729  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/02/06  23:31  ID:???  

>>718  
「ダッシュボードを開けてください」  
徳田の言葉に頷いた征司郎は、おもむろにダッシュボードを開いた。  
中に手を突っ込み、シルバーメタリックのパームトップ・パソコンを取り出す。  
パソコンのコネクタにはケーブルが接続され、その一端はダッシュボードの奥に続いていた。  
小さな、軽い端末を膝の上に置き、ディスプレイを開くと、すでにアプリケーションは立ち上げ  
られていた。  

ディスプレイには、CGソフトを使って作成されたと思しきキャデラックの立体画が表示されており、  
その脇にはいくつかアイコンが縦に並んでおり、それぞれにアルファベットとカタカナを使った名前が  
つけられていた。  

このような世界にやってくるはるか以前に、徳田からこのアプリケーションについてレクチャーを  
受けていた征司郎は、迷うことなくキィボードを駆使して一番上のアイコン「Sマイン」にカーソルを  
合わせ、リターンキィを押し込んだ。  
ある意味粗雑とも表現できるキャデラックの立体画、そのボンネットとトランクの上面、そしてバンパー  
の下部に目の粗い方眼が走り、同時にチェッカーフラッグのような赤い市松模様がその方眼につけられた。  

振動と衝撃が絶え間なくキャデラックをゆすぶる中、征司郎はまったく動じる風も無く、さらに  
ブラインドタッチでキィを操作して、方眼に着色された赤い正方形の数をボンネットに4つ、トランク上面と  
バンパー下部に合計8つ残るように調節し、こちらを窺う徳田に頷いて見せた。  



730  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/02/06  23:32  ID:???  

>>729  
「じゃ、まずはバックします。隙間が出来たら正面に突っ込みますので」  
銜え煙草の唇をほんの少し歪めた徳田は、昼飯のメニューを選ぶかのようなごくごく気軽い口調で  
征司郎に告げる。  
「始めるぞ」  
表情を引き締めた征司郎は、立体画の脇に現れた3つのボタンの一番下「back」を睨みつけ、  
該当するキィを押し込んだ。  

かこここん。からからからから、かたん。  

車体後部に取り付き、キャデラックに打撃を加えていた蜘蛛人間の群れは、奇妙に軽い小さな  
金属音をその"耳"に捕らえた。  
隙間無く密集する中、身体を動かせるスペース-リアウィンドウ及びトランク上部に陣取る幸運な  
蜘蛛人間の一部は、わずかに身体を傾斜させ、瘤の上に開く一つ目を音の発生源に向ける。  

先ほどまで平坦な金属板にしか過ぎなかったトランクの上面に、4つの四角い穴が発生していた。  
どうやら、あらかじめトランク上面に開けていた穴を塞いでいた鉄板が、ストッパーを解除されたこと  
によって外れ、穴の周囲に取り付けられたレールを伝ってトランクルームに滑り落ちたらしい。  
よく見れば、穴から2センチほど奥に、円筒形の何かが、厚さ5ミリ前後の二重同心円状の断面を  
わずかに傾がせて鎮座している。  



731  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/02/06  23:32  ID:???  

>>730  
虫の鳴き声にも似たモーター音が穴から響き、その茶筒状の何かは、にゅうっと先端をトランク上面  
に突き出した。  

ほぼ同時に、バンパー下部から、全く同じ形の円筒が、こちらも4つ、同様のモーター音と共に車体  
後部へせり出してきた。  

蜘蛛人間どもは、不意に訪れた標的の異変に一時、驚いたかのように身じろぎをする。  
しかし、生来の攻撃本能がその異変に対する警戒をあっさり上回った異形のものどもは、たちまち  
その8つの円筒に対して猛然と挑みかかった。  
もっとも早く反応した蜘蛛人間が、その鋭い牙を円筒につきたてようとした時。  

8つの円筒から爆発音が轟き、その勇敢な蜘蛛人間に、そしてその周囲にいた全ての蜘蛛人間に、  
円筒の奥から撃ち出されたボールベアリングが襲い掛かり、一瞬にしてトランク上面とリアバンパー  
付近に陣取っていたその勇ましくも哀れな化物どもをずたずたに引き裂いた。  


732  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/02/06  23:36  ID:???  

158でございます。  

>>726-728さん  
私は今、心から猛烈に感動しています。  
このスレに駄文をアップさせていただくようになってから、今まで続けてきてよかったと、  
本当にうれしく思います。  

とりあえずきりのいいところ、ということで、ここまでアップさせていただきました。  
続きにつきましては、これからすぐに可能かどうかは微妙ではございますが、  
できればアップさせていただければ、と思っております。  

ただ、このスレはほかに多くの職人さんが辣腕を振るっておられますので、そうした  
方々の邪魔にならないように、留意しながらではございますが。  


733  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/02/07  00:20  ID:???  

>>731  
連続した爆発音と閃光、それがキャデラックの後部を過ぎ去った時、蜘蛛人間どもにとっての  
地獄が出現した。  

黒塗りの外国車を埋めたてんとばかりに群がり集まっていた蜘蛛人間、そのうちトランク上部と  
リアバンパーに殺到していたものどもが、まるで駆虫剤を散布されたかのように、巨大な見えざる  
神の手によってはたかれたかのように、爆発が発生した部分から弾き飛ばされる。  

だが、それをなしえたものが薬剤でも神の手でもない証拠に、弾き飛ばされた蜘蛛人間どもは  
どれ一つとしてまともな形状を保っていなかった。  

四肢をそれぞれ、あるいはまとめて吹き飛ばされたもの。  
コンマ数秒前には猛々しい口があったはずの前面が、抉り取られたかのように失われたもの。  
おそらくは、円筒の真上に位置していたのであろう、口も四肢も健在ではあったが、胴体中央に  
大穴が開き、その上に存在していたはずの瘤と一つ目が根こそぎ消え去ってしまったもの。  

いずれも、その断面をどす黒い血で染め上げ、着色した蛆虫にも似た筋肉や臓物を一杯に  
溢れさせながら、常世の境界線を全速力で突っ切っていこうとしていた。  

生き残った蜘蛛人間どもが一瞬にして訪れた戦局の急変を察知するより早く、今度は  
ボンネット上面に4つの爆発が発生し、先ほどと同様、そこに取り付いていたものどもを  
一掃してしまった。  

そして、キャデラックのボンネットと後部が剥き出しになり、わずかな隙間が生じたその瞬間を  
見計らったかのように、キャデラックのエンジン音-それは奇妙なことに、車体の中央から轟いていた  
-が野獣のそれを思わせる怒号の音量を一挙に跳ね上げ、唐突にバックを開始した。  


734  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/02/07  00:21  ID:???  

>>733  
突如訪れた破局に五感を完全に鈍らせていた蜘蛛人間どもは、標的の逆襲に全くの無防備だった。  
枯木をまとめて叩き折るかのごとく、数トンはあろうかという鋼鉄の-そう、このキャデラックは字義どおりの鋼鉄製だった-巨体が後部に陣取る蜘蛛人間を弾き飛ばし、四肢をへし折り、下敷きにする。  
バックすることによって2メートルほどの距離を稼いだキャデラックは、一瞬がくんと停止し、今度は  
それよりはるかに強烈な加速で、ぐねぐね蛇行しながら前進を開始した。  

前に後ろに、右に左に、思っても居なかった勢いで揺さぶられたためか、ルーフやフロントウィンドウ  
に取り付いていた蜘蛛人間が次々と振り落とされ、街道へと零れ落ちてゆく。  
キャデラックの前方に取り付けられたカンガルーバーが、本来の機能を遺憾なく発揮し、進路に  
たむろしていた蜘蛛人間を一瞬にして生命体の残骸に変えていく。  

ノーマルのままでは絶対にありえない加速でキャデラックが血路を開ききったとき、1個中隊は  
あったはずの蜘蛛人間は、その数を3分の2にまで減じていた。  

なおも驚くべきことに、蜘蛛人間があれほどの打撃を続けざまに与えていたにもかかわらず、  
徳田と征司郎の座上するキャデラックは、塗装をところどころはがされ、一部外板がへこまされた  
以外、何の損害もこうむっては居なかった。  

蜘蛛人間の群れを突破したキャデラック-征司郎の護衛のみを目的としてゼロから作り上げられた  
装甲キャデラックは、そのままの勢いで一端路外に飛び出し、華麗とも表現しうるスピンターンで、  
車体を今来た方向に向けなおす。  
カンガルーバーの奥に健在なライトが挑発するかのようにパッシングし、同時にクラクションが  
ワルキューレの進軍ラッパのごとく鳴らされた。  

Sマイン-ドイツが開発した強力な対人兵器に着想を得た装甲キャデラックのSマインが放った  
1000個近いボールベアリングによって幕を開けた異世界の逆襲は、いまやたけなわになろうと  
していた。  




754  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/02/08  01:26  ID:???  

>>734  
醜い緑の色彩に埋もれかけていた装甲キャデラックから連続して爆発が生じ、次いで、街道の  
路面を勢いよくタイヤで削り取りながら装甲キャデラックが一挙に緑を織り成すものどもを  
轢き潰しにかかる。  
装甲キャデラックが一手に蜘蛛人間どもをひきつけてくれたお陰で、自衛隊と親衛隊は、半ば  
傍観者に近い立場に放り出されていた。  
頭上を飛翔する"蝶"も、状況の変化に対応しきれていないのか、しきりに高音を腹部のあたり  
から鳴らしている。  

高寺は、安堵と歓喜が相半ばした面持ちで、目の前の情景をただ見つめていた。  
自分達を逃がすための囮として、自らを捨石と位置付けたかのような征司郎の行動に、一時は  
絶望と憤怒(後者はもっぱら己の無力に対する自己嫌悪ではあったが)に囚われていた高寺で  
あったが、今やそうしたネガティヴな感情はすべて誤りだったことに気づき、ともすれば哄笑したい  
ような高揚に浸りつつあった。  

そう、征司郎親分は決して死に急ぐようなお人じゃなかったんだ。  

肉食獣のそれにも似た獰猛な笑みを頬に浮かべかけた高寺は、すぐに己のなすべきところを  
思い出し、笑みを凶相の奥に引っ込めた。  

「ダイハチ032、ダイハチ031の側面につけ」  
我に返ったとはいえ、それでもなお押し隠せない高揚を声音に滲ませ、無線で命じる。  
間髪入れずに了解の返事が届き、ややあって最後尾で警戒に当たっていた高機動車が街道を  
外れ、エンジン音を高鳴らせて軽装甲車の隣に位置した。  
軽装甲車そのものは、ルーフにミニミを半ば泥縄で装備しながら同じく街道を外れたため、  
2両は街道をはさんだ左右に展開する形となる。  


755  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/02/08  01:27  ID:???  

>>754  
「護衛班。車外に展開後、撃ち方用意」  
配置が命令どおりであることを確認した高寺は間をおかずに次の指示を下し、彼の指揮下にある  
護衛班-とはいっても、高寺の軽装甲車に搭乗する数人と、後方で警戒に当たっている高機動車  
に乗り込んだ5人足らずは、訓練どおりの滑らかさで車外に飛び出し、戦闘隊形を造った。  
その一方で、車内に残ったものは、それぞれの車輌に装備された火器に取り付く。  

高寺が最初の命令を下してから1分としないうちに、10挺近い小銃と機関銃、1挺の擲弾発射機が、  
その恐るべき火力をいつでもフルに発揮できるべく体勢を整えた。  
隊列の側面は、征司郎から"借り受けた"立花組親衛隊に任せてあるから、後は、警戒しつつ待つだけだ。  

命令の全てが忠実に実行されたことを、ざっと一瞥しただけで確認した高寺は、再び前方に視線を戻す。  
装甲キャデラックと蜘蛛人間どもは、一瞬高寺が目を話した隙に新たな動きを見せていた。  

それを視線で追いかけた高寺は、征司郎が何をもくろんでいるかを瞬時に見抜く。  

なるほど、親分。  

口には出さず、内心で高寺は征司郎に同意した。  

あなたが次に何を命じるか、この高寺にも見えました。  
どうやらあなたは、本気でこいつらを叩き潰すおつもりのようですね。  



758  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/02/08  18:26  ID:???  

−後に、一部の史書にエルフィール戦役と記されることになる、奇妙な総力戦の少し前−  


戦争の予兆は今のところどこにも見えなかったが、何かが起こりつつあることは明らかだった。  

あの日−日本という名前を冠していた弧状列島、その勢力圏から不可思議な力により"ここ"に  
やってきた日から、主観的には決して短くない時が流れた。  
その島に住まう人々、並びにその島を守る人々(後者の本来の役割は、必ずしもそれだけでは  
なかったのだが)は、自分達の身に降りかかった出来事を冷静に受け入れ、これからをどうするか、  
それを建設的に追求しようと努力しつつあった。  

それらの努力が、一時的に停滞を余儀なくされることとなる破壊と殺戮は未だそれをもくろむもの  
たちによる腹案及び準備段階に留まっていたものの、この島とそれを取り巻く環境が日を追って  
緊張の一途を辿っていることは、目を見開き、耳をすませばいともたやすく理解できた。  

だが、そうした緊張を感じ取っても、否、感じ取れるからこそ、その島と共に在る人々は今日という  
一日を淡々と過ごし、夜には各自の娯楽と休息に身を委ねていた。  
結果として、その島において歓楽街をなしている数々の区域は、戦争の足音が間近にせまった  
この夜においても、いつもと変わらぬ喧騒に充たされていた。  

中州、博多、福岡。  

キュウシュウと呼ばれるこの島においても最大級の-かつて属していた日本国においても指折りの  
歓楽街として知られるこの区域には、そのような次第で、キャパシティを大きく上回る人々が、  
それぞれの楽しみを求めて詰め掛けることとなった。  



759  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/02/08  18:27  ID:???  

>>758  
その中心地から少し離れたところにネオンを輝かせる雑居ビル。  
いくらか気取った書体のアルファベットで「Land  of  hope  &  glory」と飾られたネオンを掲げる  
その店は、ビルの地下にあるスペースに、この夜も一杯の客を収容していた。  

この店のたたずまいは、一言でまとめてしまえば60年代のアメリカをモチーフとしたバーであり、  
キュウシュウ全体がこのようになってしまうまでは、地元においてもあまり目立たない、知るひとぞ  
知る、といった位置付けの店だった。  
この手の店の常識として、全体に薄暗くされた照明の下には、数えて10ほどのテーブルとカウンターが  
どこか数学的な几帳面さを思わせる配置で並び、決して汚らわしさを感じさせない具合に黒ずんだ壁面と、  
そこに掛けられた数々のパネルや看板-その全てが、60年代アメリカの風景写真であったり、当時実際に  
使用された看板だった-、そしてスピーカーから控えめに流れるオールディーズが、この店の主張を遺漏  
無くアピールしていた。  

カウンターやテーブルに群がった客は、それぞれの場所にどっかりと腰を落ち着け、あるものは  
強い酒をひっきりなしにあおり、あるものは親の敵のように出された軽食をかきこみ、またあるものは  
何がおかしいのか手にした瓶を掲げながらげらげら笑っている。  
銜えたまま、あるいは灰皿や手にした煙草から盛大に吹き上げる紫煙で、店内はさながら蛮族が  
煙幕を展開しながら笑い騒ぐ宴会場と化していた。  

この店が、同時刻のほかの店と大きく異なる点は、客層が綺麗に統一されているところだけかもしれない。  
キュウシュウが"ここ"に飛ばされてくる前、この店にたむろしていたのは、通例に漏れず仕事帰りの  
給与生活者や、一次会でさんざん痛飲した学生、そして観光旅行のちょっとした思い出を作ろうと  
やってきた者たちだった。  
ところが、今のこの店には、そうした人々は全く見当たらない。  
年齢も、人種も、国籍も、所属する組織もまちまちながら、そこにいる全員は男性-鍛え上げられた肉体を  
緑や青や白の制服に身を包んだ軍人達だった。  


760  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/02/08  18:27  ID:???  

>>759  
軍人達の貸切となってしまったこの店、そこのカウンターで(こればかりは例外的に)静かにグラスを  
傾けていた一人の自衛官が、カウンターの奥で飲み物を作っている店長に声を掛けた。  
「店長、あの張り紙のことなんだけど」  
両肩から先がまるで別の生き物であるかのような素早さと正確さで、きつめのカクテルを次々に  
カウンターに出していた店長は、細面の顔を自衛官に向けた。  
その間にも、店の中をコマネズミのように忙しく動き回る店員達がカウンターの飲み物を盆に載せ、  
カウンターの向こう側にいるスタッフにオーダーを告げ、レジで金銭のやりとりを行う。  
オーダーを受け、新たな瓶を手にとった店長が視線だけを自衛官に固定しながら応じた。  
「ああ、ライブのことですね」  
「うん。アクターの名前がないけど、誰か大物でもくるの?」  
自衛官-制服から判断すると、陸上自衛隊の三等陸尉のようだった-は、顎で入り口を指した。  
そこには、やけに真新しいA4用紙が目に付く位置に張られていた。  
それなりに手先の器用なデザイナーが今時珍しく手描きしたのだろう、こったデザインの割に  
人間臭さを感じさせるそのフライヤーには、目立つ文字でオールディーズ・ライブが告知されていた。  
日程は今日、開演はまもなくのようだ。  

「大物ではないんですけどね」  
瞬く間に2つのカクテルと1つのロックを用意した店長が、どこか照れたような笑みを浮かべて  
三等陸尉に言った。  
「ちょっとした伝手で紹介されまして。で、聴いてみたらこりゃあいけそうだ、と」  
「ふうん・・・・・」  
口をすぼめながら、三等陸尉は空になったグラスをカウンターの奥に滑らせた。  
それを見とめた店長が如才なく確認する。  
「同じものでいいですか?」  
「頼むよ」  



761  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/02/08  18:28  ID:???  

>>760  
しばし手持ち無沙汰となった三等陸尉は、視線を転じて店の奥に目を向けた。  
テーブルやカウンターの並ぶフロアから一段高くなったそのスペースには、ピアノやドラムが  
いささか肩身狭そうに鎮座し、その両脇にはギターやベースにアンプ、スピーカーその他ライブに  
必要と思われるものがならんでいる。  
店長と短いやり取りをしていた間にだろうか、そのスペースには3人ほどの男が上がってそれぞれの  
持ち場につき、準備を進めていた。  
事前に完了していたのか、サウンドチェックは行う様子がない。  

三等陸尉が新たに出されたグラスに口をつけたとき、店の奥に目をやった店長がわずかに眉を上げた。  
「始まりますよ」  

奥から静かにでてきたシンガーを目の当たりにしたとき、三等陸尉は言葉を失った。  
「あいつは・・・・・・」  
ゆったりした衣装をまとったそのシンガーは、人間ではなかった。  
いや、正確に言えば人類ではなかったというべきだろう。  

外見は女性で、顔立ちはほっそりとまとまり、目鼻のつくりも申し分ない。  
160センチほどの肢体は、大部分が衣装に隠れてこそいるものの、わずかにのぞく四肢を見る限り  
では、おそらくは異常性愛者以外の人類に賛美のため息をつかせるには十二分の資質を備えて  
いるようだった。  

だが、その耳は尖り、髪の毛の色はありえないほどに透き通るような青色だった。  
ぱっちりと開かれた双眸の色は、髪の毛とは対照的に重く沈んだ藍色で、なんとはなしに憂いを  
湛えているようにも見える。  
そして、肌のきめは赤子のように滑らかで、色はわずかに赤みを帯びた純白だった。  


762  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/02/08  18:29  ID:???  

>>761  
「エルフじゃないか・・・・・」  
三等陸尉は、思わず腰をスツールから浮かせた。  
彼は任務でキュウシュウの外に出たことがあり、そうした存在についてもある程度知悉していた。  
だが、ここで、このときにまさか見かけることになろうとは考えてもいなかった。  
「なんでも、もとはこっちに流れてきた難民なんだそうです」  
どこか満足そうな口調で、店長が三等陸尉に説明を始めた。  
「で、入国管理局が一応拘置したそうなんですが、たまたま施設で歌っているところを私の  
知り合いが見かけまして。八方手を尽くして釈放させて、スカウトしたそうなんです」  
もちろん、現在のキュウシュウは異世界の人間を基本的に受け入れていない。  
したがって、店長のいう尽力もスカウトも、すべては密室でこっそりとおこなわれたものだろう。  

なんという無茶を・・・・・  
唖然とした表情で、しばらく三等陸尉はその場に棒立ちとなった。  
「まあ、自衛隊さんも一度お聞きになればわかります」  
未だエルフに視線をクギ付けにされていた三等陸尉に、店長は含み笑いを浮かべて告げた。  
「たぶん、あちらの国にお帰り願おうとは思わなくなりますよ」  



763  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/02/08  18:29  ID:???  

>>762  
それからほどなくして始まった、異世界の住人によるオールディーズ・ライブの一部始終を、  
三等陸尉は一生忘れることができなかった。  
いや、三等陸尉だけではない。  
この時、この場に居合わせた全ての人間が、まったく同様に、その歌声に打ちのめされていた。  

静かな旋律をピアノが奏で、それに被せるようにエルフが歌い始める。  
その歌は、オールディーズとはいいながら、おそらく誰もが聞いたことのある、世代を超えた  
名曲の一つだった。  

三等陸尉以外の客は、最初ライブがはじまった事にも気づいていなかった。  
おや、BGMが大きくなったな・・・・・?  
暢気にそんなことを考えながら、一人のアメリカ陸軍軍曹があたりを見回す。  
彼の視線は、三等陸尉同様店の奥にたたずむエルフにクギ付けとなり、我に帰る前にその声を  
脳裏に叩き込まれる。  
そんな彼を訝しげにみた同席の友人が、同じように店の奥から聞こえてくる歌声に飲みかけの  
ジョッキをピタリと静止させる。  
そんな反応がそこかしこで連鎖的に発生し、先ほどまで戦場にも似た喧騒にどっぷり使っていた  
バーは、森閑として静まり返ってしまった。  

その歌声をなんと表現すればいいのだろうか。  
-嫋々として、儚げでありながら、その奥には言いようのない力強さを秘めている。  
-高音はどこまでも伸びやかで、低音は底なしに落ち着いている。  
-あらゆる音階を魔術師のようにつむぎだしながら、しかして一向に技巧を感じさせない自然さ。  
おそらく、いかなる表現をもってしてもその声の美しさはまったく言い表せないに違いない。  

エルフの歌うオールディーズ-昔ラジオで聞いた数々の曲を回顧と共に今ひとたび味わう女性  
を描いた歌-は、店の中にいた全員を浮遊感に近い感覚へと誘いつつあった。  
20年程前に拒食症がもとでこの世を去ったオリジナルのシンガーが聞いても、間違いなく絶賛と  
羨望をこのエルフに寄せていたであろう。  



764  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/02/08  18:30  ID:???  

>>763  
耳元で恋人がささやくようにエルフが歌い終えた時、店の中は針の音が落ちても聞き分けられる  
ような沈黙の中にあった。  
英語を母国語とする軍人の中には、その歌詞が持つ意味に反応して涙しているものもいる。  
おそらく彼らは、曲のテーマである過ぎにし日々―祖国での懐かしくも手にすることは敵わぬ日々  
を思い返しているのだろう。  

そうしたオーディエンスの反応を意に介することなく、次の曲が始まる。  
今度は、ドラムがリードをつとめる番だ。  
辛うじて理性のかけらを脳の一部にとどめていた三等陸尉は、その曲がロネッツであることに  
気づいた。  

時間にすれば30分ほどであっただろうか。  
この世のものとは思えないほどのオールディーズ・ライブが終了して、エルフが深々と頭を下げたとき、  
店の中はプラスチック爆薬をつかっても比肩し得ないほどの歓声と拍手に充たされた。  
そして沸き起こるアンコール。  

アンコールに答えて、名も知れぬエルフが歌いだす。  

店の熱狂は、夜が明けるまで続いた。  
もちろん、三等陸尉もその騒ぎにみずから飛び込んでいった。  


エルフィール戦役のきっかけとなる、魔術テロが始まる数日前のことであった。  




788  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/02/09  23:44  ID:???  

>>764  
耳元で恋人がささやくようにエルフが歌い終えた時、店の中は針が落ちても聞き分けられるような  
沈黙の中にあった。  
誰もが、か弱げなエルフに視線を固縛されたまま、今しがたまで耳にした歌を全身に染み渡らせ  
ようとのしているかの如く押し黙っていた。  
英語を母国語とする軍人の中には、その歌詞が持つ意味に反応しのだろうか、沈黙の中に涙して  
いるものもいる。  
おそらく彼らは、曲のテーマである過ぎにし日々―祖国での懐かしくも手にすることは敵わぬ日々  
を思い返しているのだろう。  

そうしたオーディエンスの反応を意に介することなく、次の曲が始まる。  
今度は、ドラムがリードをつとめる番だ。  
辛うじて理性のかけらを脳の一部にとどめていた三等陸尉は、その曲がロネッツであることに  
気づいた。  
その傍らでは、店長が細面をわずかに傾がせ、これ以上ないほどの満足そうな笑み―してやったり  
と言いたげな会心の笑みを浮かべている。  

時間にすれば30分ほどであっただろうか。  
この世のものとは思えないほどのオールディーズ・ライブが終了して、エルフが深々と頭を下げたとき、  
店の中は非殺傷型手榴弾を1ダース投げ込んでも比肩し得ないほどの音量が爆発した。  
津浪のような拍手。  
地鳴りのような足踏み。  
悲鳴のような歓声。  
そして沸き起こるアンコール。  
ライブの間、触れば弾けるような沈黙と恐ろしいほどの緊張感に充たされていた店内は、  
革命前夜のような熱狂に包まれていた。  

その場に居合わせた客と-本来はあるまじきことではあるが-店のスタッフから熱烈に寄せられる  
アンコールに、頭を上げたエルフはわずかに戸惑ったような表情を浮かべていた。  


789  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/02/09  23:47  ID:???  

>>788  
私、どうしたらいいんでしょうか?  

わずかに表情を曇らせて、エルフは今宵の雇い主-カウンター奥の店長を窺う。  
店長は拍手しながら、大きく頷いて見せた。  
「今夜の予定は空けてある。お客さんがみんな飽きるまで歌ってあげなさい」  

火山の鳴動にも似たどよめきが店内を突き抜けた。  
「いいぞ、店長!」  
店長の言葉によってエルフが浮かべた微笑を察したのだろう、店長が英語を理解できるかどうか  
などお構いなしに、一人のアメリカ海兵隊曹長が手にしたバーボンを高く高く差し上げて叫んだ。  
制服のネームタグに「パイ」と刺繍された30がらみと思しきその曹長は、目を真っ赤にし、顔中を  
口にしてさらに叫ぶ。  
「あんたは最高のクソッタレだ!俺が認める、あんたは最高のクソッタレな夜をくれたんだ!」  
その傍らでは、「スワガー」と刺繍されたネームタグの海兵隊曹長が、苦笑しながらすっかりぬるく  
なったジョッキを口元にやっていた。  

花がほころぶような笑みを顔一杯に広げたエルフは、わずかに頭を下げて再びマイクに向かった。  
「みなさん・・・・・あの、今日は、私の歌を聞いてくださってありがとうございます・・・・・」  

歌っていたときとはまた異なる、鈴を転がすようなその喋り声に、一瞬にして店が静まり返った。  

「私・・・本当は、歌を歌う以外のこと、何もしないでおこうって今日は決めたんですけど・・・・・、  
でも、アンコールにお答えする前にこれだけは是非言わせてください・・・・・」  
店中が、歌を聴いていたときとはいくらか異質の沈黙に落ち込んだ。  
とはいっても、エルフはどこかたどたどしい日本語で話していたため、通訳をせがむささやき声と、  
それに対するかすれた英語がそこかしこで飛び交う。  



790  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/02/09  23:51  ID:???  

>>789  
「私の身の上話をするつもりはないんですけど・・・・私は、生まれてから今までこれほど優しい  
人々に出あったことがありませんでした・・・・・聴いた話では、みなさんはどこか遠い遠い世界から  
こられたとか・・・・そして、私達を対等に扱ってくださっているとか・・・・・そして、そのせいでしなくても  
よい戦いをすることになるかもしれない・・・・・・」  

そこで、エルフはいったん言葉を切った。  
その美しいとしかいいようのない顔立ちが、わずかに歪んでいるのは、キュウシュウの防人達を  
思いやっての苦悩、あるいは来たるべき戦争をどうすることも出来ぬがゆえの苦痛だろうか。  
「みなさんは、私達のためにこんなにもいろいろしてくれるのに、私達はなにもしてあげることが  
できない・・・・それが、悲しくて仕方ありません・・・・・・」  


「そんなこたぁないぞ!」  
叫んだのは、やはりあのパイ曹長だった。  
「おちつけ、ラマー」  
スワガー曹長が、パイの肩を叩いた。  
「だってよう、兄貴!」  
パイは、スワガーを睨みつけながらうめくように言った。  
その視線は、並みの男であれば一目ですくみあがらせそうなものではあったが、スワガーは全く  
意に介する風もなく続ける。  
「そんなことは、お前がでかい声でいちいちいうことじゃない。みんな分かってることだ」  


791  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/02/09  23:52  ID:???  

>>790  
義兄の制止を受け、ふてくされたように座り込むパイを見つめながら、エルフは続けた。  

「でも、今日、私は、自分にできることを見つけました。私の歌で、みなさんが喜んでくれるなら、  
それは私にとってもうれしいことです。ですから、私はもっともっと歌うつもりでいます」  

エルフが言葉を切ると同時に、背後でベースが鳴り出した。  

「今から歌う曲は、私の、みなさんへの思いです。わがままかもしれませんが、許してくださいね」  

その曲は、アメリカの有名な作家が小説のタイトルにし、その映画のタイトルにもなった曲だった。  
エルフの歌声を聞きながら、三等陸尉はしびれたようになっていた脳の片隅で思った。  

心配することはないさ、エルフの歌姫さん。  
俺達は、ずっと"守るべき人のそばに"いるよ。  
それが、俺達の存在理由だからな。  

ベン・E・キングの曲をきっかけにして再開された店の熱狂は、夜が明けるまで続いた。  



エルフィール戦役のきっかけとなる、魔術テロが始まる数日前のことであった。  




847  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/02/12  01:20  ID:???  

「フジ01、フジ01、こちらリンドウ04。応答されたし。繰り返す。フジ01、フジ01・・・・くそっ!」  

無言。  
あらゆる懇願や脅迫をそのまま飲み込み、無に返すような絶望的な無言。  
寺元三等陸尉が最後の望みを託して呼びかけた相手は、いかなる返事もよこさなかった。  
苛立ちを隠そうともしないまま、寺元は無線機をフックにかける。  
もし彼に幹部自衛官としての矜持がなければ、容赦なく力任せにたたきつけてしまいそうだ。  
怒りと不安をないまぜにした表情で、寺元はキャビンを振り返った。  
壁面が白く塗装され、天蓋が跳ね上げられているために降り注ぐ陽光が舞い上がる埃を反射する  
そこは、普段ならば一種の神聖な小部屋のようであった。  
だが、カタコンベのような厳粛さは、今のところこの装甲車のキャビンには存在しない。  
装具といわず備品といわず振るわせる小刻みな振動と、寺元の頭上から容赦なく降り注ぐ銃声、  
そして空薬莢が、装甲車のキャビンに満ちていたであろう静謐を根こそぎ奪い取っていたからだ。  

装甲車の天井から身を乗り出して射撃を続ける普通科隊員の脚を見つめながら、普段の演習や  
災害出動時では決して味わえぬ圧迫感を寺元は感じていた。  

「小隊長」  
己を呼ぶバリトンに、寺元はハッと我にかえる。  
見ると、秋野陸曹長が寺元に視線を合わせて腰を落していた。  
迷彩ドーランを、そのいかつい顔全体に塗りたくった中、太い眉毛の下に剃刀で切り込みを入れた  
かのような細い目が光っている。  
「連絡はつきましたか?」  
あえて本隊、といわなかったのは、寺元がさっきまでずっとあちこちに呼びかけていたのを承知  
していたからだ。  
「だめだ。全く応答がない」  
思わず、力なく首を振りながら寺元は応じる。  
「となれば」  
秋野は、さして落胆した様子もなく続けた。  
「当面は、撃ちまくってこの事態を切り抜けるほかありませんな」  



848  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/02/12  01:21  ID:???  

>>847  
畜生め。  
憎たらしいほどに落ち着き払った動作で再び立ち上がった秋野をじっと見つめながら、寺元は  
内心で罵った。  

俺達は、富士の演習場にいたはずじゃなかったのか?  
本隊はどこにいっちまったんだ?  
何故、誰も俺の呼びかけに応じないんだ?  
一体、ここはどこなんだ?  
俺達に何が起こったんだ?  
そして・・・・奴等は何者なんだ?  

寺元が無限の自問に落ち込もうとしていたとき、不意に銃声が止んだ。  
「どうした、何があった!」  
連続する銃声を狭隘な空間で聞きつづけていたために、耳鳴りがし始めた聴覚をカバーするかの  
ような大声で寺元は頭上に怒鳴った。  
「自分が撃ち方やめを命じました。小隊長のご命令どおりに」  
上半身を乗り出した秋野の声が降ってくる。  

「そんな命令は・・・・・・・」  
そこまで反論しかけて、寺元は秋野の意図に気づいた。  
奴は、俺に恥をかかせまいとしているのだ。  
秋野が撃ち方やめを命じたからには、きっとあの奇妙な敵はいなくなってしまったのだろう。  
将来を嘱望されている幹部自衛官らしく、決して鈍くはない頭でそれだけの思考を瞬時に組み立てた  
寺元は、口をつぐむと、秋野の隣に並ぶように立ち上がった。  



849  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/02/12  01:25  ID:???  

>>848  
目の前には、広大な瓦礫がどこまでも並んでいた。  
おそらくはオフィス街だったのだろう、いちいち分析するまでもなくかつてはビルであった建物の  
死骸が、その壁面を薄汚くすすけさせ、眼窩のようにぽっかり広がった窓の跡を縦横に並べて  
いくつもうずくまっていた。  
また、ビルの中には、全面がガラス張りにでもなっていたのか、壁面の全てが脱落して枠組みだけが  
障子戸のように剥き出しになっているものもある。  
その中には、机や棚のような什器が無秩序に散乱し、あたかも巨大なビルの腐乱死体、その内臓に  
見えなくもない。  
そんなビルの群れがどこまでもどこまでも-視界の果てまでびっしり墓標のように建ち並んでいた。  

無数の乗用車がそれぞれの目的に従って走り回っていたであろう街路は、アスファルトがあちこちで  
陥没し、無事な部分にはビルから落下してきたと思しきコンクリートの塊が一杯に散らばっている。  
もちろんというべきか、寺元が知らない形状の乗用車らしきぼろぼろに錆付いた鉄の塊があちこちに  
転がっていた。  
かつてはこの殺伐としたオフィス街にちょっとした和らぎを与えていたであろう街路樹が、あるものは  
立ち姿のまま、あるものは幹をへし折られて枯れ果てている。  

この街から人がいなくなって-いや、あの奇妙な奴等は別とすると、この街に本来住んでいるべきで  
あった人々がいなくなって、10年や20年は効かないだろう。  
それほどまでに寒々しく、見る人の心をすさませる建造物の馴れの果てであった。  



850  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/02/12  01:25  ID:???  

>>849  
「ここは・・・・どこなんだ・・・・・」  
はっきりと廃墟を見て取った寺元は、部下の目もはばからず、思わず内心の思いを口にした。  
世界の終わりがきても表情を変えないであろう彼の陸曹長は、そびやかすように肩をゆすり、  
左手を斜め前の道路わきに突き出す。  
「少なくとも、ここが富士の裾野じゃないってことだけは確かなようです」  

寺元は、反射的に秋野が指したほうをみた。  
そこには、根元からへし折れた道路案内の四角い標識が傾いだままさび付いていた。  
青地のその標識は、殆どが色あせていてまともに判読できなかったが、いくつかの矢印と  
そこに書かれた文字は一部辛うじて寺元にも読み取れた。  

その読める文字は「日比谷」と書かれていた。  

かすかな、涼しい風が寺元の頬を嬲るように吹いてくる。  
硝煙の匂いにいくらか顔をしかめながら、寺元は不意に広がった視界を持て余していた。  



914  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/02/15  00:47  ID:???  

>>755  
パッシングとクラクションによる挑発は、予想以上の効果をあげた。  

数多の同族を粉砕された蜘蛛人間どもは、あからさまな侮蔑をその本能で理解したのか、  
装甲キャデラックに対する殺意に凝り固まっているように見えた。  
彼らの頭上を高く低く旋回する"蝶"が、しきりに腹部をわななかせて何かの音声命令を下している  
が、その命令は装甲キャデラックを目標としたものではないらしい。  
命令を出しつづけながら、旋回しつつけながらも"蝶"の注意が黒い外国車ではなく、街道上に蹲る  
隊列に向けられていることは、ひっきりなしに首を隊列に向けている"蝶"の動きから容易にみて取れる。  
そして、蜘蛛人間どもは命令にいっかな従うそぶりを見せず、ただひたすらな怒りに突き動かされて  
征司郎と徳田目掛けて突き進んでくる。  
だがその集団は、つい先ほどまでの機械的とも表現しうる統制が完全に乱され、各自がてんで  
ばらばらに駆け足をとっているに過ぎなかった。  

「よし」  
蜘蛛人間どものわずかに色を変えた表皮と、こればかりは見誤りようのない真っ赤に充血した  
巨大な眼球を見ながら、征司郎は小さく頷いた。  
指揮官(?)である"蝶"の命令すら無視するようになった蜘蛛人間どもは、さながら暴徒のごとく、  
己が殺戮衝動と敵愾心にのみ忠実に従って再度の突撃を敢行しつつある。  

間違いない。あの化物どもは完全に自衛隊や立花組を忘れさった。  
「トク」  
正面を険しい表情で凝視しながら、運転席の懐刀を呼ばわった。  
「先頭の奴等が取り付いたら、ゆっくりバックしろ」  



21  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/02/17  00:37  ID:???  

「どうやら、親分の目論見どおりになってきたようですな」  
2本目の煙草に火をつけた徳田が、のんびりした声をで征司郎に言った。  
無防備に突進してくる蜘蛛人間どもは、怒りのあまり街道のことをすっかり忘れ去っている。  
あとは高寺たちと呼応して一挙に殲滅すべき頃合に差し掛かりつつあった。  
「ウム・・・・だが、うまくいけばいいがな」  
征司郎はかぶりを振った。  
「といいますと?」  
「奴等の攻撃手段が、突撃だけとは思えんのだ。まだ、何か隠し球があるかもしれん」  

4本の手足を目一杯使い、でたらめに近い勢いで装甲キャデラック目掛け迫り来る蜘蛛人間どもを  
しっかり見据えながら、征司郎はわざとそこで言葉を切った。  
その間にも駈け続けていた蜘蛛人間、その先頭の数匹がとうとう装甲キャデラックまで数メートル  
に迫った。  
だが、その数匹は突如大地に爪をたて、四肢の筋肉を限界まで怒張させて急制動をかける。  
四肢の上に乗る円錐形の胴体が、この世界でも不変らしい慣性の法則にしたがって、ぐうっと  
前につんのめった。  
後から突進してくる蜘蛛人間どもは、あるいはその間隙を縫う位置に走りこみ、あるいは脇を走り  
抜けて装甲キャデラックの側面に位置し、それぞれ無理やり勢いを殺す。  
瞬く間に装甲キャデラックを馬蹄状に取り囲んだ蜘蛛人間どもは、次いで口をくわっと開いた。  


22  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/02/17  00:38  ID:???  

>>21  
どくん。  

そのいかにも硬質な身体を波打たせて何かのはずみをつけた蜘蛛人間どもは、四肢はそのままに  
胴体だけを激しく震わせ、その深奥に蓄えた攻撃手段を、ぽっかり開かれた口から装甲キャデラック  
に叩きつけた。  
蜘蛛人間の口から飛び出した何かは、ぱっと見たところ茶色と白がマーブルのように混ざり合った  
粘つく液体だった。それが取り囲む蜘蛛人間の個体数と同じだけ、バケツから勢いよくぶちまけた  
泥水のように、装甲キャデラックに襲い掛かる。  
液体を被った装甲キャデラックから、十分に熱した土俵大のフライパンにドラム缶数本分の水を  
投げ込んだかのような蒸発音が轟くように沸き起こった。  
そして、キャデラックから煙幕のような白煙が盛大に吹き上げる。  

直接攻撃ではさすがにかなわぬと見て取ったか、蜘蛛人間どもは彼等なりの遠隔攻撃手段-  
すなわち、強力極まりない消化液をその黒い(彼等にとっての)化物に叩きつける戦法を本能  
の従うままに開始した。  

「やれやれ」  
一瞬にして白濁したフロントウィンドウを、眉をしかめて見つめながら徳田がぼやいた。  
「よりによってゲロ吐くこたぁねえじゃねえか」  
いかにも彼らしい表現で現状を罵ると、銜え煙草のまま征司郎を見やった。  
「親分、Sマインを使いましょう」  
蒸発音が車内にも盛大に飛び込んでくる中、毛ほども表情に変化をつけないまま、手元の  
パームトップパソコンに目をやっていた征司郎は、その声に顔を上げた。  
「少し早い。今だと街道の高寺たちに流れ弾が飛ぶおそれがある」  
「そりゃまあ、そうですがね」  
独白とも相槌ともつかぬ応答を返しながら、徳田はハンドル脇のレバースイッチを操作する。  
力強いモーター音が手元から響き、ワイパーがフロントウィンドウをぐいぐいと拭い始めた。  
強力なワイパーによって一瞬透明度を取り戻したフロントウィンドウの向こうでは、今だ攻撃の  
成果を測りかねている蜘蛛人間どもが、消化液をバケツに汲んだ水のように代わる代わる装甲  
キャデラックめがけてぶちまけつづけていた。  




362  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/03/11  01:07  ID:???  

>>22  
「くそっ、手管を変えおったか!」  
一瞬にして白煙の向こう側に姿を消した装甲キャデラックを睨みつけ、高寺は歯噛みしてうめいた。  
いかな装甲キャデラックといえど、あんな攻撃は想定外に違いない。  
まだ親分からの合図はないが、もう待ってはおれない。  
「護衛班!」  
銃を構えたまま、凝然として眼前の情景に見入っている部下を怒鳴りつける。  
…目標、前方の蜘蛛人間、撃ち方始め!  
全てを圧倒するであろう命令を、今まさに大音声で下そうとしたときだった。  
「高寺三曹!」  
軽装甲車に残っていた1等陸士が、その出鼻をくじくかのように高寺に呼びかけた。  
「何だ!」  
「立花さんから無線です!」  

「突っ込みますか、親分?」  
徳田は、まだ半分ほど残った煙草を灰皿に押し込みながら尋ねた。  
奇怪な体液の攻撃を、効果は未知数の攻撃を続けざまに受けながらも、まったくもって毛ほども  
動じる様子を見せないのは、自ら手がけた装甲キャデラックへの信頼か、あるいは征司郎に  
びくついているところを見せたくないためか。  
「少し待て」  
征司郎は答えながら、無線機を手にする。  
「高寺、征司郎だ」  
返事はミリ秒単位で返ってきた。  
『親分、大丈夫ですか!』  



363  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/03/11  01:08  ID:???  

>>362  
「こちらは問題ない。心配するな」  
『ですが!』  
「いいから聞け。今は完全に奴等の注意を俺達がひきつけている。お前は今しばらく間合いを計って、  
大丈夫と判断したら一気にトラックを進めろ。一足先にアディの村へ向かわせるんだ」  
聴覚というよりは、神経に直接障りそうなノイズ。高寺の沈黙。  
その沈黙を肯定と意図的に解釈した征司郎は、高寺の返事を待たずに続けた。  
「この蜘蛛人間は俺達が引き受ける。お前はあの蝶もどきに注意しろ」  
『・・・・了解』  
不承不承、という声音で高寺が返事する。  
おそらく、無線機の向こうではさぞや仏頂面になっていることだろう。  
それを想像すると、こんな状況だというのに征司郎はなぜか奇妙なおかしさを感じた。  
「本職に命令するのは気が引けるが、状況が状況だ。すまんな」  
『親分』  
「どうした」  
『無茶しねえで下さいよ』  

「トク、バックしろ。なるべく勢いよくな」  
消化液のマーブルと薄闇の淡い黒が交互に展開されるフロントウィンドウを無視して、再び  
パームトップパソコンに目を落した征司郎が命じた。  
「ダメージは受けちゃいませんぜ、親分」  
それを見りゃわかるでしょう、と言いたげに、徳田は征司郎の端末を顎でしゃくった。  
なるほど、コンディション・モニターに切り替えられたディスプレイ、そこに映し出されている  
装甲キャデラックのCGには、いかなる異常を示すサインも点灯していなかった。  
「だが、奴等はそうは思わん」  
キィボードをブラインドタッチで操作しながら、征司郎が切り捨てるような口調で答えた。  
わかるだろう、とでも言うのか、それっきり言葉を続けようとはしない。  
少しの間宙を睨んで征司郎の言葉を反芻していた徳田は、ニヤリと笑った。  
「なるほど、やられたように見せかけるわけですな」  
言い終わった時には、ギアをリバースに叩き込んで、アクセルを床まで踏み込んでいた。  




733  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/05/03  19:40  ID:???  

福岡防衛線外伝「サヨナラバス」(その1)  

破局は、ある日唐突にぼくたちのもとへやってきた。  

世界の終わりというのは、もう少し大げさな前ふりがあって、次第次第にあれやこれやで緊張が高まって、  
ついには誰もが覚悟を決めたところで一挙にぼくたちを叩きのめすべくやってくるものだと、今まで思っていた。  
まあそれは、ぼくが中学生のころにはまってしまったノストラダムスとかその辺のインチキ預言者の妄想を  
もっともらしく意味付けしたいろんな本の影響なんだけど、とにもかくにも、世界の終わりというのはもっと  
ドラマチックなものであるべきだと、27歳になる今までなんとはなしにそう思い込んでいた。  

だけど、世界の終わりはなんともあっさりとやってきた。  

今、この手記を書き付けている間も、なぜそれがやってきたのか、どうしてぼくたちはここにいるのか、  
ずっとぼくはわからないでいる。  

ああ、そもそも、今ぼくらが目の前にしているのは本当に世界の終わりなんだろうか?  
もしかすると台風や地震や洪水みたく、ぼくらの周りでだけ起こっている局地的なカタストロフなんじゃ  
ないか?こんなおかしな状況が,ぼくらの周りでだけ起こっているはずはないから、これはきっと全世界  
―少なくとも、九州一帯で起こっていることなのではないだろうか?  
まあ、少し前の「あれ」以来、ぼくらがなじんできた世界は九州以外存在しなくなってしまったようなもの  
だから、もしこれが九州一帯で起こっていれば、それはぼくにとっては世界の終わりなんだけど。  

なんか、書いているうちにちょっと混乱してしまった。  
ざっと読み返して己の文才のなさにため息をつくばかりだ。  
これじゃ、この手記を読む人にとっては何がなんだかさっぱりわからないに違いない。  
(もちろん、この手記をそのまま読む人がいる、ということは、それはとりもなおさずぼくがもうこの世  
にはいないことを意味している。生き延びることが出来たなら、もう少しましな文章に直すからね)  

とりあえず、おこった事をなんとか整理してみよう。まずはどこから書き始めようか。  



734  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/05/03  19:41  ID:???  

>>733  
福岡防衛線外伝「サヨナラバス」(その2)  

この手記を読む人は、たぶん少し前の「あれ」―九州がどこか知らない変な世界に飛ばされてしまった  
ことについては分かっているだろう。  
まあぼくに言わせればなんだかよく分からないうちに、九州以外の全世界がそっくり剣と魔法のそれと  
入れ替わってしまったようなものだけど、今から思えば、これが終わりの始まりだったのかもしれない。  

もちろん、九州がどこかに飛ばされたことがわかってからしばらくの間は、大変な騒ぎだった。  
ぼくはそのころ、勤めていた役所(九州某県の県庁だ)に泊り込みで書類の山と格闘していたから、その騒ぎは  
ぼくにとってはどっちかというと他人事でしかなかったけれど、後で話を聞くと、よくも  
まあ暴動やら略奪やらにまで発展しなかったものだと半ば感心してしまうほどの混乱振りだったらしい。  

ともあれ、今までいた世界から完全に切り離されてひとりぼっちになってしまった九州は、どうにかこうにか  
混乱状態を建て直し、まがりなりにも統治機構をでっちあげて、元の世界に戻る算段を考え始めるに至った  
わけだ。  
ここらの経緯の、マクロな部分については、たぶんぼくが手記にあれこれ書き込むよりも、他の人がきっと  
詳しくまとめているだろうから、そっちに任せることにしよう。  

そんなこんなで九州全体の混乱も一段落し、ぼくのほうも山のような未処理案件の書類を片付けたある日、  
ぼくは唐突に上役に呼び出された。  
確か九州が飛ばされてから2週間か3週間くらいしてから、じゃなかっただろうか。  
福岡県知事と自衛隊のいかにも偉そうな人間が何か演説しているのを事務室のテレビで見たから、多分  
九州臨時行政府(内輪では、そう読んでいた)がどこかと戦争するだのなんだの決めた日じゃないかと思う。  
その演説がだらだらと流れる傍ら、ここ数週間でめっきり老け込んだぼくの上役は、ぼくを上目づかいに  
睨みながら命じた。  

「君、ちょっと○○村にいってきてくれんか?」  




735  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/05/03  19:44  ID:???  

>>734  
福岡防衛線外伝「サヨナラバス」(その3)  

「○○村?」  
ぼくは思わず尋ね返したが、きっとその声は誰が聞いても間が抜けていたに違いない。  
自慢じゃないがぼくの仕事は採用されてこのかたずっと内勤で、外に出る機会などまずありえなかったし、  
そもそもその村がどこにあるのかすら殆ど知らなかったからだ。県庁職員としてはあるまじき態度だろうけど、  
まあその辺は大目にみて欲しい。  
「出張・・・・・ですか?」  
ぼくはおそるおそる尋ねてみた。  
「当たり前だろうが」  
上役は、どこか疲れ果てたような、諦めきったような声で応じた。怒鳴られないだけましということか。  

「出張は構いませんが、用務は?私の抱えている案件でその○○村に関わりのあるものはなかったと思いますが」  
ぼくは、とりあえず上役に質してみた。  
「ウチの職員が、あそこに行ったまま帰ってこない。もう3日になる。それを連れ戻してくるんだ」  
「はぁ?」  
「総務課のYといえば分かるだろ。あいつだよ」  
Yといえば県庁のなかでも1、2を争う美人女性職員ではないか。性格の悪さも1、2を争うらしいが。  
その伝説と化したエピソードについては某匿名巨大掲示板でスレッドの10や20消費してしまえるくらい耳に  
しているが、ありがたいことに今まで係わり合いになったことはない。  

「だけど、どうして私がYさんを探しに○○村まで行かなければならないんです?」  
ぼくは至極もっともな疑問をぶつけてみた。  
このどたばたしているときに無断欠勤というのは、確かにろくなことではないが、彼女の場合は居ないほうが  
まだましかもしれないし、百歩譲って彼女が県の公務に必要だとしても、それは総務課の人間が対応すべき  
案件だろう。少なくともぼくのいるセクションが係わり合いになるべきことではない。  

ぼくは、そうした正論をにおわせたつもりだった。  
だがぼくの上役は、予想通りの質問が来たといいたげな表情になった。  


736  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/05/03  19:48  ID:???  

>>735  
福岡防衛線外伝「サヨナラバス」(その4)  

「まず第1に、総務の人間はいま誰一人として外に出せない状態らしい。これでね」  
と、上役は親指でテレビを指した。なるほど。戦争なら総務課は調整だの何だのではりつきっぱなしになってるだろう。  
「第2に、今この段階で手すきな人間は県庁を見回しても10人といない。で、フットワークの軽い人間となると  
君一人だ。前歴も前歴だし」  
ぼくは、その言葉に心のどこかをヤスリがけされたような気分になった。  
暇な人間といわれたことではない。その後の部分に、だ。  
ぼくはきっと、思わず険しい表情を浮かべていたに違いない。上役はどこか怯えたような目つきになった。  
「ま、まあ前歴云々はちょっとその、私のあれだが・・・・・その、まあ、なんだ。ともあれ、動ける人間は  
君一人しかいないんだよ。な。頼まれてくれんか?」  
「・・・・・わかりました」  
ぼくは、不承不承うなずいた。  
「よかったよ。引き受けてくれて。実はね」  
と、上役はわざとらしくそこで声を潜めた。  
「この話は、知事からじきじきにウチへ降りてきた話なんだ。いや、引き受けてくれて助かったよ。これで私の  
メンツも立つ。いや、本当にありが」  

とう、という前に、ぼくは上役に背を向けて歩き出した。  
結局、あんたが知事に恩を売りたいから話を受けたんじゃないか。やってられないぜ。  


737  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/05/03  19:49  ID:???  

>>736  
福岡防衛線外伝「サヨナラバス」(その5)  

多分知事は、県庁一の美人が行方不明と聞いて泡を食ったに違いない。  
で、この非常時に行方不明というのはきっと何かのトラブルに巻き込まれたに違いないときたんだろう。  
どうせ実際は、出張とか称して数多ある男の一人とどこかにしけこんでるに違いないのに。  
だけど、明らかに犯罪に巻き込まれたという様子はまったく見当たらなかったから、警察を動かす  
ことなどできやしない。  
いやたぶん、知事あたりは県警に話をしようとしたろうが、きっと誰かが止めたんだろう。それはそうだ。  
この忙しいときにラブホかリゾートホテルかでいちゃいちゃしている女性職員を探すためだけに県警を  
動かしたらいい笑いものになってしまう。  

そこで、だれか暇そうな職員にさがさせるとなったってことだ。  
おおかた、今朝の幹部会議で何気なく出た話に(県庁一の美人ともなれば、そういう場でもたまに  
話題になる)、上役が飛びついたというところだろう。確かにぼくも今はひまだが、そんな探偵の真似事  
なんざ勘弁して欲しいよ。  

ぼくは内心でぼやきながら、直属の上司に出張する旨口頭で申告した。  
こんな馬鹿馬鹿しい用務に命令簿なんか持ち出す必要はないだろうと思ってだが、上司は  
何も言わなかった。  
総務課の人間はさすがに同情してくれて、ぼくが出張について連絡すると、電話に出たYの上司は  
こう言った。  
「本当にすまないね。自分の車でいくんだろ?ガソリン代とかは公費で落すように会計課に話して  
おくから、よろしく」  

こうしてぼくは、今まで名前だけしか知らなかった村にまったく馬鹿馬鹿しい用務で出かけることとなった。  
まさか後でこの手記をつづる羽目になるとは思っても居なかったぼくは、そのときガソリン代が実質  
タダになることにいくばくかの喜びを覚えつつ、まあたまには外出も悪くないかな、と独り決めをして  
いた。  



742  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/05/03  22:59  ID:???  

>>737  
福岡防衛線外伝「サヨナラバス」(その6)  

九州が妙な世界に飛ばされる半年前に、大枚はたいて買ったシボレーのピックアップトラックの調子は、  
いつにもましてご機嫌だった。  

いい天気だなァ。どうせ平日のドライブに出るんだったら、こんなつまらない用務じゃなくて、堂々と年休を  
取って気ままに行きたいもんだけどな。  
アクセルを軽く踏み込み、法定速度の10キロ増しくらいのスピードで車を走らせながら、ぼくは内心で思った。  
60年代アメリカ車特有の、こもったようなエンジン音と心地よい振動に身を委ねながら、ほんの数分間、何か  
うまいさぼりの言い抜け方はないものかと、県庁を出る直前に行ったYの上司とのやりとりをぼくは思い返してみた。  

「あ、もしもし。自然保護課の立石と申しますが。河野さんをお願いします」  
『はい、総務課河野ですが』  
「自然保護課の立石と申しますが、どうもお世話になります」  
『ああどうも、お世話になります』  
「お電話いたしましたのはですね、実は、Yさんのことについてなんですが」  
『は?』  
「Yさんが出張に行ったまま戻ってこられないということで、今日私のほうにYさんを探しにいくよう  
に話が参りまして。」  
『ホントに?自然保護さんのほうに話いっちゃったの?』  
「ええまあ。幹部会議、っていうか、その後の雑談でうちの上がうけちゃったらしいんですよ」  
『あっちゃー・・・・・すみませんねぇ。なんか迷惑かけちゃって・・・・・』  
「いえいえ。まあ上からの話なんで。こちらとしてはまあ、淡々と」  
『そうですかあ・・・ホントすみませんねー。本来だったらウチでなんとかしなくちゃいかん話なんですけどね・・・・・・』  



743  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/05/03  23:02  ID:???  

>>742  
福岡防衛線外伝「サヨナラバス」(その7)  

「で、まあ、Yさん自身の用務についてお伺いしたいんですけれども、彼女何の用務で○○村へ?」  
『例の戦争だよ。ほら、何とかいう王国と戦争するって話の関係で。ここだけの話なんだけど、戦争そのものは  
もうやるかも、って話が先週くらいからウチのほうに流れてきてたんだよね。で、それに備えての体制づくりって  
ことで、各自治体が緊急事態に備えてどれだけのことをやってるかってチェックをする話がきて。危機管理センター  
と市町村課との協同であちこちの自治体に聞き取り調査をやってたんだよ』  
「ええ」  
『で、まあそのう・・・・彼女の出身が○○村で。ええと、そのー・・・。まあいいや。ぶっちゃけていいますとね、  
また彼女課内でトラブっちゃったんですよ。それもけっこう洒落にならない類の。まあ男がらみなんだけど』  
「そうなんですか」  
『それでまあ、しばらく実家で頭冷やして来いって意味で実地調査を命じて。ていうか調査そのもの  
は電話のヒアリングで終了してたんで。まあ態のいいやっかいばらいをね。まあその』  
「なるほど・・・・・・」  
『その扱いに臍をまげたんだとは思うんだけど、3日も無断欠勤となると、これはもう、  
なんというかね。正直ウチとしてはほっとしてたんだけど。そうかあ・・・・自然保護さんに  
ババひかせちゃったかー・・・・・』  
「いえ、いいんですよ。だいたいの事情はわかりました」  
『本当にすまないね。自分の車でいくんだろ?ガソリン代とかは公費で落すように会計課に話して  
おくから、よろしく』  

そしてぼくはスーツ姿のままオンボロのピックアップに乗り込んで、カーナビをたよりにひたすら人口  
200人足らずのちっちゃな村へいこうとしているというわけだ。  
まあ、うまいこと言い訳するにしてもまずは村へいって彼女がどうしているか確認しないと話にならない。  
行っても居ないのに行った振りしてカラ出張ってのはよくないからね。うん。  
確認した上で、彼女が実家に引きこもってれば適当に説得の真似事でもするか、居なけりゃ実家の  
人間に心当たりでも聞いてみよう。そこへ行ってみるかどうかは気分次第だ。(もし腹立ちまぎれに  
男とどっかへ遊びに行ってるなら、たぶん実家の人間も行き先なんかわかりゃしないだろうけど)  


744  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/05/03  23:04  ID:???  

>>743  
福岡防衛線外伝「サヨナラバス」(その8)  

とりあえずの方針をたてたことでいくらか気が楽になったぼくは、村までの道順を確認すべく  
カーナビの画面にちらりと目をやった。  
道順は、呆れるほど単純だった。  
このまま国道をまっすぐ3時間ほど走り、途中の分岐を右に曲がってうねうね曲がる山道を小一時間。  
去年の補助事業で新しく掛け直した橋を渡れば村に到着。あとは役場か駐在に彼女の家までの道のりを聞けばいいだろう。  

道順を確認したぼくは、まったくためらわずにカーナビの画面をテレビモードに切り替えた。テレビを見ながら運転する  
ことは危ないけれど、あまりにも単調なドライブになりそうだったので、せめて何かしら意味のある音を聞きながらでも、  
と思ったのだ。  

テレビは、ワイドショーをやっていた。  
おどろおどろしい効果音と共に、つい先ほど勃発した「なんとかいう王国」との戦争について危機感を  
たっぷりと煽るテロップと映像が画面一杯にあふれ出ていた。  
知事と自衛隊の記者会見をもとに特番を組んだにしては、やけに映像のつくりがいいところをみると、  
もしかしたら事前にそれとなくリークをうけて準備を進めていたのかもしれない。  

ナレーターがもったいぶった調子で、戦争をおっぱじめることとなった王国がいかに悪逆非道かをとうとうと  
まくしたてている。それに被さるようにして現れる映像は、その王国の「軍事力」だ。  
ゴリラと人間を掛け合わせたような体躯に鎧兜の生き物。  
あちらの王国ではなんと呼ぶのか分からないが、こちらではドラゴンといかにも呼ばれそうな  
羽の生えた巨大な爬虫類。  
脚が6本ある馬(によく似た生き物)に跨った、中世の騎士そっくりなあちらの兵士。  
同じ人間でも、あちらのように手が4本もあれば、さぞ戦争には効率がいいことだろう。  
まあそういった、いかにもな映像をこれでもかと流しつづけていた。  
ゲームやアニメではおなじみの妙な形態の生き物達も、テレビカメラを通した映像になると、なんとも  
嫌なリアリティを醸し出すものだ。  
ああ、リアリティじゃなくて、これはぼくらのいる世界にとっては紛れもないリアルなんだっけ。  
確かに、映画の予告編にくらべればいかにもそれっぽいよね。  


745  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/05/03  23:10  ID:???  

>>744  
福岡防衛線外伝「サヨナラバス」(その9)  

ぼくが自嘲的に唇をゆがめたとき、画面はVTRからスタジオの映像に切り替わった。  
画面左中央の、いかにも地方局のアナウンサーでございといったさえない風貌の中年男性が、ワサビをほおばった  
かのようなしかめっ面(多分、本人は深刻な表情のつもりなんだろう)でコメンテーターに話を振る。  
「どうでしょうか高木さん。先ほどの記者会見にありましたとおり、もう戦争は避けられないという状勢になってまいった  
ようですが、先の見通しとかはどのように予想されますでしょうか」  
話を振られた、高木という小太りのコメンテーターが視線を中に向けながら早口で答える。  
「えと、そうですね、まあその、戦争なんですけどね、このね、戦争はね、どう考えても向こうに分が悪いわけですよね。  
というのもね、向こうはね、基本的にね、産業革命以前のね、我々の歴史でいえばね、中世の暗黒時代のね、日本の  
戦国時代のね、そんな装備でね、我々に宣戦布告をね、してきたわけなんですよね。これはもうね、戦争じゃない。ただの無鉄砲でね」  
どうもこの高木という人間は、まともに人と話をした経験がないんじゃないかと思えてきた。  
高木の脇に現れ出でたテロップによれば、どうやら彼は「軍事評論家」らしい。  
ただ、具体的な履歴や著作の類が一切見当たらないところをみると、彼の活動拠点は少なくとも書籍や研究報告の  
形で人目に触れるところではないようだ。ひょっとすると、この特番を製作したプロダクションの社長あたりの知り合いかもしれない。  

そこまでぼくが妄想をたくましくしたとき、いきなり甲高い声が高木の独演会をぶち壊しにした。  
「・・・・には、魔導師がいますっ!」  
見ると、7.62ミリNATO弾でも跳ね返せそうな分厚い化粧にきらきら光るフレームのサングラス、前衛劇団の衣装担当が  
酔っ払ってデザインしたような意味不明の服装に身を固めた50がらみの中年女性が、文字通り口角泡を飛ばして  
わめき散らしているところだった。  
名前は―これが本名なら彼女はインドとアメリカとドイツとフランスとルーマニアにそれぞれ親族が居るに違いないと  
思わせるほど国籍不明な単語の羅列で、最後に「魔威」とある。職業は占い師兼スピリチュアルライフクリエイター  
(なんだそれ)兼白魔術研究家とのこと。  


746  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/05/03  23:14  ID:???  

>>745  
福岡防衛線外伝「サヨナラバス」(その10)  

いやまあ、ここに飛ばされてくる前の九州は日本国の一部で、日本には日本国憲法があって、その憲法には職業選択の  
自由が銘記されているわけなんだけども、いくらなんでもこれはないんじゃないか。  
ぼくが勝手にこの占い師さんの人間性を忖度している間にも、彼女は怒りに駆られたかのように高木に向かってわめきつづけていた。  
その詳細はもう覚えて居ないが、要約するならば、かの王国には城をも砕き、川をせき止める途方もない魔法使いが吐いて捨てるほどいて、  
うかつに戦争をしたならばきっと自衛隊は皆殺しにされてしまうだろう。だからこんな戦争はやめて仲良くしましょう。ということらしい。  

当然、高木はそんな趣旨に賛同するはずもない。かれは大慌てで占い師の長広舌に割り込んだ。  
「いやね、魔法についてはね、まだはっきりとしたね、そういうね、事実はこちらでは確認できてないわけでね、だからね、そうしたね、  
いわゆるね、憶測をね、もとに判断するのはね、危険だとね」  
「憶測ですって!私はね、当然の可能性について指摘しただけですっ!それになんですか、あなたはこちらから攻めていくことばかり  
考えてますが、逆は考えられないんですかっ!向こうがこっちに魔法で攻めてきたらどうするんですかっ!」  
「だからね、今のね、お互いのね、装備とかをね、比較するとね、そういうね、向こうからの侵攻なんてね、考えら」  

よせばいいのに。  
ぼくは苦笑しながら、カーナビのモードをナビに切り替えた。いくら沈黙が嫌いでも、さすがに騒音を聞きながら楽しいドライブはできない。  
評論家と占い師の戦いが強制終了させられ、エンジン音だけになった車内で、あと数時間はかかるであろうドライブを続けながら、  
ぼくはふとあの占い師さんの言ったことを思い返した。  

・・・・・・向こうがこっちに魔法で攻めてきたらどうするんですかっ!・・・・・・  

まあ、そのときは自衛隊に助けを求めるしかないよな。  
いくら魔法使いでも、たぶん、撃たれれば死ぬだろうし。  
こう考えたぼくは、その問いを頭から消し去った。  
だが、その問いは、しばらくしてからこの世界に土足で荒々しく踏み込んでくることとなる。  
そしてぼくが、それにこの身をもって回答を与えるのも。  



21  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/05/06  15:38  ID:???  

../../hobby_army/1045/1045319445.html  

福岡防衛線外伝「サヨナラバス」(その11)  

習慣とは恐ろしいもので、単純なはずの○○村までの道順を、あっさりと間違えて危うく道に  
迷いかけるところだった。  
九州がこの妙な世界に飛ばされてからというもの、単なる電子地図帳と化したカーナビを頼りに  
していたためでもあるのだが、国道からの分岐を音声ガイドで案内してくれるとすっかり思い込んで  
しまい、気がついたらその分岐を3キロばかり通り過ぎて隣の県に踏み込む寸前だったのだ。  

やれやれ。衛星がないからナビゲーションなんかしちゃくれないってのにな。  

ぼくは、自分の間抜けさ加減に悪態をつきつつ、ハンドルを切ってしばらく来た道を戻り、時々路肩に  
車を止めてカーナビのマップと周囲の地形を照らし合わせながら、15分ほど無駄にしつつピックアッ  
プを走らせつづけた。  

ようやくのことで見つけた国道からの分岐を左に曲がり、そのまま軽い上り坂を延々と走りつづける。  
車窓から見える田舎の県道にはぼくのピックアップのほか走る車もなく、春先の穏やかな光を浴び  
て伸びるアスファルトをぼんやり眺めながらドライブを続けていると、道を間違えたことで先ほどまで  
味わっていた不快感があっという間に薄れ、ともすればまるでこの世にぼくとこのピックアップしか  
動くものがないかのような空想的な気分にひたりがちになっていた。  

その、なんともいえない空ろな征服感とでもいうべきいい気分が破られたのは、県道を延々登ること20分、  
○○村まであと30分少々という距離に至ったときである。  



22  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/05/06  15:40  ID:???  

>>21  
福岡防衛線外伝「サヨナラバス」(その12)  

右手に砂防ダム、左手に川といった、典型的な田舎の山間の県道、そのカーブに必ずといっていい  
ほど設置されている自動車の停車スペース(冬季はチェーン脱着場になるあれだ)に、一台の白い  
乗用車が停止していた。  
エンジントラブルでも発生したのだろう、ボンネットを開けっ放しにしていたその乗用車のエンジン  
ルームを覗き込んでいたドライバーが、ぼくのピックアップが近づいてくるのに気づき、ドアミラーに  
引っ掛けていた上着を手にしながら車道に飛び出してきた。  
車道の中央、ぼくの進路を塞ぐ格好で仁王立ちになったドライバーは、手にした上着を頭上で大きく  
振り回し、何かこちらに叫んでいる。  

よい気分を台無しにされ、ぼくは思わず舌打ちをした。どうだろう。このまま知らないふりして脇をとお  
りぬけてやってもいいんじゃないだろうか。  
とはいえ、あまり広いともいえないこの県道でそれをやると、下手をすればあのドライバー―遠目にも、  
性別が男であることだけは間違いなさそうだった―を跳ね飛ばしてしまいかねない。  
また、今までの交通量を見る限りでは、ぼくが無視してしまったら彼が次に助けを求められるのは  
どうみても数時間後になってしまうだろう。  

ぼくはやむなくピックアップの進路をやや変更し、車道を横切る形で停車スペースに乗り入れた。  
白い乗用車の5メートルほど後ろにピックアップを停め、ギアをニュートラルに入れ、手動式のハンド  
ルを開けたところで、駆け寄ってきたドライバーがドアの前に立ちはだかった。  
「いやー、たーすかったよぉー!」  
開口一番、大仰な声を上げたそのドライバーは、見たところ30歳台の男だった。  
全体に四角い顔つきで、太い眉と大きな目、それに短く刈った髪形がいかにも押しの強そうな印象を  
与える。体格も顔つきと同様、がっちりしていた。何かスポーツでもやっていたのだろう。  
ワイシャツにネクタイ、スラックス(ジャケットは手旗がわりに振り回していたので脱いだまま)と  
いったそのいでたちは、どこからどうみてもサラリーマンのそれだったが、雰囲気がどこか無遠慮と  
いうか、ぼくが今まで知り合ってきたいかなるサラリーマン(民間企業、公務員含む)とも異なって  
いるようだった。  



23  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/05/06  15:42  ID:???  

>>22  
福岡防衛線外伝「サヨナラバス」(その13)  

「どうしたんですか?」  
ぼくは運転席から降りずに、男に問い掛けた。  
男は、いかつい顔立ちを大げさにしかめて見せつつ、芝居がかった仕草で目の前の白い乗用車を示す。  
「どうしたもこうしたもないんだよ。ったくさあ、こんな田舎道で突然エンコしちまって、もうどうにもこうにも  
なんなくてさ。いやー、本当に助かったよ!」  
「JAFに連絡はとったんですか?」  
ぼくは、男の仰々しい口調に少し辟易としながら尋ねた。  
「無理無理。思いっきり携帯が圏外なんだよ」  
男は、そういいながら、スラックスの尻ポケットに突っ込んでいたドコモの携帯を取り出し、フラップを  
開いてぼくのほうに突きつけた。なるほど、確かに液晶パネルのアンテナ表示に「圏外」と現れている。  
「でさ、申し訳ないんだけど、ちょっと乗せてってくれないかな?そちらさんが来るまでもう2時間もここ  
で待ちぼうけを食ってたんだ。頼むよ、ね」  
片手で拝む真似をしながら、男はぺこぺこ頭を下げてきた。だが、その態度や口調は、どう好意的に  
解釈しても人に物を頼むときに必要な謙虚さが決定的に不足しているようだった。  

これが20代初めのかわいい女の子か30代間近のきれいなお姉さんだったら、喜んで乗せるのに。  
ぼくは内心でため息をつきながら男にこたえた。  
「ええ、こちらも急ぐ話じゃないんで、構いませんよ」  
「ありがとう、助かったよ!いや、本当にわるいねえ!」  
その言葉をいい終わるか終わらないかのうちに、男はさっさと自分の乗用車に戻ってリアシートから  
アタッシュケースを引きずり出し、ボンネットとドアをロックして、ずかずかとぼくのピックアップにのり込んできた。  
男がシートベルトを締めたのを確認し、ぼくはギアをローに入れてピックアップを慎重に発進させる。  
車道に乗り入れ、ギアをセカンドにして再び長い長い上り坂の登攀に差し掛かったところで、ぼくは男に尋ねた。  
「で、どちらまで乗せてけばいいですか?」  
助手席でジャケットを着込んでいた男は、まったく迷わずに即答した。  
「○○村まで、乗せてってもらえれば助かるよ」  


24  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/05/06  15:43  ID:???  

>>23  
福岡防衛線外伝「サヨナラバス」(その14)  

「まあ、この県道は○○村までの一本道ですからね。ぼくも、そこへ行くところでしたから」  
ぼくは、苦笑しながら答える。  
「確かに、違いない・・・・でも、感謝してるのは本当だぜ。助かったよ」  
男も、口の端を吊り上げるような笑いを浮かべて応じた。  
ぼくはその微笑に、先ほどまでの躁病的な騒々しさとはまったく異なる雰囲気の、知性的な野蛮さとでも  
いうべき妙な印象を受けた。  
「そうだ、自己紹介が遅れた」  
ガンマンを思わせる無駄のない動きで、男はジャケットの内ポケットから、正確に一枚だけ名刺を抜き  
取ってぼくのほうによこした。  
その名刺を信じる限りでは、男―近藤武雄という名前だ―は日本でも有数の売上を誇る大新聞社の、  
わが県を担当する支局の特派員ということらしい。  
「新聞記者さんですか。取材で○○村に?」  
男―近藤は、大きく頷いた。  
「問いかけの前半はノーで、後半はイエスだね」  
「?」  
「俺は、もともとフリーランスのライターだったんだ。第二次朝鮮戦争の取材で九州にきて、何か国連軍  
のこぼれ話とか裏話をひろってどこかの週刊誌に売りつけようとしてたんだけど、九州そのものがこの  
妙ちきりんな世界に飛ばされてきた。で、あれやこれやこの状況をドサクサまぎれに取材して、記事を  
一本まとめたところで、さてどこへ持ち込んだものかと迷ってね。とりあえず無難なところってんでこの  
新聞社に持っていったところ、『ウチは人手がちょうど足りなくて困ってたところなんだ。よければしばらく  
特派員として働いてみないか?』と涙の出るような申し出さ。で、今はアルバイト代わりにそこで働いている」  
なるほど。状況を手短に要約できる能力は十二分にありそうだ。あと人に話の邪魔をさせない能力も。  
ぼくが返事をしないのを、話の続きの催促だと解釈した近藤は、一呼吸おいてから後半の回答を話し出した。  
「で、○○村に何を取材しにいくか、の話なんだけど・・・・・その前に。おたくさん、村の関係者?」  


25  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/05/06  15:44  ID:???  

>>24  
福岡防衛線外伝「サヨナラバス」(その15)  

「村の関係者、とは?」  
ぼくは慎重に聞き返した。ひょんな事から本来の目的(職務専念義務違反中の女性職員の捜索)を  
探り出されても困る。いや、困るのはぼくではなくてあの上役だけど。  
「村の住民か、とか、そういう意味なんだけど」  
男は、またジャケットの内ポケットに手をやりながら言った。  
「では、ぼくは村の関係者ではないですね。たまたま」  
余暇を利用して○○村にいこうとしているだけですよ、といいかけたところで、近藤は素早く話を遮った。  

「何がしかの用があって村に行こうとしている県職員さん、ってわけ?」  
ぼくは思わず目を剥いた。  
「何を仰ってるんですか?」  
余りにも唐突なその言葉に、内心汗をかきながらそう答えるのが精一杯だった。  
「胸ポケットだよ。身分証」  
近藤は、自分のワイシャツの胸ポケットを叩いてニヤリと笑った。  
思わずぼくは、頭を下げて自分の胸ポケットを見やる。  
なるほど、たしかにぼくがワイシャツの胸ポケットに入れておいた県庁の身分証が、パスケースごと  
わずかに持ち上がって、端の部分がちらりと覗いていた。  
端の部分にしか過ぎないとはいえ、ブンヤさんであればどこの身分証かはすぐにわかっただろう。  
「参りました。確かにぼくは県庁の職員です。まあ、用務は村役場とちょっとした打ち合わせなんですけどね」  
抵抗の無駄を悟ったぼくは、己の身分についてはとりあえず本当のことを近藤に告げた。だが、目的に  
ついてはあくまでもシラを切るつもりでいる。  
あとは役場にたどり着いてから、いかにしてアドリブをきかせるかだ。  
そうしたぼくの心境を読んでか、あるいはただのハッタリなのか、近藤は先ほどまでの笑みとは質の  
異なる、謎めいた微笑を唇に浮かべていった。  
「打ち合わせね。・・・・・・どういう打ち合わせかは聞かないでおくよ。だけどね」  
「だけど・・・・なんです?」  

「向こうの村は、もしかするとそれどころじゃないかもしれないよ」  


63  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/05/10  02:45  ID:???  

>>25  
福岡防衛線外伝「サヨナラバス」(その16)  

「といいますと?」  
ぼくは、近藤のチェシャ猫にも似た笑みにふと悪寒のような感覚を覚えながら尋ねた。  
「一言で言うとね、電話が通じないんだよ。向こうと」  
近藤は、それだけをわざとらしくゆっくりと言い、反応を窺うようにぼくの顔を覗き込んだ。  

たったそれだけですか?  
ぼくは、あやうくそう切り返しそうになり、その言葉が口を突いて出るコンマ数秒前に自分の愚かさ  
に気づいた。そう、「村役場と打ち合わせをする」ならば、事前に役場に一言電話をかけねばならないではないか。  
つまりその時点で電話が通じなければ、当然アポなしで打ち合わせにいくという、きわめて不自然な行動をぼくが  
とっている―もともとなすべき打ち合わせなど存在しないということを、この特派員に自白したも同然となってしまう。  

このブンヤさん、油断がならないぞ・・・・・・。  
ぼくは、頭をフル回転させて返すべき言葉を自分の貧弱な脳内から検索した。  
「ああ、ぼくはもともと自然保護課の人間でして」  
ほう、といいたげな表情を近藤は浮かべただけだった。  
「打ち合わせの段取りは、もう担当のほうでセット済みだと聞かされたんです。お前はただ行って話をしてこい、  
とだけ命令されてね」  

我ながら、なんと子供じみた作り話だと嘆きたくなった。  
だが、近藤はいかにもそういうことにしておいてあげるよという空気を全身の仕草に示しつつ、同意して見せた。  
「まあ、きようびどこも人手不足だからね。なれない仕事を押し付けられて大変だな」  
「役人ってのはそういうものですからね」  
「となると」  
近藤はそこで言葉を区切り、またあの笑みを浮かべて続けた。  
「君は、○○村との連絡が今朝からずっととれないということを知らなかったわけだね?」  


64  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/05/10  02:54  ID:???  

>>63  
>>63  
福岡防衛線外伝「サヨナラバス」(その17)  

「お恥ずかしい話ですが」  
出来る限り余計なことは喋るまい。ぼくはそう決め込んで、言葉すくなに答えた。  
「ふふん。まあ知らなかったものは仕方ないだろ。・・・・それでいいんじゃないか」  
近藤は気安くぼくの肩を叩きながらなだめるように言ったが、ぼくはそれになんと答えていいか  
わからず、ただ黙って頷いただけだった。  
結果としてしらけた沈黙が車内に2、3分ほど落ち、その気まずさに耐えかねたのか、先ほどまで  
の口調をややあらためて近藤が切り出した。  
「その調子だと、○○村についても、あまり詳しいことは知らないようだね?」  

そういって近藤が語りだした内容は、覚えている限りでは概ねこんな内容だった。  
○○村は、我が九州中部某県の西端に位置する小さな過疎の村で、産業、観光ともにこれといった目玉も  
なく、九州全体がこの漂流騒ぎに巻き込まれるまでは、日本各地の過疎地域と同様、年毎に衰微していく  
一方の存在だったらしい。  
ところが、九州が未知の世界に飛ばされたことで、この村は一挙に活力を取り戻した。  
それは、難民の受け入れである。  
九州が漂流したとき、旅行や仕事の関係で、九州以外に生活基盤をもつ人々がおよそ10万名ばかり巻き添えと  
なってしまった。  
だが、福岡その他の大都市は、第二次朝鮮戦争を控えた国連軍という食客を抱えていたことですでにキャパシティが  
限界まで達しており、身一つで"こちら側"へ飛ばされてきた民間人を養うことなど到底不可能な状況にあった。  
そこで九州臨時行政府は、難民の収容先として、○○村などの過疎地域に目をつけたわけだ。  
これはなかなかいい思いつきで、人口が減る一方だった過疎地域には、すでに所有者が存在しない民家や  
倉庫などが、それこそ一山いくらで売りさばけるほど放置されていたから、とりあえず難民が多少のプライバシーと  
引換えに夜露を凌ぐには十分なだけの"施設"が格安で調達できたというわけだ。  


65  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/05/10  02:56  ID:???  

>>64  
福岡防衛線外伝「サヨナラバス」(その18)  

また、受け入れ側の過疎地域にしても、食料その他の需品はすべて行政府持ちで、住居などの改装には  
補助金が交付され、なおかつ暇を持て余すこととなった難民の多数が農作業などの補助を申し出るなど、  
多少の問題点に目を瞑ってありあまるほどのメリットがあったため、行政府の決定に異を唱えることは全くと  
いっていいほどせず、この制度は瞬く間に九州全土の過疎地域に広まることとなった。  

「で、私は、その受け入れ制度について短期のルポをまとめようとあちこち取材してたわけでね」  
近藤は、そこまで一気に話して一息ついた。  
こちらを窺うように見て、ジャケットの内ポケットからタバコを取り出す。  
「吸ってもいいかな?」  
ぼくがうなずくと同時に、近藤は魔法のような手つきであっという間にタバコに火をつけた。  
深々と一服吸い込み、盛大に紫煙を口から吐き出す。  
わずかに開けたサイドウィンドウから、その煙が車外に流れ出ていくのを眺めつつ、思い出したように近藤が再び口を開いた。  
「どこまで話したかな?」  
「難民受け入れの取材をしている、というところまでですが」  
「そうだったな。で、その取材の一環として、私は○○村を尋ねることにしたんだ。昨日村役場に電話  
して取材のアポをとり、施設の見学と村長のインタビューをとりたいので今日の午後1時にお伺いしま  
すってんで段取りまではつけた」  
「ええ」  
「だがね、今朝出発する前に村役場に電話をかけたら、全く通じないというわけさ」  



66  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/05/10  02:57  ID:???  

>>65  
福岡防衛線外伝「サヨナラバス」(その19)  

「通話中ではなく?」  
「うん」  
中ほどまで吸ったタバコをダッシュボードの灰皿でもみ消し、近藤は小さく頷いた。  
「何回かけても、まったく、完全にうんともすんともいわない」  
「村からの連絡は?」  
「なしのつぶてだ。携帯が通じない以上、電話が絶たれたらほぼ陸の孤島だからね」  
「警察か消防に連絡はされなかったんですか?」  
ぼくは、予備知識なしにそこまで聞かされた人間が当然抱くであろう疑問を何のためらいもなくぶつけた。  
だが、近藤はいともあっさりと即答する。  
「無駄だよ。たとえ110番しても、今の警察は対応できないに違いない。消防もね」  
「というのは?」  
ぼくの問いかけはよほど間が抜けていたらしい。近藤は、おいおい、とさすがに呆れたような表情を浮かべた。  

「新聞を読んでないのか。例のテロだよ」  


67  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/05/10  02:58  ID:???  

>>66  
福岡防衛線外伝「サヨナラバス」(その20)  

「あのテロは、九州に潜入した一部のテロリストが自爆したことになっているけれど、実際はそう単純なもの  
でもないらしい。噂では、魔法使いが怪しげな呪文をとなえた・・・・・そうだな、魔術テロだとも言われている」  

そのテロが発生したとき、ぼくは客観的に見ればまったく不要不急の書類の山を切り崩すべく孤軍奮闘  
していたのだ。もちろん泊り込みでぼくの作業場所にはテレビなどなかったから、テロについてはそうい  
うこともあったらしいということしか知らない。ましてそれが魔法によるものだとは初耳だった。  
そう説明すると、何か哀れむような視線でぼくを見やりながら、近藤はさらに説明を続ける。  
「まあ、テロ自体はもう鎮圧されたそうだけど、我が県もテロと無縁ではいられなかったんだ。  
県内の自衛隊基地をいくつかやられてね。警察も消防も、その後始末と新たなテロ対策で大童だ」  

はっきりと何かしら異常が起こりつつあるという証がない限り、連中はまず身動きが取れないだろうね。  

新しいタバコに火をつけながら、近藤はそうしめくくった。  
なるほど。  
ぼくはうなずくしかなかった。  
まあ、絶滅寸前で今は多少持ち直しつつある小さな村との連絡が、今朝からまったく取れなくなっている  
というだけのことだ。どうせ村についたら、困ったような顔をしている村民がこっちに詰め寄ってきて  
いったいどうなってるんだどうすればいいんだどうしてくれるんだとがなり立てるだけだろう。  
面倒くさくはあるが、まあどうとでもなる。どうとでも。いざとなったら連絡をつけると称してこのピックアップで  
県庁に逃げ帰り、後始末を上にまる投げすればオーケーだ。まったく問題はない。  
ぼくは、そう自分に言い聞かせた。  

だが、果たして本当にそうなのだろうか。  


68  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/05/10  03:04  ID:???  

>>67  
福岡防衛線外伝「サヨナラバス」(その21)  

ぼくのそうした心の動きを見透かすかのように、近藤が薄く笑って続ける。  

「実は、○○村にはもう一つ興味深い話があってね」  
「・・・・・なんでしょうか?」  
すっかり合いの手役に堕してしまった己の知性のなさをうらみつつ、ぼくはなかばうんざりしたような口調で尋ねた。  
「テロが発生する数日前、○○村から10キロほど離れた山中に、自衛隊の輸送ヘリが一機不時着した。記者会見に  
よれば、クルー4名のうち1名が死亡、2名が重態で、残り1名は無傷だったそうだ。原因は、航法ミスと燃料切れのダブルパンチ。  
詳しい調査結果は後日だそうだ」  

「事故という意味では、そう珍しい話でもないかと思いますが」  
ぼくは、わざとそっけなく反応した。内心はけっして口調どおりではなかったけれども。  
「単なる事故なら、ね。痛ましい話ではあるけど」  
近藤は、出来の悪い生徒を諭す教師にも似た何かを声音に滲ませてぼくの抵抗を粉砕した。  

ぼくは、きっと何かろくでもない話が続くのだと観念し、黙ったまま近藤に話の先を促した。  



69  名前:  158  ◆m5ZHmaAJG2  03/05/10  03:05  ID:???  

>>68  
福岡防衛線外伝「サヨナラバス」(その22)  

近藤は、しばらくぼくがなにか言うのを待っていたようだが、返事がないとみて、肩をすくめて話を続けた。  

「自衛隊内部に何人か私の知り合いがいるんだが、彼等によれば、そのヘリは九州の"外"に何かの  
任務を帯びて飛んでいったらしい。もちろん、積荷は極秘で、彼等にもそれが何かはわからないとのことだ。  
 で、それだけの予備知識を得ていた状態で○○村の人間にそれとなく事故の話を振ってみた。  
あのときは大変だったでしょう。おつかれさまでしたとね」  
「それで?」  
「電話にでた村役場の担当者が、なかなかお人よしで、自分の見たままを正確に話してくれた。  
事故の知らせが入ったとき、村でも消防団やら有志一同やらで山狩りの準備をしたらしい。が、直前に  
なって行政府からストップがかかった。専門家を派遣するのでまかせてくれ、とね」  
「専門家・・・・自衛隊ですか?」  
「半分あたりだ。完全武装の一個小隊と、それから得体の知れない女性が一人派遣されたらしい。  
彼によれば、中世ヨーロッパの坊主みたいななりをしていたそうだ。その女坊主が、具体的に何をした  
かまではわからなかったそうだが」  

そこまで近藤が話したとき、長い長い上り坂が終わり、緩やかな下り坂にさしかかった。  
いくらかアクセルを緩めながら、カーナビに目をやる。○○村まで、あと2キロ。  
この直線をひた走り、その先の緩やかなカーブを曲がれば、村が見えてくるはずだ。  

空は相変わらず晴れていたが、ぼくの心にはどす黒い不安がさざなみのようにたちはじめていた。