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496 名前: 「WORLD ALL] 2005/11/21(月) 20:31:23 ID:???
序
子供のころ、私は幸せでした。
都市の城壁の外の、農村部に住む農民階級の小さな家庭の4番目の子供として生まれて、
あまり恵まれてはいなかったし、小さいし女の子だったのであまり働くこともできないので、
家族からは厄介者扱いされていましたが、それでも毎日家の仕事の合間に村の子供たちと
遊んでいるときは、ずっと永遠に幸せが続くのだと思っていました。
冷たい水を汲みに行くのも、重たい薪を運ぶのも、自分よりもさらに小さな弟や妹たちの面倒を見るのも、
友達と春の野原や、夏の小川や、秋の木陰や、冬の白い丘で無邪気に笑ってはしゃいでいられる時のためにあると思えば、
そんなに辛くは無いのでした。
その頃の私は、世界は光と善意に満ち溢れていて、時々荒らしの来る月や霜の害がある年が来る以外は、
苦しいことも悲しいことも無くて、穏やかな日々が続いていくのだとばかり考えていました。
それが唐突にそうでなくなったのは、私が11歳の誕生日を過ぎた頃だったと思います。
私が見えているもの、感じているもの、触れることができるもの…皆も同じように、そうだと思っていたものが、
そうではなかったのだと、思い知らされた時は、変な言い方かもしれませんが頭が真っ白になって、そして
目の前が真っ黒になって、自分の体が、周りの景色が、灰色になってしまったような感じがしました。
497 名前: 「WORLD ALL] 2005/11/21(月) 20:32:11 ID:???
事の発端は、些細なきっかけに過ぎませんでした。
あるとき私はふと、それが出来るのではないか、と思ってみたのです。
前から私には、それが見えていました。 でも、他の皆には見えないものだと言うことには全然気がつかなかったのです。
道端の石ころや、テーブルの上の木で出来た食器や、自分の靴やスカートのすそが、それらの集まりで出来ているのを、
小さい頃の私はそれがどんなに重要な意味を表しているのか、まったく知る由も無かったのです。
そしてそれを、自分の意思で触って、感じて、動かせるのだと気がついたときは、自分でも物凄く…牛の口から大きな蛙が
飛び出た時みたいにびっくりしました。
やってみよう、と思ったときは本当にそれが出来るなんて思いもしませんでした。
本当に、ほんの軽い気持ちだったんです。
でも私は、それを実際に、思ったことを寸分たがわず実行してしまったのです。
私は本当に本当にびっくりして、皆に見せに行きました。 そして皆の前で、それをもう一度やって見せたのです。
私の手の中で、それを形作っている小さな小さなものが、私自身の意思で自由に動き回るのを、皆は見ることが出来ませんでしたが、
みんなはそれが、確かに形をまげてぐにゃりとへし折れるように曲がったのを確かに見ましたし、驚かなかった子はいませんでした。
女の子の中には、驚きすぎて泣き出してしまった子もいたぐらいです。
私は得意になって、それを、大人たちにも…一番最初に両親へ見せに喜び勇んで走って行きました。
498 名前: 「WORLD ALL] 2005/11/21(月) 20:32:47 ID:???
最初、私は何を言われたのかよく理解できませんでした。
多分、悪魔、とか何か、それを意味する言葉を言われたのだろうと思います。
呪われた、という言葉も聴いたように思いました。 でも、その時はその言葉を知らなかったので、今思えばそんな言葉を言われた
ような気がするだけで、本当はもっとひどい意味の言葉を言われたのかもしれません。
ただ、両親が憎しみと蔑みと、畏れに満ちた表情を私に向けていたことだけははっきりと覚えています。
私はそのときの両親の顔を、一生忘れることが出来ません。
幾らもたたないうちに、皆は私と遊ばなくなりました。
皆は「魔女と遊んではいけない、呪いが染るから」と言われたのだそうです。
両親も兄弟も、私を避けるようになりました。
もともと小さな家で、下のほうの子供だった私には家の中に自分の場所というのは無かったようなものだったのに、さらに家の隅に、
最後には物置小屋か馬小屋に追いやられて眠るようになりました。
どうしてそんな仕打ちを受けるようになったのか、最初はその理由がまったくわかりませんでした。
でも、村の中でそういう風に疎外される日が続いていくうちに、なんとなくその理由がわかってきました。
今は、どうして両親が私を憎むようになったのか、友達だった子達が私に近づかなくなったのか、理解しています。
でもその頃は、私はとても理不尽な仕打ちを受けたように思えて、どうして?と思いつつ毎晩藁の上で泣きながら眠ったのでした。
499 名前: 「WORLD ALL] 2005/11/21(月) 20:33:31 ID:???
私は家の仕事を手伝わなくてよくなった代わりに、もう友達と遊ぶことが出来なくなってしまいました。
春の野原や、夏の小川や、秋の木陰や、冬の白い丘で無邪気に笑ってはしゃいでいられたあの日々は、今では遠いどこかへ過ぎ去ってしまったのです。
私は、たった一人で村はずれの小さな丘の上で寝転んで空を見ていることが多くなりました。
他にすることも何も、一切無かったのです。 誰とも会わず、誰とも話さない日々は、時間がただ流れていくのがとても苦痛で、
そして寂しくて、私はこれから先、ずっとこの痛みや寂しさに一人で耐えていかなければ行けないのかと思うと、その度に涙が止まりませんでした。
そんな日々が幾日も続いたある日、唐突にたった一人だけ、友達が戻ってきてくれました。
その子は私より三つだけ年下の男の子で、なのに生意気で、負けず嫌いで、よく泣かされて、そしてやさしい子でした。
輝かしい、幸せに満ちた日々が戻ってきました。 友達は、その子一人だけになってしまったけれど、私たちは二人きりで、
以前のように笑ったりはしゃいだりする時を過ごすことが出来ました。
私はその子に、自分と遊んでいて怒られないの?と尋ねたことがありました。
その子は、私が魔女だとか呼ばれて、一緒に遊んではいけないと言われるのは間違っている、というような事を言いました。
同時に、魔女でも何でも、私は私なのだ…と言う意味のことを言ってくれました。
今から思えば、その子は小さいなりに随分としっかりした考えを持っていたのだな、と思います。
顔を半分以上真っ赤にして、大人たちや他の子達への憤懣を交えながら私に自分の考えを一生懸命に伝えようとする
その子の存在が、私にとってどれだけの励ましと支えになったかは計り知れません。
私は、その子のおかげで孤独にはならずにすんだのですから。
けれども、その子と共に過ごせた時間はあまりにも短いものでした。
500 名前: 「WORLD ALL] 2005/11/21(月) 20:34:36 ID:???
修道会の司祭という人が私を迎えに来たのは、その子が戻ってきてくれた日から一週間たった頃でした。
その日は両親と他の大人たちが何かを話していました。 私がそれを聞いた分には、魔女や魔法を使える人間は、修道会に預けなければいけない決まりになっているのだそうです。
私は、そこで始めて、自分があの日見せた行為が「魔法」なのだということに気づかされました。
同時に、それは人々からとても忌み嫌われているものなのだと知りました。
けれども、修道会から来た司祭様は私に「それは違う」と言いました。
「魔法は、神様が人間におあたえくださった、神様の力の本の一部で、とても神聖なものなのだから、魔法を使える君は呪われてなんかいない。 むしろ、祝福されているんだよ。 だから胸を張っていなさい。 恥ずかしがることも、恐れることもしなくていい」
司祭様はそう言って、私の頭を優しくなでてくれました。
誰かの頭をなでてもらったのは、それが初めてだったので…両親すら、私にそんな風にはしてくれたことが無かったので、とても嬉しかったのを憶えています。
修道会の紋章が描かれた幌馬車に乗せられる時、友達だったあの子が泣いていました。
私が連れて行かれるのが、とても悲しかったのだろうと思います。
その時はその子の両親がそばにいたので、私はその子に別れの挨拶を告げることが出来ませんでした。
もしその日、別れが唐突に来ることが前の日にでもわかっていたのなら、私とその子は一日中を使ってたくさん思い出を作って、決して互いを忘れず、友達でいようと硬く約束を結ぶことが出来たのでしょう。
でも運命というのは、何もかも幸せなことばかりを運んではくれなかったのです。
そうして私とその子は、理不尽な見えない何かの力で再び引き裂かれてしまって、私は馬車の中で悲しくてずっと泣いていました。
でも、不思議なことに生まれ育った村を離れることや、両親や兄弟たちと別れることは少しも悲しくも寂しくは無かったのでした。
501 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/21(月) 20:36:15 ID:???
修道会についた私は、さっそく修士服に着替えさせられて、その日から魔法とこの世界の構成と、神学についての勉強と訓練が始まりました。
勉強と訓練は水汲みや薪運びといった家の仕事よりもずっと辛いものでしたが、修道会には私と同じように連れてこられた子供たち(司祭様や司教様は「姉妹」と呼びました)がいて、
彼女らと話したり遊んだりすることの出来る時間はとても楽しくて、辛いことを忘れさせてくれました。
春の野原や、夏の小川や、秋の木陰や、冬の白い丘は、もう遠くなってしまいましたが、その代わりに修道会で過ごす新しい日々が始まって、私は姉妹たちと共に毎日を幸せに過ごしていました。
でもやはり、そんな日々は永遠に続くことはありませんでした。
それが起こったのは、私が19歳の誕生日を迎えた頃でした。
まだら色の服を着た異世界の兵士たちが、この世界に現れたのは。
序 終わり
502 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/21(月) 20:37:33 ID:???
1
アルヘイム(鯰の故郷)というこの国は大陸西方の南部、比較的温暖な地域を領有している国で、
大昔からエルプ山脈をはさんだ北部のヴァルランド(戦いの国)や西部のヴィンドヘイム(風の住処)
やグラズヘイム(喜びの国)、東部のニザフィヨル(暗い山並み)・スリュムヘイム(どよめきの国)
などといった国々とは領土をめぐって何度も戦争を繰り返している歴史を持つ。
大昔のアルヘイムは都市ごとに小国家が軒を連ね、争いあっていたのを300年ほど前に初代の王となる
ヴァーヴォル1世が統一してアルヘイムを建国した。
人口の殆どは「賢く醜い」アーシル人。 ごく少数が「野蛮で美しい」ヴァニール人。
アーシルとヴァニールを「リーヴ(生命)」と呼ぶアールヴ族は白い肌のリョース(光)の森が二つ、
黒い肌のディック(闇)の森が一つ。
ドヴェルフの国である隣国ロガフィエル(火の山)と国境を接している事情からドヴェルフ族も
アーシル人の社会に混じって暮らしている。
アルヘイムは(ほかの国も大抵そうなのだが)身分制度の強い国で、王族、貴族、士族、平民、農民の階級ごとに
階層を作って社会が形成されていた。
王族と貴族が政治をつかさどり、士族が軍事を担う。 平民と農民はそれぞれ商工業と生産業に従事する。
一応、専制主義国家ではあったが地方貴族の権力も強いという一面も持つ。
というのも、もともとが小国家の集まりであり、統一後300年経った現在も貴族たちは地方の都市を領有して
それなりの勢力を保っている。
故に、王族の子弟が玉座を巡って争うときなどには、貴族の後ろ盾をどれだけ多く味方につけることが出来るか
ということが重要視された。
503 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/21(月) 20:38:14 ID:???
第27代目の国王であるヴィーウル4世の死去の直後、次の後継者として最も有力であったのは王弟ニューラーズ公だった。
彼は7つの地方都市領を支配する7人の大貴族の後ろ盾を得て、第28代目のアルヘイム国王として即位するはずだった。
しかし、即位の直前となって先王の妃であるスヴァリが息子である12歳になったばかりの幼い王子、
イォーズを新王をとして推挙、そのまま強引に即位させてしまったのである。
これにニューラーズ公は猛反発したが、大貴族のうち4人が妃側に寝返ったことで途端に劣勢に立たされた。
この寝返りには4人の貴族たちとニューラーズ公との間に政治上の権限をめぐる衝突があったと噂されている。
また、貴族たちは既に成人し頑迷で自己中心的なニューラーズ公を御しがたいと判断し、まだ幼い王を傀儡として
自らの思うままに政権を握る心積もりでいたのだとも、妃からそれを持ちかけられたのだとも言われた。
これに納得できないニューラーズ公は、自分を後援する残り3人の侯爵と共謀し女王と貴族たちに対すえう叛乱を企てた。
しかしならが、公と貴族たちの持つ戦力では、既に近衛騎士団と常備軍を掌握した貴族たちに対抗できるはずもない。
どう見ても勝ち目はないはずだったが、公には勝算があった。
公は、切り札ともいえる「援軍」を配下の魔法使いに命じて召喚していたのだ。
504 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/21(月) 20:39:32 ID:???
その援軍とは、国外…周辺諸国と手を結んで呼び寄せたものではなかった。
国内の紛争に外国の力を借りれば、後々面倒なことになるのはわかりきったことだ。
ただでさえ、諸外国はスードの温暖で肥沃な土地を奪う機会を虎視眈々と窺っている。
ならば、公はどこに援軍を求め、貴族たちに対抗しようとしたのか?
その答えを、貴族たちは戦場で知ることになる。
近衛軍と常備軍を率いてヴァグリーズの平原へ会戦に赴いた4人の貴族たちは、そこで異様な姿かたちの軍隊を目にすることになる。
見たこともない銃や砲、そして鉄の車を使う、まだら色の服を着た異貌の集団が、そこに待っていたからだ。
505 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/21(月) 20:40:30 ID:???
修道会の本部ヴァルファズル大聖堂は三つの巨大な円錐状の建築物が寄り集まったような形をしています。
この巨大建築物は250年ほど前に当時の国王ガングレイリ2世が命じて建築が始まったもので、
着工してから120年ほど経過した段階で工事が打ち切られ未完成のまま現在に至るといいます。
建築予算が国庫に多大な負担をかけるとの理由から建築途中のまま放棄された西の塔の上部三分の一は、
基礎の骨組みだけという、誰が見ても少しみすぼらしい姿でした。
その西の塔に、私たち「姉妹」の寮は置かれていました。
今日も王都から修道会へ魔法士の援軍を求めるスヴァリ妃の(貴族たちの、というほうが正しいかも知れない)
使者達が大聖堂の城門前広場で開門を求める声を叫ぶ。
ほどなくして人の背丈の3倍はあろうかという巨大な門は開かれ、使者たちは中へと入っていった。
私はそれを寮の自室、南側に面した日当たりのいい小窓から見下ろしている。 最近はそれが、日課になりつつあった。
早駆けの馬で来る使者の一団が大聖堂に来ない日は一日とてなく、彼らが肩を落として帰ってゆかなかった日も未だなかった。
506 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/21(月) 20:41:35 ID:???
異世界軍…ジエイタイを味方につけたニューラーズ公の軍は既に貴族の支配する二つの地方都市領を攻め落とし、
王都まで40里の距離まで迫っているという噂だった。
「姉妹」たちの間では、私たち「魔法使い」が異世界軍と戦うことになるのかならないのか…つまりは、修道会が
貴族たちに援軍を差し向ける決定を行うのか否かという話題でもちきりで、誰もが訓練や勉学に手のつかない有様…
というよりは、噂話や議論のほうに夢中になっていた。
現在のところ、修道会は中立、不介入の立場をとり続けているが、将来的にどうなるのかはわからない。
大聖堂が王都のすぐそばにある以上、この場所も戦争に巻き込まれないとも限らないのだ。
「それは、無いんじゃないのかな」
『緑の姉妹』のスルーズが唐突にそう言ったので、『赤』のミストやお茶を淹れていた『黒』のスケルグが「突然何?」と
でも言いたげげな顔をこちらに向ける。
『緑』に属する感応系の魔法使いであるアルヴィトは、他人の思考を読む魔法に長けている。
彼女は、私が頭の中で考えていたことを読み取ってそれに答えたのだけど、ミストやスケルグにはわからない話だったので、
二人は怪訝そうな顔をしたのだ。
507 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/21(月) 20:42:29 ID:???
「修道会は神聖不可侵な神の家だもの。 修道会に手出しをしたら、国中を敵に回すことになる。
ニューラーズ公がそんな暴挙に出るとも思えないけれど」
それを聞いて、スケルグが「なんだ、その話?」とあきれたような顔で納得する。
私も、いきなり人の思考を読んで話しかけてくるアルヴィトの突拍子の無さには少し呆れるものがある。
いきなり話しかけられた方はびっくりするだろうし、周りで聞いていた人たちもいきなり何を言い出したのか戸惑うだろう。
アルヴィトは、そのあたり天然でデリカシーに欠けているんじゃないかと思える節もある。
「そ、そんなつもりは無いんだけれどなっ…でもその言い方はひどいよっ」
彼女はまた私の思考を読んだけれど、ミストとスケルグには話が伝わってないのでわからない。
スケルグは「二人だけで会話するのやめてくれない?」と溜息をつくし、ミストに至っては何がなんだかわからず、きょとんとしている。
本当はわかっている。 他人の思考が勝手に頭の中に入ってくるアルヴィトは、それが口に出して話したことなのか心の中で
思ったことなのか、区別できない。 耳が聞こえないからだ。
「…で、スヴァンは何を考えていたって?」
508 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/21(月) 20:44:21 ID:???
スケルグがカップにお湯を入れて暖めている間に手を止めて、私を見る。
私の名前は本当はスヴァンフヴィートというのだけれど、ここの「姉妹」たちは前半分だけでスヴァンと呼ぶ。
スヴァンフヴィートというのは御伽噺に出てくる、戦場で戦士たちを導く戦乙女の名前だし、私は自分の名前を誇りに
思っているから途中で切られて呼ばれるのはあまり嬉しく思っていない。
なのに、スケルグや「姉妹」たちの多くは「スヴァンフヴィートだと長すぎるし発音しづらい」と言って抗議しても押し切ってしまう。
だからなんとなく、私はここではスヴァンという名前で呼ばれていた。
でも、別にいい。 仕返しに私もスケルグを、本当は「ゲイルスケグル」という名前だけれど後半だけで呼んでいるから。
スケルグとミスト、アルヴィトの3人は私が修道会に来てすぐに出会って、初めて打ち解けた「姉妹」だった。
それ以来、仲の良い友達として、こうして部屋に集まって話したり、くつろいだり、お茶を飲んだりしている。
本当は、こういうのはいけないのだそうだ。 司祭さまや監督生に見つかれば、叱られる。
姉妹たちは全員が魔法使いで、自分が使える魔法ごとに6つの派閥に分かれている。
当然、寮の部屋の割り当ても分かれていて、念動系「青」の姉妹、感応系「緑」の姉妹、生体系「白」の姉妹、
量子系「黒」の姉妹、時空系「赤」の姉妹、そして特質系「黄」の姉妹という様にそれぞれ色が与えられている。
(ただし修道会に来たばかりの子は「灰色の姉妹」と呼ばれて、しばらくどの系統の才能を持っているのか
観察される。それから系統ごとに色分けされる。 私たちが知り合ったのもこの頃だ)
509 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/21(月) 20:44:59 ID:???
スルーズはさっきの通り感応系。 スケルグは量子系、ミストは時空系で、私は念動系。
来ている修士服もそれぞれの派閥の色で統一されているのだ。
これは、同じ派閥の姉妹同士の結束を高める理由があるという。
そしてやっぱり、派閥の姉妹ごとに対抗心というか競争心みたいなものがあって、普通は違う派閥の
姉妹同士仲良くなったり部屋に集まったりはしないそうだ。
私は、そういうのはよくわからない。 どうして、わざわざ派閥だとか、色だとか、分けて考えて敵対心を
持たなければならないんだろう。
結束を高めるなら、どうせ私たち「魔法使い」は人間社会の中ではごく少数派なのだから、魔法使い同士
差別なく結束しあえばいいのに。
「修道会は私たち魔法使いを集めて、戦力に育て上げている。 私たちは、魔法の力を神様から与えられた力だと教えられ、
みだりに使ったり不用意に人を傷つけたりするべきではないから、力を制御し自由に使えるようにと訓練を受けてきた。
でも、その一方で私たちの力は戦争で使われる。
私たちは敵を傷つけ、味方を癒し、敵の目から味方の姿を隠したり、敵の後方に兵を送り込むのに使われる。
…私たちが訓練を受けたのは、紛れもなく戦争で使われるため。 なのに、どうして今度の戦争では、修道会は私たちを
戦争に使わせようとしないのだろう」
510 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/21(月) 20:45:45 ID:???
私はつぶやくように胸のうちに抱えていた疑問を彼女たちに打ち明けた。
今度の戦争は何かおかしい。 これまでのアルヘイムの歴史の中にも、何度も王位をめぐった争いは起きていたし、
修道会は外国との戦いでも国内の内乱でも、何らかの形で戦争に介入してきた。
司祭様の歴史の講義で何度も聴かされたはずだった。
『修道会は、必ず神の教えと正しい勢力の側を助ける』、と。
スケルグは少し考えるようなそぶりを見せた後、口を開いた。
「修道会が戦争に介入せず中立の立場でい続けるのは…どちらも正しくないと判断したからじゃない?
ニューラーズ公は、貴族の支持の強い王族が王になるというしきたりを無視して戦を起こしたし、貴族たちは
幼い王を即位させて、傀儡にしようと…王権を侵そうとした。どちらにも正統性がないから、どちらの味方もしない。
だから、中立なんじゃない?」
「でもそれなら、両者の間に入って戦争を仲裁し止めさせることも出来る。 修道会には、それだけの発言力があるはずよ?」
511 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/21(月) 20:46:50 ID:???
そう、今の修道会の行動はどこかおかしい。 何か、陰謀めいたものを感じるのだ。
アルヴィトもスケルグも内心ではそれに気づいているので、何か薄ら寒いものを感じて口を閉じてしまった。
ミストだけが、きょとんとした顔をしてみんなを見比べている。
「…ねえスケルグ。 ニューラーズ公が呼んだという異世界の軍隊のことだけど」
私は固くなった雰囲気を払拭するためわざと話題を変えた。
「『黒』や『赤』の魔法において、遠くにあるものを手元に引き寄せる事は充分可能、でもそれはこの世界の中での話しで、
それも私たち魔法使いが感知できる範囲のものだけ。 所詮個人に過ぎない魔法使いの力でそんな事が可能になるの?
平行宇宙から別の世界の人間をこちらの世界に持ってくる、なんて事が」
スケルグは再びちょっと考え込むような仕草をしてから、テーブルの上のカップをひとつとって、ポットの中のハーブティーを注いだ。
「量子系の魔法において、ある場所から別の離れた場所に物体を移動させることは普通に出来る。
物体を構成する分子や、原子、さらにそれを構成する素粒子などを一旦『情報』として分解してから、
別の場所にその『情報』どおりに分子を組み立てて物体を構成させる。
確立論的に言えば、物体がある場所に存在する確立を強制的に0にして、別の場所で100にする、と解釈できる。
平行世界に存在する何かの物体や生物を、何らかの方法で『それを構成する情報』を手に入れれば、
こちらの世界で再構成させることも出来なくはないけど」
512 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/21(月) 20:47:33 ID:???
スケルグがお茶を注いだカップがテーブルの上から唐突に消えて、私の手元に現れる。
量子系魔法によるテレポート現象だ。 スケルグは残り3人分のお茶をカップに注ぎながら続ける。
「ミストのような時空系なら、ある場所と別の場所の空間を任意につなげて、物体を移動させることも出来る。
もしかしたら、平行宇宙の何処かとこの世界をつなげる扉を作ることも可能かもしれない。
でも、どちらの方法を使うにしても…」
ミストが棚の小さな扉を開くとアルヴィトが表情を輝かせる。
いつもはそこは裁縫道具などが入っている小物入れになっているはずなのだが、ミストは冷気の
流れ込んでくる棚の奥から皿に乗ったケーキを人数分取り出し始めた。
何処かの氷室か倉庫と、棚を繋げたらしい。 …これって泥棒になるんじゃないだろうか?
「…魔法使い個人の力で出来る範囲を大きく逸脱している。 もしどちらかの方法で異世界から
軍隊を呼び出したとするならば、複数の魔法使いで召喚を行ったか、異世界との扉を開いたか。
さもなければ…神様の奇跡にでも頼ったのでしょ、と言うしかないわね」
スケルグはそう言って、ミストから苺のタルトの乗ったケーキを受け取る。
私も、剥き身の甘栗の乗ったケーキを受け取った。
どうでもいいけど、ミストはいつも何処に空間をつなげてこんな風にお菓子や果物を取ってくるんだろう。
513 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/21(月) 20:48:30 ID:???
私はミストが一体どこからケーキやお菓子を持ってくるのか少し不思議だ。
ミストは、戸棚や部屋の扉を何処か別の場所とつなげて食べ物だとかお菓子だとか果物だとか、
普段は禁止されていてめったに食べられないものを持ってくる。
この世界、この宇宙のどこかと時間と空間をつなげて、遠くにあるものを手元に引き寄せたり、
逆にこちらから向こうに物や人を送れる能力。
私たちの使う魔法、物理現象に干渉する力は、物体の分子の運動や状態を把握し、
それに干渉・制御することでさまざまな事象を任意に発生させることができる。
でもそれは、自分の知覚する範囲で分子や電子の運動を認識できるからであって、たとえば念動系は
自分の視界内の分子にしか干渉することはできないけれど、
感応系は壁の向こうや地理的に遠く離れた場所にまで知覚するセンサーの範囲を広げられるし、
生体系は生物の体内に干渉することができる。
(ただ、その代わりに生物組織以外のものには干渉できない。 生物限定で干渉することに特化した能力なのだ)
しかし、時間や空間といった物にまで認識能力を拡大し、干渉を行うことができる時空系の能力というのは、
かなり異質な力だといえる。
量子系のように可能性事象や作用量子定数に干渉し、「確立の変動」を行う能力とも異なる。
514 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/21(月) 20:49:23 ID:???
私は、ずっと以前司教様に時空系の能力を使えるようになるにはどうしたら良いのか、と尋ねたことがある。
時間と空間にに干渉するほどの能力を得るには、この宇宙全体、あるいは宇宙の外にまで認識能力を
拡大しなければならない…司教様はそう言っていた。 そして、時空系の能力はその原理が不明確な部分が多い。
それは、もしかしたらこの宇宙全体の運動に干渉を行える能力…なのかもしれないと、付け加えた。
私はそれを聞いて、少なからず落胆した。
その質問をしたのは修道会に来てからまもなくの頃だったけど、私自身の能力の限界というものは既に自覚していた。
だから、私はミストみたいに自分の部屋の扉を何処か遠くと繋げたりすることはできないのだと、理解してしまった。
もし、私にミストの様な力があったら、部屋の扉と生まれ故郷の村をつなげて、あの子に会いに行けるのに。
その時の私は、それが残念で、心残りで、悲しくなって少し泣いた。
私がミストの顔を見つめると、ミストは視線に気づいて「食べないの?」という視線と表情を私に投げかけ
ながら自分のケーキを手づかみて口に入れる。
ミストは、口が利けない。 言葉を話すことができないだけでなく、声が出せない。
失語症、というのだそうだ。
515 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/21(月) 20:50:25 ID:???
私たち魔女・魔法使いの多くは、魔法が使えると周囲の人間に知られたときから嫌悪と侮蔑と畏怖の対象として見られる。
私が両親や大人たちに言われたりされたりした事は、まだ軽いほうらしい。
もっともっと酷い事を、それこそ自殺してしまいたくなるような事をされた子も、修道会には大勢居る…
ミストやアルヴィトも、そんな子の一人なのだ。 なのに、ミストは口が利けないということ意外は、普通の女の子と変わらない。
よく笑って、よくはしゃいで、よく食べて、私たちと、こうして一緒に居る。
スケルグはミストと違ってあまり笑わない子だ。 いつもすましたような表情をしている。
でも、おしゃべりが好きで自分の得意分野の話なら何時間でも話している。
私も、スケルグと量子論や確立の話をするのは好きだ。
時空系が使えないならせめて量子系を、と思ってスケルグに教えてもらったのが始まりだけれど、
未だに私は初歩の確立変動すら使いこなせずにいる。
スケルグは、得意不得意があるのだから、といいつつ理論を教えてくれる。
アルヴィトは勝手に人の頭の中を覗くけれど悪気があってやっているわけじゃないし(彼女自身ではどうにもならないことだし)、
本人はお人好しでいい子だ。
めったに怒らないし、喧嘩もしない。 温和だし、控えめだし、あと少し子供っぽいところもあるけれど、全部含めて好きだ。
だから、この時の私は、気の合う友達に恵まれて、とても幸せだった。
516 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/21(月) 20:51:09 ID:???
私の思考を呼んだのだろうか、アルヴィトが「ねえ」と言い出した。
「もし…戦争になったら、私たちも行く事になるんだよね」
「そうだと思うけど」
「そしたら…私たちみんな、4人で一緒に行けたらいいね」
ミストが頭を縦にぶんぶん振った。
スケルグもティーカップに口をつけてから、小さく微笑んだ。
一人だけ良に居残りになる、あるいは一人しか戦場に行かないというのはごめんだった。
だから、私も同意した。
その後は、みんなで談笑しあったりカードゲームをしたりしながら楽しい時間を過ごして、アルヴィトが同室の子から
監督生が見回りに来る、とテレパスを貰ったので、ミストに部屋の扉をそれぞれの自室に繋げて貰って、
慌しく解散になった。
私たちが戦場に行くことが決定したのは、それから2日後の事だった。
563 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/23(水) 00:16:39 ID:???
2
イォーズ王側(貴族側とも、妃側ともいう)に付いた修道会は早速魔法使いの派遣を決定した。
司教1名・司祭2名と、各姉妹達から選抜された22名(赤青白黒緑が各5名、黄色のみ2名)の魔法使いたちは
修道会領から馬車に乗っていったんオーコールニル領まで出向き、そこで貴族達の軍と合流しホッドミルル領へと向かう。
出発してから6時間、無事合流を果たした4頭立ての8輪幌馬車3台は、貴族達の軍列の最後尾を進んでいた。
軍列は貴族達の保有する私兵や騎士団が順番に連なって遠くから見るとパッチワークみたいになる。
それぞれの所属ごとに軍旗や装備の色形が異なるからだ。 つまり、装備が規格で統一されていないという事。
4大貴族達の鷲・剣・一角獣・菫の旗の他に、王直属の常備軍の旗もあって、これはひときわ派手だ。
列の先頭を進んでいるはずなのに最後尾からでもよく見えるくらい、大きい。 たぶんカーペット一部屋分くらい。
強風が吹けば折れるんじゃないだろうか、という心配までする。
どうやってあんな旗と太い旗竿を立たせたまま旗持ちは歩いているんだろう、と思って、小休止の時に
こっそり見に行ったら、なんと車輪つきの台座に固定して馬に牽かせていた。
常備軍は兵士の軍装も派手だ。 鉄兜じゃなく羽飾りつきのつば広の帽子を被って、腰にはサーベルを差している。
担いでいるのは槍ではなく、マスケット銃。 騎士団に所属する士族と違ってあごひげは生やさず、
手入れした口ひげだけを生やしている。
かれら「銃士隊(マスケッター)」は下級士族で構成されているけど、全身甲冑に身を包んだ上級士族よりも
服装がおしゃれだし、格好いいかもしれない、と思った。
564 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/23(水) 00:17:32 ID:???
でも馬車に戻ってスケルグにそのことを言ったら、「銃士なんて硝煙臭い、口ひげも嫌い」だって。
後で知った事だけど、スケルグは上級士族の家の生まれだそうだ。
だから、自分の家の贔屓もあってそんな事を言ったんだと思う。
夕方、そろそろ野営の準備のために止まるか、という頃になって列の先頭の方が慌しくなった。
前線から伝令が到着したらしい。 どうやらニューラーズ公とジエイタイの軍が、ホッドミルル領を落とし
オーコールニル領との境目まで来ているという知らせのようだった。
今の位置と領境までは2里(約4キロメートル)も無い。
奇襲に備え、すぐさま迎撃体制をとる。 日が沈む前に防御陣地をこの場で構築する事になった。
といっても、その辺の林から木を切り出して柵を作り、物見やぐらを建てるぐらいの事だけど。
私たちも陣地内に天幕を張る。 馬車から木材の骨組みと布を出して広げるのは殆ど女子しかいない
魔法使いには少し重労働だ。
司教様たち3人と、約1名「青」にいる魔法使いが唯一例外的に男だけど。
司教様たちは貴族達の本陣に何かの打ち合わせに行ってしまったし、約1名はいてもあんまり役に立たない。
その約1名はさっき近く(4分の1里もあるけど)の川に水汲みに行かせた。
何か文句を言ってたけど、その辺に落ちてた石を4往復ほど頭にぶつけるように飛ばして追い立てたので
泣きべそかきながら桶を両手に抱えて走っていった。
565 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/23(水) 00:18:26 ID:???
6色の天幕+司教様たち用のベージュの天幕は日が落ちてからようやく組みあがった。
その頃には貴族の兵士達の天幕はみんな組みあがっていて、彼らは食事の準備を始めていた。
私たちがで組みあがりが一番遅かったのは、2人しかいない黄の姉妹。
どの色の姉妹もお互いに作業を手伝いあったりしないし、自分の所が終わった姉妹は司教様たちの
天幕を組まなきゃならないから、互いに押し付け合いになる。
談判するのは各姉妹の代表である「大姉さま」の役目。
私たち「青」のヘルフィヨトゥル大姉さまはこういう時の駆け引きが上手なので、私たちは余分な仕事をしなくて済んだ。
その代わりというか、水汲みに行かせた「約1名」が途中で3度も転んで桶の水を地面と草に「施し」したので
夕食の用意は私たちが一番遅くなった。
スケルグやアルヴィトの黒と緑の姉妹は全員で水を汲みに行ったので早かったのが腹立たしい。
こっちは天幕が組みあがる前から水汲みに行かせたのに。
そして、「約1名」は青の姉妹の残り4人全員にお尻を蹴っ飛ばされた。
アルヴィトやミストはひどい虐めだと言うけど、でも男の魔法使いなんてどこの姉妹の寮でもこんな扱いでしょう?
566 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/23(水) 00:19:18 ID:???
夜半になって斥候を出すことになった。
兵士10名に加えて、青・黒・黄の姉妹達から各1名魔法使いをつけるのだと。
眠っていたところを起こされてみんな不機嫌だった。
青の姉妹は「約1名」に任務を押し付けようと言ったけれど、私は「役立たずに斥候をやらせたらドジを踏む、
あとで貴族や司教様にどんな小言を言われるかわからない」と言って自分が引き受けた。
本当は、「黒」から選ばれるのはスケルグだと知っていたからだ。
スケルグはこういう急な、しかも嫌な仕事が回ってくると率先して引き受ける。
だから、今回もその通りだった。
「冗談じゃないわね、魔法使いを斥候に使うだなんて」
スケルグが私が立つ木の陰に走ってきて呟いた。
修士服の上から着た戦用の外套のフードが鬱陶しいのか、麦色の髪を露にしている。
私は木立の向こうの様子を窺い、気配を探る。 そしてゆっくり慎重に次の木の陰まで走る。
もう一度様子を窺って、手招きするとスケルグはやはり慎重に、足音を殺しながら走ってくる。
「しかも、あの兵士達『ここからは魔法使いを先に行かせる』? 私たちを何だと思ってるの?」
木陰にたどり着くなり、また呟く。 私たちはこういう事を何度も繰り返しながら、兵士達と別れた地点から
暗い林の中を5分の1里(400m)ぐらい進んでいた。
567 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/23(水) 00:19:51 ID:???
今、私とスケルグは「黒」の魔法で敵に発見される確率を可能な限り下げている。
正確に言えば、「敵が私たちを見落とす確率を上げている」。
私たち自身を透明化したわけじゃないから、ごく近く、例えば10歩の距離で隣に敵が立てば、相手は
私たちの存在に気付くけど、もっと離れていれば私たちが立てた足音を聞き逃して、近くにいることに
気が付かなくさせる効果は充分にある。
黒の姉妹の確率変動の魔法はこういう時に使われる。
自分を完全に透明化する魔法もある。 私たちと一緒に来ているはずの「黄」のゲンドゥルは、自分の存在を
完全に相手に認識できなくさせることが出来る。
すぐ背後にいても、正面に立っていても、相手はゲンドゥルに短刀で刺されるまで気が付く事が出来ない。
ただし、私たちにもゲンドゥルが今何処にいるのかわからない。
彼女は彼女本人以外の人間や魔法使いまで透明化させる力は無いから、
私たちはゲンドゥルが私たちについて来ているのだ、と想像するしかない。
もしかして、ゲンドゥルは私たちが見ることが出来ないのをいい事に一人で本陣に帰ってしまっているのかもしれない。
「ねえ、嫌な仕事を私たち二人だけに押し付けて帰ると思う? ゲンドゥルは」
「そのくらいはするのじゃないの? 天幕を組むのを手伝わなかったでしょ、私たち」
スケルグはそう答えた。
568 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/23(水) 00:21:38 ID:???
可愛い栗毛でくせっ毛のゲンドゥルは私たちと仲が良くない。
別に嫌いあってるわけじゃないけど、5つも年下(私とスケルグは同い年、ミストは2つ下、アルヴィトは1つ上だけど)
のゲンドゥルとは特に接点がないし、私たちみたいに灰色の頃に知り合ったわけじゃない。
そうでなくても、6系統の魔法使いの中でも一際異質な部類の「黄」の姉妹とは、どの姉妹でもわざわざ仲良くなろうとは思わない。
彼女達…「黄」の素質を持っている魔法使いは私たちに比べて、とても少ないというのがますます互いに距離を感じる。
「黄の姉妹」は特質系…他の5系統に分類できない特殊な魔法を使う系統で、その魔法の原理には
時空系に次いで、不明な点が多い。
魔法使いは「見えない手」を持っている。 物質を構成している小さな小さな分子や原子、電子や素粒子さえ認識
できて、それらの運動に干渉できるこの能力を修道会では「手」と呼んでいる。
念動系の私は前方の暗闇の中を、視覚に頼るのではなくその「手」で探る。
「手」は意識を向けることで空気を構成する酸素・二酸化炭素・窒素・そのほかの気体の分子、
空気中の微細な塵や植物の胞子、細菌、木立を構成しているセルロース、葉脈の中を流れる水…
そして水を構成する酸素と水素の分子、木の幹や枝や、根元の腐葉土の下に隠れている虫たちや
小さな動物達を構成するたんぱく質や神経を流れる電流、そういったものを触り、感覚として脳に情報を伝える。
569 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/23(水) 00:22:17 ID:???
でも、魔法には向き不向きがある。
全部を感知できるわけじゃないし、ずっと遠くまで見えない手を伸ばすことが出来るわけじゃない。
分子に触れてその運動を干渉・制御できても、不得意なものには満足に力が及ばない。
私は現在、自分の前方100歩ぐらいまでしか「手」を伸ばす事が出来ないし、
生き物の体内にまで触れることは出来ても、血管や神経の流れに干渉して操る事が出来ない。
非生物でも鉱物や金属を空中に浮かせる事は出来るけど、重すぎるものは持ち上げられないし
遠くに運ぼうとすると、「手」が届かなくなって落としてしまう。
ゲンドゥルも、「手」で何かに触れてそれを動かし自分の姿を見えなくしている。
でも、何に触れているのか本人以外には解らないし、本人にしか説明できない。
念動系や量子系と同じくらい特質系の魔法使いが多ければ…観測者が多くなれば知恵を出し合って
触れているものがなんなのか解明して説明が付くようになるのかもしれない。
でも、今は自分の姿を透明に出来るのは修道会にはゲンドゥル一人しか居ないのだ。
私たちにゲンドゥルが触れているものに手を伸ばすことが出来ない以上、私たちがそれを解明する事は出来ない。
少し前(200年ほど)までは、スケルグの量子系もそんな感じだったのだ。
作用量子定数や波動関数に干渉し因果律を操作できるほど「手」を伸ばす事が出来るのは、「黒」の彼女達だけだ。
570 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/23(水) 00:23:21 ID:???
今のところ、「手」は前方に植物と小動物以外の生体を感知しない。
そうこうしながら既に5分の2里は進んだ。 敵の気配なし。 足音もなし。
ただ遠くのほうで獣のような低い唸り声が聞こえる。
「…スヴァン、南部に熊はいた?」
「獅子なら、野生化したのがいるけど?」
大昔、猛獣を飼うのは貴族のステータスだった時代があり、南方のムスペルヘイムから獅子や
虎、豹、象といった獣が多くつれてこられた。
でも飼育が難しいのでやがて廃れて、大抵は処分されたけど一部は脱走したり捨てられたりして
野生化し、時々村を襲う事がある。
今度は遠くで「パタパタパタ」と言って表現したらいいような変な音が聞こえた。
「…スヴァン、兵士達は後ろについてきている?」
「…前方に集中しているから、それはスケルグが確認して?」
571 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/23(水) 00:24:06 ID:???
前を見ながら後ろを見ることなんて出来ないし、「手」は視界の範囲内にしか伸ばせない。
それに、兵士達が私たちと一定距離を保ちながら付いてきているなんて期待してない。
どうせ、別れた位置で焚き火でもしながら…
「スケルグ!」
「戻ろう、スヴァン! ゲンドゥル、もしいるなら付いて来なさい!」
熊か獅子ならいい。 訓練された10人の兵士が獣に遭遇しても追っ払える。
でも、私たちは「敵が私たちを発見しない確率を上げて」ここまで進んできた。
敵は、私たちに遭遇しないで素通りしたかもしれない。
572 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/23(水) 00:24:41 ID:???
「信じられない、本当に火を焚いているなんて」
「手」が生体から流れる体温とほぼ同じ温度の酸化鉄を多く含んだ液体を探り当てた。
焚き火に明々と照らされて横たわる物体は、9つ。 残り1つは何処にあるかわからない。
もう一つ、激しく酸化現象を行う炎に浮かび上がる、唸り声。
車輪は六つ。 材質はほぼ鉄。 車台の一部が熱を持っている。
屋根に付いた大きい何かの台座と細長い棒がこちらを向いている。
見た限りでは、「馬のない、鉄で出来た馬車」にしか見えない。 引き具も御者もいない。
大きさも馬車と同じぐらいしかない。
地面に付いた車輪の轍から、それは「移動してここまで来た」のがわかる。
でも、馬が何処にも見当たらない。
この馬車に乗って、兵士達を殺した敵は何処に行ったの?
馬を馬車から離して? それより、この唸り声は何? 馬車の中に猛獣を閉じ込めているの?
573 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/23(水) 00:25:24 ID:???
「…スケルグ、私たちはまだ、見つかっていないよね?」
「…やってる」
「でも、今、動いたよ…!?」
屋根の上の台座が重たげな音を立てながら、私たちの潜んでいる藪の方向に突き出た棒の先端を向けた。
次の瞬間、細い棒の付け根辺りに光が灯った。
空気を叩く無数の破裂音。 「手」が、高速で飛来する小さな金属の塊を触る。
熱を持っている。 マスケット銃? 思考する間に銃弾は私たちの体に突き刺さるから、反応が追いつかない。
ここで死ぬ。 自分でも不思議だけれど、私は酷く冷静にその事実を認識し受け入れていた。
空気を切り裂きながら無数の銃弾が私とスケルグの周囲を通過する。
一つも私たちに突き刺さらないで、野うさぎよりもずっと早く、葉っぱを突き抜けて藪の向こうに消えていった。
「スヴァン、走って!!」
574 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/23(水) 00:25:58 ID:???
スケルグが私の手を引きながら立ち上がる。
ああ、そうか。 スケルグは銃弾が私たちに当たる確率を操作して、避けたんだ。
走りながら、嫌に冷静に状況を分析している自分を自覚する。
恐怖を感じていない。 自分の脳を「見えない手」で触ると、幾つかの脳内物質が過剰分泌されていた。
極度の緊張と恐怖と興奮で、脳が防衛のために沈静物質を分泌したのが原因らしい。
手を引かれながら、木々を縫って私とスケルグが走る。
唸り声を上げて鉄馬車が追いかけてきた。 木が邪魔してまっすぐは追いかけてこられない。
明らかに鉄馬車は馬なしで自走している。 魔法の技としか考えられない。
私は袖口から短剣をひとつ取り出して、後方へ投擲。 同時に「見えない手」が短剣を空中で掴む。
短剣を鉄馬車に突き立てたけど、予想通り鉄で覆われた車体は歯が立たない。
何度か往復させてあちこち突きまくったけど、短剣がもぐりこむどころか刃の通るような隙間さえ見つからない。
私は短剣を投げ捨て、「手」で鉄馬車の内部を捜査した。 空中を飛んでいた短剣が地面に落ちて
鉄馬車の車輪に踏まれ、折れる。
装甲の内側に狭い空間。 生体が4つ? 5つ? 触れたけど馬車の内部の物質に影響させるほどの
力を私は持っていない。 できたら鉄馬車に乗っている敵の兵士を絞め殺せるのに。
575 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/23(水) 00:26:49 ID:???
鉄馬車が連続した破裂音を鳴らす。 絶対これはマスケット銃じゃない。
私たちの知らない連発式の銃だ。 今度も私の前を走るスケルグが確率を操作して「銃弾が当たらないように」した。
スケルグの息が荒い。 時々後ろを振り向く顔が酷く青ざめている。
怖いんだね。 …スケルグのそんな顔ははじめて見た。
真後ろで何かが倒れる音がして、スケルグが叫んだ。
「ゲンドゥル!!」
黄色い修士服と外套を着たくせっ毛のゲンドゥルがそこにいた。
体温と同じ温度の血を流して地面にうつぶせになる彼女は、体温ごと血を体外に放出させているかのように
急激に温もりを失ってゆく。
駆け戻る数歩の距離が、酷く遠い。
また乾いた破裂音。 でも今度は予め「手」を伸ばして、銃弾の運動エネルギーに干渉、相殺して空中に停止させる。
運動エネルギーと慣性を消された銃弾はそのまま地面に団栗のように落ちた。
スケルグがゲンドゥルを抱き起こす。 彼女の顔は今はスケルグより蒼白だった。
唸り声を上げて鉄馬車がゆっくり近づいてきた。 金属製の扉が開閉するような音。
馬車の後ろと、前に空いた「窓」から兵士が二人降りてきて私たちに銃らしきものを向けた。
576 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/23(水) 00:27:44 ID:???
「Surrender. You.」
ひどい訛りだけど、彼らは私たちアーシル人のフサルク(言葉)を話した。
降伏しなさい、という意味の事を言ったのだと思うけど、発音が違いすぎる。
北部訛りや東部訛りでもこんなに酷くない。 まるでドヴェルフの話すフサルクだ。
『こちらアザミ1、捕虜、3名。 うち、重傷1。 指示を請う、オクレ』
突然彼らが別の言葉を話した。 聞きなれない言葉だった。
意味は全然わからない。 アルヴィトだったら、思考を読んで翻訳するだろうけど。
「…スヴァン、ゲンドゥルがショック症状を起こしてる」
スケルグが囁くけど、どうしようもない。
ゲンドゥルを抱えて3人で逃げる事は出来ないし、かといって、仲が良くないからと、違う色の姉妹だからと、
魔法使いを人間なんかの手に渡すわけにはいけない。
見たところ、服装の異様な模様からして噂どおりなら彼らは異世界兵…ジエイタイだ。
人間は私たちを忌み嫌っている。 ましてや、この世界の生き物ではない異世界兵。
どんな仕打ちを受けるかわからない。
577 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/23(水) 00:28:52 ID:???
異世界兵は一人で誰かと会話をしている。 彼らもアルヴィトのような「緑」の魔法を使えるのだろうか?
時間がない。 このまま放って置けばゲンドゥルは死んじゃう。
戦うしかない。 一瞬の隙を突き、まず外に出たこの2名を殺す。
次に、短剣を念動で操って、鉄馬車の中に送り込んで中にいる兵士も殺す。
それを全部、ゲンドゥルの命が尽きる前にやらなくてはいけない!
スケルグと視線で会話する。 直接攻撃手段を持つ私が前衛、彼女が確率を操作して援護。
色の違う姉妹同士での連携した戦いは滅多に訓練しないけど、なんとかなるはず。
違う。 なんとかしなくてはいけない。
異世界兵が両側から銃を構えて近づいてきた。 後4歩。
鉄馬車からもさらに2人、降りてくる。 後3歩。
この距離だと服と同じまだら色の兜を被った異世界兵の表情が、酷く緊張しているのがわかる。 後2…
「えっ!?」
突然、私は後ろから肩をつかまれて仰向けに引き倒された。
578 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/23(水) 00:29:26 ID:???
赤茶色の天幕の天井が見える。 松明の明かり。
倒れた私を覗き込む、アルヴィトと、頭側から覗くミストのさかさまの笑った顔、そして赤い修士服を着た「赤の姉妹」たち。
私の隣に、ゲンドゥルを抱えたまま同じように仰向けになっているスケルグ…
陣地の、赤の姉妹の天幕の中にいる、と理解するのには数分かかった。
「スヴァン! スケルグ!!」
アルヴィトが泣きそうな顔になって抱きついてくる。
そうか、「赤」の魔法で陣地まで空間を繋げて引き戻されたんだ。
白の姉妹たちの「癒し手」が天幕の中に入ってきてゲンドゥルをまだ呆然としているスケルグから離し、
担架に載せて運んでゆく。
「…その緑の子が突然あたしたちの所に来てね。 ミストの友達だとか、あなたたちが殺されるとか、
捲くし立てるもんだからね。 まあこういうのは、あたしとしては本来賛成できないんだけど、
ミストまで喚き始めるもんだからね」
…腰に両手を当てて呆れたような、怒っているような表情で言っているのは確か…赤の大姉さま、ゲル。
天幕の外で話し声が聞こえる。 片方は司教様で…何か不機嫌そうだ。
もう片方は、ヘルフィヨトゥル大姉さまと「緑」のエルルーン大姉さま。
…アルヴィトがテレパスで私たちの危機を知って、ミストに…赤の姉妹の天幕に助けを求めに飛び込んだから、
それが問題になっているんだと察した。
579 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/23(水) 00:30:21 ID:???
赤の天幕から出ると、司教様と大姉さまたちに睨まれた。
司教様は「話があります」と言ってエルルーン大姉さまと、さっきとは打って変わってしょげ返るアルヴィトを連れて行った。
「懲罰ものかしら?」
そう言ったのは「黒」のランドグリーズ大姉さま。 嬉しそうな口調が少し気に触った。
「緑と赤に借りが出来てしまったものねえ、スケルグ? せめてそのくらいは報われてもらわないと、ねえ?」
…スケルグは項垂れていて返事をしない。
話は聞いていたけど、この大姉様はあまり好きになれそうにない人だ。
でもそれ以上に今は、スケルグは私たちを助けるために規律を破って赤の姉妹のところに行ったアルヴィトの
今後の処遇を心配しているのだろう。
「でも、あなたも私も、姉妹が助かって結果的には良かったのではなくて?」
ヘルフィヨトゥル大姉さまが助け舟を出す。
そう、私はアルヴィトが本陣からテレパスで私たちの思考を読んでいたから助かった。
その代わり、たくさんの人に迷惑をかけることになってしまったけど。
580 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/23(水) 00:31:03 ID:???
「ええそうね、でも、人間の兵士が10人くらい帰ってこないわねえ? まあ人間なんて10人と言わず
何人でも死んでくれてよいけれど、貴族たちや兵士たちはまた何か言ってくるわよ? 益々肩身が狭くなるわあ」
「人間に何か恨まれたり中傷されたりした程度で貴女の誇りが傷つくの?」
「あらあ、私は全然へいきよお? でも「黒」の姉妹は繊細だから、妹達がどんな思いをするか、想像しただけで
悲しくなるわあ。 ねえ、スケルグ?」
…スケルグは今度も答えなかった。 少し震えていた。
ヘルフィヨトゥル大姉さまは私には何も言わなかった。 その代わり、姉妹達の私を責める視線が痛かった。
規律破り。 他の色の姉妹と交流を持った。 助けられて借りを作った。 大姉さまが司教様に監督責任を問われた。
口には出さなかったけど、姉妹達の苛立ちと怒りは身に沁みた。
581 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/23(水) 00:31:56 ID:???
早朝、朝霧が晴れないうちに私は天幕を抜け出して、止めてある馬車の後ろへ向かった。
スケルグは先に来ていた。 彼女もあの後に姉妹達に責められたのだろう、眠れなかったのか目の下にくまが出来ていた。
「…スヴァン。 ゲンドゥルは逃げなかったよね。 消えている間は自分は絶対誰にも姿が見えないから、
あの子は私たちを置いて一人で逃げ切る事も出来た」
スケルグは膝を抱えて草の上に座り込んでいた。
「…そうだね」
「…私、あの時ゲンドゥルに付いて来なさい、って言ったよね? だから、あの子は付いて来た。
あの子は私たちより5歳も年下だったね。 …私たちの5年前ってどうだったか憶えている? 初めて戦いに出たときは?
ギンナル伯を暗殺する任務の時、私は大姉さまの後ろにくっついて、震えていた」
「…私も、グランマル公のご子息を護衛した時は、ヘルフィヨトゥル大姉さまに何度も助けてもらった。
足がすくんで動かない時も、投げた短剣を外した時も」
「…ゲンドゥルも、怖かったんだよ。 だから、私たちについてきた。 でも、私は…ゲンドゥルが勝手に逃げている
とばかり思い込んで…自分とスヴァンしか守る範囲に入れなかった。 …私の所為だ。 ゲンドゥルが、
あの子が死んだら私の所為だ」
582 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/23(水) 00:33:03 ID:???
…他の姉妹たちだったら、きっとこういう事は思わない。
きっと私も、スケルグも、ミストも、そしてアルヴィトも、灰色の頃に出会って仲良くならなかったら、
お互いに助け合ったり部屋に行って談笑したりお茶を飲んだりする事はなかった。
『そのくらいはするのじゃないの? 天幕を組むのを手伝わなかったでしょ、私たち』
最初スケルグはそう言った。 でも、それは本心じゃなかった。
彼女の本心は、いま膝を抱えて泣いているこの姿にある。
嫌な仕事を率先してやるのも、隙を見つけて私たちと合う時間を作るのも、スケルグがこういう子だからだ。
きっと、ゲンドゥルともう一人しか居ない「黄」の姉妹の天幕を組むのにも手伝いに行ってあげたかったのだ。
私はスケルグたちと付き合っているから、他の青の姉妹達のように、他の色の姉妹達と反目しあったりする
気にはなれない。
それはスケルグも、ミストもアルヴィトも同じなのだろう。 だから規律違反をしていることを知られても、私たちを助けた。
そしてスケルグは一際その気持ちが強いのだ。
だから今、ゲンドゥルの怪我の責任を感じて、こうして泣いている。
無力な私は、かける慰めの言葉も見つけられなくて、そっと彼女を抱きしめてあげるしか出来なかった。
672 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/25(金) 21:43:53 ID:???
3−1
その日の朝、再度斥候を出す事になった。
兵士5人の班5つに魔法使い各2名をつけ、ニューラーズ公とジエイタイの陣地の位置を探るのが目的で
私たちは葦毛の馬に跨ってそれぞれの方向へ出発した。
私は今回はヘルフィヨトゥル大姉さまと組んで、斥候班の兵士たちの後に続く。
馬の背に揺られる大姉さまの横顔は何時になく厳しかった。
今後、私が他の色の姉妹と任務で組まされることは、まず無くなると思う。
しばらくの間は単独での任務すら認めてくれない。 直接的な懲罰や謹慎が無いだけましだった。
左右を広葉樹に囲まれた林の中の道は整備された街道とは違って幅が狭く、
陣地から4分の1里の距離まで来た時、先を走る兵士たちが何かを見つけて馬を止めた。
私たちも馬を下りて確認に向かう。 やわらかい土の上に残された、複数の車輪の轍の跡。
昨夜見た鉄馬車の轍とは大きさが違う。
つまり、ジエイタイの別の馬車か、鉄馬車みたいな馬なし馬車が此処を通ったという事だ。
「…別班からの交信が来ました。 4班とも、車輪の轍や足跡をそれぞれの方向で発見。
どうやら昨夜は馬車と思しきものが4つ、スヴァンが見た鉄馬車が二つ、片側の車輪だけで走る奇妙な
車が複数、陣地の近くまで来ていたようね」
673 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/25(金) 21:44:26 ID:???
今回斥候班と同行する魔法使いは緑と他の色の姉妹のペアで、テレパスによる交信ができるようにしている。
大姉さまは青の姉妹だけど、受信だけは出来るから私の監視も兼ねてこのペアになった。
「本陣の位置はバレてるって見たほうがいいと思うけど? 引き返したほうが良くなくて?」
「だまれ、魔女。 敵の位置を発見せずにおめおめと帰れるか」
「帰りたいなら帰れよ。 魔法で空を飛べるんだろ?」
大姉さまは人間達の悪態に小さくため息をついた。
兵士達の言葉と、鳥みたいに両手を羽ばたかせる半分おどけた仕草には明らかに悪意と侮蔑が混じっていた。
彼らが『命令じゃなきゃ、呪われた奴らと一緒になんか居たくない』と思っているのはアルヴィトじゃなくても
充分伝わってくる。
彼らは私たちを人間扱いしない。 魔法使いは人間には無い異能の力を持つ化け物だ。
その代わり、魔法使いもあえて彼らを「人間」と呼ぶ。
アールヴ族が人間をリーヴと呼ぶのと同じ感覚で、両者は違う種類の生き物だとして扱う。
でも、大姉さまは彼らと同じアーシル人から産まれた。
私は黒髪のヴァニール人。 人間の父と母から生まれたのに、どうして人間と魔法使いはまるで
違う生き物として互いに恐れたり憎んだりするんだろう?
それに、人間達の魔法に対する無知と無理解もわからない。
魔法は人間が道具を使って火をおこすのと根本的には変わらない。
彼らは火打石、私たちは「見えない手」を使う。
私たちが認識している物も、人間が見ているものも、物質の現象という点では全く同じだ。
ただ魔法使いは、人間より感覚器官が一つ多いか、あるいは目がよく見えてよく触れるだけ。
修道会ではそう習う。
674 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/25(金) 21:45:31 ID:???
「…何か音が」
兵士の一人が聴覚で大気の振動を捉えたらしい。
その場にいる全員が一斉に耳を澄ます。
何の音だろう。 今まで聞いた事が無い音。
しいて言えば…あの鉄馬車の唸り声にも、似ていなくも無い。 全く違うけど。
別の兵士が頭上の木の枝葉を見上げた。 正確には枝葉の隙間から見える空。
眉間に思いっきりしわを寄せて、狭い切れ切れの空を睨んでいる。
音が近づいてくる。 上から聞こえる。
一体、何?
「鉄トンボだ!!」
誰かが叫んだ。 枝葉の間から見える黒い影が空を横切る。
私は思わずそれを追いかけて走った。
密集した樹林の中をめ一杯手を伸ばすように広がった枝が邪魔してよく見えない。
それは騒音にも近い恐ろしい唸り声を上げて、鳥のように空を飛んでゆく。
わたしたちは今、その真下にいる!
675 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/25(金) 21:46:26 ID:???
木の生えていないぽっかりと空いた空間にでた。
その部分だけは青い空が覗いていて、遠ざかる飛行物の姿が見えた。
細長い体の上部で、恐ろしい速さで回転する風車。
そのシルエットは確かに、トンボにも見えなくも無い。
草と枯れ枝を踏む音。 大姉さまが追いかけてきたのだと認識した。
「…陣地の方向です」
「ええ。 ………引き返しましょう、スヴァン。 本陣が攻撃されたそうよ」
それだけ言って大姉さまは外套の裾を翻して林道の方へ戻っていった。
676 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/25(金) 21:47:00 ID:???
陣地は柵が倒れ、天幕が燃え、あちこちの地面がひっくり返され状態で燻っていた。
倒れた兵士達の間から無数のうめき声が聞こえる。 まるで、大砲の直撃でも受けたみたいだ。
片手や片足の無い兵士が大勢いて、比較的無事な兵士は救助と手当てに奔走している。
と同時に、別の兵士達が天幕を片付けて馬車に運び入れているのも見えた。
「青・黒・緑の姉妹に軽傷各1名、赤に死亡1名、白の姉妹はよりによって「癒し手」が2名重傷…。
黒で未来予測が出来る子が全員偵察に出ていたから退避ができなかったよ」
ゲル大姉さまが吐き捨てるように言った。
ご自分の色の姉妹から死者が出たのでその表情は苦渋に満ちている。
私と目が合うと、「ミストは生きてるから、安心しな」と視線で言った。
ミストが無事だったのは幸運だったけど、私はアルヴィトが気になった。
本陣に残っていて負傷した「緑」とは、謹慎中のアルヴィトだったからだ。
でも、私もスケルグもアルヴィトの様子を見には行けない。
仮に天幕の前まで行けても、中に入るのまでは許可してはもらえないだろう。
677 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/25(金) 21:47:33 ID:???
ヘルフィヨトゥル大姉さまは司教様と、上級士族の将校らしい人を交えて何か言い争っている。
「今までの交戦結果からして、ジエイタイは大砲車を出して攻勢に出ると予測できる。 すぐに陣地を放棄し、
後方にもう一度、今度は強固な防御陣地を築く。 今すぐ此処を引き払う準備をせねばならん」
「これだけ大勢の怪我人を抱えてですか? しかも癒し手もいない。 動かせば死ぬ者もいる」
「残念だが負傷者は半数以上を見捨てる」
「…何故、敵の手がわかっていたなら眼前で陣地を構築するような真似をなさったのです。
砲撃が来ることも予見していたのでしょう?」
「伝令が到着した時点で引き返し始めれば夜になって、行軍できなくなる。 日が落ちてからでは陣地構築が
さらに遅れる。 せめて敵の位置を知るために斥候を出したのだが、帰ってきたのは魔法使いだけだったな?」
大姉さまは何も言えない。 司教様は難しい顔をして大姉さまをちら、と見た。
司教様は兵士達との交渉・調整役のみ。 大姉さまたちには軍議に口を挟む権限は無い。
でも、思う。 もう少し、敵に対する情報を与えられていたら。
斥候に出す人選だって、陣地の守りに割り振る人選だって、被害を少なくするものに出来たかもしれない。
人間達の軍は私たちに「要請」という形で大まかな命令を出すだけだ。
もっと、作戦立案の時点で魔法使いの代表が会議に参加して、連絡を密にするようにすれば、やり様はあるのに。
でもそれは、私達の方にも歩み寄りが必要なのだ。
678 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/25(金) 21:48:06 ID:???
私の隣にスケルグが立った。
ゲル大姉さまがそれを見ても何も言わなかったので、気がつかない振りをして黙認してくださった事になる。
スケルグは「アルヴィトは足を怪我しただけだから、心配しなくていい」と小声で告げた。
多分、アルヴィトと同室の、私たちの関係を知っていて黙ってくれたり、監督生の見回りのときに教えてくれる
子から聞いたのだと思う。
私はスケルグの手を握れない代わりに、彼女の修士服の袖をそっとつまんだ。
679 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/25(金) 21:49:20 ID:???
結局、軍は10里後退してオーコールニル領ヴェンド市に隣接した砦に篭城する事になった。
伝令が王都まで走った。 増援を要請するためだけど、聞けば貴族たちの軍はもう既に4度ジエイタイと戦い、
敗れているという。
王の直轄常備軍まで持ち出したのは敗走続きで戦力が決定的に不足しているからだったのだ。
平民や農民から兵士を徴募するにしても、訓練不足では烏合の衆にしかならないはず。
つまり、実質今いる戦力以上の増援が来る期待はしてはいけない。
ヴェンド市に引き返すのも、すんなりとは行かなかった。
鉄トンボが何度か頭上を飛ぶのを見た。 あれはつまり、斥候だと思う。
その証拠に、鉄トンボが飛んだ後は砲撃を受けた。
敵の大砲は、常備軍が持っている大砲より遥かに射程が長い。
普通、大砲の射程距離は2分の1里(約1キロ)。 マスケット銃で10分の1里(約200m)。
なのに丘の上に上って見ても、平原と森が続くばかりで敵の火砲陣地が見えない。
680 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/25(金) 21:49:52 ID:???
そのうちに、殿から異世界軍の追撃の報告が入る。
彼らは恐ろしく早い。 殿は瞬く間に追いつかれて全滅した。
軍列の本体は主要街道から脇道に入り、地形と森を利用しながら小隊ごとに分散して振り切った。
ジエイタイはニューラーズ公の軍と行動をともにしているけど、公の軍勢は私たちと同様、馬と馬車で移動しているから遅い。
公の手勢は歩兵が中心なので、尚更遅い。
ジエイタイは彼らをおいて先に行けない。 補給面が続かないらしい。
だから、うまく逃げおおせた。 常備軍と貴族の兵の大部分が騎兵化されていたのも要因の一つだけど。
後で地図を見ながら彼我の距離関係を確認して、冷や汗が出た。
私たちはあと5分の1里で追いつかれた時さえあったのだ。
負傷兵を置き去りにし、退却途中にも落伍兵を見捨てて行ったのは正解だったのかもしれない。
退却途中で分散した部隊は昼ごろにはほぼ全てが砦で合流した。
幾つかの部隊が、はぐれたのか追いつかれたのか…それとも降伏したのか、来なかったけど。
大部分の部隊はそろったので、指揮官は市の手前4分の1里にあるグンスロー川にかかっている橋を落とした。
これで、上流か下流に大きく遠回りをしない限り、簡単に渡河は出来なくなったはず…
681 名前: 「WORLD ALL」 2005/11/25(金) 21:50:24 ID:???
夕暮れ前に砦の見張り台に上ったら、またあの鉄トンボが2匹、遠くの森の上を鳶のように旋回しているのを見た。
砲撃は無かった。 ジエイタイとて弾薬は惜しいはず。
火薬はロガフィエルから輸入している貴重品だ。
銃士と敵弾兵と砲兵で構成され火砲化されている常備軍とて、贅沢な使い方はそうそう出来ないのだから。
日暮れ前に砦の酷く狭い会議室で軍議が開かれた。
今度は魔法使いも呼ばれ、参加した。 各色から大姉さまたちが6名と、司教様。
軍の方の指揮官や参謀と合わせると、30人くらいが8畳くらいの窓の小さいくらい部屋に押し込められて
なにやら長い間話していた。
大姉さまたちが軍議に呼ばれている間、私たちは砦のこれまた狭い中庭に天幕を張って待っていた。
白の姉妹の負傷した癒し手たちの容態は、思わしくない。
一刻も早く修道会に戻すべきだ、と白の姉妹達は言ったけど、二人の司祭様は司教様が戻るまで、というばかりだ。
修道会に戻れば癒し手がいる。 彼女達に代わって新しい癒し手を呼ぶベきでもある。
でも司祭様はしょせん司教様の補佐役、小間使いだ。
何を言っても埒が空かない。 自分達に権限が無いとか司教様に聞いてみないととか。
それに、司教様も司祭様も、結局は人間だ。
820 名前: 「WORLD ALL」 2005/12/02(金) 23:52:06 ID:???
3−2
司教様と大姉さまたちが戻ってきて、すぐに負傷者を修道会に後送する指示が出た。
白の癒し手2人と、グンドゥル、アルヴィトの他、負傷して従軍の足手まといになる子は全員戻る事になる。
でも、交代要員の魔法使いは来ないとのことだった。
司教様は理由を教えてくれなかった。 砦には貴族の兵たちの負傷者も多い。
せめて癒し手だけでも増援を送ってくれればよいのに。
貴族たちとの軍議の後は魔法使い達が集められて会議を行った。
前線に残った魔法使いは20名。 青・赤・緑・黒が4名ずつ、白が3名、黄が1名。
ゲル大姉さまが貴族たちとの話し合いで決まった作戦要綱を説明した。
「貴族軍は度重なる敗北で、もう後がなくなってる。 此処で巻き返しを図らないと、負けちまう。
本当はこうなるもっと前に有効な手を打っておくべきだったんだろうけど」
「軍の指揮を取ってるのは政治しか知らない貴族様だものお。 まともな戦争なんてできっこないわあ」
口を挟んだのはランドグリーズ大姉さま。
そう、貴族軍の指揮は貴族たちが執っている。
常備軍も貴族の私兵も、名目上の統帥権は王や貴族にある。
でも通常は、軍を構成する士族たちに前線の指揮権が与えられている。
上級氏族が下級氏族を、平民や農民の兵士を指揮し、軍を組織している。
ただし、王または貴族が自ら前線に出て軍を統率する場合は別。
現場の指揮権は王・貴族に明け渡される。
821 名前: 「WORLD ALL」 2005/12/02(金) 23:52:52 ID:???
「普通なら戦の指揮は士族の指揮官に任せて貴族は本陣で座るか騎乗して見ているんだけどお。
ニューラーズ公は軍事の才能もおありじゃない? ご自分の兵はご自分で指揮を執られるしい。
余計な対抗心燃やして張り合おうとしたからあ、こういう事なるのよお」
ニューラーズ公が当初、貴族たちの絶大な支持を得たのは軍事・政治両面で傑出した才能を見せたその手腕にある。
ただし、有り余る才能は羨望とともに嫉妬をも買う…
「…で、公爵軍は異世界兵と行動をともにしている。 異世界兵は火力・機動力ともに貴族軍を遥かに凌駕しちゃあ
いるが、補給面を公爵軍に頼っているらしく、進軍速度は遅い。 此処に付け入る隙がある。 聞きな!
公は異世界兵をうまく使って自分の私兵は毛ほども損害を出しちゃいない。 が、異世界兵がいなけりゃあ、
公爵軍は殆どが傭兵の集まりで、数もそんなに大したことは無い…なら、異世界兵さえなんとかすりゃあ、
あたしたちにも勝てる見込みは出てくるってわけさ」
貴族軍との共同作戦要綱は以下の通り。
1・公爵軍と異世界兵の補給線を立つため、魔法使いを使って敵の後方に兵を送る。
2・無防備な後方から奇襲を行い、さらに敵を分断。 糧秣を焼き、大砲陣地を破壊する。
3・帰還は所定の場所に集合し、再び魔法使いを使って戻る。
その前段階として、赤の姉妹を中心とした魔法使いの部隊を敵後方に潜入させる、というわけだった。
「連絡要員として本陣に緑の1名と、空間転移の出入り口を作るために赤の1名を残して、今回は全員が
後方に潜入する。 …魔法使いの手が足りないが、増援や交代要員の事を今更言っても仕方ないさ。
作戦開始は夜明け前。 各自休息を取っておきな。 じゃ、解散」
822 名前: 「WORLD ALL」 2005/12/02(金) 23:53:29 ID:???
天幕を出てゆく姉妹達の顔色は様々だった。 緊張で表情をこわばらせているのは、実戦経験の少ない子だ。
同じように酷く不安そうにしている白の子たち。 彼女達は普通なら、後方で待機している。
黒の子たちは自分らの天幕の前でなにやら深刻そうに話している。 スケルグがわたしをちらりと見た。
作戦の重要性がわかっているのかいないのか、要であるはずの赤の姉妹の…ミストは能天気そうに明るい顔で、
同じ赤の子に呆れられている。
妙に無表情、特に何も感じる事の無いというように平静を装っているのは緑の姉妹達。
姉妹同士で会話すらしない。 ただし、テレパスでは話しているのかもしれない。
青の子たち、私を除いた2人も実戦の経験も少しはあるので馴れたものだけど…
例の「約1名」は男の癖に酷く怯えていた。
貴方もう14歳でしょ、男ならしゃっきりしなさい、とだけ言った。
本当はお尻でもぶっ叩いてあげたいんだけど、偵察に出た夜の一件以来、姉妹の中でのわたしの立場は弱い。
ヘルフィヨトゥル大姉さま以外は私を軽く無視することが多い。 …ずっと後を引くことになるかもしれない。
その夜は、よく眠れなかった子が多かったと思う。
私がそうだったし。 スケルグも多分そう。
眠ろうとするたび、あの夜に出会った鉄馬車に再び追い回される事を想像して、明かりを消した天幕の隅で震えた。
823 名前: 「WORLD ALL」 2005/12/02(金) 23:54:15 ID:???
広葉樹と針葉樹の入り混じった木々の密度の濃い森の中を、私はヘルフィヨトゥル大姉さまと並んで歩いていた。
私の後ろ、50歩ぐらい離れてスケルグとランドグリーズ大姉さまが歩いている。
そのさらに後方に緑と白と黄の姉妹達を連れたエルルーン大姉さま。
残りの青と黒と赤の姉妹たちはゲル大姉さまに率いられて30歩ぐらい先を歩いている。
グンスロー川の下流を目指して、もう6里は歩いただろうか?
距離と位置が正しければ、地図上ではあと半里ぐらいで、浅瀬に架けられた橋にたどり着く。
異世界兵や公爵軍の斥候が橋に先に来ているといけないので、ゲル大姉さまが黒の子2人に指示して
偵察に向かわせた。
「偵察が戻るまで、小休止」
姉妹達はめいめいにその辺の切り株や木の根や手頃な石に腰を下ろし、携帯糧食で遅めの朝食になる。
硬いパンはナイフで削らないと、とても噛み千切れたものじゃない。
噛んでいると上下の顎が痛くなってくる。 だから嫌い。
携帯糧食には干した肉もあるけれど、これは匂いが嫌い。 何の動物の肉なのか解らないところも嫌い。
せめてバターを塗ったりお茶を沸かしたり出来ればもう少しまともなのだけれど、敵が近くにいるのかいないのか
わからない状態で炊煙を上げれば、危険なことだ。
824 名前: 「WORLD ALL」 2005/12/02(金) 23:55:07 ID:???
「…蛇とかも捕まえて食べた事もあったのよお? 兎ならごちそうだわあ」
黒の姉妹達に囲まれて、行軍中の食事の講義をしているのはランドグリーズ大姉さま。
…意外に野性的な経験をしてきた人らしい。
言っては失礼だけど、そういうのはゲル大姉さまが似合うと思う。
ランドグリーズ大姉さまは物言いや仕草が貴族のお嬢様みたいで、ゲル大姉さまは男勝りの姉御って思っていた。
だから、そんなランドグリーズ大姉さまが蛇なんて食べるところなんてとても想像できないし、
逆にゲル大姉さまが2里ほど前の地点で樹の上から落ちてきたカエルにびっくりして「うひゃあああ」とか
叫んだのにはこっちが余程驚いた。
それに、ランドグリーズ大姉さまの話に聞き入っているスケルグたち黒の姉妹はとても楽しそうだ。
…最初は嫌な感じの人だと思ったけれど、姉妹達には慕われているんだろうか。
「ランドグリーズは、あれで結構いい子なのよ?」
私の心を見透かしたように、隣に腰を下ろすヘルフィヨトゥル大姉さまが言った。
他の青の子達は離れたところに固まっている。 私への無視と言うか裏切り者への報復はまだ続いていた。
白と緑の姉妹たちも一塊になって、やはり距離を置いている。
「…スヴァン、あなたの気持ちもわからないでもない。 あなたにとってのスケルグやアルヴィトやミストは、
私にとってのランドグリーズやエルルーンみたいなものだから」
825 名前: 「WORLD ALL」 2005/12/02(金) 23:55:53 ID:???
「大姉さまに…とって?」
私が訪ね返すと大姉さまは静かに微笑んで、他の姉妹達に聞こえないように小声で話し始めた。
「あなた達ほど仲良くはないかもしれない。 でも、やっぱり私たちも、色分け前の灰色の頃に会って、
そのときから親しくなった。 …表向きは、別々の色の姉妹同士、馴れ合うことはしないけど。
でも、大姉の立場や仕事上、顔をあわせる事は多いから、誰も見ていないときには友達のように話す」
それはとても、多分一番意外な言葉だった。 大姉さまたちが、私たちと同じように「規律破り」をしていたなんて。
「戦場では任務で一緒になることもあった。 助けられたことも助けたことも、数え切れないくらいある。
でも、私たちの関係は誰にも知られてはいけないから、時には見捨てるような判断もしなくちゃいけなかった。
3人とも承知の上でのことだから、仕方ないと諦めてはいるけど。
本当は、あなたたちの規律破りなんて、ずっと前に大姉たちは知っていたのよ?
緑は心を読めるし、黒や赤は空間転移の痕跡を観測できるから、秘密にしててもすぐばれる。
その上、あんなに大っぴらに何度も同じ部屋に集まっていれば…黙認したのは、姉妹の古株は皆、
似たような経験があるからなの」
大姉さまの口から語られる驚愕の事実の連続。 言われれば、確かにうかつだった。
修道会の寮内であんなに魔法を使っていたんだもの、魔法使いだらけの場所で気付かれないはずは無い。
私たちだけが、秘密で隠し通しているつもりだった。
それでも、何も言わないでくれた大姉さまたち。
826 名前: 「WORLD ALL」 2005/12/02(金) 23:56:30 ID:???
「…でも私たちがいくら隠して庇って、寮の姉妹達に知られないようにしてあげた所で、いつかはばれる。
この間みたいなのがいい例。 アルヴィトは貴方達を助けたかった。
でもそれは、本来するべきでないこと。 他の全ての姉妹達に秘密を持つ以上、絶対に知られてはいけない。
アルヴィトはあなたたちを見捨てるべきだった。 なぜだかわかる…?」
「どうして…ですか」
「貴方達が自由に会えるのは、ミストが空間転移を、スケルグが量子テレポートを使えるから。
でも、誰にも見つからずに部屋を自由に行き来できる魔法を使える子は少ないし、できるのにやらない
子もいる。 会いたくても会えない子だっている。 貴方達と同じように、違う色の姉妹と仲良くなって、
友達と会いたい思っている子はどのくらいいると思うの? 血を分けた実の姉妹で、色が別々になって
離れ離れになっている子だっている。 その子達は、親しい人に会えない現状に我慢して規律に従っている」
…そうだったのだ。 私たちはさも当然のように規律破りをして定期的にそれぞれの部屋に集まって談笑したり
していたけど、そうでない子達のほうが大多数なのだ。
ミストと同じ魔法が使える赤の姉妹達。 スケルグと同じ黒の姉妹。 自分を透明に出来るゲンドゥル。
壁を通り抜けられる魔法を使える子や、緑の姉妹じゃないけどテレパスを受信できる…ヘルフィヨトゥル大姉さま
見たいな子だっている。
その子たち全員が規律破りをしているわけじゃない。 大人しく、ちゃんと規律に従っている子の方が多いだろう。
827 名前: 「WORLD ALL」 2005/12/02(金) 23:58:56 ID:???
「誰かが規律破りをすれば、他の姉妹全員に示しがつかない。 任務中に私情を挟むなんて持っての他。
ばれない程度なら、私たち大姉も黙認できる。 でも度が過ぎれば、公にしなくてはならなくなる。
…これからは、必要以上に他の色の姉妹と馴れ合ったりしないこと。 するなら本当に誰にも知られない所で。
わかったわね?」
「でも…でも、大姉さま、規律って、一体何のためにあるんですか? 友達を見捨てなきゃならないほど、
重要なものなんですか?」
私は反論代わりにずっと前から思っていた疑問を大姉さまにぶつけた。
そもそも規律さえなければ、姉妹達は好きなときに好きな子と会って、楽しく出来るのに。
大姉さまは難しい顔をして、私に言った。
「…規律は、私たち姉妹全員を守るために必要なの。 私たち魔法使いは人間に嫌われていると同時に、
恐れられてもいる。 魔法使いが人間の社会を脅かすのではないかと何時も疑われている。 だから、
人間達は私たち魔法使いを迫害する一方で、修道会に集めて教育と組織化、つまり洗脳を行った。
魔法使いを特別な存在という意識を植え付けて、心を掌握し従わせるために。 魔法使いは神に祝福された
存在だと言う教えはそのため。 外で迫害され、修道会で自己の存在を肯定される。 これほど効果の高い洗脳は無い」
「でもそれだけでは人間たちは不安だったから、魔法使い達を結束させないようにした。 各系統の色ごとに
グループ化し、それぞれに競争心や敵対心を植えつけて、反目させ団結させないようにした。
魔法使い同士が争っていれば、人間の脅威には成りにくい。 全て私たちを飼いならして上手く操作するためなの。
私たちは、それに従って折る振りをしている。 そうしている間は、人間達は私たちを飼っているつもりでいる。
修道会の教えに従い、規律に従い、司教様たちに従い、服従しているように振舞う事で、私たちは自分の身を守っている」
828 名前: 「WORLD ALL」 2005/12/02(金) 23:59:38 ID:???
愕然とする。 同時に、合点が行く。
なぜ、外にいた頃にはあれだけの仕打ちを受けたのに、修道会に来てからは司教様の言葉は父様や母様たちと
全く逆で、あんなに優しく言葉をかけてもらったのか。
なぜ姉妹同士は反目しあっているのか。
全ての答えがそれだったのだ。
「魔法使いは人間に比べて圧倒的に数が少ないし、体格でも体力でも劣る女性の比率が多い。
どんなに私たちが異能の力を振るおうとも、正面から戦争を挑んでは絶対に勝てない。
それが、規律を守る理由なの。 規律は私たちを守るための楯。 姉妹達を守る楯というわけ」
「小休止終わりー!」
ゲル大姉さまの声が響き渡って、皆が立ち上がる。
偵察に出た子たちはいつの間にか戻ってきていたようだ。
ヘルフィヨトゥル大姉さまは外套の裾を手でたたきながら立ち上がって、その話はそこで終わりになった。
「予定通り橋を渡り、脇道から迂回して後方へ潜入する。 気を抜くんじゃないよ!?」
再び行軍が始まった。 敵の後方への道は、まだずっと遠い。