないか。  
現代日本人の僕にとって、食べ物というのはお店に行けば置いてあるものという感覚だった。  
しかしこうして現実と直面してみると、食料不足とは人間の生死を分ける死活問題だということを痛感する。  


48  名前:  元1だおー  04/01/29  23:23  ID:???  

「うーん。なあ、リオミア?」  

「はっ?  はい」  

「ウチの館の一年の維持に必要な分はどれくらいか見当つくかい?」  

リオミアは意外な問いに少し考え、正確な情報を説明した。  

「そうですね。田園が多少あるとはいえ、自給自足するには遠く及びませんゆえ、かつては領主の徴収した一割でまかなっておりました」  

「じゃあ、一割以下は暫定管理機構の維持費として必要だと仮定しようか」  

「はぁ」  

リオミアはよく分からないといった表情で首を傾げる。  

「職員の俸給分、インフラ整備の資金充足、衛生環境も心配だし失業者も多そうな気がする。  
それに加えてたぶん教育設備費も必要になってくるだろうから……」  

僕は取り出した電卓でチャカチャカと計算をはじき出す。  
ふふっ。これでも会計課志望だったのさ。  


49  名前:  元1だおー  04/01/29  23:24  ID:???  

「まあ、無理ないところでざっと見積もって税は全体の二割五分ってところかな……?」  

僕はこう言ったものの、実は現地での反乱を恐れた防衛庁と外務省が重税を原則禁止する規定を作っているので、  
一般市民に対する三割を超える(しかも査察が入った際、状況が酷い場合によっては無課税もありうる)税徴収はできないのだ。  
もう一つの理由としては、日本は農業作物による税徴収をしたところで金になどならない上、  
ここのように遠い場所からそれらを輸送したのでは逆にコストがかかってしまう。  
道は未整備で場所によっては崖崩れや土石流が起こりやすいし山賊まで出没するので陸路は危険。  
空路といっても飛行場はないし作る余裕もない上、大型ヘリで輸送するにしても穀物十トンと一回分の燃料を比較すると圧倒的に燃料の方が高いしそれに加えて整備費もかかるのでやるだけ金の無駄だ。  
よって、食料は専門の運送業者が中継基地を作って集めたものや港湾都市に集積されたものを輸入するようになっておいる。  
ここエクトで徴収する税というのは手早く商人などに売っ払って金銭を確保する手段くらいにしか利用価値はない。  
特別な鉱石を産出するといった様子もないし、まさに戦略上無価値な場所なのだ。  

「そ、それは真にございますか!?」  

村長たちが信じられないことを聞いたかのように問い詰めてくる。  
議事堂内は自分の聞き間違いか僕が言い間違ったものではないかとざわめいている。  


50  名前:  元1だおー  04/01/29  23:25  ID:???  

「詳細は村々を回って決めますけど、原則これで変更ありません」  

他にどう答えろってんだ。  

「で、では余った食料はどうすれば?」  

「どうすればって……売るなり蓄えるなりすればいいんじゃないですか?」  

「商工に関してはいかがでございますか!?」  

「いやだから原則これですから……」  

たじろぐ思いで僕は興奮する男たちへ答える。  
すると議事堂内が騒然とした状況に変わっていく。  
口々になにかを叫びあっている。  
それは歓喜だった。  


51  名前:  元1だおー  04/01/29  23:26  ID:???  

「おお偉大なるニホン帝国に栄光あれっ!」  
「ニホン帝国万歳!」  

聴きながら、僕はどうすることもできなかった。  
僕は前の領主のような悪党ではないし、かといって全ての恵まれぬ人々を救いたいと動けるような聖人君子でもない。  
つまり、ただの無力な一公務員だ。  
何故だか歓喜に沸く議事堂の男たちの僕へ向ける尊敬の眼差しが、その時の僕には例えようもなく気持ち悪く感じられた。  
僕がやったのは善政ではない。  
ただ、悪政から元に戻しただけだというのに。  
いや、「元」がそもそも悪政だったんだ。  
日本はそれから開放してやったんだ。褒められることなんだ。  
いくら自分をそうして納得させようとしても、どうにも納得できないのは、どうしてだろうか。  
傍らのリオミアだけが、浮かない表情の僕を横目に、少しだけ心配そうな顔をみせていた。  



588  名前:  元1だおー  04/02/01  00:53  ID:???  

「どういうことだ佐久間三等陸曹っ!」  

叫ぶと同時に僕は勢いよく領主の机を拳で叩いた。  

「……事後承諾になったのは遺憾であります」  

言葉こそ丁寧だが、目の前の下士官はどこか無表情だった。  
今日、会議を終えて館へ戻ると、血相を変えた前島が走り寄ってきた。  
理由を尋ねると、佐久間が武器庫から拳銃を持ち出して街へ出て行ったというのだ。  
いったい何を考えて彼がそんな行動へ出たのか最初は理解できなかった。  
が、ややあって僕はあることに思い至った。  
彼は、佐久間はあのネリェントス市街戦の生き残りなのだ。  
そして、街の教会には帝国寄りの思想を持つシュレスヴァイラが療養中だ。  
僕は彼が常軌を逸した復讐に出たのだと思い、返す刀に自転車で街へ戻ろうとした。  
しかし、そのとき石畳の道をとぼとぼと歩いてくる人影が見えた。  
一人は迷彩服、もう一人はメイド姿だった。  
佐久間は何があったのか聞くこともできずに呆然とする僕に腰から拳銃を取り出して差し出し、  
申し訳ありませんでした、と一言だけ喋った。  
そして、夕刻になろうかという今、この領主の部屋で事情を聴取しているのだ。  


589  名前:  元1だおー  04/02/01  00:54  ID:???  

「事後承諾だって?  あんなものを持ち出して彼女にいったい何をした!?」  

僕は語気も荒々しく詰問する。  
佐久間と共に戻ってきたメイド、シュレスヴァイラは、暗い表情で俯き、半ば放心状態だった。  
いくら声をかけても何も喋らず、彼が彼女にいったい何をしたのか見当もつかない。  

「彼女には気の毒なことをしました……」  

「だから何をしたのか聞いてる!」  

「自分が正気かどうかの、判断材料にしたんです」  

「判断……材料?」  

自分が責任を追及されていることを自覚していないかのように淡々と答える彼に、  
どこか背筋の寒いものを感じながら、僕は聞き返す。  

「はい。理屈で説明するのは難しいかもしれませんが……  
あの魔法都市で……自分は『正気』なんてものをどこかへ置き忘れてきてしまった。  
それを、もしかしたら取り戻せるかと思ったんです」  

「ワケが分からない。そんなことで復讐なんかを」  
「復讐じゃありません。そんな気持ちは彼女へ抱いていません」  
「じゃあなんで!?」  

佐久間の考えていることが全くみえてこない。  
僕は半ば苛立ち机を叩く。  


590  名前:  元1だおー  04/02/01  00:55  ID:???  

「似てた……」  
「……え?」  

佐久間はまるで今気付いたかのような微かな呟きを漏らした。  
そしてゆっくり、回想するように話し始める。  

「あの夜、狂った彼女の姿が、自分と……いやあの街で見た味方も敵も……あんな狂った姿をしていた」  

悪夢を思い出すように、苦りきった表情だ。  
彼はあの戦場で、いったい何を見、何を感じたのか。そんなことは、僕には分からない。  
しかし、彼の人生そのものを変えてしまうほどの強烈な体験だったことは確かだ。  
彼は意味不明の苦笑をしながら僕を見つめた。  

「彼女……気がついてからは死を望んでいたのは御存知ですよね?」  

「あ、ああ」  

「それが、自分と重なったんです……。戦友をおいて、自分だけ生き残った。そのことに押しつぶされて、  
死を望んでいたあの頃の自分と」  

「もしかして……お前彼女を救おうと?」  

「いえ……三尉のように自分はそこまで優しくないです」  

自嘲的な笑みを浮かべ、彼は頭を横に振った。  


591  名前:  元1だおー  04/02/01  00:56  ID:???  

「ただ試しただけです。かつての自分のように。  
望んでいたはずの本物の『死』を目前に、逃げ出すならば『死』を……  
逃げ出さないなら、絶対に安楽としての『死』など与えない」  

佐久間は今まで見せたことのない厳しい表情を垣間見せる。  

「それが、自ら生きるという選択です」  

彼は、断固とした意思を持って断言した。  

「自分が狂っているとお思いなら更迭でもなんでも処分をしてください。  
判断は、三尉にお任せします」  

彼は話し終えると観念したかのように頭を垂れた。  
僕はここまで聞いて、いや途中からだった。  
あることを思案していた。  
ここにくる前までの僕には到底考えつかないような、  
半ば大胆、半ば無謀な考えだ。  


592  名前:  元1だおー  04/02/01  00:57  ID:???  

「佐久間。お前は今日から……」  

僕のためらいがちな言葉に佐久間がわずかに反応する。  

「お前は今日から、彼女についていてやれ」  

僕の命令に、彼は首をかしげた。  

「彼女?」  

「いや、彼女たち、というべきかな」  

佐久間が目を見張る。  
まさか、自分にそんな役目を与えるとは予想していなかったに違いない。  

「……いいんですか?」  

「彼女達の暗部まで理解してやれるのは、甘ちゃんの俺じゃない。お前だけだ」  

僕はぶっきらぼうにそう答える。  
この野郎、余計な心配かけさせやがって。これくらい働いてくれなきゃ困るぜ。  
佐久間は、椅子から立ち上がると、陸曹らしい決まった敬礼をかざした。  


593  名前:  元1だおー  04/02/01  00:57  ID:???  

「了解しました。三尉」  

こうして純潔の猟犬のメンバーは、『エクト暫定管理機構特別警務部隊』として新たな任務につくこととなった。  
そして、数日後、佐久間の後ろには、いつの間にかあのシュレスヴァイラの姿があった。  
あの狂気じみた高飛車な態度はなりをひそめ、今は寡黙な淑女といった雰囲気だ。  
いったい何が彼女をそうさせたのかは、佐久間と彼女だけにしか分からないのだろう。  
佐久間が彼女に、ぎこちない笑みを見せると、彼女もほんの少しだけ、柔らかな微笑を返していた。  
これでよかったのかは分からない。  
ただ、僕一人で全てがうまくはいかないという、痛烈な事件として、このことは締めくくりたい。  




884  名前:  元1だおー  04/02/03  00:54  ID:???  

ここエクトに着任してから、ようやく二週間という時が経とうとしていた。  

「全員揃ったかい?」  
「はい。これで全員でございます」  

僕は中庭に集合した百名はいるであろうメイドさんたちを見渡し、隣に控えているリオミアに尋ねた。  
しかしまあ、凄まじい光景だな。  
自衛隊で中隊が集合したとき、その迷彩服の集団に異様なものを感じたものだが、  
それが今度はメイドさんときた。  
コミケ会場でもこんな凄い光景はお目にかかれないだろう。  
しかも、コスプレとは違い全員が『ホンモノ』だ。やたらとメイド服に違和感がない。  
しまったなぁ、これを写真に撮ったら本国の某巨大掲示板で祭りが勃発するだろうに。  

「字が書けないコはリオミアがサインしてやってくれ。君なら安心だ」  
「はい。承知いたしました」  

それはさておき今何をやっているかというと、  
書類上、『特別職臨時地方公務員』というわけの分からない身分にあるここのメイドさんたちは、  
まがりなりにも日本政府の雇った職員に違いはないので、一月に一回、つまり月給が支払われることになっている。  
で、今日がその初任給の支給日なのである。  


885  名前:  元1だおー  04/02/03  00:55  ID:???  

「はーい。それでは今から俸給の支給を行います。一列に並び、明細と一緒に給与を受けるように」  

メイドたちは不安そうに顔を見合わせて列を作った。  
なんで給料をもらうのに不安そうなのかというと、実は彼女達、  
生まれてこの方働いたことによって自分のお金をもらったことが一度もないので、  
そんなものをもらってどうすればいいのかいまいち実感がわいていないようだ。  
でもまあ、彼女らへ給料を支給する、これも僕の仕事のうちなんでやらなきゃならん。  

「はい。ご苦労様」  

一人一人に手渡しで給料袋を渡し、リオミアがチェックを入れる。  
三十分とかからず、全員に渡し終える。  

「えーとね、一般職員が千円札が五枚、この緑色したやつね。で、責任者二種にあたる人  
……つまりリオミアさんやパーシェさん、シュレスヴァイラさんなどが一万円札が一枚、  
この茶色いやつね。各自確認してください」  

僕の呼びかけに、慣れない手つきで茶封筒を開け、中身を確認するメイドさんたち。  
しかし毎日自衛隊以上の規律と仕事で重労働環境だってのに、月給平均五千円ってのもねぇ。  
一応、貨幣価値の変換は街の方へ通達してあるから、ある程度衣服や日用品くらいなら購入できる額だ。  
私物を全く持っていないというメイドも多数いるので、少しは休日というものを満喫する余裕ができればいいんだがね。  


886  名前:  元1だおー  04/02/03  00:57  ID:???  

ちりんちりん……  

ん?  

今トコトコと小さな影が脇を通り過ぎていったような。  

「………」  
「あぁ。お給料もらったんだ。いーなーミルシェ」  

ああ、あのコか。  
前島に封筒から千円札をのぞかせて首を傾げている女の子。  
彼専属のメイドさんのミルシェちゃんだ。  

「え?  このお金で何が買えるかって?」  

こくん  

「そーだなー。五千円以内なら、リサイクルショップで探せば私服が手に入るかもよ」  

お、おいおい。なんで本国での話しなんかしてるんだよ。  
おや、なんかあのコ、口を「へ」の字に曲げてるな。  


887  名前:  元1だおー  04/02/03  00:58  ID:???  

ふるふる  

「え?  お洋服はいいって?」  

こくん  

「じゃあ何がいいの?」  

ぼそぼそ  

「日本のお菓子?  スナック菓子とかでもいいの?」  

こくん  

「お菓子くらいなら五千円もあれば結構な量が買えるよ」  

こくん!  

「いいのそれで?  他に欲しいものとかないの?」  

ふるふる  

「わかった。じゃあ三尉にお願いしておくね」  

「えええ!?  俺ぇ!?」  


888  名前:  元1だおー  04/02/03  00:59  ID:???  

その後、民間の輸送機がパラシュート投下で本国の物品を割安で運んでくれるという情報を無線で聞き、  
ミルシェの注文通りお菓子類を投下してもらった。  


「な、なあミルシェちゃん、それおいしい?」  

こくん!  

ミルシェは、『よっちゃんイカ』をモグモグと噛みながら、満面の笑顔を前島に見せていた。  
…ちなみにこの菓子の原料であるイカだが、海自の潜水艦が魚雷攻撃で爆殺した人食い大王イカのなれのはてだとか  
某巨大掲示板でスレが立ってたことを知ったのは、大分あとになってのことだった。  

更に面倒なことに、ミルシェのそれを見た他の何人かのメイドが、僕に同じようにお菓子を注文し、また余計な仕事が増えることとなった。  
最終的にはリオミアまで万札を差し出してお願いしにくる始末。  

「な、なあリオミア、それおいしい?」  

「はい。とても。  ……ちゅるちゅる」  

ちなみにリオミアが好物になった異世界のお菓子は、『ねじり棒ゼリー・メロン味』だった。  



749  名前:  元1だおー  04/02/07  00:39  ID:???  

「イっちゃん街だ!」  
「うわあああんやっと着いたぁ!」  

あちこち泥のこびりついた服装の二人が、晴天の空の下で歓声をあげていた。  
たった一本しかない街道にたどりつき、彼女達がここまで歩き通せたのは奇跡に近かった。  
山中で盗賊に襲われ、護身用の催涙スプレーで撃退して命からがら逃げ出したときなど生きた心地がしなかった。  

「じゃあここで記念に一枚……」  

『大漁』帽子から茶髪を覗かせたショートカットの女性は、首に提げていた彼女の小柄な体格に似合わぬカメラを持ち上げ、  
ピントを合わせてシャッターを切った。  
ファインダー越しの異世界の街ののどかな風景がフィルムにしっかりと写ったことを確信し、  
彼女は上機嫌に「ふふん」と鼻をならした。  

ぐぅ〜  

「イっちゃんはしたないぞ」  
「……先輩だって」  

今にもずり落ちそうなメガネの位置を直しつつ、イっちゃんこと笠間衣緒は弱く反論した。  


750  名前:  元1だおー  04/02/07  00:40  ID:???  

かれこれ、三日はまともなものを口にしていない。  
『異世界の真実を激写したい!  この生きる意味すら見出せない日本から抜け出たい!』  
『ノロマな自分でも誰かの役に立ちたい』  
そんな熱い気持ちで日本を出航(密航)したものの、内陸部へ行くという獏全としたプランで行くあても  
なく、闇雲に歩き回っていたらこのザマだ。  
せめて大学の単位を全部取ってからにすればよかった。衣緒はそんな今更なことを考えていた。  
『異世界を激写する!』と血気盛んだった、いや今も盛んな高校時代の先輩、倉敷景は満足いく  
被写体になかなか出会えないことに苛立っていたが、今だけは満足そうに眼前に広がる風景を  
楽しんでいる。  

「でもお腹減りましたよぉ……」  
「うむ。折角たどり着いた街だ。市内も撮っておかねばなるまいて」  

そう大きく頷き、景はずんずんと街へ向かって歩き出した。  


751  名前:  元1だおー  04/02/07  00:40  ID:???  


「え?  物価が高騰してる?」  

昼食のゆで卵の殻をむきながら、僕は聞き返した。  

「はい。どうも何者かが買い占めているようです。特に穀物類の上昇率が気になります」  

リオミアは表情を変えず、説明口調で言った。  

「結構なことじゃないですか。農民に余剰作物を売る余裕が出てきたってことでしょう?」  

僕は軽く塩をふったゆで卵を半分ほどかじり、もぐもぐと咀嚼しながら答えた。  
その行儀の悪さも気にならないのか、彼女はどこか不安そうに首をひねった。  

「……にしては量が多すぎます。大した街や産業もないこの地域周辺で、  
それだけ多くの食料を買い取る理由も人物・団体も心当たりがありません」  

「誰が買い占めてるかはわからないの?  っていうかそんな情報どっから手に入れたんですか?」  

すると彼女は呆れたように僕を見つめる。  

「評議会からの雑務の一部をお任せになられているのをお忘れですか」  

あ、そうだったっけ。  


752  名前:  元1だおー  04/02/07  00:41  ID:???  

ただでさえ人手の足りないエクト暫定管理機構で、彼女の事務仕事までこなしてくれる有能さを  
頼って評議会関係の書類はほとんど彼女に任せていたんだ。  

「ふーん。で?」  

気のない返事に、リオミアはもどかしそうに眉をひそめた。  

「で……といわれましても。何か気になりませんか?」  

「別に。誰が困るってわけじゃなし。いいんでないのほっといても」  

「はぁ……。そうでしょうか?」  

「リオミアさんは何か気になるの、そのことが」  

「何か嫌な予感がします。がめつい商売人が一儲けを狙っているにしては購入そして輸送手段の手際が鮮やかすぎます。  
まるでどこかの国の諜報機関の手口のように足跡を残していません。危険でもなければ珍しくもない食料を購入して輸送するのに  
どうしてそこまでする必要がありましょうか?」  

よくもまあそんなことまで考えるね、君。  


753  名前:  元1だおー  04/02/07  00:42  ID:???  

「考えすぎじゃないの?  なーんもない地域だってことはリオミアだって分かるでしょう」  

難しい表情の彼女に僕は楽観したことを言ってのける。  
すると、隣の佐久間がまるで言葉遣いの丁寧な教師のように話しを始めた。  

「何もない場所ほどテロリストやゲリラの逃亡先あるいは集結場所になりえます。  
我々の元いた世界で、現にアルカイダはド田舎であるアフガニスタンに潜伏していましたし、  
コロンビアあたりでも共産ゲリラは森林地帯に拠点を築いていました。  
……少し調べるか上層部に報告しておいた方がいいかもしれません」  

「う、うーん」  

ただでさえ課税調査やら衛生環境整備やら雇用開発やらで忙しいのに、これ以上面倒な仕事は増やしたくねえなあ。  
でも、佐久間やリオミアの言うことは説得力がある。  
とりあえずもう少し様子を見て何か変わったことがあったら報告しようか。  

「大規模な戦闘がここ数ヶ月起こっていないのが、どこか不安でもあるんです。  
前線で敵が戦力増強を行っているという噂もありますし」  

僕が思案顔でいると、いつの間にやら食事を終えた佐久間がテーブルに肘をついて呟いた。  


754  名前:  元1だおー  04/02/07  00:44  ID:???  

「この意味、分かりますか……?」  

「分かるよ。これでも『B』(防衛大出身)だ。  
敵さんは増強されてるのにこっちは補給不足に加えて本国の若い兄ちゃんが志願入隊しないから増援のあてもない。  
あげくのはてには人気のアイドルが反戦コンサートやって国民の戦争への不参加をよびかけてる。  
戦線の第一線を突破されたら正直もう建て直しはきかんわな」  

あまりにも情けない日本の現状に深いため息をつき、僕は自家製のチーズを口にした。  
そうなったら最悪は大陸中央に位置するキレシュト山脈を境に戦略撤退、よくても戦線の大幅な後退は必至だろう。  
自衛隊はそもそも外征型の軍事組織ではないんだから。  

「あの……」  

リオミアが僕の話を聞いていて何故か血相を変えていた。  

「どしたの?」  

「よ、よろしいのですか?  そんな国の批判などをなさって……」  

「あー。いいのいいの。リオミアなら変なデマは流したりしないって信じてるしさ」  


755  名前:  元1だおー  04/02/07  00:47  ID:???  

僕の言葉を聞いたリオミアは、驚いたように僕を凝視した。  
なんか変なことを言ったか?  

「あ、いえそんなことではなく領主様やサクマ様が国家反逆罪に問われるのでは……」  

リオミアは我に返ったように心配した。  
なんだ、そんなことね。  

「マスコミか警務隊にバレなきゃ大丈夫」  

「は、はぁ」  

リオミアは分かっているような分かっていないような曖昧な表情だ。  

「しかし…杞憂であればいいのですが……」  

それでも何か心配なのか、彼女は心細そうに呟く。  

「大丈夫だよ。キレシュト山脈を万単位で部隊が移動することは不可能だ。  
敵に航空輸送手段がない以上、それ以上の進撃は無理だからここはどっちにしたって安全さ」  

僕はそんな彼女を安心させようと説明を加えた。  


756  名前:  元1だおー  04/02/07  00:48  ID:???  

別に嘘は言っていない。  
この世界の軍隊の装備であの険しい山脈を越えることは至難の技だ。  
自衛隊は輸送機で第一空挺団を降下させて大陸北部に拠点を確保した後、  
直ちに飛行場を建設し部隊や物資をピストン輸送して帝国軍の再編成が間に合わぬ内に  
機甲部隊で主力を蹴散らした。  
敵は山脈をいとも簡単に越えて進撃してくるとは予想していなかったため、潰走を重ねた。  
しかし、それ以上は自衛隊も人員不足と補給の限界により進行不能となったわけだ。  
まあ、山脈が間に割って入っている以上はここは安心だよ。  
海路もあるが、海自の護衛艦のレーダーに輸送船団が捕捉されたが最後、  
127o砲のド派手な実弾演習が開始されるだけだ。  
そのことを話してやると、リオミアは安心したように一息ついた。  
この街の人間にとって、帝国が戻ってくることは大きな不安であるに違いない。  
ま、僕らも所詮は支配者に変わりないんだけど、餓死者ださないだけまだマシだろう。  


757  名前:  元1だおー  04/02/07  00:49  ID:???  

「まあそのことは何か変わったことが更にあったら上に報告しとくよ」  

「はぁ」  

まだ納得できない表情だったリオミアだが、次の瞬間食堂の扉が勢いよく開けられたことにその表情はかき消えた。  

「三尉、大変っす!」  

ここまで走ってきたのだろうか、今朝から当番制にしてある自警団の視察に行っていたはずの前島が息を切らして  
立っていた。  

「なんだ何があったんだ?」  

思わず立ち上がり、早くも駆け出す準備を始める。  

「日本人です!  それも民間の……」  

前島の言葉に、僕と佐久間は顔を見合わせた。  




758  名前:  元1だおー  04/02/07  00:50  ID:???  

前島の話によると、自警団が巡回中に市場で変な格好をした二人組みが  
食料を無理矢理値切っているのを見て呼びとめたら、  
脱兎の如く逃げ出したため、不審者として捕らえたのを評議会に置かれた  
自警団本部にのほほんと座っていた前島の前に連れて来たのだそうだ。  


がつがつがつ!  

という音が聞こえてきそうな勢いで、二人は出された食事を頬張っていた。  
その鬼気迫る様子にたじろぎつつ、僕は彼女達の身分証明書に視線を落とした。  
学生証と免許証の二つ。  
学生証の表紙にはなんとも厳かな校章の下に『清真女子大学医学部』と書かれている。  
開いてみると、気の弱そうなメガネの少女の写真。  
笠間衣緒…カサマ  イオ、か。医学部三年生…年齢は二一歳。  
もう一つ、免許証を見てみる。  
倉敷景…クラシキ  ケイ、ね。年齢二十ニ歳。  
彼女も大学生なのだろうか?  
僕は彼女の服装とバッグの上に置かれている本格的な感じのカメラを見やった。  
こいつ、ひょっとしてジャーナリストか?  
だとしたら面倒だなあ。  


759  名前:  元1だおー  04/02/07  00:51  ID:???  

「うーっぷ。いやあこんな異国で日本人に出会えるとは幸運だねえイッちゃん」  

茶髪の姉ちゃんが口から八重歯を覗かせ、豪快にカッカと笑う。  

「ふぁい…もぐもぐ」  

彼女らはよほど腹が減っていたのか、綺麗に出された料理をたいらげてしまっている。  

「で、落ち着いたところで尋ねますけど、あなた方、何の目的でここへやってきたんですか?」  

僕の質問に彼女らの表情が変わる。漫画ならここで『ギクッ』という効果音が入るんだろうな。  
まるで食い逃げしようとしたことがバレたかのような焦りようだ。  

「えーとねぇ……」  

「ひょっとして政府から正式な許可をもらわずに渡航したんじゃないですか?」  

「えーと…」  
「せせせ先輩ぃいい」  

こりゃあ間違いないな。  


760  名前:  元1だおー  04/02/07  00:52  ID:???  

全く、行方不明になったりしたら探さなきゃいけないのは僕らなんだぞ。  
しかも大抵、そんな場合は死んでいる。  
タチが悪いことにマスコミはまるで政府の責任のように報道するんだからたまったものではない。  
真実を伝えるフリージャーナリストといえば聞こえはいいが、現場の我々からしてみれば迷惑者の何者でもない。  

「明日にでもヘリを呼んで強制送還させてもらいます。  
それと、ヘリの燃料と整備費はあなた方に請求されるのでそのつもりでいてください」  

「ちょ、ちょっと待ってくれ。あたしらまだ……」  

「取材が終わってない、でしょ?」  

「あう……」  

絶句する二人。  
まったく大手だろうがフリーだろうがなんでこうマスコミ関係の連中はDQNが多いんだ?  

「フィルムも没収します」  

念のため、予防措置をとっておく。  
戦闘で死んだ帝国兵の死体を『空自のクラスター爆弾の犠牲となったアケイア共和国市民』と  
捏造報道やって公安に捕まった記者がいたしな。  


761  名前:  元1だおー  04/02/07  00:54  ID:???  

「なんだってぇ!?  それじゃ報道の自由が…」  

「違法行為してて何が自由ですか」  

素っ頓狂な声をあげて席をガタンと立ち上がった姉ちゃんに、僕は冷ややかな目で見つめる。  
ムっとした表情になった姉ちゃんは、腕を組んでそっくり返る。  

「だってぇー。フリーのカメラマンには許可出さないし、  
警察か自衛隊の従軍記者みたいなことしかさしてもらえないし、検閲だってあるし」  

あんたみたいな人が勝手に死んで現場に迷惑かけるからだよ、という言葉をすんでのところで飲み込む。  
報道関係者には迂闊なことを言わないのが自衛隊の鉄則だ。  

「規則ですから」  

「けち!  日本戻ったら自衛隊が言論弾圧してるって投書すっから覚悟しとけよ」  
「せ、先輩抑えて……」  

無償でメシをおごってもらっていて次の瞬間から平然と自衛隊批判をたれる自称フリーカメラマンに反吐が出る思いを抱きながら、  
僕は事務的な口調でさっさと退席を願った。  


762  名前:  元1だおー  04/02/07  00:55  ID:???  

「では部屋に案内しますので……リオミアさん」  

「御意に」  

リオミアがまるで私兵のように彼女らの眼前に歩み出る。  
その氷塊のような冷たい表情に二人がうっと息を飲む。  

「どうぞこちらへ……」  

口調こそ穏やかだが、彼女らへ対する威圧感は逆に際立っているように思えた。  
二人は、顔を見合わせ、どうやら逆らわない方が身のためだということを理解したようだった。  

「カメラは置いていってくださいよ」  

「ちっ!  わーってるよ」  

荒々しくカメラボックスをテーブルに放り投げ、彼女は鼻息も荒く大股で部屋を出て行った。  
やれやれ……こればかりは早く報告しとかないとな。  


763  名前:  元1だおー  04/02/07  00:56  ID:???  


「冗談じゃねえよなぁ……」  

無線連絡を終えた僕は思わず愚痴をこぼした。  

「どうしたんですか三尉?」  

「ヘリが前線に出払っててこっちには当分回せそうにないそうだ」  

「民間のヘリは?」  

「自衛隊の輸送力を補うために徴用中。そもそも燃料が不足してるしな」  

そのときはまだ、この街が後にあんな状態になるなんて予想すらしていなかった。  
思えば、このときが、この街から引きあげることができる、最後のチャンスだったのかもしれない。  
あの民間人二人と同居生活が始まるかと思うと、ただただ頭が痛い。それくらいにか考えられなかった  
自分を、後の僕は激しく後悔した。  



801  名前:  元1だおー  04/02/07  13:56  ID:???  

「久しい……といっても直接会うのはもう二ヶ月ぶりですわね」  

エクト唯一の高級娼館『真実の涙』の最高級ルームのソファに身を沈めた状態で、  
サキュアは入室してきた男にしっとりとした声をかけた。  

「決行は二週間後だ……」  

だが男はサキュアの艶かしいドレス姿に何の反応も見せず、ただ一言だけ口を開いた。  
豪奢な椅子にかけようともせず、薄汚いローヴを纏った姿は、どこか異様だった。  

「あらそうですの……で、今日は何の御用でして?」  

深い紫色の髪を弄いながら、彼女は無関心そうな声をあげる。  

「領主の異世界兵の暗殺を任せる。手段は問わん」  

抑揚のない低い声が、静かな室内に吸い込まれる。  
この娼館のオーナーでもあるサキュアは、面白くなさそうに赤いマニキュアを塗った爪を眺めた。  


802  名前:  元1だおー  04/02/07  13:57  ID:???  

「あら……いつから私はあなたの部下になったのかしら?」  

フードを目深に被った男へは視線すら泳がさず、彼女は心外そうに言う。  
すると、男は腰をまさぐり、サキュアの寝そべるソファの前へ袋を放りなげた。  
袋がよく磨き上げられた床に落下すると、袋の中でジャリンと金属がこすれる音が響く。  

「報酬の前金だ。成功した暁には占領後に便宜を図ってやる」  

「……嫌だと言ったら?」  

サキュアはじろりと鋭い視線で一瞥をくれる。  

「別にかまわん。ただし、占領後は生きていられると思わんことだ」  

男の恫喝に眉を微かに歪ませ、彼女はそのスラリと長い脚を組み替えた。  

「本当にニホン帝国に喧嘩を売るつもり……?  増援がきたら二千そこらの戦力ではひとたまりもないわよ?」  

サキュアの問いに、男は喉の奥でくっくと殺したような笑い声を上げた。  


803  名前:  元1だおー  04/02/07  13:58  ID:???  

「密偵の情報によれば異世界軍の兵力不足と補給の遅延。そして士気の低下はもう限界だそうだ。  
南部で一斉反撃に出れば、こんな地方都市に増援を回すどころではなくなる。勝機は十分ある」  

自信に裏打ちされた答えだった。  
ケイルダイン・クァン……ヴェロスニア帝国軍グリフォルス騎士団の元団長として、戦場を駆けていた頃を彷彿とさせた。  
サキュアはかつての彼の人柄についての噂を思い出した。  
勇猛果敢にして騎士道精神に厚い真の騎士。それが彼に関する風評だった。  
だがそれも異世界から召喚された軍と戦うまでのことだった。  
あの戦いで彼は変わった。  
鉄の怪鳥……F-2支援戦闘機の投下した、たった二発のクラスター爆弾によって、彼の騎士団は壊滅したのだ。  

「成功するかどうかは賭けよ。この報酬の半分でいいわ」  

彼女は部屋の隅に向かってなにやら目配せをした。  
すると、いつからそこに控えていたのか、小柄な少女がソファの前の袋を取りに歩み出てきた。  
ケイルダインはその少女に目を見張った。  
褐色の肌、短く切りそろえられた黒髪の間からは尖った耳が覗いている。  
その少女は袋から半分ほど金貨を取り出すと、残り半分の入った袋を男へ返上した。  


804  名前:  元1だおー  04/02/07  13:59  ID:???  

「お前も物好きだな……」  

袋を腰にしまい直しながら、男は呟く。  
妖魔を飼いならすなど、と言いたかったのだろうか。  
しかし次の瞬間、男は少女の射殺さんばかりの視線に口をつぐんだ。  

「このコのことかしら?  よく働いてくれるし、何より人間のように簡単には裏切らないわ」  

サキュアが少女を招き寄せ、頭を優しくなでてやる。  
少女は実の母親にそうされているかのように、気持ち良さそうに目を細めた。  

「あなたの依頼……このコにやらせるわ」  

サキュアの言葉に、フードの奥のケイルダインの表情が変わった。  

「なんだと……?」  

このダークエルフの小娘を?  冗談ではない。  
男の不気味な眼光がフードの奥で光る。  


805  名前:  元1だおー  04/02/07  14:02  ID:???  

「あら、このコを甘く見ない方がいいわよ。並のアサッシンでは彼女に遠く及ばないわ」  

その場に重い沈黙が漂った。  

「……しくじるなよ」  

ややあって、折れたのは男の方だった。  
メデューサの如き女だ、と内心にただならぬ思いを抱く。  

「善処しますわ」  

人を小馬鹿にしたような態度で、彼女は気のない返事をする。  
それを聞くなり、男はどこか忌々しげにその場を後にした。  

「よいのですか……姉様」  

妖魔の少女が、心細げに尋ねる。  
先刻までの殺気がまるで嘘のようだった。  

「そうよ。あなたでないとできない仕事よ……やってくれるかしら?」  

「……この命、姉様のためならばいつでも捨てる覚悟でございます」  

この若きシーフマスターに絶対の忠誠を誓う妖魔の少女は、恭しく答えた。