65 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/01/17(木) 23:45:56 ID:???
フソウ戦記(仮) 続き
前回投下分までは保管庫にまとめられています。
なかなか気づかないけど定期的に更新されてるね…
「あなた方の置かれた状況は理解しました。 しかしそちらには残念ですが、我々はあなた方に手を貸すことはできません」
佐野は憲長に対し毅然とした表情できっぱりとそう言い放った。
一方憲長は少年期特有の幼さと大人っぽさの両方の特徴を備えた健康的な肌色の顔に余裕の笑みを保ちながらも表情にやや困惑というか、理解できないといった感情が浮かんでいる。
憲長が自衛隊に要求したのは、一言で言えば彼の指揮下に入る前提で浅野との戦に力を貸せと言うことであった。
その交換条件として提示したのは自衛隊員の身の安全と黒田勢の監視下に置いた上での領内での自由行動の認可、そして糧食など生活必需品の供与、
さらに戦で功績を挙げた場合の褒章を黒田勢の兵に対するものと同様に扱うといったものであった。
佐野が憲長から説明された、ここ緒張(おはり)と呼ばれる地域一帯の情勢はあまり安定しているとはいえないものだ。
元々この地域を朝廷から任命された守護役の黒田家という一族は、憲長の父正憲が当主を務める黒田家の本家筋にあるが、既に直系の血筋は絶えて久しく
同様の黒田の家名を名乗る複数の分家が領土を割譲しあった上でお互いに反目しあう状態が現在まで40年近くに渡って続いている。
さらに近隣の地域を根城にする浅野家とは緒張領を縦断し東西を繋ぐ街道の利権(通行料や関税、また運送業に関連するもの)を巡って何度も戦となる事態に発展している。
利権争いとは言っても簡単に言えば、領土の境目の定義とそれに付随した影響力・支配権、そして街道沿いの町の帰属問題である。
街道と領土そのものは黒田の支配下にあるが、利権関係では浅野とその影響下にある商人が大きく侵食して来ている。
浅野は街道近辺の経済を握った上で実質的な領土の支配権も黒田から切り取ろうとしているのだ。
こうした事はこの国の現在、特に珍しくない。
国を統一し支配すべき朝廷の力と権威は今は過去のもので、それぞれの地域を守護役や土豪勢力が勝手に支配したり領土を奪い合ったりしている。
フソウの国土は麻のごとく乱れ、後に戦国期と呼ばれる時代が永く続いている。 憲長もそのような時代に生まれた世代の一人であった。
66 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/01/17(木) 23:46:39 ID:???
まるで、日本の戦国時代と同じだな、と佐野は思った。
もっとも同様の時代は西洋東洋問わず人類社会は一度は経験する時代ではある。
まだこの異邦の世界に来て数日ではあるが、気候風土や風俗、建築様式、服装、はては言語まで日本と似通った(それでいて微妙な差異を持つ)文化と歴史を持つこの国に奇妙な親近感さえ浮かぶ。
しかし、日本国陸上自衛隊の自衛官であり部隊を預かる佐野茂男3尉としては、こう答えざるを得なかった。
「我々はあくまでも日本国に帰属する陸上自衛隊員であり、現在もその指揮下にあります。 自衛隊法から言っても、国民の代表である政府の閣議決定の裁可なしに独断であなた方の勢力に
手を貸すことも、また装備を使用することもできません。 緊急時における人道的な支援、例えば民間人の支援や救助といったものに手を差し伸べることは解釈上問題ないでしょうが、
あなたの要求されたことは明らかに、我々に武力介入をして欲しいと言う事です…それはできません。 ただ我々全員の身の安全のため、自衛のために最低限の実力行使による
脅威の排除が認められるのみです」
佐野の言ったことはその言葉の大部分が酷く現代的な言い回しと単語であり、彼らのこの時代の概念に理解または対応できるかどうかはかなり不安な物があった。
しかし、佐野はどこまでもこういう言い方しかできない男だと、佐野自身も自覚するとおりだ。
言ってから、少し不味ったかな、と後悔する。 が、すぐにやめた。 いったん口から流れ出た物はなんとやらである。
憲長は難しい顔をしてしばらく無言で考えていた。
佐野はその間、1秒が1分であるかのような緊張した時間をすごしていた。
やはり、理解の範疇の外であったか、それとも怒らせてしまっただろうか、少し冷や汗のような物が流れた感覚がした。
67 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/01/17(木) 23:47:30 ID:???
「わからん」
憲長がようやく顔を上げて言い放ったのはその一言だった。
「…が、お主らがお主らの軍法のようなもので、自由に身動きできんというのはわかった」
佐野は次の言葉に意外、というか意表を突かれすぎて驚嘆した。
とても自分の言い方では理解できないだろう、半ば以上そう思い始めていたからだった。
まあ、全部を理解したわけではないのは少年自身が言うとおりだろう。 が、あの言い方で要点だけを把握したのだから、奇跡と言っていい。
「まあ、確かに、軍というものはそうであるべきだのう。 が、しかし、”臣既に命を受けて軍に将たり、将の軍にある君命もなお聞かざる事あり”という言葉もあるが?」
憲長はさらに自衛隊のそうした体質を賞賛するようなそぶりでいいつつ、切り替えしてきた。
佐野が再び驚いたのは、それは孫武の故事の一説であったからだ。
この世界にも孫子と同じ事を言った人間が居るのだろうか? いや、孫子の兵法と同じ事を考えた人間ぐらいはいるのかもしれないが…
「それでもなお、我々は我々に課せられた規定を逸脱するようなことはできません。 我々は文民、あなた方でいう主君の統制下を自ら離れるようなことがあれば、規律も統率も何もかも失ってしまうでしょう」
68 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/01/17(木) 23:48:38 ID:???
佐野は内心のいくばくかの動揺を抑えつつ、やはり毅然と対応した。
この対応が本当に正しいのかどうか、もしかしたら自分はこれまでの言い方や選択のしかたを間違えたかもしれないという思いは少なからずあった。
しかし、佐野はどこまでも自衛官であった。 頭が固いと言われても仕方が無い。
部下を窮地に追いやる事態に発展するかもしれないが、自分は自衛隊に入る事を決めたその日から、こういう生き方しかできないとわかっていたからだ。
「なるほどな。 武士は二君にまみえず、か。 それもよかろう…だが、それはいささか双方にとって都合が悪い」
天井を仰ぐ憲長の、賞賛とため息の混じった言葉は次の瞬間酷く酷薄な声質にうって変わった。
まだ年端の行かぬ憲長の、佐野を睨み付ける両目に鋭い肉食獣のような、殺気のこもった意思が宿り、年齢と体格で差をつけているはずの佐野の全身を射すくめた。
それは現代の軍人…否、刀と刀で命を取り合ういくさ人、”武士”と言うべきそれと、いずれ一国一城を預かる主君となるべき黒田の跡継ぎの冷徹な決断力のなせる、あまりにもシビアな、少年の年頃には似つかわぬ非情な意思の顕れだった。
いや、それともこの世界のこの時代の人間ならば、少年であってもそれを見につけていることは当たり前なのかもしれない。
それは、仮にも”軍組織の指揮官”としての佐野ならば、同様に考え、決断することも十分考えられるような、「答え」であった。
「お主らがどうあっても我らの味方になってくれぬというのであれば、お主もお主の部下もろとも、殺してしまわねばならぬ。 これだけの武器を持った勢力、敵になるやもしれぬ者を解放してやることもできぬのでな。
まあ、助命と引き換えに力を貸すか、武器の使い方を教えるという者がおればそれでよいとしよう?」
(続く)
235 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/01/31(木) 00:15:56 ID:???
フソウ戦記(仮) 前回の続き
明らかな殺気を乗せた視線をぶつけてくる憲長に対し、佐野3尉は微動だにできずにいた。
少しでも視線をそらせば、何かに負けてしまうような気がした。
これが本当に15、6歳の少年の気迫だろうか、佐野は肌を刃物で薄く切り裂かれるようなこの空気を浴び続けても未だに頭のどこかで信じられない思いでいる。
半ば無意識に、佐野は尻のポケットに手を伸ばしそこに隠し持っている小さな金属の感触を確かめた。
それはたった一発であったが、89式小銃の弾丸だった。
部下の一人が、武装解除の際に装てんしていた弾丸を薬室から排きょうした時に、上手く隠し持っていた物を牢内で佐野に渡したものだ。
なにかのチャンスがあって小銃を取り戻したときに、使えることがあるかもしれない、そういった考えからのものだった。
むろん佐野はそんな機会など来ないだろうし、1発だけ持っていても何の役にも立たないと言ったが。
が、この武器蔵の中には自分と少年、黒田憲長の二人きりだ。 護衛がどこかに隠れているのかもしれないが、見た感じ隠れるところは少ない。
蔵の外から内部をうかがえる場所など離れた位置に潜んでいるのなら、とっさに彼を助けに入ろうとしても、必ず間が空く。
さあ、どうする。 相手は既に自分を、自分たちを殺すつもりでいるのだろう。 ならばこちらから先手をうつべきか?
小銃はすぐ手を伸ばせば届くような距離に並べてあるし、憲長自身も手に持っている。
大人と子供の体格差もある、奪おうと思えば奪えるだろう。 上手くすれば人質に取れるかもしれない。
その後は、どうする? 座敷牢の部下たちをここへ連れてこさせるように命令できれば、あとはこちらのものだ。
小銃も戦車も全て蔵の中にある。 ここに無い分の車両は隣の蔵にでも入れてあるだろう。
装備を全て取り戻し、ここから脱出する。 あくまですべて上手くいけば、だが。
そして失敗すれば、そこで終わりだ。
236 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/01/31(木) 00:16:39 ID:???
佐野は興奮と緊張感で脳が急速に冷えていくような感覚を覚えていた。
仕掛けるのはいつだ、今かそれとも1秒あとか? 待て、本当に今行動すべきなのか?
安易な考えではないのか? 上手くいきそうに思えても、どこかに見落としは無いのか?
そう佐野が逡巡していると、憲長がふっ…と表情を崩し、漂わせていた鋭い殺気を雲散霧消させた。
「…と、我が父である黒田正憲なら命じるであろうな。 が、俺は違う」
憲長はさっきまでの気迫にみちた顔からうってかわっていたずら小僧のような明るい表情で笑い、佐野は拍子抜けに思わずぽかん、と口を開いた。
「どうした、お主。 なにやら恐ろしげな顔をしておったぞ。 まるで赤鬼のような」
そう言いながら声を出して笑う。 少年はなにが可笑しいのだろうか、というくらいに大げさに笑っていた。
この変貌の落差ぶりに憲長にからかわれたのか、それとも本気で殺すつもりだったのか、どこまでが本気か佐野は急にわからなくなった。
いや、半ば以上本気だったのだろう。 それほどまでに先ほどの憲長の殺気は真に迫ったものがあった。
大の大人が自分の半分も人生を積んでいないような少年に圧倒されかかる…その上、相手に反応した自分の殺意と緊張が表情に出てしまっていたのを読まれた上、
肩透かしまでくらわされたとなると納得しかねない気持ちもあったが、大人を手玉にとるほどこの少年は将、軍人としての才覚があるという事なのだろうか?
あるいは、憲長だけでなくこの世界の人間は少年の時分からして我々現代日本人とはメンタリティというか精神構造が違うのかもしれない。
スイッチをオンオフするかのように、人を殺す時とそうでない時を使い分けられる…いや、そういうふうに演技しているだけなのか?
佐野は一時的にとはいえ緊張から開放されながら、困惑から抜け出せないでいた。
237 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/01/31(木) 00:18:55 ID:???
「さて、話の続きだ。 まあ、どのみちお主らをこのまま放置しておくわけにも行かぬ。 お主らほどの武力を持った一党を、野放しにしておくうつけはおらぬまい?」
憲長は抱えていた89式小銃を、他の並べられた装備類の列にゆっくりと戻しながら言う。
「仮に、お主らを解放して、どこへ行くなり好きにさせたとしよう。 だが、黒田はお主らに緩衝せぬとて、浅野は違かろうよ。 既にお主らは浅野らと一戦交えておるからの。
まあ浅野もそのままお主らと戦う下策はとるまい、和議でも持ちかけてこようぞ。 だが、浅野はやはりお主らに黒田と戦えと条件を持ち出してくるだろう、な。
お主、その時も俺に言ったように断るつもりか?」
佐野ははっとして言葉が出なかった。
先ほど説明されたとおり、黒田と浅野がこの地で覇権を巡って争っているのなら、そこを通行する限り自分たちはその戦いに否応なく巻き込まれることになるのだ。
そして浅野という勢力が、黒田のように、憲長のようにこちらの言い分を(ある程度とはいえ)寛容に受け止めてくれる保障はどこにもない。
憲長が脅したように、断れば自分たちは皆殺しにされるだろう。 殺されずに逃げ延びることができたとしても、ここは自分たちの知る現代日本ではないのだ。
どこへ行っても同様のことが起こり、味方になるか、敵として戦うかの選択を強いられる。
中立不干渉を貫きたくてもそれはこっちの事情だ、黒田も浅野もどこの勢力でもそれに付き合ってくれる道理は無い。
強大な武力を持ったどこにも従わない勢力はそこに存在するだけで恐怖と敵意の対象だ。
味方につけることが無理となれば、万一敵となった場合を恐れて必ず攻撃してくる。 あるいは、こちらの武器を奪おうと襲ってくることもあるだろう。
そして、なによりも…そうしたことを続けて逃げ回っていればいずれ車両の燃料も、戦車の砲弾も尽きる。
238 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/01/31(木) 00:19:36 ID:???
「小なりとはいえ一軍を率いる器ならば、頭のめぐりも良いであろう。 つまり、そういう事だ。 お主らは我らに加勢し、我ら黒田はお主らを庇護する、それのみでしかお主らは自分を守れぬ。
それとも、お主はお主の家臣ともども犬死覚悟で戦ってみるか? 十重二十重に囲まれ切り刻まれるだけぞ」
そう言いながら笑う憲長の目は笑っておらず、わずかに先ほどの殺気を視線に乗せてきた。
抵抗を試みたところで負けは見えている、よせ。 佐野は憲長が瞳でそう言っている気がした。
佐野はしばし瞑目し、息をゆっくりと吐いた。 是非も無い、というのはこのような事を言うのだろう。
他に選択肢はなく、状況もそれを許さない。
この奇異な世界に迷い込んでしまった時点で、太平洋戦争開戦に踏み切ったかつての日本同様、袋小路にはまっていた状態だったのだ。
言うなれば戦略的敗北の前に政略的に敗北している。
だが、それでも佐野は自分の判断だけで、自らの拠り所とすべきものから自身と部下とを逸脱させるわけにはいかなかった。
ゆっくりと目を開き、憲長に向かって願い出る。
「…部下たちと協議する時間をいただけますか」
既に望む回答を得たつもりでいるのか満足そうに笑む憲長から佐野が得た猶予は1日であった。
248 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/01/31(木) 00:45:18 ID:???
牢内。
鹿島3尉は佐野のから憲長から言われた全てを聞き終えると、胸ポケットをごそごそ手で探りながら発言した。
彼の手の動きは煙草を探しての物だったが、武装解除をしたときに他の個人装具と一緒にうっかり提出してしまったので、無い。
ニコチンが切れてきた当初はイライラして落ち着きが無く、牢生活とともに禁煙開始から二日たった今でも手は時々煙草を捜し求めてごそごそやっている。
「…それで、佐野さんの考えはどうなんですか。 ここまで来たらもう決まっているんでしょう」
鹿島の言葉は暗に、同じ結論、というか選択の余地などないということに賛同していることを示していた。
他にどうしようもないのである。 部下たちの生命の安全を第一にすべきなら、黒田に従って彼らのために戦うしかない。
だが、「自衛官」としての最後の理性が佐野をしてその決断に一歩踏み出せなくさせていた。
それは、同時にもう一つの重要な決断をしなければならないからだ。 佐野と鹿島はしばし無言のまま視線を交し合った。
佐野は頑迷で保守的、鹿島は柔軟に臨機応変と考え方の方向性に多少の違いはあったがこの時考えていることはお互い同じだった。
そして同様に同じ一つのことで悩み、そして、お互いに決断に踏み出すべきだ、と確認しあった。
「小川、奈良、両隣の牢の連中に声かけて、皆声の届く範囲にできるだけ近寄れ。 全員に大事な話がある」
鹿島が偵察隊の部下に指示し、ほどなく佐野たちのいる牢の左右隣の隊員全員が牢の片側に寄る。
何人かは格子を強く握り締め、不安と緊張の混じった面持ちでいる。
やがて、佐野3尉は全員に地下牢内の全員に聞こえるよう、明瞭な声で話し始めた。
239 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/01/31(木) 00:21:01 ID:???
「全員には申し訳ないが、今日の彼ら、我々を捕虜としている黒田軍の申し出により、我々は彼らに協力して黒田軍の敵対勢力と戦う事になった。
代わりに我々は身の安全の保障と一定の行動の自由を与えられる。 それ以外には、我々は自身の生き延びる方策を得ることができない。
知ってのとおり我々の置かれた状況は非常な事態である。 本体からの連絡は途絶、救援もおそらく望めないだろう。 我々に求められるのは、まずは生き延びることだ。
生き延びなくては、我々の知るあの日本に帰還することも叶わない。 だが、黒田軍に協力するということは、我々が自衛官であることを前提にするなら、
到底許容できないことだ。 …よって」
佐野はそこで言葉を切り、深呼吸をした。 そして、入営以来の日々の過ぎ去りし記憶を走馬灯のように短く振り返り、決断を下した。
佐野の5本の指がOD色の装衣に縫い付けられた3尉の階級章をわしづかみにし、引きちぎるように剥ぎ取る。
それを見た部下たちの誰もが、驚愕し、思わず声を漏らした。
伊庭も、その中の一人だった。
「…私は自衛官であることを放棄する。 それ以外に、この状況を許容しうる手段がない。 …強制ではない。 そうしないと納得できない者のみ、そうせよ」
自衛官を、自衛隊を捨てた。
どこまでも保守的で律儀な佐野には、自衛官のまま自衛隊の「規律」を逸脱し日本国以外の特定勢力の元で、戦争に参加するということはできないことだったのだ。
鹿島も、それにならった。 続いて、数名の者が無言で、または嗚咽を漏らしながらそれぞれの階級章を剥ぎ取る音が牢内と両隣の牢から聞こえてきた。
240 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/01/31(木) 00:21:42 ID:???
「…そんな、そんなことしなくたっていいじゃないですか!」
誰かの叫ぶ声が隣の牢から聞こえてきた。
だが、さらに自衛官の立場をを捨てるものは続出した。
何人かはつかみ掛かってまで止めようとし、そんな命令に従う必要はない、いや強制でないと言った!と言い争う声もあった。
これはけじめなんだ、そう呟いてひざを抱え、泣き出す者もいた。
「そうだ、強制ではない。 だが俺たちは自衛隊のまま、自衛隊として以外の立場で戦うことはできない」
剥ぎ取った階級章を腕が震えるほど堅く握り締め、鹿島が言う。
それに対して、「そんなんで、どうやって部隊の統率をとっていくっていうんですか! もう自衛隊じゃないんでしょう!? おい、よせよ、やめろ、自衛隊じゃないなら上官でもないんだ、
言うことなんか聞く必要ない!」と半泣きになりながら食って掛かる部下がいる。
だが、結局階級章を剥ぎ取り自衛官を止めた者と留まった者はほぼ半数に分かれた。
伊庭は、迷った挙句自衛官であることを止めることはできなかった。
しかし、このまま佐野や鹿島に従って黒田とともに彼らの戦争に協力するなら、どのみち元の世界に戻ったときに処罰を受ける行為になるであろう事は変わりがない。
伊庭が留まった理由は、なんとなく、なんとなく根拠の薄いものだったが、この行為は「自衛官である」という元の世界とのある種の繋がりを断ち切ることになり、もしかしたら永遠に元の日本に帰る望みを失うのではないか、という不安がよぎったからだ。
それには、なにかの確証があるわけではない。 未練のようなものだった。
241 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/01/31(木) 00:22:58 ID:???
「俺は、俺は絶対に自衛官をやめないからな! 辞めた奴の命令にも従わない! 戦争になんか参加するもんか! なんで、なんでみんな戦おうとしないんだ!
俺たちは自衛隊だって、戦って、言うことなんか聞いてやるかって、あいつらに叩きつけてやらないんだ!? なんで、なんで…」
伊庭が名前の知らない戦車隊の隊員の一人、留まった組のうちの一人が涙交じりの声で訴え、他の者たちに肩を抱きよせられ慰めを受けていた。
彼ら留まったものもそうでないものも、地下牢の中は冷えた空気に加えて沈痛な空気で満ち、ある種通夜のようでもあった。
1日後、憲長の提示した条件にいくつかを付け足した上で承諾の旨を伝えた佐野は、上機嫌の憲長から明後日の出陣を言い渡された。
合戦場は最初に自衛隊が黒田と浅野の軍に遭遇した場所とそう離れていない、街道に面した平野部であった。
佐野も鹿島も自衛官であることに留まった者たちの士気低下や、離反、または逃亡を懸念していたが、誰一人としてそういうものはおらず黙々と指示に従った。
彼らなりに現状を受け入れたのかもしれず、あるいは不満を抱えたまま火種が潜伏しているのかもしれなかったが、時間が解決するだろう、と先送りにした。
佐野にも鹿島にも、自衛官を捨てた決断の心理的影響は大きく、彼らを気遣うだけの余裕はなかったからだ。
それでも表面上は二人はいつもどおり彼らの指揮官として落ち着いて振舞った。
それに、不安要素が残っている可能性があるにしても、見える範囲では自衛官を辞めた組と留まった組の間に対立や確執の様な物は発生せず、部隊の統率も階級章こそ捨てたとはいえなんら変わることは無かったからだ。
「そういう面では、俺たちは結束が強いってことなんだ」
合戦に対する準備を進める中で鹿島が伊庭と菊池や小川の前でそう言った事があった。
伊庭と菊池も、菊池はあの時階級章を剥ぎ取った側にいたが、その付き合いは以前と変わりは無かった。
少なくとも今は、何の問題の起こる兆しも見えなかった。
369 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/02/05(火) 19:23:27 ID:???
黒田憲長は佐野との交渉が成った後、居城である名護城へと戻った。
ここは彼が元服して以来防備を任されていると同時に活動の拠点となっている場所である。
愛馬を馬番にまかせ、自分はまっすぐに自身と妻の住居である寝所へと向かう。
侍女の取次ぎなどまたず、自分で襖を開けてずかずかと乗り込んで行った。 部屋の中は薄暗く、陰湿な澱んだ空気がこもっている。
既に日は傾きはじめていたが、夕刻にはまだ早い。 なのに室内がこうも翳っているのは、部屋の住人が窓から入り込む日の光を酷く嫌っているからだった。
窓には何重にも簾をおろし、夜は蝋燭の明かりすら極力排し、暗闇の中で生きることを望んでいるかのようなこの女は隣国・美野(みの)の斉藤家より嫁いできた姫で名を綺蝶と言った。
「綺蝶よ、今朝話したあの斑の一党(自衛隊のことである)達との話がついたぞ。 今日からあれらが俺の手勢だ」
「それは…よろしゅうございました」
どっかりと腰を下ろし、胡坐をかいて上機嫌に話しかける憲長に対して、答える妻の口調は抑揚の無いか細い声だ。
部屋の中の影を凝集したかのようなその黒い姿は、薄暗がりに溶け込んでしまって全体がよく見えない。
目を凝らさなければどこに潜んでいるのかもわからなくなるくらいである。
「今度あの者らをお前に見せようと思う。 きっと驚くであろう。 鉄の箱でできた大きな車がうなり声を上げて進むのは見ものだぞ」
「…」
370 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/02/05(火) 19:24:12 ID:???
憲長が話を振っても女は特に答えず、ただ衣服のこすれる音がしたのみである。
居住まいを正したのか姿勢を崩して楽にしているのかも、こうも暗いと判別しがたい。
「綺蝶よ。 夫が帰ってきたのだから明かりの一つでも付けぬか。 お主の侍女どもも気が利かぬと見える」
「嫌でございます。 それから侍女たちにはけして明かりをつけぬよう言いつけておりますゆえ」
憲長は苦笑したが、相手も自分もお互いの表情は見えていないだろう。
もっとも年中この暗がりの中にいる綺蝶自身は慣れで見えているのかもしれないが。
「なんだ、お主はそんなに俺に顔を見られるのが嫌か?」
「綺蝶は附子(ぶす・ブス。 またトリカブト毒のこと)でございますゆえ。 …殿が顔をお召しになられると失礼あそばすかと」
ふん、と憲長は鼻で笑う。 そして、手探りでその辺りにあるだろう燭台を探し当て、自分で燐寸(りんすん、マッチ。 フソウでは既に初期のマッチが登場している)を取り出して明かりを付けた。
また衣擦れの音がした。 綺蝶が明かりの届かぬ範囲に自分から移動したのである。
部屋の隅の暗がりの中に隠れて、恨みがましくこっちを睨み付けている気配を送ってくる。 まるで幽霊か化生の類である。
「…強情ものめ」
371 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/02/05(火) 19:25:24 ID:???
憲長は立ち上がって綺蝶の潜んでいる暗がりの方へとずかずか歩いて行き、この辺りかと当たりをつけて、相手の虚をつくように腕を伸ばし、掴んだ。
綺蝶の息を呑む声が耳に届く。 果たして目論見どおり憲長は女の腕を掴み、一気に自分のほうへと引き寄せる。
明かりによってはっきりと浮かび上がった女の姿は、退廃的に妖しくも美しい特異なものだった。
闇色に溶け込む黒染めの衣服は少女的な幼さの中に古さと厳しさを併せ持った洋風のドレスであり、ところどころに刺繍やレースといったやはり洋風の飾りで仕立ててある。
掴んだ女の手は労働など一切していない、細く儚く折れそうな長い指で、病的なまでに白い肌の色をしている。
女の顔も睫毛は長く眉は細く、手と同じ白い頬の色をさらに白い化粧で薄く飾っていて、そして唇は瑠璃(ラピスラズリ)を砕いて染めたような青紫色をしている。
これは体が冷えているのでも病気でもなく、そういう色の口紅をさしているからだ。
そして、顔のつくりそのものは均整であり、まだ大人になりきらぬ少女の面差しを残したこのフソウの平均的美人といっていい。
「謙遜も大概にせよ、お主のその顔で附子と言い張るつもりか? …化粧は俺の好みには合わぬがな。 まあ、もう少し日焼けすればいい女になるであろ…」
ひゅっと空気を切る音とともに憲長の言葉は途中で断たれた。
咄嗟に避けた憲長の鼻先を、洋風の浮かし彫りの装飾が施された短刀が掠めてゆく。 その柄を握っているのは綺蝶である。
憲長が綺蝶の腕を放すと、女は無言で再び暗がりの中に隠れ、薄く浮かび上がるシルエットの肩の辺りを震わせている。
怒らせてしまったか。 そう思いつつ憲長は全く悪びれる気もなかった。
372 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/02/05(火) 19:27:11 ID:???
「危ないではないか。 万一にでも俺が死んだらどうするつもりぞ。 夫の命を取る妻がどこにおる?」
「…ここに。 お忘れでございましょうか、綺蝶はとと様より殿のお命を取って参れとおおせつかっております」
綺蝶の父、斉藤立興は美野の国の本来の国主を殺して乗っ取り、一国の主となったフソウきっての奸雄である。
国境を接する黒田とはやはりたびたび衝突している間柄で、立興も浅野や駿賀の国の今井同様、緒張の地を狙っている。
が、ここ数年は自身の娘、綺蝶を黒田家に嫁がせるなどして同盟関係にあり、比較的穏やかな関係が築かれているが、表向きの話である。
「なるほどな、お主はまさに鳥兜(トリカブト)の花よ」
あぐらをかき、頬杖を突いて憲長は笑った。
輿入れしてきたその日より、綺蝶は憲長の首級を取ると口癖のように言い続けている。 嫁いだのも刺客としてであり、父親の命であるとも。
「蝮」とも異名を取り蛇を家紋とする斉藤立興の娘、父親同様毒を持つ気丈な女よと黒田家中の者は言うが、そうでは無いことを憲長は見抜いていた。
これは仔犬が大きな相手に必死になって吠え掛かっているのと同じだ。 虚勢である。
元々立興自身が娘である綺蝶をあまり可愛がっていないというのは、憲長はこの妻を娶る前に配下に命じて調べさせて知っていた。
政略結婚とは謀略であると同時に、ていのいい人質である。
373 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/02/05(火) 19:28:46 ID:???
元々あまり両者が良い関係でないのもそうだし、嫁いで来る姫に付いてこちらにやって来る、お付の侍女なども相手方の人間であり、こちらの情報を探るための密偵を兼ねているなどということも珍しくない。
それらしい節はあるし、憲長は綺蝶の侍女たちが自分の主人にたいしてあまり親身で無いのも知っている。
また、やはり調べさせて知ったことだが、立興も綺蝶のことは昔から持て余していたらしかった。
それはそうだろう、どこでどう捻くれて育ったのかは知らないが、日の光を極端に嫌って幽霊のように暮らすことといい、やや悪趣味とも言える、大陸伝来の馴染みの薄い洋風趣味の衣服を好んで着る事といい、尋常の娘ではない。
それでも人の親なら不出来でも我が子は可愛いものだが、斉藤立興は人ではなく蝮であり、蝮の血は冷たいのだ。 人情に縛られては国取りなど出来なかった男である。
加えてあまり愛情を傾けていない娘なのだ。 将来に斉藤が黒田を裏切ることになっても、特に痛くも痒くもない。
捨て駒なのだ、つまりは。
父親の命で、などというのも真実ではあるまいと思っている。
確かにそのような近い事を言って娘を送り出したのかもしれないが、考えてもみれば、綺蝶のようなか弱く、線の細く、箸の上げ下ろしもできるとは思えぬ弱々しい手や腕の少女に夫になる相手を殺せなどと、常識的に考えて本気で命じるはずがない。
そして肉親に見捨てられ、誰にも何にも期待されずただ一人敵地に送り込まれた少女が必死で自分を守ろうとして、自分に触れようとするもの全てに対して吠え掛かる。
いや、もともと美野にいた時から既にそういう少女だったのかも知れない。 愛情を十分に受けることなく育ち、他人への接し方がわからない。
憲長は綺蝶を手に負えぬ女だと思いつつも、そうした境遇に対して哀れみと愛しさを抱いていた。
孤独で逃げ場も頼る物も無い者を見ると、庇護したくなるのである。 ただ憲長はそれを自己満足を満たすための傲慢から来るものでしかないと断じている。
374 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/02/05(火) 19:30:07 ID:???
今の世は肉親や領民を思う仁や義、慈愛の感情など、戦の邪魔にしかならない。
敵地に攻め入って劫掠し、村々や城下の町に火を放ち、刀を抜いて相対したものはみな討ち取り、神と逢っては神を斬り、仏と逢っては仏を切る。
修羅に入らねば自分も誰も、何一つ守れぬのが現実なのだ。
ならば、政略結婚も裏切りも、敵を罠にかけることも国を奪うことも、常である。
ただし、憲長は一方でそのような世の中というものを酷く嫌悪してもいた。
戦の起こる度に領民たちは糧食の徴発や田畑を荒らされる事に苦しみ、夜盗どころか正規軍が略奪を横行させ、時には遊び半分に殺され犯される。
そのような世の中になって以来数百年、ただ戦を繰り返し、奪い失い消費して疲弊を重ねた結果が今のフソウなのだ。 愚かしいことだと思う。
国を治める帝の命に誰も従わず、朝廷は地方の反乱に対してなんら有効な手を打てず、守護や大名が勝手に権勢を伸ばしあい、治安を乱し、結果として国土は荒れに荒れて自分の首を絞めている。
このような事で、フソウは一つの国として機能していると言えるのだろうか。 国としての体裁すら整っていない。
憲長は誰かを激しく恨むとか怒るとかいうことはしない人間だったが、代わりに今の世の中というもの、そして世の中を作り出した人間たちというものに対しては真っ赤に焼けた炭火のような静かな憎悪を抱いていた。
戦が続けば苦しむのは民だ、民が困窮すれば税収も減り、そして結果的に困るのは支配する領主である。
戦は何ももたらさず消費するのみである。 合理的に考えればそもそも戦などするものではないし、戦の教本・兵法書にも書かれていることだ。
なのに、憲長が生まれるさらに大昔より続いているこの乱世が収まる気配は未だに無い。 戦は人の心を狭くさせ、目を曇らせるのだ。
今の世が戦で満ちているから、民も武士も、このフソウの天と地の全てにある生き物が苦しみ続けなければならないのだ。
375 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/02/05(火) 19:30:46 ID:???
憲長は今のフソウの惨状は、戦が続くことそのものにあると考えている。 それが全ての原因であり、民が戦火に追われ女が好きでもない男の元に嫁ぎ、肉親同士同族同士で殺しあわなければならないのだ、と。
戦の無い世であってもそれらが無くなるというわけではないだろうが、それでも今よりは不幸になる人間がずっと少ないはずだ。
恒久的な平和でなくとも良い。 せめて戦の止まらぬ世の中でなければいい。
そんな世の中を望むなら、なら自分は何をすべきか。 それが、憲長が常に考えていることであった。
「綺蝶よ」
憲長は部屋の隅の暗がりで肩を震わせながら泣いているような少女になるべく優しげな口調で声をかけた。
綺蝶がこっちを見たような気配がする。 憲長は自分の顔に笑みを浮かべた。
「俺は天下を取るぞ。 今の乱れたこの国を統一する」
「…お好きになさいませ。 殿の大願が成就なされますことを綺蝶は祈りまする」
暗がりの向こうから発した少女の声はやはり抑揚のないものであったが、わずかに「何を突然言い出すのだろう」という類の呆れた雰囲気が混じっていたように感じられた。
376 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/02/05(火) 19:31:58 ID:???
合戦前夜。
自衛隊は捕らえられていた狩川砦より名護城に移っていた。
隊の多くは返却された装備や車両の点検と、砲弾や銃弾の積み込み作業に忙殺されていたが、佐野、鹿嶋ら依然として指揮官としての立場にあるものと、各車両の車長である班長たちは打ち合わせのために集められていた。
この日の昼に黒田家当主、黒田正憲と家臣の主だったものとの軍議に参加した佐野元3尉は最初に、部下たちに決定された作戦内容と自分たちに要求されたことの説明を部下たちに行った。
まず、彼らは黒田憲長の配下として動く。 これは決定事項であった。
ただ、おおまかな命令は憲長の指示に従うものの直接部下を指揮するのは依然として佐野と補佐する鹿嶋である。
本来なら自衛隊を脱した彼らに指揮権は無い。 が、部隊が一つの集団として黒田軍に組み込まれる以上、一定の指揮統率は必要であり、曹以上の階級や役職付きの者の殆どが佐野・鹿嶋に従って自衛隊を辞めてしまったので
もし残った「いまだ自衛官であるものたち」が反対表明を行いたくても彼らにはかつての指揮官に代って「部隊」を動かす能力は無いのである。
それに、彼らとてあくまで「自衛隊」の立場に拘るのならそもそも黒田軍に自衛隊の装備を使用して戦争に協力すること自体が認められない。
そして結局は彼らだけ「殺されようとも規定に反することは出来ない」という意思を貫くこともできないのだ。
自衛官といえども彼ら一人一人は一個の人間である。 それを責める事は出来まい。
377 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/02/05(火) 19:32:57 ID:???
流れを戻して、憲長自身がそれ以上の手勢を父に要求しなかったこともあり、彼の率いる部隊は(元)自衛隊の戦車隊・偵察隊のみである。
といっても提供された糧食・必需品など輜重輸送の非戦闘要員は若干名同行する。
また戦車には黒田の家紋を記した旗指物が括り付ける事が要求された。
帰属陣営の識別のためであり、黒田の嫡男として存在を示すために必要だからである。 といっても必要の無いときは外していても良いと憲長は言った。
憲長も戦車や偵察警戒車に塗装された戦車連隊や偵察隊のマークが彼らの所属を表すものであると既に説明をされていたし、「既に家紋を持つものが正式な家臣になったわけでもないのに黒田の家紋を付けていては気分が良くなかろう」との配慮らしい。
まあ家紋というのとは違うのであるが…今は佐野や鹿嶋にとっては遠くなってしまった中隊マークである。
先の軍議では自衛隊、特に戦車の戦力に対して黒田家中からは能力を疑問視する意見が多数出た。
今になって、という気もするが実際戦車が直接戦っているところを見せたわけでもないのだから、当然だろう。
黒田の家臣たちは最初自衛隊を天狗の仲間かなにかと思った者もいるようだが、捕らえてみれば格好が奇異なだけで、自分らと変わらぬ人間なのを見て悪い意味で安心し、同時に未知のものに対する恐怖心も薄れてしまったらしい。
要は、変わった乗り物に乗って、変わった鉄砲を持っている変わった集団ではないか。
なに、浅野の小勢を数十人打ち倒したくらい、我らでも出来るではないか、と…つまり、悪く言えば侮った。
それに対して佐野は戦車が矢も槍も効かぬこと、泥濘でも荒地でも馬よりも早く走れること、そして実際に主砲の威力を試射してごらんにいれましょうか、と説明したが正憲が
「いや、それには及ばぬ」
と丁重に断ってしまった。
379 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/02/05(火) 20:25:18 ID:???
実を言えば、正憲の判断としては戦車の能力など実にどうでも良かった。
浅野は先日山中で自衛隊と遭遇し、交戦してその力の程を知っているはずである。
なにより戦車という「兵器」が佐野の説明する性能を持っていなくとも、戦車が馬の牽引も無しに異様なうなり声を上げて一斉に突っ込んで来ればその異様さに驚くはずであり、
そこを攻めかかれば隊列の崩れた浅野勢は崩れ、戦を有利に運ぶことが出来るだろう、という判断と評価をしていたのである。
つまり、実際に自衛隊が浅野の兵を打ち倒さなくてもいいのだ。 息子、憲長が指揮する部隊が浅野の隊列に横槍をくわせ、初陣を華々しく飾れればそれで十分というわけだった。
さらに、保険としてもう一隊を同時に浅野勢に突入させ、こちらを直接的に打撃を与える本命とする。
これは家臣のなかで武勇の誉れ高い柴田権六郎和家が任命された。 彼は自衛隊を待ち伏せによって捕獲したときの武将でもある。
憲長は自衛隊と自分の与えられた役割に対してやや不満げではあったが、軍議では終始無言を貫いた。
彼には彼の心積もりがあったし、自衛隊の能力と、戦い方は佐野から既に説明と話し合いを行って、行動指針を決めていたからである。
憲長と自衛隊は軍議での決定には大体従うが、細かいところで方針を一部無視するつもりだった。
「それで、戦車とはつまり、騎馬武者のように徒歩の足軽よりも早く動くことと、突進力で相手を突き崩すのが役目というわけだな?」
「我々の時代の戦車は昔、といっても我々の世界での昔の時代になりますが、騎兵の役割を担っていると例えられますので、それでおおむね合っています」
380 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/02/05(火) 20:26:13 ID:???
憲長は佐野が説明する戦車の運用とその能力を特に抵抗感なく理解していた。
元々役割が似たようなものであるし、初期の戦車部隊は騎兵を改変して編成されたものもあるだけに、当然とも言える。
そして、機動力こそが武器である、という佐野の発言には、ひとしきり頷いて感心した後こんな話を始めた。
「駒斐の国に武川法春院信治という武将がおる。 駒斐は古くからの馬の産地だが、武川勢は武川騎馬軍団と異名を取るほど騎馬武者の比率が多い。 全軍を騎馬武者に出来るほどでは無いが、な。
戦力としてだけでなく兵站の輸送にもふんだんに馬を使えるゆえ、武川の軍は移動が早い。 全軍が動くのが早ければ、それだけ有利に戦をすることが出来る。 敵に対応する暇を与えのだからな。
お主らの軍も、そうした機動力、を武器にしておるのか?」
「全てではありませんが。 そういうものを機械化部隊といいます。 機甲部隊…戦車に追随して相互に支援しあうことでさらに強力になります」
成る程な、と言って憲長はまた感心した。
佐野はその他に諸兵科連合や航空部隊の支援を受けた電撃戦などについていくつかの戦史を交えて説明したが、憲長はそれらに対しても早い理解力を示していた。
教えれば教えるだけ吸収してゆくし、応用力もそれなりのものがあった。
小一時間ばかりはそうした近代戦の講義に終始し、見かねた鹿嶋が佐野と憲長に促して本題に戻るという一幕もあった。
381 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/02/05(火) 20:27:06 ID:???
「佐野、お主が言う戦車の力が言葉どおりなら、戦車一台で騎馬武者が50は集まる以上の働きが出来よう。 となれば、だ。 我々は浅野を驚かすいわば「勢子」に甘んじている必要はないであろう?」
「その通りです。 我々が全力を出せば、黒田軍本隊が戦う必要もなく勝利することが出来るでしょう」
憲長と佐野、鹿嶋以下各班隊の班長は地図を広げて作戦の検討と打ち合わせに入った。
現在判っている浅野の動員兵力はおよそ4千。 対して黒田は2千5百(+自衛隊)。 浅野の魚鱗陣形に対して黒田は鶴翼陣形である。
憲長隊(自衛隊)の配置は最右翼、柴田隊が反対側となる最左翼に位置し、それぞれ兵を伏せて機会を待つ。
両翼の部隊の存在が察知されない場合、浅野からは黒田は一見防戦に適した方陣形に見えるため、浅野が数に頼み中央突破に適した陣形で一息に蹂躙しようとするだろう。
そして伏兵に気づかないまま突撃して来たのを見計らって両翼から挟撃する。
「多少、読みが楽観的といいますか、浅野がこういう予測どおりに動くという根拠はどこにあるんです?」
鹿嶋の質問に、憲長は特にどうということはないという風に平然と答える。
「浅野の常套手段だからだ。 馬鹿の一つ覚えともいう。 浅野の大将、浅野幸成は戦は力押しする物だと思っているからのう」
「そりゃあ…相手より自分の数が上まわってるなら小細工を弄する必要もなく勝てるわけですから、正しいといえば正しいですが」
物量とは力である。 大軍を動員する力があるということは兵站を維持する経済力もあるし、矢や予備の槍・刀を用意して湯水のように消費することも出来る。
ならばそのままその力を全力で投入して、勝ってしまえばいいのだ。 火力(戦力)の集中は孫子の昔からの基本だ。
382 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/02/05(火) 20:28:02 ID:???
「他に浅野の使う手といえば、主力が戦っている間に別働隊を我がほうの小城や砦に向かわせて、奪ってしまうことだ。
元より黒田は兵が少ない。 守備に回せる兵も足りぬ、包囲も怖い。 ゆえに補給線を守る各砦が奪われれば、後退するしかない」
自衛隊が最初に浅野の兵と遭遇したときも、浅野はその戦術を使った。
それは記憶に新しく、自衛隊は数名の…といっても大きな損害になる、死傷者を出したのである。
その意味でも浅野は仲間たちの仇と言える。
「あの時は我々は状況が把握できず、また自らに枷を持っていた。 今は存分に力を振るっても、誰にも咎められはしません」
「うむ、期待している。 でなければお主らを説き伏せたかいが無い。 さらに今回は浅野が正面決戦を挑むように、前もって間者(情報工作員)を使って誘導しておる。 我らは前もって布陣を完了し、迎え撃てばいい」
佐野と憲長は互いに頷きあった。
佐野が「自衛官」を捨てた理由の一つ、それは自衛隊ならば自己防衛のためにしか実力行使をすることはできず、それも最低限にしか武器を使うことはできないが、自衛隊を脱した今は砲弾も銃弾もいくら使っても、咎める法も人も誰もいないのだ。
少なくともこの世界には。 オールウェポンズフリーである。 ただし…弾薬の補給が望めないことだけを除外すれば。
383 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/02/05(火) 20:29:00 ID:???
「ならば、脅かす役と言わず、いっそ本陣に突撃敢行してしまいましょう」
「あわよくば、大将の首を取るというわけですか」
「砲で首ごと吹き飛ばしてしまいかねませんな」
「戦車で轢いたら夢見が悪い、ははは…」
数日前の牢内での一件など吹き飛ばすかのように、各班長たちは戦いに乗り気になっており、殆ど勝ったような雰囲気にすら成りつつあった。
近代技術の粋である戦車と、刀や槍の時代の歩兵では戦力比較は文字通り象と蟻のそれである、負ける要素が無い、という自信もある。
そして話の最後のほうは多少物騒な冗談交じりになっていた。
それらを見ながら戦車への草木を貼り付ける偽装の作業を行う一部の、なおも自衛官であり続けることを望む「元部下」たち数名は穏やかでない視線を佐野や鹿嶋に向けていたが、気づかれることは無かった。
507 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/02/06(水) 19:55:27 ID:???
翌朝。 憲長隊は夜が開けきらぬ内に合戦場予定地に向け出発した。
柴田隊も同様である。 本隊に先立って伏兵を敷き、浅野の軍勢を待ち受けるためだ。
特に自衛隊車両は移動に大きな音を立てるので、なおさら浅野勢が来る前に配置を済ませておく必要があった。
移動は事前に道順を確認し、偵察警戒車が先導を行っている。
自衛隊の車列は90式戦車3両と74式戦車、偵察警戒車が各2両、そして輸送の中型トラックと、馬に荷物を載せた小荷駄隊である。
移動中、上半身をハッチから出して周囲監視を行っていた佐野は大事なことを一つ忘れていたことに気が付き、車内の砲手席に座っている憲長に尋ねた。
戦車乗員と偵察隊員に既に死亡したもの3名と戦闘に参加できない重傷者1名がいるので、定数割れを起こしているため戦車1両分の人員が足りず、また憲長が戦車に乗りたいというか佐野と直接話して指示を行うことを希望し、
佐野の乗る小隊長車の砲手を他の車両に回して憲長を乗せたのだ。
90式戦車は車長席からも砲を操作できるので、特に問題にはなっていない。
「確認するのを忘れていましたが、浅野に我々の伏兵が気づかれる恐れは?」
「問題ない。 敵の斥候は事前に我らの配下、滝川葛益の忍び衆が始末することになっておる。 葛益はお主らを見つけ柴田が捕まえる助力をした功の者ぞ。 お主ら、我らが監視していたことについぞ気づかなんだであろう? 安心して葛益に任せよ」
と言っても敵の斥候の全部を潰してしまっては、今度は斥候が戻ってこない事に浅野が不審がる。
こちらを見つけたり遭遇してしまいそうな斥候は排除するが、そうで無い物は素通りさせる。 今回の作戦の肝に浅野を上手く布陣の中に誘導するというものもあるので、ある程度はこちらの陣容を教えてやる必要もあった。
砲手席で腕組みしながら答える憲長は戦車の乗り心地に満足したのか上機嫌だった。 いったいどうやったのか、器用にも甲冑を身に着けたまま車内に上手く入っている。
(しかしその代わり、後で戦車から降りるときには今度はなぜか甲冑がハッチを上手く通らず、酷く苦労することになってしまっていたが、この時はそんな事は知る由も無かった)
509 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/02/06(水) 20:02:05 ID:???
日は昇り、時刻が正午にも達する頃、黒田・浅野の両陣営はほぼ布陣を完了した。
浅野の布陣は事前の予測どおり魚鱗陣形、そしてちょうどこちらの鶴翼陣形の中に入った状態となる。
ただし、浅野の魚鱗陣形は先頭中央の備えが予想よりやや厚く、こちらが浅野の本陣を襲撃するより先に黒田側の本陣が破られる恐れがあった。
「その代わり、左右の備えはやや薄うござろう。 若殿はご安心して戦われなされ」
浅野の斥候の排除と敵配置の情報収集を終えた滝川葛益が自身の配下の数名とともに憲長の元へ直接出向き、報告した。
彼と憲長の周囲には佐野、鹿嶋と伊庭他偵察班数人が車両を降りて立っている。 まだ戦が始まるには少し時間があった。
自衛隊は草木に隠れる偽装にはかなりの自信があり、また何者かが接近してもすぐに対応するつもりでいたが、滝川と忍び衆はいとも簡単に自衛隊を発見し、接触して見せた。
予定された布陣図があり大体の居場所はわかっていたとはいえ、滝川に言わせれば自衛隊の偽装はまだ荒く不自然な所が多すぎるとの事だった。
「空挺や特殊作戦群だったら陸自も忍者に負けてねえよ」
とは、偵察班の一部の者の対抗心からでた言葉だ。
言ったのは小川曹長だが、伊庭は曖昧な返事をしておいた。
まあ、いくら草を貼り付けて蓑虫みたいにしたとしても、自然に見せかけるのは無理があるのだが。
それに元々戦車の偽装は遠目に見たとき解りにくいするようにするためだ。
511 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/02/06(水) 20:04:56 ID:???
彼が忍者と聞いていたので佐野の他、数名は黒装束を纏った一般的な忍者のイメージを想像していたのだが、葛益たちは普通に鎧(と言っても、西洋風チェインメイルに所々日本風の意匠を施したプレートを付けた、
妙な違和感を覚えるもの)を着ていてどちらかというと一般的兵士の姿だったので、その期待は裏切られた。
ただし、鎧や衣服のあちこちには返り血らしき染みがある。 彼らが平然と報告をしつつも、既に敵と死闘を演じてきたことを窺わせた。
鎧を脱いでいた憲長はうむ、と頷いた。(ハッチを通れずに結局脱いだ。 また、二度と鎧を着たまま乗るまいぞ、と呟いていたのを何人かが聞いた)
「それで、父上への報告は?」
「は、既に配下のマギにより済ませております。 我らは若殿の護衛に。 それと、若殿はマギを供にするのをお忘れになりましたでしょう。 伝令もおりませんし、若殿と本隊との連絡が…」
ああ、失念しておったわ…と憲長はため息をついたが、佐野たちには話が通じない。
「どうしたのですか?」
「俺としたことがマギを連れて来るのが頭から抜け落ちておった。 不覚」
512 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/02/06(水) 20:05:51 ID:???
「マギとは?」
「修行により異能の力を身に付けた者たちだ。 例えば、言葉を発さずとも頭で考えるだけで仲間同士で会話ができる。 黒田では斥候に同行させて、いち早く敵の動向を本陣に伝えるように使っておる」
憲長はそう説明し、現代語に言い換えればこの情報収集能力と伝達能力の速さが黒田の強みだ、という意味の解説を行った。
それに対し、伊庭がボソリと呟いた。
「それ、偵察だけでなく本陣と他の部隊との連絡にも使えば、伝令を走らせる必要は無いんじゃ…?」
それを耳にした憲長が腕組みをして眉根をひそめ、滝川は頭をかきつつ天を仰いだ。
今まで思いつかなかった、という訳では無さそうだが、何か不味いことを言ったのでは?という空気が蔓延して伊庭に視線が突き刺さった。
余計な事を言ってしまったのか?と伊庭が少し青くなる。
「それ、むずかし、もんだいです。 くろだのひとたち、みんながマギのちから、みとめたわけでは、ありません」
片言のややおかしな発音で話し始めたのは、滝川の配下の中にいた一人でフードを被った長身の男だ。
周囲の人間より頭一つ分は飛びぬけていた背丈のその人物がフードを取ると、その下からは金色の髪と青い瞳、そして明らかに日本人離れした顔が現れる。
513 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/02/06(水) 20:06:52 ID:???
「外人!?」 「外人だ」
思わず伊庭を含む何人かが声に漏らす。
その人物はどうみても、憲長や滝川といった日本人に近い顔立ちというより、白人系の顔のつくりをしている。
どことなくその顔は某FSB元長官の某国大統領に似ている気がする、と伊庭は思った。
ただちょっと違うのは無精ひげを生やし、やや若々しい辺りだ。
「官兵衛だ。 これが今言った、マギよ。 マギを伝令に使うのも、官兵衛が発案した」
憲長が紹介すると、官兵衛はやや不機嫌な表情になった。
どうも憲長の呼んだ名前が気に入らないらしい。 片言のフソウ語(日本語)で懸命に抗議する。
「にぇっと。 かんべ、ちがいます。 わたしのなまえ、じょぉすいぃ、いいます」
「じょすいでは言いにくい。 今はお主は改名して官兵衛だ」
「じょすい、ちがいます、じょ・ぉ・すいぃ。 わたし、かんべ、いいにくいです。 きちほうしさま、くににいられなくなて、フソウにきた、わたし、たすけてくれた、かんしゃしてる、でも、かんべ、なまえきにいりません」
「慣れよ」
「にぇっと…」
514 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/02/06(水) 20:07:47 ID:???
官兵衛は元々は大陸のルシアンという国の東部沿海州に住んでいたというが、そこで紅旗教という新興の宗教集団が布教を始め、当時官兵衛が使えていた主君は紅旗教への布施を拒否したために
いつの間にか民衆の敵ということにされてしまい、領民に殺されたのだという。
ルシアンではこの宗教が次々と勢力を広めてゆき、紅旗教を認めない者はいかに正しいことをしていようとも粛清と称したリンチや暗殺の対象になるため官兵衛は外国に亡命しようとした。
最初は大陸の国家であるシンに行こうとしたのだが、海路を選んだため運悪く船が難破してしまい、フソウに流れ着いた。
放浪の後、元服前の吉法師という幼名だった時代の憲長に出会い、仕えるようになったのだという。
「今は葛益の配下につけて忍び衆の中から素質あるものを選び、マギの技能を仕込んでおる。 大陸ではマギはこうした事に使われるのが一般的だそうだ。
…が、フソウでは馴染みが無い故に受け入れられにくい。 官兵衛が紅毛人というのもある」
「拙者ら忍びの者は元々常人からみれば十分異能の者と思われておりますれば、我ら自身はさほどマギの力や官兵衛殿に抵抗は感じませぬ。 されど、お屋形様や柴田殿などは…」
要するに、理解不足と運用実績の少なさ、それに多少は人種や異文化偏見というのもあるらしい。
なんとなく、佐野らは自衛隊という組織や官僚にも似たような保守的過ぎて硬質な点で思い当たるところがあると思った。
それにしても、滝川は自分で言ったのでともかく憲長がそうした偏見が無いのは何故だろうか。
佐野は思い切って尋ねた。
515 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/02/06(水) 20:08:30 ID:???
「俺も最初は官兵衛を紅毛人ということでただ珍しがっておった。 が、官兵衛もしだいにフソウの言葉を憶えるにつれ、会話が出来るようになってな。 大陸の色々な話、知らぬことを教えてくれた。
そして解った。 大陸人もフソウ人も同じだとな。 そして、フソウがどれだけ狭いかも知った。 なのにフソウの外の国々のことを多くの者が知らぬ。 戦に追われて周りを見る余裕がないのだ。
俺はこの国のそのような時代を終わらせたい。 大陸にはフソウより進んだ国も多くある。 今は一部の貿易商人のみが大陸とフソウを繋いでおるが、商人どもに独占させておくにはあまりにも勿体無い。
この国は外国から良い物を取り入れねばならぬ。 新しい風を吹き込み、澱んだ空気を取り払わねば、この乱世は終わらぬ。 それには、俺自身がまず変わらねば、成せぬ」
佐野たちは納得した。
なぜ憲長が自衛隊の装備を見て、その力の程を読み取ったのか。
なぜ自衛隊を自勢力に積極的に取り込もうとしたのか。 未知のものを抵抗なく受け入れることができるのか。
憲長は既に官兵衛という「未知な存在」と触れ、学習したことにより旧来の狭い世界の常識に囚われない柔軟な視点の考え方が出来るようになったのだ。
官兵衛と出会ったのが少年期であったことも精神形成に大きな影響を与えたに違いない。
佐野が戦車の能力や運用方法を憲長に説明したときもそうだ。 そこでふと、佐野は自分たちは憲長というこの少年にどれだけの影響を与えたのだろう、と思った。
もしかしたら、彼という人物を大きく変えさせる、とてつもない「きっかけ」となってしまったのではないだろうか?
なんとなく空恐ろしいものを感じていると、今まで話に参加せず虚空を見つめていた官兵衛が突然憲長の前に移動し、口を開いた。
516 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/02/06(水) 20:09:23 ID:???
「きちほうしさま、まえだどの、まいられる、よです」
「…何? 此処にか? あ奴は父上直下の黒母衣衆であろうが。 伝令か? よもや布陣に何か変更でも」
「いえ、まえだどの、おひとりで。 でんれいならば、ふたり、くるはずです」
質問される前にすかさず葛益が佐野にマギの能力の一つに、一定範囲内に接近してくる人間を敵味方区別付きで把握することが出来る、と説明する。
そして鹿嶋が黒母衣衆とは、?と尋ねると、憲長は黒田家の家中より選りすぐりの若武者を集めた、騎馬武者のみの部隊で、伝令や攻勢に出るときの予備戦力として使われる。
伝令は敵味方入り乱れる戦場をペアとなる2騎のみで駆け巡るため、特に肝の据わった勇敢な者が選ばれ、それゆえに死ぬものも多いが生き残ったものは必ず将来黒田の中核を担う家臣になる、と説明した。
要するに将来を期待されたエリートによる少数精鋭部隊なのである。
「で、なぜ本陣におるはずの犬千代が此処に来る。 勝手に戦列を離れては咎めを受けるであろう」
「はい、しかし、もうきた、よです」
官兵衛が言い終わると同時に、高らかな馬の駆ける音とともに「わーーーーかーーーーとーーーーのーーーー!!!!」と叫ぶ声が近づいてくる。
517 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/02/06(水) 20:10:05 ID:???
伏兵として偽装してまで居場所を隠しているというのを知らないのか、大声で、おそらく憲長をだろう、呼んでいる。 憲長は渋面を作って、片手で頭を抑えた。
浅野側に声が届いたらなんとする…
「いーーーずーーーこーーーにーーーおーーーらーーーれーーーまーーーすーーーっ!! 利信が参りましたーーー!!」
「何者ですか。 お味方のようではありますが」
「前田又佐衛門利信…俺は犬千代と呼んでおる。 俺の乳兄弟で、若干齢16にして黒田随一の槍の使い手だ」
「はあ…で、叫びながら通り過ぎて行きましたね」
鹿嶋と憲長がそのようなやり取りをする間に、騎馬武者は四方八方によく通る大声を撒き散らしながら憲長たちの伏せている陣地の前を通過し、速度を落とさず疾走して行った。
「葛益…呼び戻して来い。 浅野の方へ行かれて討ち死にしても困る」
「御意にて」
518 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/02/06(水) 20:10:45 ID:???
1分後、馬にどうやって追いついたのか不明だが、前田犬千代は葛益によって呼び止められ引き返して来た。
犬千代は朱塗りの槍を手に、背に大太刀を背負ったなかなかの丈夫である。 顔はやや幼いが、体格からはとても16歳に見えない。
着ている漆黒の甲冑は和式甲冑でいう南蛮胴具足にも似ていたが、肩当てや篭手、脛当てなども西洋式フルプレートメイルに似たデザインになっている。
彼が背中の大太刀を下ろすと甲冑の背中部分に白い字で「大ふへんもの」と書かれていた。
にこやかな笑みを浮かべながら馬から下りてきた犬千代を、憲長は睨み付けた。
「若殿! この利信を若殿の初陣たるこの戦に、若殿の隊にて「先駆け」を任じくださいますよう、参上してございます!!」
先駆けとは突撃の際の最先頭に立って誰よりも先に敵陣へ突っ込む役を担う、言わば切り込み隊長である。
危険な任務であると同時に名誉も大きい。 が、憲長は冷たい口調で犬千代の要望を却下する。
「ならぬ。 咎めを受けぬうちにはよう父上の本陣へ戻れ。 咎めを受けても父上には後で俺から取り成してやる」
その声は厳しく彼の要望を受け入れる余地などどこにもないといった風であった。
犬千代の表情が硬くなり、うっと言葉に詰まる。 自分の行動は軍律違反だからである。
既に戦の直前であり、事前の計画通りに全軍が動いている。 個人の勝手なわがままなど通るものではない。
しかし、犬千代は頑として引き下がらない。 がば、と両手を地面に付き、頭をこすり付けるようにして懇願してくる。
524 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/02/06(水) 21:08:51 ID:???
「なにとぞ、なにとぞどうか! 利信を若殿の側で働かせてください! 此度の出陣、若殿は家中のものではなく、この者らのみを手勢として戦われるよし、
あまりにも無情にございまする! 若殿は家臣よりもこの得体の知れぬ者どもを信用なさるおつもりですか!? この利長さえも、信用できぬ、お役に立てぬとお考えでございましょうか!
後生でございます、利長が今この戦で若殿のために槍働きができぬと申されるならば、いったいこの先、いや、若殿が黒田の大将となられた後も、どうして若殿のためにお仕えできましょうか!
若殿が黒田家中のものをお使いになさらないならば、どうして我らが若殿に付いていきますでしょうや!」
ふむ、と憲長は頷いた。 佐野たちは憲長と家来の間での事らしいので様子は見ているものの黙っている。
「連れてってやればいいんじゃないか?」という呟きがどこかから聞こえた。
「まあ、お主の言うこともっともである」
憲長のその言葉に犬千代が顔を上げる。
その表情は明るく喜びに満ちていた、が憲長の表情は変わらない。
犬千代の表情が再度硬直した。 そして宣長は彼に厳しく冷たい口調のままで続けた。
「そういう事であれば戦の始まる前に申し出て置くものだ、うつけめ。 全く…ええい、もうすぐ浅野の前衛とわれらの本隊が戦端を開くであろう。
今から戻ってもどうせ間に合わぬし、お主を処罰しておる時間も無いわ」
「は…!」
「好きにせい。 付いてくるのは勝手だ。 功を上げれば罪と相殺にしてやる」
525 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/02/06(水) 21:09:29 ID:???
そう言うと憲長は犬千代に背を向け、90式戦車の方へ歩き出した。
犬千代は「ありがたき幸せに存知まする! 若殿のために存分にこの力を奮いますゆえに!」等と感涙にむせび泣きながら叫んでいた。
美しい主君と家臣のやりとりの場面だなあ?、などと小川は冗談めかして呟くが、矢野はうかない顔をしている。
伊庭はどうした?と声をかけた。
「いえ…柴田権六朗、て俺たちの歴史の柴田権六つまり勝家と名前が似ているし、前田又佐衛門にしたって、犬千代とくれば前田利家だなって」
「はあ? 柴田とか前田とかってのがどうしたよ」
小川は何をよくわからない事を、という表情をしている。
矢野は、いえね、と慌ててわかりやすく説明を始めた。
「柴田勝家と前田利家って言うのは、織田信長の家臣なんですよ」
「織田信長…ホトトギスは殺せっていった武将がどうしたよ」
小川の歴史知識はその程度であるらしい。
伊庭も似たり寄ったりで、織田信長といえば鉄砲を集中運用したり本能寺の変で死んだという歴史教科書に乗っている程度でしかない。
が、矢野は多少詳しいようで、歴史上の人物を共通する色々と奇妙な点を見つけたことを言い出していた。
526 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/02/06(水) 21:11:10 ID:???
「この地域は緒張…織田信長がいたのは尾張、現在の愛知県です。 で、ここの領主が黒田。 黒田上総介憲長と織田上総介信長ってなんか名前が似てると思いませんか? 加えて幼名がお互い吉法師、です」
伊庭、小川がそれぞれ「あ」「うん?」と呟く。
「それじゃあ何か、俺たちの目の前にいるのは織田信長ってことか?」
「それも違う気が…名前や地名だけでなく暦とかも俺たちの歴史と全然違うみたいですし、鎧の形とか食い物とか微妙に日本のものじゃないでしょう?
言葉もなんか俺たちの現代日本語がそこそこ通じてますし、昔の日本語って時代劇で聞くようなのじゃなくもっと違ったはずなんですよ」
伊庭もだんだんと考え始める。 確かにここは日本に似ている世界で、日本で言う戦国時代に近い状態であるようだ。
全く日本と同じでないからタイムスリップで昔の日本に来ている訳では無さそうだし、違うところも多い。
人物に関してもそうだ…さっき犬千代の背中に書かれていた「大ふへん者」という文字だが、伊庭は漫画でしかしらないが本来それは利家ではなく前田慶次(利益)の方ではなかったろうか?
だがもしここが日本に近い姿をした別の世界で、黒田憲長が織田信長に相当する人間なのなら、いま黒田と一緒に戦っている自分たちは、織田の鉄砲隊ということになるのだろうか?
いや、鉄砲隊というより戦車隊になっている気がするが。
「あと、滝川葛益も滝川一益なら、彼は忍者の出身っていう説があるし、官兵衛の元の名前もジョスイ…如水=官兵衛ならそれは竹中半兵衛とならんで軍師と呼ばれる黒田官兵衛だ。 でもこの時期黒田官兵衛は織田に仕えてないし如水と名乗るのはずっと後だし…」
「知るかよ、そんなことまで。 どっちにしろここは俺たちの世界と違うんだ、全部が同じってわけはねえよ」
なおも腕組みして考え続ける矢野に対して小川は不得意な分野なので既に気にするのを放棄しているようだ。
確かにそうだ、似ているとはいえ違う部分も多いこの世界では、仮に憲長が織田信長だったとしても、これからの彼の行動や人生がそのまま織田信長になるわけではない。
ただ、この世界の奇妙さが増しただけだ。 それでも伊庭は、気になる点がまだ残っているような気がした。
527 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/02/06(水) 21:12:38 ID:???
黒田の旗指物に描かれている家紋もだ。 織田信長の家紋を伊庭はよく覚えていないが、戦車に付けよと言われて渡された旗指物に描かれているのは、桜をモチーフにした家紋である。
この家紋は、どことなく自衛隊の桜マークにも似ている気がしてくるのである。
「そういえば、マギは決定的に違う点だな…離れた人間と会話したり人が近づくのを察知したりというのは超能力か? いや、俺たちの世界にも科学的に証明されて無いだけで実在するかもしれないが」
他にも、伊庭はまだ見たことは無いが業隷武という自動で動く機械のような存在がある事についても考えた。
少なくとも戦国時代、中世期の日本に自動機械の類は無かったような気がする。
からくり人形などはあった様だが…機械が作れるということは、案外この世界は自分たちの日本の戦国時代よりも科学が発展しているのだろうか?
ならば、燃料や弾薬の精製、製造は可能にならないのだろうか?
今の状況は物資がとても足りているとはいえない。 遅かれ早かれ戦車も小銃も使えなくなる時が来るだろう。
現地で作れる、再現できるものがあるなら、手段を探してみることも必要ではないのだろうか。
伊庭がそのような思案を始めていたとき、遠くのほうからほら貝を吹くような音が聞こえてきた。
「始まったようだ。 本隊と浅野がまずは様子見にひと合戦といったところか。 さて、黒田の一番槍は誰になったか」
528 名前: ◆XdgIHnFrK. [sage] 投稿日: 2008/02/06(水) 21:14:05 ID:???
憲長が戦車の砲塔の上に立ち、本陣の方向を見る。 此処からでは旗が動くのみで戦場の詳細な様子はわからない。
佐野と鹿嶋はそれぞれ戦車隊と偵察隊に全員乗車、戦闘準備を命じた。
急いで車体を上り、ハッチに飛び込もうとする佐野に憲長が声をかける。
「まだ焦らずとも良いぞ、突撃の時期は本隊よりマギか伝令で指示が来る」
「は、全車、エンジンはまだかけるな」
伊庭達も自分らの班の偵察警戒車に戻る。
乗り込む前、ふと伊庭はポーチからマガジンを取り出して89式小銃に装てんした。
上から、小川の声が降ってくる。
「まだ早いからな、安全装置はかけとけよ」
伊庭は、無言で頷いてから車内に入りハッチを閉めた。
(続く)
746 : ◆XdgIHnFrK. :2008/06/19(木) 20:12:41 ID:???
フソウ戦記(仮)
戦争はまず、矢を射掛け合うことから始まる。 「いくさ」の語源でもある。
フソウでは伊庭たちの日本に似た、和弓も使われていたが、弩(クロスボウ)も普及している。
足を引っ掛け、腕と背筋を使って弦をひくヘビィクロスボウのような物ではなく、
腕の力だけでひけるライトクロスボウに分類される程度のものだったが威力・射程・命中精度は弓をしのぐ。
陣の前に一列に並んだ置き楯で相手の矢を避けながら、指揮官の騎乗した武士の号令一下、一斉に数十の太矢が敵陣へと放たれる。
多くは置き楯に突き刺さり、一部が運の悪い敵射手の体に深く突き刺さる。
距離にして80間前後(150mほど)の距離を離れていても、足軽程度の身に着ける量産品の胴鎧などはやすやすと貫く威力である。
やがて、残りの矢が少なくなった頃合を見て、槍隊が槍襖の隊形で正面から、騎馬隊(徒歩の従者を引き連れた歩兵支援部隊で、
騎兵単独で突入やかく乱を行う機動戦力とは別)が側面を援護しながら突撃を行う。
これがフソウ国のほぼ基本的な戦争の形態だ。
そして、突撃を開始した浅野勢を防御体勢の黒田勢が迎え撃つ。
槍と槍、馬と馬が激突し、遠距離戦から近接戦へと移行した戦場は双方の雄叫びと血しぶきで狂乱の絵図となった。
野部に面した杉林の中に、一本だけ突き抜けて高い、樹齢が900年にも及ぶだろうという古杉がある。
その天辺にのぼればこの辺り一帯を見通すことができるが、その高さまで上れるのは猿か天狗だけだ。
今、そのまっすぐな杉の木のはるかな天辺に鳥の顔を模した”面”を付けた一匹の天狗が止まって戦場を見渡している。
面の形状からしてカラス天狗と呼ばれる階位に属する個体のようだった。
面は、天狗の社会で身分を表す道具であり、公式な場所や外界では必ず身につける。
この辺りで黒田と浅野の戦が始まって以来、彼は暇さえあればこうして人間たちの戦を見物していた。
俗世、人間たちの事に関わるべからず、自らの領土たる山を離れるべからず、天狗の年寄りたちはそういう昔からの戒律にとかく煩い。
だが、人間たちが天狗の領土を侵すような事態になりそうな時は別で、監視や警告のために斥候を人里に遣わすことになっていた。
このカラス天狗もそうした一匹である。
747 : ◆XdgIHnFrK. :2008/06/19(木) 20:14:04 ID:???
よく、飽きもせず同種同族で殺し合いが出来るものだ、天狗の言葉でそう独り言を言いながら、カラス天狗は杉の木の上で器用に胡坐をかき
高下駄の鼻緒を直しながら、刀と槍と鎧と旗のひしめき合う戦場を見下ろした。
天狗たちは人の前に出るとき、人間の目に付くような場所に出向く時に人間たちの山伏・修験者と呼ばれる者たちの姿形を真似る決まりがあったが、
これは大昔、人間と積極的に接触を持とうとしなかった天狗たちが唯一目にする機会のあった、山の奥深くまで進入してくる人間、山伏たちの
格好を見てこれが人間たちの着る衣服のスタンダートだと思い、そのまま真似たためである。
人間と天狗は外見の容姿が違うところも多くあり、身体機能や能力にも差があるため人間は天狗を恐れていた。
故 に、天狗たちは人間と接触する時に彼らを必要以上に驚かせることの無い様にと、せめて着ている物ぐらいは同じにして、それほど違いの無い
話の通じる存在だ、と人間が安心できるよう配慮したつもりだった。
が、この装束が人間の中でも一部しか着ない物だと知った今は単なる天狗にとっての習慣と化している。
このカラス天狗は比較的若い固体で山を降りた外界というものに強い好奇心を持っていたため、斥候役に志願したのだが、
彼にとって実際に目にした「実物の人間世界」というものは、暇さえあれば人間同士の縄張りを巡った殺し合いに終始している印象しかなく、酷くつまらない物に見えた。
天狗にも領土意識はあり、同族以外が自分たちの領土に近づくのを忌避するが、自分から異種族の領分に侵入してこれを奪いたいとか、
必要以上に他者を攻撃して殺害したいというような概念が天狗という種族には殆ど無い。
そもそも天狗は自分たちの領土以外には無関心で、これを侵すということもその必要性もない。
他の山に棲む同族の天狗たちと殺しあうことも、一般的に想像の範疇外だし理解できない行為だ。
748 : ◆XdgIHnFrK. :2008/06/19(木) 20:15:06 ID:???
人間が入って来れないような険しい山奥という狭い領土しか持たない天狗からみれば、人間たちは天狗より拾い領土を持っているのに
それらを互いに奪わなければならないほど困窮しているのか?とさえ思える。
もっとも、天狗は種族として個体数が少ない上に異種族どころか同族とも住む山が異なれば接触の機会も少ない故に、領土の狭さ貧しさに困るということも
他所から奪い取るということも発生しないだけなのかも知れ無いが…
とりあえず、このカラス天狗にとっては人間の戦争はもう見飽きていた。
人間の戦争がお互いの武器を相手の体に突き刺したり切りつけたりといった天狗から見れば単純すぎる原始的な方法でしか行わないのもそうだ。
天狗同士で戦(それこそ滅多に行わないが)をするなら、突風を起こして相手を吹き飛ばしたり、無数の石礫を飛ばしあったり、幻術を使って惑わしたりと、
派手かつ多彩な攻撃で相手を翻弄しつつ、相手の戦法、手の内を読んで目論見を崩し、裏をかき、追い込み、あるいは逆転し…とにかく高度な駆け引きを行うものだ。
なのに人間ときたら、頭数ばかりは天狗より遥かに多いくせに、そろいもそろって押し合いへし合いの戦しかしない。
そして最後には押し負けた方が散り散りになって逃げてゆく。 戦の理由からして理解不能だが、何が楽しいのかカラス天狗にはさっぱりわからない。
戦の後に得たものといえば、倒した敵の切り取った頭のみ。
頭を切り取ってその数に一喜一憂しているなんて、赤鬼と同じくらい野蛮だ。 ひょっとすると人間とは知能も赤鬼か、よくて青鬼と同程度なのかもしれない。
749 : ◆XdgIHnFrK. :2008/06/19(木) 20:15:58 ID:???
案外、人間の世界というものは思っていたよりもつまらない、カラス天狗が思わず面を外しつつ欠伸をしかけたとき、彼の鼻に今までかいだことの無い臭気が漂ってきた。
物が燃える臭いに似ているが、何を燃やしているのか、酷く異質な臭いである。
彼は戦場を見回し、付け直した面の額に人差し指と中指をあて、念を集中させる。
千里眼と呼ばれる望遠レンズのような機能を果たす術を起動させて、臭いの元と思しき物を探した。
すると、戦場の端のほうの草むらから何かが動き出し始めているのを見つけた。
順風耳(集音マイクの様な術)も用いて音を聞くと、獣のうなり声にも似たこれまた異様な音と共に、動き出した箱型で草木をくくりつけた物体が
煤のような息を尻から盛んに吹いているのが見て取れた。
訝しげに見ているとひとつ、ふたつ、みっつ…とその物体はそこに潜んでいたのか、草むらから次々と現れて、戦争をしている人間たちの群れのほうへと
その鈍重そうな外見には見合わない足の速さで進んで行くではないか。
いったい、あれは何なのか。 人間たちがつまらない戦争に飽きて、一風変わったものでも拵えたのだろうか?
興味深げにカラス天狗がその物体…(知る由も無いことだったが、自衛隊の戦車である)たちを観察していると、やがて彼は人里に降りてきて以来
最も驚愕する光景を目にすることになった。
750 : ◆XdgIHnFrK. :2008/06/19(木) 20:16:53 ID:???
「全車、横列隊形で前進、あと200前進で躍進射撃、発砲は指揮車両に合わせ」
「ハクバ1了解」
「ハクバ2、了解」
草を踏み均し、泥を跳ね上げ、猛然と進撃する90式戦車と74式戦車。 合計5両。
そしてその両脇を警戒する位置に、やや後ろに付いて2両の偵察警戒車。
指揮車両である90式戦車のやや後ろに、置いていかれまいと必死に馬を走らせる前田又佐衛門利信こと犬千代。
戦車のハッチを開け、黒田憲長が上半身を出し後ろを振り向いて犬千代に声をかける。
「犬千代! 遅れていまいなー!?」
「はーっ!」
戦車のエンジン音と走行音がうるさいので、やりとりは大声で交わす事になる。
「やはりお主もこれに乗れば良かったのではないかー?」
「いえ、我が愛馬松風、名だたる名馬なれば『せんしゃ』ごときには走りで負けませぬゆえー!!」
751 : ◆XdgIHnFrK. :2008/06/19(木) 20:18:18 ID:???
犬千代は槍を振って答えるが、ここに来るまでに既に戦場を駆け回された当の”松風”は既に苦しそうである。
戦車の荒地走破性はやはり、この時代の軍用馬を軽く凌駕するようで、馬(松風)も騎手(犬千代)も、ともすれば引き離されそうになるのを必死で追いかけていた。
戦車隊が進む方向、浅野の陣列では突如側面から現れた異様な物体、戦車の出現で浮き足立ちつつも、槍足軽の一隊をこちらに急いで方向転換させようとしている光景が見て取れる。
戦車に黒田の旗印が括り付けられているのも、浅野は認識したことだろう。
「小隊集中射撃、榴弾、正面300、歩兵、てっ!!」
3門の120ミリ砲と2門の105ミリ砲が連続して轟音と炎の塊を放ち、1秒とおかず浅野の槍隊およそ30名はHAET−MPの炸裂と土煙の中に飲み込まれた。
煙が晴れたとき、そこに立って生きているものは一人としていない。
そしてその瞬間、戦場を戦車の駆動音以外の全ての音が、沈黙した。
浅野、黒田両方の陣営が戦うのを中断し、あっけに取られて戦車隊の方向を見つめている。
90式戦車のハッチから体の半分を出している憲長も、馬上の犬千代も、呆けたような表情で前方…千々に吹き飛んだ浅野の槍隊(の残骸)を見つめている。
はは、と憲長の口元から乾いた笑い声が漏れた。
「これはいい! これでは戦にならん! 一方的な蹂躙だ! 犬千代! この戦、早くも勝ったぞ! 佐野、このまま予定通り本陣に突撃しようぞ!!」
752 : ◆XdgIHnFrK. :2008/06/19(木) 20:19:03 ID:???
戦車砲のあまりの威力、その衝撃の大きさにやや狂乱気味に興奮している憲長を他所に、車長用砲操作パネルの照準器ごしに「効果」を確認した佐野は苦々しげな表情をしていた。
たかが歩兵一個小隊に、やりすぎてしまった感が拭えない。
だが、初撃で相手にできるだけ大きなインパクトを与えておくことが事前の構想だった。
敵、浅野にせよ味方、黒田にせよ前者には恐怖を、後者には自分たちの戦力価値を印象付けておかなくてはならない。
敵にはこちらが脅威と見なされるようにすれば、戦うことを選ばないか、少し戦うだけで退散してくれる可能性が広がる。
味方には自分たちを高く評価させ、今後交渉や要望を通す時の材料にできるかもしれない。
そのためにも、この戦闘で佐野たちは自分たちの力を双方に見せ付けた上で勝利しなくてはならないのだ。
鹿嶋3尉とも話した時は威嚇程度の攻撃でも充分か、と提案がでたが、威嚇が通用する相手ならば、自分たちは部下を失うことは無かったのだ。
佐野は、この世界に迷い込んで始めての交戦、自衛のために発砲したその日以来、内面を大きく変貌させていた。
それほどに、彼が受けた衝撃は大きかった。
刀と槍、弓が主な武装であるこの世界の人間に比べ、佐野達が有している自衛隊の装備は小銃にせよ戦車にせよ、
時代の差が大きすぎてまるで勝負にならないほどの力の差がある。
しかしどれほど力を保有しようとも、こちらに行使する気がなければ、相手はこちらを舐めてかかってくる。
その結果、部下が殺傷される。 命を落とす。 異郷の地で、置かれた状況も帰る方法もわからないまま。
出来ることなら、自分たちがいたあの日本に帰りたい。 帰れないまま迷い子となって死んでいくのは嫌だ。
生きて帰りたい…
753 : ◆XdgIHnFrK. :2008/06/19(木) 20:19:56 ID:???
ならば、どうしたら良いのか。 部下も襲ってくる敵も、なるべく死なせないためにはどうしたらよいのか。
敵を自衛のためとはいえ、殺さないようにするには、敵が、こちらを攻撃したいと思わなくなるようにはどうしたらいいのか。
この世界の軍隊が、何百人何千人で襲ってきても、自分たちには叶わないと、手を出してはいけない相手だと思わせるには、どうしたらいいのか。
自分たちの力を、圧倒的な力を持っていることを、知らしめてやるしかない。
自分より強い相手に好んで喧嘩を売ってこようとする馬鹿はそうそういない。
そうすれば、自分たちを敵に回したいと思う相手は少なくなり、上手くいけば、敵も自分たちも死傷する人間が結果的に減るかもしれない。
今日の殺戮が、明日の殺戮を阻止する抑止力になるかもしれない、という思いだ。
当面の味方である黒田は自分たちを戦争に利用しようとするだろうが、佐野は憲長ならば短絡的に自分たちに直接敵を殺せと命令するような使い方はしないだろうと考えている。
戦車隊の力を背景に、可能な限り戦わずに相手を降伏させる戦い方を選ぶに違いない。
憲長にその発想が無くても、佐野がそう教えればいい。
そう、佐野は憲長に教えたいことが幾つもあった。 多くのことを教えたいと思っていた。
近代軍制、戦術、戦史、政治における軍事のあり方、あるいは、近代日本をモデルにした社会制度のあり方や社会整備…
黒田憲長がこの世界の織田信長となりうる器ならば、それは歴史に名を残す偉大な人物に成長する可能性を内包しているかも知れないのだ。
そして、自分が憲長に関わることで、憲長はどのような影響を受け、どこまで成長してゆくのか…
佐野は日本に帰りたいと思うと同時に、自分が「織田信長」を作るかもしれないという思いにも強く囚われ始めていた。
754 : ◆XdgIHnFrK. :2008/06/19(木) 20:21:15 ID:???
戦車の異様さと砲の威力、轟音に度肝を抜かれた浅野勢は陣形を乱し、一部が武器を拾うのも忘れて逃げ惑うが、残りの半数以上は
陣形を立て直そうと指示を飛ばす指揮官らしき騎馬武者の下に集まり、槍を揃えて防御体制を取ろうと動き始めている。
これだけ力を見せ付けても、部隊の中枢は士気を失わない。
中々に統制された軍団と言えるかもしれなかったが、どちらかと言えば蛮勇、あるいは戦車という未知のものに対する理解力の無さだと佐野は解釈した。
「各個撃破、車長の判断で攻撃せよ」
佐野は指示を切り替えた。
指揮車両の左右の90式から機銃の曳光弾が槍隊に吸い込まれてゆき、彼らは藁束が倒れるようになぎ倒される。
74式や偵察警戒車も集まりだす浅野の小部隊にめいめいに砲撃を行う。
相手はほぼ歩兵のみ…車載機関銃で充分制圧可能だし、砲を使うより効率的だ。
しかし、機銃は手持ちの弾丸の割合が少なかった。
12.7ミリも、戦車競技会では競技項目に無かったため、下ろしていたので、ここには無い。
あらかじめ部隊の全員に申し渡し何度も徹底して確認しているが、砲弾も銃弾も使いすぎると戦車で轢き殺すしか攻撃手段が無くなってしまう。
これからの戦いは、常にできるだけ消耗を防ぐ短期決戦にならざるを得ない。
移動するのにも限りある燃料を消耗するだけに、戦車用トランスポーターの代用を見つける事も考えなければいけない、そう実感した。
759 : ◆XdgIHnFrK. :2008/06/19(木) 21:18:58 ID:???
機銃音と砲声を轟かせ、戦車隊はいくつかの槍と騎馬武者の陣列を踏み潰してひたすらに進撃した。
やがて、前方にきらびやかな旗指物が見えてくる。
「佐野っ!! 浅野の本陣の旗が見えたぞ!!」
「危険ですからハッチを閉めててください!」
佐野は憲長が叫んではじめて、今更ながら彼がハッチから体を外に出したままなのに気が付いて仰天した。
未来の織田信長の可能性を秘めた少年が流れ矢に当たって戦死でもしたらと気が気では無い。
言っているそばから果敢に戦車に挑もうとする浅野の兵たちが進み出て、弩を車上の憲長に向ける。
放たれたうちの数本が90式戦車の砲塔に当たって跳ね返った。
が、高揚している憲長は意にかえさない。
「小癪な! 佐野、蹴散らしてしまえ!」
しかし佐野は意図的に無視した。 操縦手にインカムで指示を出して、進行方向を変えてかわさせる。
心の中で、砲手席に座らせている憲長に、機銃や砲の操作の仕方を教えていなくて良かったと思う。
目たらやったらに勝手に撃ちまくられたら、たまったものでは無い…。
代わりに憲長の指示に従ったのは犬千代だった。
犬千代は愛馬に拍車を入れて戦車の前に出ると、右手に槍、左手に背中から抜き放った大太刀を構えて駆け抜けざまに
弩兵3名を血祭りに上げ、うち1名を槍で胴鎧ごと刺し貫いて空中に放り投げた。
槍を持つのは片腕であり、加えて馬上、常識を外れた膂力である。
760 : ◆XdgIHnFrK. :2008/06/19(木) 21:20:03 ID:???
「前田又佐衛門利信ここにあり!! 我こそはと思わんものは前に出よーーーーっ!!」
高らかに名乗りを上げ、槍襖の中に突っ込んでゆく。
十数の穂先が犬千代を刺し貫くと思った刹那、大太刀が穂先を一振りの元になぎ払い、馬をぶつけるようにして足軽の隊列に飛び込むと、
槍で突き、叩き、追い散らして戦車に遅れを取った分を取り返すかのように、獅子奮迅の働きを見せた。
「おうおう、犬千代は水を得た魚だのう!」
「…戦車が要りませんな、あれでは」
感嘆と賞賛に満ちた声の憲長と対照的に、佐野は半分 呆れていた。
犬千代の個人の戦闘能力は並外れたものだが、所詮 どこまでも個人の技量に寄った戦い方だ。
味方の誰もが犬千代のように、単騎で敵の小隊を 翻弄できるくらい強ければ、戦争に苦労は無い。
味方を支援し突入の糸口を開くための、戦線に打ち込む楔としては有効かも知れないが、近世以降の戦争の形態にはそぐわない。
「いや、我々も同じか」
佐野は小さく呟いた。 戦車を駆る自分たちもまた、この世界の文明レベルからすれば明らかなオーバーテクノロジーである装備の火力に頼って、今戦っている。
憲長との取引と、どうにもならない成り行きによって黒田に与しているが、自分たちがいる事によって黒田勢そのものが強くなったわけではない。
浅野勢の正面を受け持っている黒田勢本隊は依然として、前からの黒田勢なのである。
761 : ◆XdgIHnFrK. :2008/06/19(木) 21:21:11 ID:???
『ハクバ3より指揮車両へ、浅野の騎兵部隊、左より接近』
車列の側面に配置した偵察警戒車から通信が入る。
正面攻撃に回っていた騎馬隊(機動部隊)が、本陣の危機とみて取って返してきたのだろう。
さらに、反対側からやや少数ながら同様に騎兵部隊が突撃してくると通信が入った。
佐野はハッチから身を乗り出して確認する。 隣で憲長が、「あれは浅野本陣の備えの隊(予備戦力)だろう」と推測した。
「このまま目前の本陣に突入を仕掛けましょう、進路をさえぎられると、大将に逃げられる恐れがあります。 突破力では戦車の敵じゃありません」
『全車両、1時方向の敵本陣に突撃! 突入後、偵察隊は下車戦闘用意』
762 : ◆XdgIHnFrK. :2008/06/19(木) 21:21:56 ID:???
時を少し遡り、戦車隊が突入を開始しはじめた頃。
佐野ら戦車隊と憲長と反対側に兵を伏せている、柴田隊の陣では、黒田本陣よりの「突入」の指示を受け、早速下知に従い手柄を立てようと
はやる家臣たちに対し柴田権六朗は「しばし待て」と言い放った。
「何故に御座りまするか、殿! いかに此度の戦は若殿の初陣とはいえ、お館様が浅野を討つ大役を任せられたのは我が隊のはず、
若殿にあえて手柄を立てさせんとするお心積もりでしょうか!? だとしても、ここで出なければ若殿ばかりに打って出させて、自分は
高みの見物を決め込んだと追及を受けることにもなりかねませぬ」
別の家臣もまた、言う。
「そうでござる、悪たれ坊主の吉法師のこと、必ずやそのように我らを侮蔑するでありましょう。 そも、譜代の家臣を頼らずあのような
得体の知れぬ者たちのみを手勢に戦に望むうつけもの、まかりまちがって手柄を立てれば、増長して殿を始め家臣一同を蔑ろに扱いかねませぬ」
が、柴田権六朗は平然として言った。
「まあ、待てというのだ。 なればこそなおの事、あのうつけ若様には灸をすえてやらねばならぬ。
初陣で少々痛い目でも見れば、あの世間知らずで増上慢な気性も多少は収まるかもしれぬいい契機になるであろう…それにだ」
権六朗はそこで一端言葉を切り、部下たちを見回して何かをはばかるように声音を少し低くした。
763 : ◆XdgIHnFrK. :2008/06/19(木) 21:22:48 ID:???
「浅野の陣に潜り込ませた間者より知らせが入った。 浅野は此度の隠し玉として、助っ人を呼び寄せたようじゃ」
「助っ人…とは?」
「うむ、大江山よりな」
その言葉を聴いた瞬間、一同に動揺のざわめきがおこった。
はるか昔に大江の山中に棲み付き、拠点としている恐るべき生物の一党を、フソウに住まう人間はおろか他の多くの種族の中で知らぬものはいなかったからだ。
歴史上、幾たびも朝廷の討伐を受けつつも、滅ぼしきることが出来なかった者たち。
畏怖し、、忌み、排斥し、そして結局共存を受け入れる以外に無かった、人知を超えた恐るべき怪物…その末裔。
それが、今、浅野勢に与しているという。
人間の戦に彼らを用いるのは珍しい話ではない、が…
「な…なればこそ、若殿の御身が危ういのでは!?」
焦りと共に声の上ずる部下に権六朗は「それよ」と片目を瞑り、人差し指を立てて笑う。
練りに練った計画を打ち明けるいたずら小僧のような嬉しそうな表情で。
「あの者らが自分で軍議で申したほどに、力を持っているのなら、かの化物と戦っても負けはせんだろう。 だが無事ともいくまい。
ま、戦の前に自分の力を高く売り込むために大言壮語するのは常のこと、話半分ぐらいとしても、相打ちぐらいには戦ってくれよう。
それで充分若様の鼻っ柱は折れる。 我らも化物と戦わずに済むしのう。 あるいは、若様とアレが戦っておる途中で我らが駆けつければ…?」
764 : ◆XdgIHnFrK. :2008/06/19(木) 21:23:40 ID:???
「さ、さすれば我らは浅野の首を取った上に、若殿をお救いもうした形になりまするな!」
「そうよ、大殿の覚えもめでたく、万々歳よ。 そういうことだ、まずは様子見としゃれ込もうぞ」
権六朗は言い終えると、得心がいったという感じの部下たちの表情に満足して愉快そうに笑った。
主君の子息を利用して戦うなど、不敬ともとれる行動だったが、権六朗自身は憲長を黒田の跡取りとして適格であるとは見なしておらず、
また、憲長はあくまで主君の子息の一人であるに過ぎないのであって、彼が現在仕えている主君では無いのだった。
そして、時は戻る。
戦車隊は本陣手前というところで全車停止した。
立ちはだかった異様に大柄な…戦車の車高をはるかに越える巨躯の異形の兵士が立ちはだかり、行く手を阻んでいた。
それは、遠目には人間に近いシルエットを持っており、人間か類人猿に近い生物のイメージを想起させたが、人類にしては大きすぎた。
慎重は6mはゆうにあり、ざんばらの白い髪を腰まで長く伸ばしていた。 額からは牛のような角が左右に二本生え、眉毛は無く、
肉食獣のような二つの目をギラギラと輝かせていた。
鼻は無く、小さい鼻孔がぽつんと開いているだけで、口は三日月を横にしたように広く、口の間から鋭い無数の鮫を想起させる歯が並んでいた。
筋肉質の体は腕も足も丸太のように太く、また皮膚は威嚇的で鮮やかな真紅…人間の持つ色素の退色ではありえない色に染まっており、
体を包む衣服や鎧は、あきらかに通常の数倍の特注サイズであった。
そして、その巨人兵士は人間の身長と同じくらいはあろうかという大鉈を右手に握り締めていた。
765 : ◆XdgIHnFrK. :2008/06/19(木) 21:25:38 ID:???
「なん…だ、これは」
佐野の他、何人かが戦車のハッチから体を出して、現実から切り落とされたような異様な生物をあっけに取られて見上げていた。
このような巨大な生物、類人猿は、彼らがもといた地球上には存在し得ない。
この世界土着の生物だろうか、と佐野は憲長の方を見る。 しかし、憲長も呆然と、しかし青ざめた表情で異形を見上げていた。
「赤鬼…浅野め! よりによって何というものを戦に持ち込んだ!!」
「赤鬼…?」
震える声で叫ぶ憲長に佐野が質問しようとした時、赤鬼と呼ばれたその巨人が息を大きく吸い込み、とてつもなく巨大な声で叫んだ。
「オデは大江山の狗骸童子ィィィィ!! コゴはダレも通ざねえぞぉぉぉぉッ!!」
佐野達は思わずヘルメットの上から耳を覆った。 咆哮ともその叫び声は戦車砲の発砲音にも匹敵する爆音であった。
(続く)
これにて投下終了。