32 名前: 羅漢 04/04/30 23:48 ID:???

南部教官の憂鬱な日々

(1)
南部は帝国修練場へ来たことを早くも後悔し始めていた。
『友好関係を深めるだって・・・?』
まだ扉も開けていないのに案内された部屋に入る前から異様な気配が漏れてきている。
随行してきた広報担当も顔色が気の毒なくらいに青ざめている。
彼は事務方一筋で戦闘に関しては素人同然なのだが、
それでもこの刃物のように鋭く緊迫した空気を感じ取っているだろう。
『ただじゃ帰してもらえそうにないな・・・』
南部はそっとため息をついた。


33 名前: 羅漢 04/04/30 23:50 ID:???

(2)
事の発端は1ヶ月話をさかのぼる。
数ヶ月前に帝国と通商と防衛行動に関する条約を締結した日本政府は、
友好関係促進の一環として帝国の視察団御一行を陸自に迎え入れた。
実際のところは帝国側からの強い要望であり、視察と言うよりは偵察の意味合いが強いのだろう。
そのあたりは日本政府も承知しているし、本当は手の内は見せたくはないのだが、
通商関連(特に食料)での揉め事を避けたい日本政府としては受け入れざるを得ない状況であった。
幕僚達は受け入れたくないという本音と、受け入れざるを得ない情勢、
燃料や弾薬貯蔵量の問題からなるべく無駄なことはしたくないという台所事情も加わって、
視察内容について慎重に検討が行われた。

34 名前: 羅漢 04/04/30 23:52 ID:???

(3)
「というわけで、
『自衛隊本来の戦闘能力は極力見せない』
『弾薬、燃料は極力使用しない』
『帝国側の面目が保てるようにする』
という条件を満たす視察内容を検討した結果、君が適任であるという結論が出た」
上官からの命令を受けた南部は内心複雑だった。
それはそうだろう。『自衛隊本来でない戦闘能力』を見せるのに適任と言われて
うれしい奴がいるだろうか?
「・・・まあ、気持ちはわかるがな。個人的には君の事は評価しているつもりだ」
「ありがとうございます」
「ここ最近では近接戦闘の重要性が見直されている。私としては君の存在をアピールする
いい機会だと考えているが」
そういう考え方もあるかもしれないと、南部は考えた。実際に上がどう考えているかは別だが。
「では南部、視察内容について計画書をまとめて、3日後に提出。以上だ」
「了解しました」
南部教官は敬礼して部屋を出た。廊下を歩きながら彼は既に視察内容である『格技』の
種目の検討を始めていた。

35 名前: 羅漢 04/04/30 23:54 ID:???

(4)
格技とは徒手やナイフなどの武器を使った戦闘術のことで、南部はその教官を務めている。
元々南部はケンカ好きな不良だった。手当たり次第に暴れるケンカ三昧な日々を送っていた。
それを心配した両親が知り合いの空手の先生に相談した。
「では一度息子さんに会ってみましょう」
空手の先生と称する男を見て、南部は内心なめていた。終始笑い顔だったし、
身長はじぶんよりも10cmは低い(南部はこのとき既に185cmあった)。
「君はケンカが強いそうだね。一つ私にケンカのやり方を教えてくれないか?」
南部はさっさと終わらせるつもりで殴りにいったが、逆に思い出したくないくらいに
やられてしまった。しかも相手は笑顔のまま、息も乱さずに。
南部は次の日に入門した。

36 名前: 羅漢 04/04/30 23:56 ID:???

(5)
身長185cmという恵まれた体格と、もって生まれた勘の良さが幸いして
南部の空手の腕はめきめきと上達していった。
また、自由な風潮の道場であったため、空手に限らずボクシングや柔道や武器術も教えてもらった。
特に武器術は空手でつかうトンファーやサイに限らず棒術や
ナイフファイティングなども教えてもらった。南部はこれらの技術も砂が水を吸収するように習得していった。
空手が上達するにつれ、既に街でケンカはしなくなっていた。道場での組手に比べて
歯ごたえが全然ないのでつまらないからだ。
それでも南部の師匠は鬼のような強さであった。体格的には南部よりも一回り小さいのに、
組み手では全く適わなかった。彼にとって大きな目標として輝き、
同時に大きな壁となって立ちはだかっていた。


37 名前: 羅漢 04/04/30 23:58 ID:???

(6)
南部は高校を卒業した後はフリーターをしていた。窮屈なのは嫌いだったし、自分の師匠に追いつくという
はっきりした目標もあった。彼の両親も自分の子供の性格は熟知していたし、
「ちゃんと目標があるんだったらそれを追いかければいい」と許してくれた(本当は諦めただけなのかもしれない)。
無論南部にしてもずっとフリーターを続けるつもりはなく、あと2〜3年内にはなんらかの結論を出すつもりだった。
しかし転機は突然訪れた。
母親が病気で倒れた。心臓の発作だった。
南部は全く知らなかったのだが前々から兆候はあったらしい。
自分に心配をかけさせないように黙っていたのだ。
自分のせいで両親に心労をかけっぱなしだったことを南部は初めて気がついた。
病室へ見舞いに行ったときに母親が弱弱しく微笑みながら「心配かけたね」と言ったときには
耐え切れずに泣いた。
『それはオレのセリフだ・・・』
早く両親を安心させなければ、と考えた。

38 名前: 羅漢 04/05/01 00:00 ID:???

(7)
南部は師匠に一切の事情を話した。
師匠はしばらく黙っていたが、にっこり笑って
「君はまだまだ強くなれるよ」
と意味不明なことを言った。続けて
「それはそれとして、君の性格では普通の仕事は長続きしないと思う」
図星である。ケンカしなくなったとはいえ、時間や責任に縛られるのはあいかわらず苦手だった。
「今の君にちょうどいい仕事がある。知り合いに連絡するから面接を受けてみなさい」
それが自衛隊入隊のきっかけだった。

南部にとって地獄の日々が始まった。
南部の苦手とする「時間」と「責任」をとことんまで追求される生活だった。
起床に始まって就寝まで分刻みで行動し、自分が何かミスをすれば同部屋全員で共同責任。
何度切れそうになり、何度脱柵を考えたかわからない。
しかし、そのたびに病室で弱弱しく微笑む母親を思い出し、歯を食いしばって耐えた。
絶対に安心させなくてはいけない。自分のせいで心配をかけてはいけない。絶対にだ。

49 名前: 羅漢 04/05/01 10:46 ID:???

南部教官の憂鬱な日々

(8)
暑さ寒さも彼岸までということわざが適切かどうかはわからないが、
南部は自衛隊での生活が苦にならなくなっていた。
あれほど苦痛だった時間に縛られる生活も、
逆に体内時計がスケジュールを教えてくれるようになっていたし、
責任の重さも適度に心地よい緊張感として感じるようになっていた。
ありていに言えば、隊の水になじんだのである。
生活に慣れると南部の格闘の虫が疼きだす。
何人もの人間が集まれば腕自慢喧嘩自慢の一人や二人は必ずいる。
ましてや体力勝負の自衛隊である。そんな人間はゴロゴロいた。
空手、柔道、ボクシング、レスリング、柔術、日本拳法、少林寺拳法、
中国武術、サンボ、キックボクシング、etc
互いに力を加減したスパーリングでお互いの技を競い合った。
無論ときとして本気に近い形での試しあいにあることもある。
しかし、全員隊の規律を根っこから叩き込まれたプロである。
隊の業務に差支えがでるような怪我などは1件もなかった。


50 名前: 羅漢 04/05/01 10:52 ID:???

(9)
休暇で道場に顔を出したとき、師匠に挨拶に行くと
まず顔を見て
「心身共に鍛えられてきたね」
とにっこり笑われた。南部が隊での生活を報告すると
「君の性根を叩きなおせるのは日本広しといえど自衛隊しかないだろう。実際成功しているしね」
といつもと変わらずまたにっこりと笑った。
それでも組手では適わなかった。隊の体力測定ではトップを競う南部が、である。
心底「このひとは化け物だ」と思った。
とはいえ、師匠も以前ほどは余裕がないらしく、「いやいや、スタミナが切れちゃったよ」
とやや息を切らせていた。以前なら師匠がそんな状況なら南部は床に膝をついて
酸欠状態になっていたが、今はやや荒めに息をついている程度である。
単純なスタミナなら自衛隊仕込みの南部の方が勝っていたが、師匠の的確なボディへの攻撃で
確実にスタミナを奪われていたためこの結果となったのである。
単純に言えば技術の差を体力で埋めたのであるが、それでも南部はうれしかった。
やっとまともな組手ができるようになったからだ。

両親はとても喜んでいた。あんなに窮屈なのを嫌がっていた息子が、折り目正しく礼儀を身につけて
帰ってきたのだ。喜ばないわけがない。
特に母親がわんわん泣き出したのは困った。
外ではなんだかんだと言われる自分の組織だが、南部は心の底から感謝していた。




162 名前: 羅漢 04/05/03 21:18 ID:???

南部教官の憂鬱な日々

(10)

しばらくして南部は教導隊の格技教官に抜擢された。
自衛隊内では「格技」はあまり重要視されていない。これは自衛隊に限らずどこの国でも同じだ。
ありていに言って、近代戦で敵味方が殴りあったり火器以外の武器で戦闘を行う可能性は
まずないからだ。
(隊員がゲリラ戦を仕掛けるならあるいはあるかもしれないが、それは日本が占領されていることを意味する)

しかし、格技が廃止されないのは様々な理由がある。
まず、体を鍛える目的。同じ体を動かすのあれば、できれば身を守るための技術を基にしておきたい、
という考え方である。

二番目が自信をつける目的。どれほど訓練を積んでも実戦での経験に勝るものはない。
特に恐怖心や「キレる」状態など精神的なものは、訓練だけではいかんともしがたい。
比較的安全な格技で擬似的な実戦を積ませる意味合いがある。

三番目が実際に必要とする部隊があるため。レインジャー部隊や空挺部隊のように近接戦闘になる可能性が
高い部隊は格技が(比較的)重要になる。

163 名前: 羅漢 04/05/03 21:19 ID:???

(11)

格技自体がそれほど重要でないことは、隊の教育を受けてきた南部にもわかっている。
南部にしても重火器を構えている人間に対処するために日本刀を選ぶほど格闘バカではない。
しかし、自分がこれまで鍛え上げてきたものが軽視されていることに、
若干の寂しさを感じていた。
とはいえ、格技がいくら軽視されているといっても、鍛え練りこみ工夫を重ねている隊員がいることも
事実である。
レインジャー部隊や空挺部隊の連中は指導中はまったく気が抜けないほど
鍛え上げられていて、かつ真剣であるし、どの科にも格闘が好きな奴は多い。
南部自身も貪欲に知識や技術を取り込み、自分の中でブラッシュアップしていった。
その結果、レインジャー以外で南部に適う人間はほとんどいなかったし、
レインジャーでもよくて互角、悪くて形勢不利の場合がほとんどだった。
そんなわけで野郎所帯の隊では
「ケンカの強いやつは一目置かれる」
という単純な理由で南部は尊敬されていた。
それは正面戦闘がないから擬似戦闘で結果を出している奴を評価するしかないという自衛隊特有の
理由もあるのかもしれない。
なんにせよ、南部はその状況に十分に満足していた。


あの「転移」が発生するまでは。

164 名前: 羅漢 04/05/03 21:21 ID:???

(12)

「転移」については未だに何もわかっていないに等しい。
隊では未だに
「空自の偵察機乗りが亀の甲羅の上に乗った4頭の像が世界を支えているの見て発狂した」
「海自の護衛艦の哨戒員が15mのイカに喰われた」
という噂が真実味を帯びて囁かれている。

ちなみに南部の私的情報ルートによれば、実際のところは
偵察隊の何人かがカウンセリングを受けているのは本当だが、
衛星のサポートなしで未知の大陸の調査を超過密スケジュールで飛んでいるために、
隊員のストレスを懸念して念のため精神的ケアを受けさせていただけであるし、
15mのイカも実際は5mくらいで(それでも十分に大きいが)、小型ボートで艦に絡みついた
目標(イカ)を除去作業中に、足を滑らせた隊員の一人がボートから転落しただけである。
(当然すぐにボートに自力で這い上がっていて無事)

比較的この世界の情報収集量が多い隊内ですら、この調子である。
はっきりしているのは、日本が丸ごと異なる世界に来ていることだけだ。


165 名前: 羅漢 04/05/03 21:23 ID:???

(13)

「転移」後は政治的、経済的、社会的、さまざまな混乱があった。
南部自身はとりあえず「ふぁんたじー」な世界に来たのだという程度の認識だった。
(ただし彼の「ふぁんたじー」の認識は昔少しだけやったRPGゲーム程度である)
わからないことはとりあえず考えずに、目の前の仕事を片付けるというのが隊員の基本あったし、
第一その「目の前の仕事」は膨大だった。
教導隊は臨時に解散され、各部隊に臨時編入された。状況が状況だけに投入できる
人的資源は全て投入されたといっていい。とにかくどの部隊も人手が足りなかったのだ。
比較的規模は小さいとはいえ、ビル崩壊などの被害も出たため災害出動の要請が各都道府県から
一斉に出され、一般市民も暴動寸前のところまできたため政府は治安出動を決定していた。
この規模の任務を同時に行える余裕があるわけではないが、かといって拒否もできない。
隊内は部隊の再編成と治安出動や災害活動のためのスケジューリングでパンク寸前だった。
それでも(これは贔屓目かもしれないが)、南部の目から見ても自分のいる組織はよく動いたと思う。
もともと戦闘という非日常に対する訓練を続けていた分、適応が早かったのかもしれない。
『オレ自身はどうか?』
こちらも贔屓目かもしれないが、よく動いたと思う。南部の班は主に災害救助活動が主体であった。
教導隊での経験を生かして各隊員を指揮し、励まし、叱咤し、できる限りの最大効率で救助活動を進めた。
(南部は格闘バカではない。他の技能や管理能力も比較的優秀な部類に入っている。
格技教官を行っているのは、それがずば抜けて優秀であるのと当人の希望による)
誰も特に評価はしていなかったが(そもそもそんなことをする余裕のある人間は今の日本にはいない)、
南部の班の士気の高さは他の班に比べても際立っていた。



398 名前: 羅漢 04/05/06 00:06 ID:???

南部教官の憂鬱な日々

(14)

その日南部の班は救助活動中であった。
崩落のあったビルで土砂に埋まっている人間がいないか捜索の命令が出ていた。
幸い、一次捜索では被害者はいないようだとの結論が出て一旦現場から撤収するときに、
南部はおかしな気配を感じた気がした。他の何人かの隊員も同じ方向に目を走らせている。
異常に気がついたのは南部一人ではないらしい。
この付近の住人には避難勧告が出されているので(今の日本では珍しいことではないが)、
作業している人間しかいないはずだ。
(「こちらの世界の住人」か?)
一瞬南部の頭にそんな考えがよぎった。

隊内で流れている噂の一つに最近こちらの世界の住人が日本に上陸しているらしいというものがある。
南部自身は有りえない事ではないと考えていた。本来の世界でも同じようなことがあれば
偵察は必ずあるだろうし、事実大型飛行生物による偵察あったとの報告も上がっていた。

(神経質になっているのかもしれないが・・・)
そんなことを考えつつも念のため部下を集め、半数は近くの避難所へ移動させの警戒の任務を命じた。
本来は司令部に確認をとるべきであったがここ最近の業務の多さにパンク寸前なため、
各班はある程度の裁量をまかされている。「民間人の安全を優先した」ということで多めに見てもらえるだろう。



399 名前: 羅漢 04/05/06 00:07 ID:???

(15)

「さて」
南部は残りの人間に命令して素早く隊列を組ませ、スコップで武装させて気配を感じた箇所へ進んだ。
トップ2名がフォワードで腕っ節の強い奴を、自分を真ん中において、バックアップに4名を配置した。
どの顔も一様に緊張している。
「まあ、そんなに力をいれるな。出てくるのが野良猫一匹かもしれないんだから」
と笑って見せながら、班の中で唯一銃火器で武装している南部は腰のSIGを抜いて安全装置を外した。
災害救助活動であるため、基本的に隊員は武装していない。しかし現状の治安状態から班長だけが
SIGでの武装を許可されていた。
正直南部は普段触りもしない予備のマガジンなしの拳銃では威嚇程度にしか使えないと思っているが、
この先抜く機会が出てくるだろうから今のうちに少しでも手を慣らしておく訓練のつもりで抜いていた。
願わくば撃たなくて済みますようにと、南部は祈った。
この殺人的忙しさの中で拳銃発砲の事後報告書作成まで追加されるのはご免だ。
あれは書くのが面倒なドキュメントの上位に入るからな。



400 名前: 羅漢 04/05/06 00:08 ID:???

(16)

そこは本来建物と建物の間のL字型の路地だったのだ。建物はほとんど崩れていたが、路地部分の壁は
特に問題なく残っているため路地の状態は保っていた。また路地の先は完全に崩れていて、
袋小路気味になっていた。体力があればそれを抜けるのは十分に可能だが、南部が勧められても遠慮するだろう。
常識的に考えればこの入り口を押さえれば問題ない。
仮に裏から逃げたとしても路地入り口の6時の方向に避難所があるから、
そちらに来さえしなければ、現状の火力から言って見逃してもいいだろうと判断した。
正体がわからない上に、火器がスペアマガジンなしのSIGでは南部の判断も無理はない。
面倒を避けたがる班長なら探索にも行かないだろう。そのあたり南部は律儀なのかもしれない。

フォワード2名のうち、一人を入り口付近に待機させ、バックアップの4人は入り口をグルリと囲む形にした。
路地は大人3人分しか広さがないため、多人数では逆に不利になると判断した南部は、
フォワードのもう一人を後ろにつけSIGを構えながら路地にはいった。


401 名前: 羅漢 04/05/06 00:08 ID:???

(17)

路地は非常に静かだった。
『おかしなもんだ』
南部は内心呟く
『格技教官のオレが、拳銃持っての実戦は今日が初めてだって言うんだから・・・』
いつもの癖で、鼻からゆっくり吸って口からその倍の時間をかけて息を吐き出していた。
練習中は当たり前のように行っていたが、実際にやってみると思考が脱線しそうになっていた頭が、
かなりシャープになった。何、単なる偵察だ。入隊3ヶ月の新米にだってできる。
第一ケンカは慣れっこだろう。見つけたら先制で一発入れてやればいいんだ。
専守防衛が目的の自衛隊員にあるまじきことを考えてから、無言で後方の隊員に手招きをして前に進んだ。

路地は100mほど進んだところで左に曲がっている。南部は50mほど何か違和感を感じながら進んだ。
何かが変だ。路地に踏み込んだときから感じいていた感覚は前に進むほど強くなる。
それが何なのかははっきり言えないが、とにかく感覚的に違うのだ。
しばらくしてその理由に思い当たった。静か過ぎる。
前に探索したときは、風や石などが転がる音がしていたが、それが全くないのだ。
確かにこのあたりは人がいないが、鳥などは結構飛んでいたし、自然はまったく無音ではない。
『第一』
南部は唇を噛んで、自分の足元を見た。壁から崩落した細かい石や木材がたっぷり転がっている。
編上げブーツで踏めば必ず何かの音をたてるだろう。それが全くない。
『どうして今まで気がつかなかったんだ!?』
やはり舞い上がっていたのだろうか? もしこれが何らかの聴覚を奪う兵器だとしたなら、
自分と後ろの隊員は完全に罠に嵌っていることになるからだ。



314 名前: 羅漢 04/05/16 22:16 ID:???

南部教官の憂鬱な日々

(18)

南部は少し迷った。これが何かの罠であればそれはこの路地の奥にある可能性が高い。
果たしてSIGだけで対応できるだろうか?
南部は腹を決めた。既に罠に嵌っている状態だ。へたな撤退をすれば追撃される可能性が高い。
逆に罠に気がついていることを気取られずにそれを突破口にしよう。
南部は腹をくくって再度前進を再開した。

曲がり角にきた。南部は背中を壁にもたれかけ、銃を構えいつでも飛び出せる体勢を作った。
後方の隊員にはすでに音のことを筆記で伝えてあり、こちらもスコップを腰だめの構えで構えている。
確か柔剣道がよい成績だったはずだから、遅れをとることはないだろう。
南部は後ろの隊員に向けてタイミングをとるために指を3本立てた
『3』
指を折る
『2』
さらに折る
『1!』
南部は上半身を被弾面積を最低にするに壁から出して、銃を路地の曲がり先に突き出した。
そこにあったのは・・・


315 名前: でんべえ 04/05/16 22:17 ID:???

(19)

「・・・えーと?」
思わず声がでてしまった。
曲がり角の先には何もなかった。
いや、もちろん瓦礫などは落ちているのだが、南部が予想していたアンブッシュなどがないのである。
そもそも人の気配がない。
『考えすぎだったか?』
路地の先は、瓦礫の被害者捜索のときと同様に崩れていた。特に何かおかしい点は見受けられない。
おかしな気配というのはやはり気のせいだったのだろうか?
瓦礫を踏んでも音がしないのは、実は隊員全員が耳の病気にかかったのか?
『なんせふぁんたじーだからな』
南部は少し気がぬけた。あれこれ考えすぎて先走ったか?

後で考えると、
もし、直前に瓦礫をブーツで踏んでも音が出ないことに気がついていなかったら、
きっと「それ」には反応できなかっただろう。



316 名前: 羅漢 04/05/16 22:19 ID:???

>>315
ありゃ、別のコテハンになっちゃった。

(20)
「?」
「戻るぞ」と声をかけようとしたときにまず一緒に来た隊員が先に気がついた。
「班長、枝が・・・」
「ん?」
路地の奥の方で瓦礫の枝が折れていた。それ以外に表現のしようがない。何本も折れていてる。
それだけなら問題ない。折れた枝など珍しくもなんともない。
二人が呆気にとられたのは、それが目の前で何も乗っていないのに
折れていて、それが段々こっちに近づいている点だ。

何で勝手に折れる?→折れる音がしない? 
→折れる姿が見えない→敵が見えない
『見えない敵!』
南部の頭に電撃のようなインスピレーションが走った。

「敵襲!!」
南部は叫ぶと、前方に向けてSIGを3連射した。狙いもへったくれもない。
折れた枝の位置から推測しただけだ(当てずっぽうとも言う)。
『!?』
今度は地面にちょうど誰かが走っているかのように砂埃が舞っている。
何なんだあれは?
その距離7m。
今度は砂埃の位置から何者かの移動位置を未来予想して8連射する。
南部は自分が訓練どおり残弾数をカウントしながら射撃していたことに内心驚いていた。
自分が思っていたよりもずっと冷静だった。
パッパッと跳弾の跡が次々と左右の壁に刻まれるのを見ながら、訓練ってのはたいしたもんだ
と他人事のように考えていた。



324 名前: 羅漢 04/05/16 23:30 ID:???

連続アクセス規制に引っかかってしまった・・・。

(21)
「!!」
突如、目の前の空間が歪んだ気がした。
事件の後で路地入り口で待機していたバックアップの人間に聞いたところ、
その瞬間路地全体の空気が歪んだように見えたそうだが、
その時点の南部にはそこまで考える余裕はない。
突如目の前にグレー地に小さな赤い模様の布が出現して、南部に向かって突進してきたからだ。
『敵?』
そう気がついたかもしれないし、もっと本能的な反応だったのかもしれない。
それは南部自身にも思い出せない。
重要なのは、自分の腰くらいの高さの位置にキラリと光るものが目に入ったことだ。
『刃物か!?』
実際には思考よりも先に体が動いていた気がする。
落ち着いて考えれば、相手がいきなり低い体勢になったため、
SIGで狙いを付け直す暇がないと判断したためだろうが、
南部の体は脳の検討→指令のシーケンスを飛び越えて、右足を軸に体を3/4回転して捌いていた。
後ろの部下がとっさにシャベルを突き出す。
ギーン!!
やや鈍い金属音と同時に、南部の腹に重い一撃がきた。
『なんだ!?』
部下のシャベルを刃物で受けたのは見た気がしたが、その後がわからない。
明らかに徒手の間合いではない。
打撃そのものは十分耐えられる威力だったが、意表をつかれた南部はそのまま後ろに転がった。
視界の端でシャベルを取り落としながら後ろに倒れる部下の姿が見えたが、
何があったかを把握する余裕はなかった。
グレーの風が二人が元いた場所を通り過ぎる。


325 名前: 羅漢 04/05/16 23:35 ID:???

(22)

「・・っ!」
南部とて伊達に格技教官をやっているわけではない。受身から即座に体を起こすとSIGを向けていた。
が、敵は更に早い。
『いない?』
正面には驚きながらもすでにスコップを構えなおしている部下の姿。
しかし、その視線は敵を求めて泳いでいる。この狭い空間で、二人は一瞬グレーの布を見失った。
『この暗い路地裏のどこへ?』
「上!上です班長!!」
路地の入り口からの声。
バサッ!
何かが空気を押しのけて落ちてくる音。
バックアップの隊員の声に、南部は無意識のうちにSIGに両手を添えて顔の前に突き出していた。
ガシャ!!
相手の刃物を反射的にSIGで押さえたが、向こうはむしろそれが目的だったらしく、
そのまま銃身の上を刃を滑らせてきた。咄嗟に左手を引く南部。
が、そのまま「グレーの布」は反対の手で一瞬南部の握る力が緩んだSIGを引っ掛けると
路地の奥の方へ飛ばしてしまった。
『うまいな!』
今の払いにかかった力は微々たるものだ。力ではなく、技でSIGを奪われたのだ。
南部は、知らない武道の精妙な技を見せられたとき(または自分がかけられたとき)に感じる
歓喜に似た驚きを感じた。
銃を持つ手を片手にさせたフェイントの(しかし、手を引かなければ確実に指を切られていた)斬撃と、
合気道にも似た、人体の構造を利用した銃を払う角度と、
一瞬の気抜きの瞬間を利用したタイミング。
南部に素直にうまいと思わせるこれらをミックスした動作。
南部にも似たようなことはできるが、こんな命のやりとりの最中に拳銃をもった相手に対してできる自信は
なかった。それをこの相手はやっている。


326 名前: 羅漢 04/05/16 23:40 ID:???

(23)

南部は自分の中の「スイッチ」が入ったのを意識した。漫画的に言えば「格闘モード」に入っている。
顔の筋肉が引きつるのを感じた。
『俺は笑っているのか?』
さっきまでは先手を取られていて体の条件反射だけで動いていたが、「スイッチ」が入ったことで
初めて相手の気配を読む体勢にはいった。自分の手の甲を相手に向ける構えをとる。
手首の動脈や腱を切られないためだ。後の先をとる程度ではこの相手には通用しない。
先の先をとらなくては生き残れない。
シャッ!!
空気を切り裂く刃物の音。完全に首の頚動脈狙いの刺突。
力みもブレもない、動脈に傷をつけることしか考えていない素晴らしい右の突き込みだ。
背筋が冷えるのを感じながら、南部は僅かに膝を折ることで体勢を沈めてかわす。
大きく避けては反撃できない。南部の体に染込ませた繰り返しの練習の賜物だ。
そのまま空振りした相手の右手を押さえようとするが、向こうの右腕の戻りも早い。
ほぼ同じ軌道で刃物が戻っていく。南部は押さえにいった腕を引き戻す。
汗が背中を伝わる。
危うく押さえようとした右手を刃物ですっぱりと持っていかれるところだった。
無論南部に背中の汗を気にするような余裕はないし、「グレーの布」もそんな余裕を与える気はない。
右の刃物が戻るのと同時に同じ軌跡で左の刃物が、今度は斜めに切り裂く軌道で南部に迫る。
だが、これは動きが鈍い上に体が泳いで前に出ている。何よりさっきほどの速さがない。
南部は大きく路地の奥に飛んでかわした瞬間に、路地手前方向からスコップが鋭く突き出される。
攻撃が鈍ったのは部下の必殺のスコップ突きこみに気がついたからで、
体が流れたのではなく、それを捌くためだったのか。
南部が引いたのは、視界の端にその突きこみを捉えたからだが、
敵も南部同様にそれに気がついていた。
周りの状況をちゃんと把握しながら戦っている。
『こいつ、乱戦に慣れていやがる』


327 名前: 羅漢 04/05/16 23:44 ID:???

(23)

「グレーの布」がスコップの一撃をかわすと、体が片足が一瞬消えて人の肉を打つ鈍い音が聞こえた。
部下がカウンターの蹴りをもらったのだろう。南部はそう考えながら路地の奥に
飛ばされていたSIGに飛びつき、振り向きざま銃を構える。
部下のおかげで貴重な一瞬が稼げた。
「動くな!!」
「グレーの布」の動きがピタリと止まる。
距離は4m。仮にさっきの術を使ったとしても、この距離では逃げられまい。
 「班長!」
バックアップの隊員達が走ってくる音が聞こえる。
SIGをつきつけながら、南部は「グレーの布」に怒鳴った。
「動くな! 言葉はわかるか? わからなくてもこいつの威力はわかるだろう」
『SIGの残弾が1発なのがばれていませんように』と思いつつ、初めて襲撃者をまじまじと観察した。
グレーの布はポンチョのようなマントで、その上にはおそらく人の顔があった。
ただし、顔にも布を巻いていて表情はわからない。こちらを睨み付けているようだが、
顔の布と日光の関係でその色も表情もわからない。
両手に刃物を持って突き出して構えている。殺気満々だが動きは止まっている。
マントの赤い模様は、実は血だと気がついた。その模様は少しづつ大きくなっている。
「とりあえず、銃は効くようだな・・・」
南部の頭に「異世界の住人」という言葉があったので、ついそんな台詞を吐いてしまった。
少なくとも、ハットリくんでもない限り姿を消す隠形の術を使う奴が日本人だとは考えにくい。
『奴の動きは止めた。次は何とか武装を解除しないと・・・』
南部がそう考えたとき、「グレーの布」が動いた。


328 名前: 羅漢 04/05/16 23:52 ID:???

(24)

『む?』
刃物を構えていた腕を下ろしたのだ。一緒に殺気も消えている。
南部は戸惑った。投降する気か?
キーン、カラカラ
「グレーの布」の両手から刃物が落ちる。その音の大きさに思わず視線を落ちた刃物にやる。
その刹那!!
 ブワッ!
グレーのマントが南部の上部視界一杯に広がった!
「うおっ!」 PAM!
不覚にも南部は声を上げながら、思わず自分の上空を漂うグレーのマントに最後の一発を発砲した。
マントはそのまま南部の顔に絡みついてくる。
南部は左手でマントを払いつつ、スライドの下がったSIGを捨てて勘で右正拳を放った。
と、同時に足元から掬い上げられるような感覚、重力を失った感覚、
そして体がすごい勢いで壁にぶつかる感覚が連続で南部の五感を襲った。
最初のが足元からタックルをくらい、次のがそのまま持ち上げられ、
最後のは地面に投げつけられたのだと気がついたのは、
目の前にあったシャベルを引っつかみ横殴りに全力で振り回したときだった。
軽い手ごたえがった。が、浅い?


329 名前: 羅漢 04/05/16 23:59 ID:???

(25)
「くっ!」
その瞬間、路地全体に突風が吹き、南部は飛ばされそうになった。
南部は何とか這いつくばって飛ばされるのを防いだが、そうでない者もいた。
「!!」
南部は驚愕した。
「グレーの布」はまるで風に飛ばされるビニールのように、
軽やかに崩れた土砂を飛び越していったのだ。
ガッ!
瓦礫が飛んできて南部の額に当たった。飛ばされないように伏せていたため避けられなかったのだ。
トップに耐えつつ、「グレーの布」の後ろ姿が額からの血で赤くなっていくのを南部は見守るしかなかった。

結局南部の班は「グレーの布」の追跡に失敗した。
突風が納まるまで動けず、風が納まったのは「グレーの布」が完全に逃げ去った後だった。
あの突風は「グレーの布」が脱出のために起こしたのだろうか?と南部は考えた。
どうやったかはわからないが、タイミングを考えるとそうとしか考えられない。
南部は右手の覆面用の布を眺めていた。
「グレーの布」のタックルをもらったときに咄嗟に引き剥がしたものだ。
左手には奴に振るったシャベルがある。先がほんの少し黒ずんでいる。
十分な手ごたえはなかったが、わずかにかすったらしい。
『何だったんだろう?』
突風で飛ぶときにちらりと見えてあの正体。
もう一度自問した。
『何だったんだろう? あの女は?』



629 名前:羅漢 :04/07/18 23:52 ID:???
憶えていない人が多いかもしれませんが、
前スレ(前々スレかも?)の
「南部教官の憂鬱な日々」の続きを投下します。

2−1
日本が転移してからの2年間は南部の日常も含めて激動の日々だった。
よくわからない世界に日本が丸ごと「転移」したこと。
食料、エネルギー事情の逼迫。
こちらの世界の中世の技術レベルの国との友好条約の締結、破棄、侵攻、
撃退、反攻作戦。
剣と魔法の世界での戦闘は全ての人間の常識を覆すものであったが、
幸いにして日本の政治機構は元の世界にいたころからは考えられないほどの
能力を発揮して次々と発生する難局を軽やかに、あるいはスレスレのところで
乗り切っていた。

630 名前:羅漢 :04/07/18 23:54 ID:???
2−2
元々能力の高い人間を集めていたこともあるのだろうが、
自己保身に走ったところで何の保障にもならぬ事態に陥っていること、
そして少しでも判断を誤ればそれが暴動に直結することを
元の世界で怠慢業務を行っていた役人達が認識した(せざるを得ない)からだ。
民間での競争原理に近いもの(もっとシリアスだが)が、
公務員内部でも隅々にまで働き出していた。
仕事をしない人間、怠慢な人間を許容できる余裕はどこにもない。
そんな人間は、最初は緩やかに、時が進むにつれて徹底的に排除された。
それは判断ミスが即座に死につながりかねない世界で自分を守るための
当然の行動と言えるだろう。

631 名前:羅漢 :04/07/18 23:56 ID:???
2−3
一方の格技教官の南部はどうか?
南部が所属していた教導隊は一旦解散され、各部隊に割り振りが行われた。
人的な余裕がなくなった状況で部隊の教育活動は一時中断され、
前線(公式には「防衛活動域」と呼ばれたが)へ投入を行わざるを得なくなったためだ。

上層部としても、教育部隊の解散が隊の維持に支障をきたすことになるのは十分にわかっていたが、
それでもなお前線投入を行ったのは、人不足が極みに達していたからだ。
何しろ帝国との第一次の会敵では、人的損耗率4割という激戦だった。
戦略的に行ってはならない戦力の逐次投入を行ったためである。
政府が自衛隊の火力を過信したのと、今後の方針が明確に決まっていなかったための悲劇である。


632 名前:羅漢 :04/07/19 00:00 ID:???
2−4
この戦闘では帝国側は正体不明の軍隊(=日本)に対して殲滅戦を仕掛けてきた。
(これは帝国側の魔法、宗教関係者の指示であることが後に判明する)
個々の火力が圧倒的に上回っても、兵力比が一対十〜三十では話にならない。
ましてや敵も無能ではない。相手との火力差を認識すると、機敏に戦略を変えてきた。
また、実戦における機微というのは訓練だけでは習得しがたいものがある。
拠点防衛任務で連日連夜銅鑼を鳴らされ続けてノイローゼ状態になった部隊が、
内部崩壊を起こして文字通り全滅した例もあった。

  『戦闘を行うのは「人」であって「武器」ではない』

緒戦での戦果に浮かれて前線を広げた自衛隊(特に陸)が骨身に沁みて得た教訓とは、
まさに戦闘における基本であった。
しかし、この結果は政府に今後の戦略を決定させた。つまるところ、腹をくくったのである。
それまでは世論や野党の声を気にしていつもどおりの中途半端な対応が
多かったのであるが、この危機的状況にきてようやく政府も腰が据わった。


633 名前:羅漢 :04/07/19 00:01 ID:???
2−5
まず、緒戦で広げた戦線は急速に縮小された。
これまでの戦闘を基に、現有兵力で最低半年は維持可能な戦線(最終防衛線)の
再検討が行われたためだ。無論、撤退中の帝国側の追撃は激しいものがあったが、
兵力の再集結が迅速に行われた結果、当初ほどの被害は発生しなかった。
兵力差と火力差による総合戦力が、自衛隊の兵力集中によってある時点で逆転したためである。

第一次会敵の終盤、自衛隊が兵力の80%までを最終防衛線へ再集結していたころに、
帝国が兵力集結の準備を進めているのを空自の偵察機が捉えた。
自衛隊の撤退を「敗走」と捉えた帝国にとって、追撃戦で思うように戦果が上がらない状態に
業を煮やして総力戦を仕掛けるものと判断された。


634 名前:羅漢 :04/07/19 00:02 ID:???
2−6
緊急に幕僚会議が召集され、最終的にこの最終防衛線で陸海空の7割の戦力を注ぎ込んで
「対応」することが決定された。
和平を有利な条件で結ぶには、敵の主力を徹底的に叩き日本に有利な状態で
交渉に当たる必要がある。何しろ、日本には戦闘の継続能力が決定的に欠けていた。
短期で日本に有利な交渉を進めるには敵主力に決定的なダメージを与える必要がある。
兵力差を考えても、誰が見ても過剰な火力の投入が決定したのはそんな政治的事情がある。
つまるところ、「対応」とは名ばかりの「虐殺」であり「見せしめ」である。


635 名前:羅漢 :04/07/19 00:04 ID:???
2−7
さて、南部自身は、救助活動時の正体不明の敵と遭遇後、
その経験を買われて、一時的に戦略研究委員会(新設)に籍を置くことになった。
第一次会敵の緒戦のころで、隊内にもまだ余裕があった時期だったし、
なにしろ、何もかもが謎の勢力(後に帝国と判明するが)である。
情報、特に生身の人間の情報は貴重だ。
早い段階で文化レベルが中世程度であることは判明していたが、
正体不明の力(隊員の間では「魔法」と噂されていた)があること、
政治形態がはっきりしないと、どのように交渉方針はおろか、交渉相手すら決められない。
偵察機からの写真ではなく、実際にあった人間の証言を欲するのは当然と言えるだろう。


636 名前:羅漢 :04/07/19 00:06 ID:???
2−8
とはいえ、南部自身は敵と会話交わしたわけでもなく、
また、接触時間は正味1分にも満たないとなると、1週間ほど同じ事を根掘り葉掘り
事情聴取されると、もう何も話すことがなくなってしまった。
委員会の興味を惹いたのは、相手が逃走したときに吹いた強烈な風の正体であったが、
それはむしろ南部の方が聞きたいくらいである。。
結局、それ以降は捕虜の尋問時の警護役として狩り出されることになった。
捕虜に魔法を使われたときに、経験者であれば対応できる可能性が
高いという判断があったようだ。
(幸いにして、捕虜は一般兵士ばかりで魔法を使える人間は殆どいなかった)
結果として、南部は帝国の言葉を少しづつマスターしていくことになるのだが、
それ以外にも、尋問に立ち会うことで魔法に関して色々なことを知ることができた。


637 名前:羅漢 :04/07/19 00:07 ID:???
2−9
例えば、魔法使い『マジックマスター』は戦力の高さと数の少なさから、
どんな犠牲を払ってでもその命を守り、戦場から離脱させることになっているらしい。
またマジックマスターには、いかなる戦闘にも参加せずにただその主(マジックマスター)を
守るためだけの専門の護衛役『ガード」もいるとのことだ。
「ガードのやつらは、」
ガードについて尋問したとき、
その兵士はいらただしげに
「ガードのやつらは味方がどれだけ死んだってお構いなしさ。それどころか
クラッフェ(マジックマスターの卑称。「尊大な腰抜け」くらいの意味)を
守るためだったら、味方だって殺しやがる」
とだけ言って、それ以外の質問には全て沈黙した。
南部の印象では、この兵士はマジックマスターについて本当に何も知らないが、
ガードについて相当に含むところがあるように思えた。


721 名前:羅漢 :04/07/23 23:01 ID:???
「南部教官の憂鬱な日々」の続きを投下します。

2−10
『優先度の問題か・・・』
南部はちょっと苦い顔をした。
平時なら愚痴で済むかもしれないが、戦闘時には命に関わりかねない問題だし、
そして、平時のそれは南部にも経験があったからだ。
しかし、隊内のそれに比べれば帝国での問題は段違いのようだ。
この捕虜のまるで呪詛を吐くようなセリフが物語っている。
南部が抱えている経験は精々で仲間内の酒の上での愚痴程度のものだ。
そこまで禍々しいものではない。
もう一つだけ聞き出せたのは、ガードはマジックマスターほどではないにしろ、
魔法が使えるらしい。だた、マジックマスターのそれが対集団用であるとするなら、
ガードは対個人用の小規模魔法にあたるようだ。

『ひょっとしてあいつはガードだったんだろうか?』
ふと、南部は救助活動中に遭遇した相手を思い出した。
体術のキレは今思い出しても冷や汗が出る。道場で練習しているだけの人間には
持ち得ない殺気があった。
むろん、道場稽古でも威圧的な気配を身につけている人はいる。しかし、あれは
『邪魔だから排除する』
というもっと機械的な、人間に対する感情ではないような気がする・・・

普段の南部なら任務中に他のことを考えるということは決してやらない。
そんな珍しいミスに対して、南部はすぐにツケを払わされることになった。


722 名前:羅漢 :04/07/23 23:03 ID:???
2−11
ガタンッ!!
「GAAAAAAA!!」
南部が考え事している隙を目ざとく見つけた捕虜が
いきなり立ち上がって南部に突進してきた。
「おっと」
南部は突進してきた相手の勢いを咄嗟に片足を引いて捌くと、
右手を相手の首に伸ばして軽く触れた。
相手がその手を嫌がって反射的に顔をそらす動作に合わせて、
膝と腰のバネで相手の突進力のベクトルをうまく円を描くようにコントロールすると、
そのまま尋問用の机に叩き付けた。
バーン!!
派手な音をたてて捕虜は机に顔から突っ込む。
捕虜にしてみれば、自分のタックルをそのまま自分に返された気分だろう。

帝国の捕虜は隙あらば何かを仕掛けてくる元気なのが多い。
今の捕虜も後手に手錠を掛けられているにもかかわらず、肩から体当たりを仕掛けてきたのだ。

724 名前:羅漢 :04/07/23 23:11 ID:???
2−12
総じて帝国の人間は体格のがっしりした人間が多い。
当初は遠慮なくぶん殴っていた南部だが、
自分より体格のよい人間だとなかなかKOできなかったため、
最近は合気道を南部風にアレンジした技で対処することが多かった。
大抵の捕虜は体格や体重を利した大雑把な体当たりや力任せの大振りのパンチが多く、
体捌きや相手の重心を崩す技術に大してははひどく脆かった。
(無論、南部のレベルと比較しての話である。前任の柔道3段の警護官は咄嗟に体落としで投げて
相手を制圧したものの、相手の勢いに押されて腕を骨折してしまっていた)
おそらく甲冑で体を守って大作りな剣や斧を振り回したり、体ごと叩きつけるののが主戦法なのだろう。
事実、前線で接近を許した隊員は力任せの一撃に防護服ごと真っ二つか、
良くても粉砕骨折で回復不能だった。


725 名前:羅漢 :04/07/23 23:13 ID:???
2−13
「暴れるな暴れるな」
今日の捕虜はいつもよりも元気で、顔から叩きつけられても足をバタバタさせてまだ抵抗している。
南部は捕虜の腕を捻り上げておとなしくさせようと、左手を伸ばした。
『まあ、だいたいいつもと同じパターンだ』
南部自身は油断したつもりはなかったが、『いつも通り』と考えたこと自体が既に油断だった。
ガシャン!!
『あ!』
南部の不覚は『ガード』のことを考えていて対応が後手に回ったことである。
いつもなら、先を読んで押さえ込んだ相手の周りから椅子などの武器になりそうなものを片付ける
(蹴って部屋の隅に移動させる)くらいの余裕があるのだが、それを逆に捕虜にやられてしまった。
捕虜は、器用に足で引っ掛けた椅子を南部に向かって蹴りこんできたのだ。
「うおっ!!」
南部は砲弾のような勢いの椅子を咄嗟に避ける。当たっていたら骨折しかねなかったそれを
かわせたのは幸いだったが、その代償として捕虜を抑えている腕が離れてしまった。
『やっちまった!!』
捕虜は即座に体を起こして南部から距離をとった。この部屋のドアは南部の背後に一つきり。
捕虜の次の行動は小学生にだってわかる。


726 名前:羅漢 :04/07/23 23:15 ID:???
2−14
相手は腕を拘束されているとはいえ、2mを超える身長とボディビルダー顔負けの筋肉。
真正面から体当たりされたらヤバイ相手だ。
南部は、頭の中の『戦闘スイッチ』がカチリと入った音が聞こえた気がした。
部屋にいた尋問官は即座に壁の内線電話の緊急ボタンを押して
「警護班!!緊急!!」
と落ち着いて呼び出しをかけている。声も裏返っていない。いい度胸だ。
『一体、人様のことを考える余裕が俺にはあるのか』
と南部は心の中で苦笑いした。
関係のないことを冗談めかして考えるのが南部一流のリラックスの方法だ。
リラックスついでに南部は意識的に体の力を抜いた。
体が強張っていてはどんな技も100%の力を発揮できない。


727 名前:羅漢 :04/07/23 23:19 ID:???
2−15
捕虜との間隔は2〜3m。捕虜は貫かんばかりの視線で南部を睨み付けていた。
対する南部もやや腰を落として睨み返していた。
次の攻撃に備えて、捕虜は前重心で全身に力の満ちたダッシュの構えを、
南部はまるで柳の枝のように軽く手を前に突き出して気の抜けたような構えをとっていた。
刃物のような緊張感に満ちた時間が流れること数秒。
南部の視線が捕虜から僅かにそれる。
「UOOOOO!」
その隙を逃さずに、捕虜は雄たけびと共に右肩を前に突き出して突進してきた。
その勢いはブロック塀でも突き抜けそうなパワーを秘めていた。
それは横で見ていた尋問官にダンプカーを連想させるほどのものだった。

対照的に南部の動作はわずかでさり気ない動きだった。
少しだけ右手が動くと、何かを軽く(本当に軽く)放り投げるような動作を行った。
いや、事実彼は捕虜の目の前に細長いものを投げていた。


728 名前:羅漢 :04/07/23 23:20 ID:???
2−16
(以下、捕虜視点)
「!」
捕虜の思考は、目の前に突然視界に現れた細長い棒(ボールペン)に一瞬麻痺させられた。
『先が光って尖ってはいる』
『大した勢いはない』
『当たっても致命傷にはならない』
『しかし、目に当たったら?』
ほんの一瞬の思考のやり取りが、結果として
「敵と対峙しているときに最もやってはいけない行動」
すなわち、(ボールペンを避けようとして)相手から顔を背けることにつながってしまう。
意識してやったわけではない。反射的にやってしまったのだ。
「!?」
避けきれずに捕虜の頬にペンがコツンと当たる。
(たいした痛みじゃない)
そう思った瞬間、捕虜の目の前から南部の姿が消え失せていた(少なくとも彼はそう思った)。
「!!?」
その瞬間に捕虜は自分の体に起こったことをどれだけ認識できただろうか?
ダッシュしていた足元から地面から硬い感触が消え、自分の体が浮き上がったかと思うと、
まるで自分の体重が倍になったかのような勢いで何かに叩きつけられた。
同時に腹への槍の石突側で突きこまれたような感触が、彼の意識を奪った。
捕虜は意識を失う寸前
『おれは魔法にやられたんだ・・・』
と思った。


729 名前:羅漢 :04/07/23 23:22 ID:???
2−17
捕虜が突進してくる寸前。

南部の手は自然な動作で尋問用のテーブルに転がっていたボールペンを摘むと、
わざと相手から視線を逸らせた。視線による『誘い』を仕掛けのだ。
捕虜は隙を見つけて自分から仕掛けたつもりなのだろうが、
実際は南部の巧みな視線によるフェイントに乗せられて、南部の都合のよいタイミングで
動かされただけだった。

(以下、南部視点)
南部は捕虜の目の前に軽くボールペンを投げた。
もし勢いよく投げつけられたなら、考えるより先に反射的に避けるだろう。
しかし、ふわりとまるで宙に浮かぶかのごとく目の前に現れたペンは
捕虜に対して避けるかどうかの一瞬の判断を求めることになる。
南部の目論見が成功した証拠に捕虜の足並みが一瞬乱れ、
バランスを崩すような顔の背け方をした。


730 名前:羅漢 :04/07/23 23:23 ID:???
2−18
捕虜のわずかの躊躇を感じ取った瞬間に、南部の体は大きく沈んだ。
180cmある南部の体が小学生くらいにまで縮まると、相手の足を体当たり気味に掬い上げて
相手を前のめりにさせ、相手の勢いを殺さずに相手の体を自分の背中に乗せた。
背中に相手の体重が乗ったのを意識しながら、
そのまま自分ごと回転して柔道の飛行機投げの要領で相手を床に投げつけた。
巻き込み投げの要領で自分の体を相手に預けるようにして投げる。
叩きつける瞬間に、自分の全体重を乗せた肘を相手の腹にめり込ませることを忘れない。
南部が使ったのは投げ技は、合気道と柔道の巻き込み投げをミックスしたオリジナル技である。
倒れつつ相手に肘を入れるのは南部の実戦(主にケンカ)でのデフォルトである。
捕虜は小さな奇妙な咳のような息を吐くとそのまま動かなくなった。
相手は気を失ったようだ。


731 名前:羅漢 :04/07/23 23:25 ID:???
2−19
「今日のはちょっと派手でしたね」
尋問官はちょっと机から落ちた書類やボールペンを拾いながら、素直な感想を述べた。
捕虜が暴れるのは日常茶飯事なので慣れもあるだろうが、いい度胸だ。
「今日はちょっと油断しました」
南部も素直に答えた。いつのまにか警護の任務がルーチンワークとなって
緊張感が消えかけていた自分を恥じる。
捕虜に簡易拘束具をつけると、活を入れて意識を戻す。
これ以降は捕虜はおとなしくなったが、それは南部に対する畏怖の気持ちからのようだった。
尋問官はそれに気がついていたが、力自慢が天狗の鼻をへし折られたからだろうと
軽く考えていた。


732 名前:羅漢 :04/07/23 23:26 ID:???
2−20
南部にとっては、やや手間がかかった日常業務に過ぎないこの事件が、
後々彼をやっかいな問題に引っ張り込んでいくのだが、
この時点では誰もそんなことには気がつかなかった。
それはこの捕虜、帝国騎士団中隊長ワーリックゼルヘムが尋問中に
南部と小競り合いを演じた経験での誤解が元になるのだが、
未来の問題はおろか、今現在の誤解すらも南部達は気がついていなかった。

今回は以上でございます。