148  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/18(日)  06:35:31  ID:???  
 日下たち三人は女王に謁見するため控えの間に通され、そこの豪華なソファに座っていた。  
 その際、翻訳機であるイヤリングを着けていない小西と荒川には、新しいイヤリングが王城の人間から手渡されていた。  
 なお、武器は全て係の者に預けねばならず、全くの丸腰になった日下は落ち着かない気分でいた。  
「なあおい」  
 豪勢な調度と装飾の施された控えの間を見回し、荒川が日下を小突く。  
「ん?」  
「緊張するよなぁ」  
 荒川は先ほどから落ち着きが無かった。なりがでかいくせにまるで小動物のようにビクビクしている。  
 場違いともいえる場所と、慣れない堅苦しい雰囲気に、どこか勝手が違っているのだろう。  
「……鬱陶しいから、その気持ち悪い動きをやめろよ」  
 とはいえ、日下もどこか緊張気味である。とりあえず手持ちのタオルと水でフェイスペイントを拭い落としたが、  
 それでも野戦服とボディアーマー姿のままというのは実に居心地が悪い。  



149  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/18(日)  06:37:56  ID:???  
 礼装は車の中だしな……。  
 とりあえず日下たちは特使ということで、陸自で使われている礼装(式典などで使われる正装の軍服)を持ってきてはいたが、  
 即座に中に通されては着替えている暇もなかった。  
「にしても姫君とは、驚きましたね」  
「ん――ああ」  
 小西の言葉に気の無い返事を返す日下。  
 実際のところ、日下にはネリスの身分がある程度見当がついていた。あの外見に、立ち居振る舞い、十代の少女とは思えないほどの責任感。  
 良家の令嬢、もしくは重臣などの娘といったところだろうと予測していたのだ。  
 まさか王女殿下だったとは日下も少々驚いたが、考えてみれば当然といえる。  
 王制を持つ国が、外国への特使として派遣する人物は?  国の重臣、もしくは国王の身内である王族であるというのが、日下たちの世界の歴史が示す事実である。  
 とはいえ――俺、お姫様とあんなに気安く会話してたんだよな。ヤバくないか?  これって。  
 日下は冷や汗を流した。やんごとない身分の人間と会話するというのは、  
 例え身分制度の意味が薄れた現代日本の人間でも、緊張するというものだ。しかも相手は一国の王とその娘である。  



150  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/18(日)  06:41:09  ID:???  
「珍しいですね、日下二曹が緊張するなんて。顔が真っ青ですよ?」  
 小西が意地悪く笑う。  
「別にいいだろ、俺だって緊張するときぐらいある。それにしても、お前はずいぶんと平然としてるな」  
「まあ、精神修養の賜物とでもいいますか」  
 小憎らしいぐらいのすまし顔をしている小西。  
 こいつ、場慣れしてやがると日下はうなった。  
 小西はこういう経験が豊富なのだろうか?    
 今までチームとして過ごしてきても、お互いの過去や出身はあまり詮索してこなかった。  
 いや、むしろ命を預けあう仲だからこそ、そんなものは必要なかったといえる。  
 仲間がそこにいて、一緒に戦い、逆境を乗り越え、喜びを分かち合う。  
 そこに肩書きの入り込む余地は無い。  
 事実、日下たち三人は兄弟も同然だった。  
「その落ち着きをこいつにも分けてやってくれ。さっきから見苦しくてかなわん」  
「う、う、うるせぇな。ちょっと、武者震いがしてるだけだっつうの」  
 日下は親指で荒川を示し、荒川はやはり落ち着きの無い様子で文句を言う。  
 そこで、部屋に近衛の兵と思しき男が入ってきた。  
「皆様、お待たせいたしました。謁見の間にご案内します」  



151  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/18(日)  06:42:59  ID:???  
 三人は立ち上がる。リーダーである日下を先頭に、小西、荒川が一列になって続いた。  
 いくつかの角を曲がると、目の前にひときわ巨大で重厚な、両開きの扉が出現した。黒檀で作られているのか、重厚で年季を感じさせる。  
 扉が、両脇の兵士によって開かれる。蝶つがいの軋む音と共に開放され、謁見の間への通路が開かれる。  
 そうして、日下たちは間へと進み出る。  
 そこは、広大な空間だった。高さにして十五メートル、横幅は二十五メートルはあろうか。  
 いくつもの高い支柱が林立して天井を支えており、部屋の中央には細長い真紅の絨毯が真っ直ぐ敷かれている。  
 床は大理石で敷き詰められており、壁には細かい装飾を施されたステンドグラス。  
 次に日下の目に入ったのは、ネフェリアンの男女の列だった。恐らく身分の高い臣下なのだろう、  
 赤い絨毯を中心として左右に二列を成して立っている。その顔はいずれもが日下たちに向けられていた。  
 そして絨毯の先に、階段状のひときわ高い台が設けられていた。最上段の金色の玉座に、白く華麗なドレスを着た女性が座っている。  



152  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/18(日)  06:44:32  ID:???  
 その女性は、恐らく年の頃で言えば五十代半ばであろう。年齢を示す皺がはっきりと顔に見て取れる。だが、その老いは女性の美しさをわずかも損なっておらず、むしろ円熟した魅力すら感じさせる。  
 瞳と髪の色は、ネリスと同じ琥珀と金。髪は丁寧に結い上げられ、その上に載っているのは、王権の象徴たる王冠である。そしてその口元には、威厳を感じさせる微笑が浮かべられていた。  
 日下たち三人は、玉座のすぐ下まで進み出た。そして、日下がひざまずく。残りの二人もそれに倣った。なぜか日下には、こうするのが自然に思えたのだ。  
「ようこそおいで下さいました。私はクロイセル王国第42代国王、エレニア・ロウム・クロイセルです。さ、顔を上げてください」  
 日下が顔を上げる。玉座の右隣には一回り小さな席が設けられており、そこにはネリスが座っていた。ネリスは野戦服を脱ぎ。今は淡い桜色のドレスを着込んでいる。  



153  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/18(日)  06:46:14  ID:???  
「日本国特使、日下  亮二曹であります。日本国総理大臣からの親書を預かって参りました」  
 これまで何度も練習した言葉を必死に紡ぐ日下。腰のポーチから封筒を取り出す。  
 すると、女王の脇に控えていた重臣と思しき老人が階段を降りてきて、日下から封筒を受け取る。  
 そして女王の元に戻った老人はペーパーナイフで封筒を開け、中身を女王に手渡した。  
 手紙の内容は、この国の言葉であるネフェリー語によって書かれている。その親書は、総理大臣が直接ネフェリー語に翻訳して書いたものだった。  
 イヤリングを着けた者はネフェリー語の読み書きも出来るようになるため、総理大臣も異国の言語で親書をしたためる事が出来た訳だ。  
「ふむ……」  
 エレニア女王は親書にしばらく目を通した後、日下たちを見やった。  
「あなた方は、この親書の内容をご存知ですか?」  
「いえ、我々は内容までは知らされておりません」  
 女王はその言葉に少しだけ思案顔になったが、すぐに傍の老人の方を向いた。  
「宰相、これを読み上げてくれるかしら?  この場にいる者たちに、親書の内容が分かるように」  



154  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/18(日)  06:47:30  ID:???  
「かしこまりました」  
 宰相と呼ばれた老人は恭しく親書を受け取ると、一つ咳払いをした後で新書を読み上げ始める。  
 ずいぶんと時代がかってるな、と日下は内心苦笑する。とはいえ、このクロイセル王国は王政をとっており、  
 文明レベルも地球の中世ヨーロッパに相当するようなので、日下にそう思えたのも無理も無いことだった。  
 そうして、宰相が手紙の内容を読む。読み進めるうちに宰相の顔が見る見るうちに曇ってゆくのが、日下にははっきりと分かった。  
 国王宛の新書の内容は、こうである。まず国王への挨拶から始まり、次に軍事協定に関する話は、今現在の状態では何とも回答し難い、ということ。  
 そして資源を提供するというそちらの申し出にも、日本国は未だ結論を出すことが出来ない、と。  
 ついては貴国の申し出について、首脳同士で話し合いたい、と親書は締めくくる。そのために国王陛下を、日本国に招待したい――というものであった。  



155  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/18(日)  06:49:06  ID:???  
 読み上げが終わった時、謁見の間は騒然となっていた。両脇に立つ臣下たちは、口々に何かを言い合っている。  
 やれやれ、と日下は嘆息した。なぜこの仕事が自分たちに押し付けられたのか、その理由がおぼろげながら分かったような気がした。  
 これじゃあ貧乏くじだな、誰もやりたがらない訳だ。  
「無礼であろう!  一国の王を一方的に呼びつけて、あまつさえ話し合いをしろ、などとは!    
しかもこちらは、既に王女殿下を特使として送り出したというのに!」  
 日下が声の方に顔を向けると、武官と思しき黒髪の壮年の男が顔を紅潮させている。  
 そして日下は、その武官のそばに立っている人物に目を留めた。  
 女性の騎士である。銀色の鎧と、儀礼用と思われる礼服を鎧の下に着ている。女性といってもまだ少女で、ネリスと年はそう変わらないであろう。腰までの見事な黒髪と、紫の瞳が印象的だった。  
 だが、その美しい顔には憤怒が浮かべられており、長い耳もピン、と斜め上に立っている。瞳は日下を睨み付けており、中で炎まで燃え上がっていそうだった。  
 やべぇ、ちょっと怖いかも。  



156  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/18(日)  06:49:55  ID:???  
 日下は首をすくめて前を見た。ネリスは周囲の様子に慌てた様子で、おろおろと視線をさ迷わせている。  
 だが、この混乱は思いもかけぬ人物によって収拾される。  
 女王の手が上がったのだ。途端に、謁見の間は水を打ったような静けさで満たされる。  
「静かに、客人に対する無礼は慎みなさい」  
 威厳ある朗々とした声、思わず日下まで竦みあがってしまいそうな迫力がその声にはあった。  
 生まれながらにして高貴な血を継ぎ、責任ある立場に在る者のみが出せる、指導者の声である。  
「臣下の非礼を許してください、日下二曹。彼らも国を想い、そして国を誇っての発言、決して悪気は無いのです」  
 先ほどの声とはうってかわって、慈愛に満ちた表情を向ける女王。  
 先ほどの声の迫力もさることながら、その包み込まれるよう笑顔にも、日下は内心舌を巻いた。  



157  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/18(日)  06:51:48  ID:???  
「いえ、自分は気にしておりません」  
 日下の言葉に、女王は笑って頷く。そして、女王は周囲の人間に向けて呼びかけた。  
「元々助けを求めているのはこちらの方です。その我々が、  
相手国にこちらから出向いてお願いをしに行くのは当然のこと……  
私は、近日中に日本国に赴くことにします」  
 女王が立ち上がる。それに、そばの宰相がうろたえた。  
「へ、陛下、そんな軽々しく決められては……」  
「国の一大事ですよ?  クロイセルが滅びるかどうかの瀬戸際なのです、そんな悠長なことを言っていられますか」  
 宰相の言葉を一蹴する女王。日下は思わず笑みを浮かべずにはいられなかった。  
 この婆さん、中々いいキャラしてるな。あの気難しそうなのを一発で黙らせたよ。  
「さて、立ってください、異国の方々」  
 日下たち三人は、促されて立ち上がった。  
「今日はめでたい日です。何千年も閉ざされていた『門』が開かれ、  
異世界からこうして客人が我が国を訪れて下さったのですから。  
今宵は大いに語り合いましょう、宴の用意を」  
 女王がそう宣言し、謁見は終わった。  


 


262  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/21(水)  05:28:22  ID:???  
 日下たちを歓迎する宴が、王宮のホールで始まった。  
 宴の形式はそれほど格ばったものではなく、いわゆる立食形式である。  
 会場の中には、絹のテーブルクロスをかけられた丸テーブルがいくつも置かれていた。  
 その上には銀の盆や食器が置かれ、贅を尽くした料理が宮廷料理人の手によって鮮やかに盛り付けられている。  
 国土が肥沃で、国そのものも豊かなクロイセルの饗宴は華やかなもので、供される料理も豊富な食材を使った実に見事な物だった。  
 そしてまたクロイセルの男女は、地球の人間と比べてやや小柄ながらも容姿の整った者が多く、それがこの宴に一輪の華を添えているのだった。  
 とはいえ、いくら形式ばったパーティではないとはいえ  
 頭から爪先まで兵隊な日下には、十分緊張する場なわけで。  
 うえー、やべー、いたたまれねぇ。  
 と、内心悶えていた。  
 日下たち三人は、野戦服と重いボディーアーマーを既に脱いでいる。王宮の浴室を借りて汚れを洗い落とした三人の兵士は、陸自の礼装に着替えていた。  
 なお余談ではあるが、王宮の浴室の巨大さと、内装の豪華さに三人は驚いた。  
 さらに言えば、入浴係の侍女である少女に浴室内にまで入り込まれかけ、必死で押し戻したというハプニングもあった。  



263  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/21(水)  05:29:20  ID:???  
 そして場所はホールへと移る。  
 日下たち三人は先ほどまでクロイセルの人々に囲い込まれ、身動きもままならない状態だった。老若男女問わず、誰もが日下たちと話をしたがったためである。  
 そして周りの人々から矢継ぎ早に多種多様な問いかけをされ、日下は正直辟易していた。  
 これがお偉いさんの仕事だとしたら、俺は完全にパスだな。二度とやりたくねえ。  
 日下は日本の事から、自分のプライベートな事柄までを出来る限り答える。異世界の人間と初めて接触する人々は、どこか感じ入っている様子だった。  
 異世界にこれほど進んだ文明があり、そして知性を持った全く別種のヒューマノイドが居るという事実は、彼らにしてみても実に驚くべき事であったらしい。  
 貴族と思しき男性が訊く。  
「貴方の国には、どれほど人が住んでいるのですかな?」  
「おおよそ一億二千万人です」  
 数字の多さに驚く質問者。クロイセルの人口は一千万前後、面積は日本の二倍ほどらしい。さらに日下が、地球全体では六十億もの人間が居ると話したとき、どよめきがさらに大きくなる。  



264  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/21(水)  05:30:15  ID:???  
「その……貴方の世界の、『科学』とか言いましたか。それはそんなに凄い力を秘めたものなのですか?    
我々の『魔法』をも遥かに越えるほどの?」  
 ドレスを着た女官が詰め寄る。  
「魔法がこの世界でどれほどの力があるのかは分かりませんが、私たちの世界では科学は、あらゆる場所に浸透しています」  
「『科学』の力は、一つの山をも吹き飛ばすほどの力を持っていると聞きましたが、それは本当なのですか?」  
 日下は内心舌打ちした。誰が話したものか、そんな事まで伝わっているとは。  
「……ええ、あります。『核兵器』と呼ばれるもので、私の国にはありませんが、確かに絶大な威力を持つ武器です」  
「具体的には、どれほどの破壊力が?」  
 好奇心をむき出しにした武官の問い。  
「――大きな町一つを、一瞬で灰燼に帰すほどです。そしてその後には恐ろしい『毒』を撒き散らす、我々の世界でも禁忌になっている兵器です」  
 周囲の人々が騒然となる。「なんと恐ろしい」とか、「いやはや、信じられませんな」とかいった声が聞こえる。  
 そうした問答が何度も繰り返され、ある程度興味を満たされた人々が日下を解放したのは、小一時間も経ってからだった。  



265  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/21(水)  05:31:28  ID:???  
 づかれた。  
 壁に寄りかかりつつ、飲み物のグラスを持ってうな垂れる。グラスの中身は、クロイセル特産の果実酒らしい。爽やかな口当たりのその飲料の味は、日下がこれまで経験したことのないものだった。  
 一昼夜ぶっ通しで戦闘状態にあっても平気な特殊部隊の兵士が、肉体ではなく神経の疲れで参っていた。  
 胃に痛みすら感じる日下。やはり今後は一切、こんな仕事はしたくない、と心に固く誓う。  
 ホールを眺め回す。会場のど真ん中で女官に取り囲まれている小西の姿が見えた。容姿がいいので、女性にとても人気の様子だ。  
 ドーナツ状の女性たちは我を争って小西に突撃しており、小西もまた手馴れた感じでそれをあしらっている。  
 なんだありゃ。  
 日下は目を転じた。今度は荒川である。荒川は一つのテーブルに張り付き、先ほどからずっと料理をかき込んでいた。  
 周囲のネフェリアンの男女も、その食欲の旺盛さに驚いているようだった。見ているだけで胸が一杯になりそうな速度で、豪華な料理を貪っている。  
 よく食うな、と呆れつつも、日下もテーブルの一つに近づいた。いかにも高そうな銀の食器類に乗せられている。  
 ローストビーフのような肉料理、リゾット、パイらしきものや、ケーキなどの焼き菓子類。  



266  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/21(水)  05:32:10  ID:???  
 日下は皿を一つ取り、それらの料理を取り分ける。口に運んでみると、これが見た目に違わず旨いのだ。庶民なら滅多にお目にかかれないであろう美味だった。  
「どうですか?」  
 横合いからいきなり声をかけられ、思わず喉に食べ物を詰まらせそうになる。  
 隣にいつの間にか、イブニングドレス姿のネリスが立っていた。肩までの金髪は髪留めで綺麗に結い上げられている。  
 フレア状の長いスカートと、ケープのような肩当て。色は先ほどのドレスと同じ薄い桜色。白い絹の長手袋を両手に着用していた。  
「あー、ネリ……じゃなくて、王女殿下」  
 思わず言いかけた名前を訂正する。ネリスは少し残念そうな顔をしたが、すぐにまた笑顔に戻った。  
「いえ、実に見事な料理だと思います。他の二人も楽しんでいるようですし。我々のためにこんな饗宴を催してくださり、感謝しています」  
「クロイセルは自然が豊かで大地が肥沃ですから、豊富な食材が採れるんですよ?」  
「そうですね……自分も驚きました」  



267  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/21(水)  05:32:54  ID:???  
 ネリスはテーブルに手を伸ばし、卓上の籠から一つの小さな果実を摘み上げた。  
 それは白い綿毛のような、日下の世界には存在しない植物の実である。  
「どうぞ、食べてみてください」  
 日下はそれをネリスから受け取る。恐る恐る口に運ぶと、その果実は舌の上で一瞬にして溶けた。同時に甘酸っぱい果汁が流れ出す。  
「リメルテ、っていう果物なんです。意味は『淡雪の実』、ですね」  
「これは、またなんとも」  
 経験したことのない味覚に、日下は目を白黒させる。その様子をネリスは可笑しげに笑っていたが、やがて何かを言いたげな顔になる。  
「あの……」  
「?」  
「もしよろしければ、以前のようにネリス、と呼んで下さいませんか?」  
「はあ」  
 王女殿下、と呼んだことがそれほど気がかりだったのだろうか。  
 たしかに他人行儀だったかもしれないな、と日下は思う。  



268  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/21(水)  05:34:19  ID:???  
「お安い御用です」  
 それを危機、ネリスは嬉しげに顔を綻ばせる。そして、日下の持つグラスが空なのに目を留める。  
「あ、私、飲み物を取ってきますね。  
「いえ、さすがにそこまでは」  
「いいんですいいんです、待っててください」  
 ネリスが、飲料を配って回っているウェイターのいる場所に向かった。  
 ひとまずこれで息がつけるな、と日下は思ったが、そうは問屋がおろさなかった。  



269  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/21(水)  05:35:08  ID:???  
「失礼」  
 再び声をかけられる。振り向くと、そこには騎士が立っていた。  
 あの、日下たちをものすごい形相で睨み付けていた、騎士の少女である。  
「ええと、あなたは……?」  
 名前を知らず返答に困る日下。  
「イリーナ、イリーナ・フェム・アドナイ」  
 かなり不機嫌な声である。少なくとも友好的な雰囲気ではなかった。  
「一つ忠告しておくけど」  
 イリーナはその可憐な顔を険しくし、幾ばくかの怒りの色を浮かべた。  
「この国の守りを担ってきたのは、我々クロイセル軍と、誇り高き騎士団だ」  
 そして、イリーナは日下をまるで仇敵のように睨み付ける。  
「どのようにして姫様を誑かしたのかは知らないけど、あまり調子に乗らないことね。分かった?」  
 捨て台詞を残し、きびすを返す。長い黒髪が宙に弧を描いた。  
 随分と感じが悪いな。  
 日下は、どうやらここの人々全てに歓迎されているわけではない様だと思った。中には反目を覚えている者もいるらしい。  



270  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/21(水)  05:37:24  ID:???  
「お待たせしました」  
 イリーナが手にグラスを持って戻ってくる。その目は、後ろ向きに去って行くイリーナの後姿を捉えている。  
「イリーナと会話してましたね。どんなお話をしていたんです?」  
「……イリーナ、もしかして、騎士のお友達というのは?」  
「はい、あの子です。クロイセル三大貴族の一つ、アドナイ家の次女なんです」  
「三大貴族、ですか?」  
「はい、クロイセルの政体の核を担う三つの貴族家のことで、アドナイ家は武門の棟梁なんです。イリーナは武官なんですよ」  
 若くして武官となった貴族の令嬢、ね。いかにも気難しそうだな。  
「私の親友で、小さい頃からずっと一緒でした。とても優しい子で……」  
「そうなのですか」  
「さっき、何を話していたんですか?」  
 ネリスが上目遣いに聞いてくる。  
「別に大したことではありません。二言三言、挨拶をされただけのことです」  
 さすがに脅されたとは言えず、お茶を濁す。  
「本当ですか?  怪しいですね」  
 なぜかネリスは少し不機嫌そうに、この話題にしつこく絡んでくる。  
 だが、日下としては正直に答えようもないので、適当に話題を変えるしかない。  
 日下は内心嘆息する。どうやら前途は多難なようだった。  



271  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/21(水)  05:39:13  ID:???  
 オブディア帝国  クロイセル王国内侵攻拠点  城塞都市エンテベ  
 オブディア帝国征夷東方軍司令部  

 オブディアとクロイセル王国の国境に程近い城塞都市、エンテベ。そのエンテベにある、元領主の館であった屋敷に、オブディア帝国の司令部は設けられていた。  
 その司令部内の奥まった一室、元領主の書斎であった部屋に、一人の男がいた。  
 雄獅子のように逆立った髪と、彫りの深い顔の壮年の男性である。  
 身長は百九十センチ近くあり、褐色の肌のその体は鍛えに鍛えぬかれ、全体的に筋肉で膨れ上がっている。  
 オブディア帝国の軍服を着たその男は、将軍の証である赤竜をかたどった徽章を身に付けていた。  
 オブディア帝国征夷東方軍司令、ヴォルフ・フェルナンドである。「猛将」と渾名されるほど激しい戦いを好む武人であった。  
 オブディアンの外見は、肌がやや浅黒いことを除けば、地球人類とほとんど変わらない姿をしている。男女の区別もあり、また体格もほぼ同じであった。  
 書斎のドアがノックされる。ヴォルフは野太い声で「入れ」とだけ短く告げた。  



272  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/21(水)  05:40:20  ID:???  
 ドアが開くと、そこには眼鏡を着用した三十代ほどの男性士官が立っていた。軍人というよりは、学者といった風情の男である。  
「将軍、今期のクロイセル側の動きについて、報告書がまとまりましたので」  
「見せろ」  
 ヴォルフは太く節くれだった指を延ばす。報告書を乱暴に掴み取り、ヴォルフは報告書に目を通した。やがて手が震え始め、紙束を地面に叩きつけた。  
「くそ、忌々しい亜人どもめ!  正面の防衛戦力をさらに強化したか!」  
 ハリネズミのような髪をさらに逆立て、怒気を露わにする。  
「それで、本国からの増援はまだ到着しないのか!?」  
 ヴォルフは書斎机を強く叩く。上に乗っている小物が衝撃で浮き上がった。  
「将軍、本国も増援の派遣には、最低でもあと三ヶ月はかかると回答してきています」  
「遅すぎるぞ!  本国の無能どもは何をやっている!?」  
「気をお静めください、これまでの戦闘で戦力を消耗し過ぎたのです。兵たちも酷く疲れきっています」  
「そんなことは分かっている。だが、あの亜人どもがこの世界にのさばっているかと思うと、吐き気がするのだ」  



273  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/21(水)  05:41:05  ID:???  
 熊のように部屋を行ったりきたりする。  
「ネフェリアンどもめ……最後の一人まで根絶やしにしてやるからな。あの劣等種族を、この神聖な大地から駆逐しなければならん。そうだな、副官?」  
 副官は、その言葉に同意しかねているようだった。  
「将軍、お言葉ですが、彼らもまた……人間であると私は思います。さすがに、根絶やしというのは」  
 だが、ヴォルフはそれを鼻で笑う。  
「フン、お前も最近流行の『擁護派』とやらにかぶれているのか?  そんなものは幻想に過ぎんわ」  
 将軍はさらに続ける。  
「それに、王女の暗殺に失敗したそうではないか。どうなっているのだ?  わが軍の将兵は間抜け揃いなのか?」  
「それが、途中で『門』の内部に消えたらしく、追跡は不可能だったとのことです。さらに現地に魔獣を待ち伏せさせていますが」  
「例の、異世界に通じるとかいう『門』か。実在したとはな。ますますもって忌々しい」  
「それに、奇妙な情報も入手しました」  
「なんだ?」  



274  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/21(水)  05:41:47  ID:???  
 副官が、将軍に耳打ちする。  
「クロイセル内に潜ませている間諜からのものなのですが、見慣れぬ服装の人物を見かけたそうです」  
 ヴォルフが唸る。  
「緑と茶のおかしな服を着用した、明らかにネフェリアンではない人物だったそうです。  
見たこともないような動く鉄の箱も目撃したとか。そして、何よりも王女と同行していたと」  
「何だと?」  
「もしかすると、異世界の人間かもしれませんぞ」  
「……異世界に人の住む国があるとはな、未だに信じられんが」  
 ヴォルフはしばらく黙考した後、副官に指示を出す。  
「よし、その件について徹底的に調査しろ。使える人員と資材はすべて使え、ごねる部署には私の名前を出して構わん」  
「了解しました」  



435  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/26(月)  06:10:55  ID:???  
 女王の訪日に先駆け、日下たちは一足先に日本に帰還した。  
 帰還後、日下たちは待ち構えていた化学防護隊によって徹底的な除染を受け、隔離テント内で数日間を過ごすこととなる。  
 ちなみにクロイセル側には、前もって日本到着後に検査があり、数日間身体を拘束される旨を伝えてあった。  
 これにも反発があったが、日下たちの必死の説明と、女王の「貴国の手続きに従いましょう」という声によって、その場は何とか事なきを得る。  
 そうして日下たちはようやくホームベースへと帰還し、小山内司令の前に立った。  
「帰ったか、ご苦労」  
 司令のねぎらいの言葉に敬礼し、日下が報告書の束を手渡す。  
「今回の派遣に関する報告です、受理願います」  
「確かに受け取った。この報告の内容は一番上にまで上がるからな。今後の対クロイセル交渉において大いに参考になるだろう。よくやった、下がって休むといい」  
 日下たちは再び敬礼し、団長室を退出した。  



436  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/26(月)  06:13:19  ID:???  
 そうして数日後、女王陛下が来日した。この事実はクロイセル国民には知らされていない。民衆の混乱を懸念した重臣たちによって、女王が異世界の国を訪れることは伏せられたのだ。そのため、移動は秘密裏に行われた。  
 まず門をくぐり抜けた女王は、日下たちが受けたのと同じ手順を減ることとなった。だが、仮にも相手は一国の元首であるため、その対応はより丁重なものとなっている。  
 具体的には、女王一行を隔離する部屋そのものを駐屯地内の一室に設け、医官による徹底的なチェックが行われた。その間の様々な対応は官房長官が務めている。  
 そして検査が終わった後、女王は東京の総理官邸を訪れたのだった。  



437  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/26(月)  06:15:18  ID:???  
 日本国  霞ヶ関  総理官邸  
「こちらです」  
 総理執務室に通された女王は、君主らしい鷹揚な笑みを浮かべた。そして女王以下数名の臣下が後に続き、部屋の中に入る。  
「ようこそ、女王陛下。私は日本国総理大臣、片山  浩二です」  
 総理が女王一行を笑顔で出迎える。総理以外には防衛大臣と、他数名の閣僚の姿がある。  
「はじめまして、総理。私はクロイセル国王、エレニア・ロウム・クロイセルです」  
 二人の挨拶が終わると、総理はソファを女王に薦めた。そして女王と総理の二人が、向かい合って座る。  
「この度はわざわざご足労いただき、誠にありがとうございます。また、外交儀礼を無視してのいきなりの招待、この場を借りてお詫びします」  
「いえ、これまで貴国となんの関わりも無かったわが国が、いきなりそちらに特使を送りつけたのです。むしろ非礼は我々の方にあります、お気になさらぬよう」  
 今回総理がほとんどの外交儀礼を省略したのは、今回の事件の緊急性を鑑みてのことだった。  
 何しろ前例のない出来事であり、しかも相手国の状況は窮迫していると考えた総理は、今回のような暴挙とも言える行動に踏み切ったのだ。そのため、外務省にはこの事実は知らされていない。  
 また、意地の悪い方法ではあるが、実際問題異世界の国、クロイセルの存在に半信半疑であった総理がとった、テストという意味合いもあったのだ。  
「そうですか……では」  
 総理が居住まいを正す。  
 そして総理と、女王との折衝が始まった。まず最初に、女王の臣下からクロイセルの現状や、その敵であるオブディア帝国に関する資料が手渡された。数部のそれが、総理と閣僚たちに回されてゆく。  
 その資料には、主にクロイセルという国そのものの記述と、敵国オブディア帝国に関する記述、そして今回の戦乱の原因に関する情報が記されていた。  



438  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/26(月)  06:21:14  ID:???  
 クロイセル王国。異世界の北半球に位置する、こちらの世界の縮尺に当てはめて言えばオーストラリアの1.5倍ほどの大きさを持つ大陸、ユーレウムの東側に位置する国である。温暖湿潤で、大地は肥沃、自然や鉱物資源が豊かという恵まれた環境にある。  
 クロイセルはこの自然の恵みを存分に利用する、農業国である。特にここで生産される様々な食料や、魔法工芸品は、世界の各国に輸出され莫大な利益を上げている。  
 この国を構成する種族は主にネフェリアン、残りは亜人や、亡命してきたオブディアンによってなる。  
 人口は一千万前後。ネフェリアンは魔力が強く、魔法行使に長けた種族である。そのためクロイセル王国は魔法立国としての側面を持ち、  
 その魔法技術は人々の生活だけでなく、軍事にも生かされている。いわば、魔法によって支えられている国といえた。  
 またネフェリアンはおしなべて性質が穏やかで、争いを好まない傾向にある。これはネフェリアンの文化が農耕文化であることにも起因していると思われた。  



439  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/26(月)  06:22:12  ID:???  
 オブディア帝国。ユーレウム大陸の西側に位置する巨大な軍事国家。皇帝を最も上に頂く帝政の国家である。  
 ユーレウム大陸の西側は古来から魔力バランスの狂った土地が存在し、その場から周囲に流れ込む魔獣に被害に悩まされている場所でもあった。  
 そのためここに住むオブディアンたちは、古代の頃からこれら魔獣に対抗するための強力な自治組織を作り上げ、これが帝国の雛形になったと言われている。  
 オブディアンは狩猟民族である。魔力バランスの狂いは大地の恵にも悪影響を及ぼしており、その土地は痩せ、作物が育ちにくい状況にある。そのため、動物の肉を狩って食料としてきた。時には魔獣を狩り、その肉を食用することもあった。  
 最近の魔法技術の進展により収量の改善は見られているものの、オブディアンの気質である攻撃的、征服的傾向はそのままである。  
 そしてまた、その危険な魔獣を飼いならす技が長い年月をかけ、試行錯誤の末に編み出されていった。こうした魔獣たちは農耕や土木の労働力として大いに使役され、また戦争の際にはオブディアの強大な兵力として諸外国を圧倒したのだった。  
 オブディア帝国は、自国の資源の少なさを周囲の地域に求めることが多かった。回りの土地に侵攻を繰り返し、征服し、併合する。  
 これによって幾つもの国や部族、また知的種族が滅ぼされていった。オブディア帝国はこうして、大陸の西側半分近くを領土とする巨大国家となった。  



440  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/26(月)  06:23:27  ID:???  
 そして今回の戦乱の理由も正に、この資源に関する問題が大きかった。オブディアは慢性的な自然、鉱物資源の不足に悩まされており、その解決策を東のクロイセルに見出したのだ。  
 また、オブディアンは全体的に見目麗しい姿のネフェリアンを虐待し、奴隷としいた過去をも持つ。現に今でも多数のネフェリアンが搾取されているらしい。  
 このためオブディア帝国は、クロイセル王国の滅亡と、全領土の支配を目論んでいる。そのためには、ネフェリアンそのものの殲滅をも辞さない構えである、とのことであった。  



441  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/26(月)  06:28:44  ID:???  
 その資料を読み終わったとき、総理は声も出ない様子であった。何しろそこには、地球の第二次世界大戦、そのユダヤ人虐殺にも匹敵するかも知れぬ、種族的ホロコーストの可能性が示唆されていたからだ。  
 多少クロイセル側の誇張が過ぎていたとしても、全体的に驚くべき事実であることは変わらない。  
「なるほど……たしかに、貴国の立場は理解できました」  
 苦渋を顔に浮かべる総理。  
「これが我が国の現実です。現在、オブディア帝国はクロイセルに既に侵攻しています。国境線は破られ、その付近にある城塞都市は占領された状態にあるのです。クロイセルは、帝国に蝕まれつつあります」  
 女王は一息つくと、総理を見据えた。  
「私は、改めて貴国に軍事援助を求めます。これだけは、決して妥協できないのです。我が国の、一千万の臣民たちの命と財産が脅かされているのですから」  
「女王陛下に代わり、私からもお願いいたします。なにとぞ、われらクロイセルの民に、お力を」  
 臣下が総理に頭を下げる。総理は目をしばらく閉じていたが、やがて女王を見て、顔を綻ばせた。  



442  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/26(月)  06:29:38  ID:???  
「陛下。実のところ、私の気持ちはもう決まっているのですよ」  
「と、言いますと?」  
「我が国は、貴国に我が国の自衛隊を派遣するつもり、だということです」  
 その言葉に女王が、肩の力を抜いた。だがそれとは逆に、周囲の防衛大臣を除く閣僚たちが顔色を変える。  
「総理……!」  
 だが、総理は手を上げてその言葉を遮る。  
「ありがとうございます、総理」  
 女王の言葉に、総理は笑みを浮かべる。  
「無論、この決定にはきちんとした理由があります。貴国への同情もあるにはありますが、それが大きな理由ではありません」  
「……すると、さらに別の理由がある、と?」  
 総理が頷き、そばの秘書官を手招きした。秘書官が、ロール状に丸めた紙を総理に手渡す。その紙が広げられ、テーブルの上に置かれた。  
 それは、世界地図であった。  
「これが我々の世界であり、ここが我が国です」  
 総理の指が一点を指し示す。それはもちろん東洋の島国、日本である。  



443  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/26(月)  06:32:02  ID:???  
「これはまた……ずいぶんと……」  
 女王が言葉に困っていると、総理が苦笑した。  
「小さいですかな?  確かに世界全体に比べれば、とても小さな島国ではあります。しかしわが国は、この人口60億という世界にある国々の中でも、世界第二位の経済力を誇っているのです」  
 その言葉に、女王は驚いているようであった。だが、さすがに一国の元首である。あからさまには表情には出さない。  
「しかし、わが国にも問題があります。それは資源に乏しいということです」  
 その言葉に、女王は何かを悟ったようであった。  
「資源に乏しい我が国は、多数の食料や原材料を外国からの輸入に頼っているのです。……そこで、わが国は、貴国と助け合えるのではないか、と思うわけです」  
「なるほど」  
 女王が微笑む。  
「貴国は我が国に軍事力を援助し、そしてわが国は、貴国に資源を提供する、と」  
「そうです。ですが、資源の輸入にも日本国は貿易の形をとるつもりでおります。価値ある物には何らかの対価を支払うのが、近代国家の基本原則ですから」  
「総理のお話は、よく分かりました」  
 その後細かい話を経て、両首脳の会談は終了した。なおこの会談では他にも、両国に大使館を設置し大使をおくこと、  
 日本国からクロイセル側に対し地質調査チームを派遣すること、また閣僚級・次官級による様々な調整を両国で行うこと、  
 そしてまた、今後の軍事作戦に関する問題について話し合うために日本から関係者を派遣することで合意した。  



444  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/26(月)  06:37:28  ID:???  
「よろしかったのですか?  ああも軽々と自衛隊の派遣を約束して」  
 女王との会談の後、官房長官が口を開く。執務室の中には、総理と防衛大臣、官房長官の三人のみが残っている。  
「前代の総理が第九条を改正し、集団自衛権の行使を憲法に盛り込みましたが、それでも国内外の世論は厳しいものになるかと」  
 防衛大臣は顔を曇らせていた。  
 この時点ではすでに、憲法第九条のある程度の改正がなっていた。それは主に条文の第二条に関わるものであり、戦力の保持と集団自衛権の行使を明文化したものである。  
 なお、第一条に関しては国際平和を希求し、戦力の保持を認めるも侵略目的の戦争は行わない、というものに留まっている。  
「そうだな、私は失脚するかもしれん。国民からは好戦的な総理と罵られてな。だが、今回のこの案件、私は自分の政治生命を賭けるに値すると思っているのだ」  
「と、いいますと?」  
 総理は先ほどのテーブルの前に立った。その上には、世界地図が広げられたままだった。総理の指が再び日本と、その下の台湾を抜け、インドにいたる海域をなぞる。日本の生命線、シーレーンである。  



445  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/26(月)  06:41:11  ID:???  
「我が国は自国内の資源が乏しい。食糧の自給さえままなっていない。そして、それらの大部分を輸入に頼っている。輸入品の運搬経路のほとんどは海上を通る。その経路が、このシーレーンだ。このシーレーンは、文字通り日本国の命綱だ」  
 だが、と首相は続ける。  
「このシーレーンも長い間様々な脅威に脅かされてきた。第二次世界大戦では、アメリカ。冷戦時代はソ連と中国。そして今では、世界の超大国を目指す中国の膨張に圧迫されている。  
石油の産出地域である中東ですら、イスラエルやらイラクやらの問題を抱え込んでいる。日本の生命線は、かくも不安定な地域の中にある。まるで綱渡りだ」  
 首相が苦笑する。  
「だがしかし、クロイセルとの同盟が結ばれればどうなる?  日本は、かくも不安定な生命線に頼る必要が無くなる。最低限でも、頼る割合が軽減されるのだ。  
これは私ごときのちっぽけな政治生命とは比べるべくもない話だ。この日本の将来、私たちの子供や孫にまで関わってくるかもしれない話なのだから。それに、だ」  
 首相の目は、もはや目の前の地図の日本だけを見てはいなかった。  



446  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/26(月)  06:43:38  ID:???  
「――この先、世界中では慢性的に資源が不足するだろう。石油などのエネルギー資源だけではない。鉄鋼、銅、プラチナなどの鉱物資源。  
そして食糧、真水までもが争奪の対象になるだろう。アジアが急速な成長を遂げ、その他の後進国も成長をはじめればどうなるか?    
資源の無い国は真っ先に干上がってしまう。我が国のような、国土の狭い島国は特にそうだ」  
 首相が拳を握りこむ。  
「日本という国が、その最大の懸念を払拭できるかもしれない瀬戸際なのだ。恐らくこの先数百年――もしかしたらそれ以上。そして、それは世界にしても同じこと」  
 クロイセルと日本が同盟を結ぶことができれば、日本はクロイセルの豊富な資源を輸入できる。そのための通路は国内にあるのだから、自給自足とほとんど同じようなものである。  
 さらに、異世界は地球と同じ規模の惑星。それがもつ資源と市場はいかばかりのものか。  
 事はもはや日本だけの問題ではなかった。世界に関わるのだ。  



447  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/26(月)  06:44:53  ID:???  
 首相の目が、大臣を捉えた。  
「やらねばならんのだよ、絶対に」  
 官房長官と防衛大臣が頷く。だが、まだ懸念すべきことは多かった。  
「しかしどうしますか?  これほどの案件となると、必ず外国が首を突っ込みたがりますぞ。特に、あの国は」  
 官房長官が言った。  
 そう、日本の同盟国であり、世界に冠するスーパーパワーとして覇を唱えるあの国である。  
「この事実が暴かれるのも時間の問題でしょう。国内の自衛隊を動かすのですから、それなりの戦力が消えればどこの国でも感づきます。秘密は長い間は保てません」  
「どれ位の猶予があると思う?」  
「自衛隊を動かしてから、2〜3ヶ月。良くて半年といったところですか」  
「ふむ、やはり外務省を通さなかったのは正解だったな。通していたら即座に、世界中に話が漏れていただろうからな」  
 総理がニヤリ、と笑う。この時点では、無論外務大臣に対する固い口留めも行われていた。  
「まさか、それを見越して?」  
「そうだ。今回の件では、初動の遅れが致命的になるだろうからね。外国が首を突っ込めば、確実に計画が遅滞する」  



448  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/26(月)  06:46:46  ID:???  
 総理の話は続く。  
「秘密がいずれ露見するのなら、そうなること前提とした計画を立てなければならん。私はクロイセルとの間に既成事実を作っておきたいのだ。  
クロイセルにこちらの世界の国家が救援を送ったという既成事実と、我が国とクロイセルとの同盟が他の国に優先するという印象をね。  
それが成った後なら、他の国をクロイセルの件に噛ませても構わないと思っている」  
「既成事実、それが自衛隊の派遣ですか」  
「一滴の血は百万の言葉に勝る。つまりはそういう事だ。派遣される自衛官を気の毒には思うが」  
「あの国の心証を悪くしますぞ」  
「その時は私が詰め腹を切るさ。人身御供を出せば、ある程度はあの国も溜飲を下げる。  
そして同時にクロイセルとの優先貿易権でも、なんでも提示してやればいい。  
あそこは利には聡いお国柄だから、プライドを多少は引っ込めてくれるだろう」  
 ふ、と笑う。  
「そしてその時は、あの国ににもクロイセルへ兵を派遣してもらえれば良い。あの国は自分の権益の確保のために、クロイセルに兵員を送り込みたがるだろうからな。そうすれば、自衛隊の負担やリスクも減る」  



449  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/26(月)  06:47:59  ID:???  
「最初から、あの国に兵を派遣するように話を持ちかけてみては……」  
 首相は首を横に振った。  
「そんな事をすれば、世界中の国を巻き込んだ折衝合戦が始まるぞ。そうなったらクロイセルへ救援を派遣するどころではなくなる。  
醜い足の引っ張り合いが始まり、国際法まで持ち出して泥沼の議論になるのが目に見えている。その間に、クロイセルはオブディア帝国に滅ぼされてしまうだろう。  
今は何よりも、時間を優先すべき時だ」  
 ふう、と官房長官が嘆息する。ついに覚悟したらしい。  
「それでは、国民への説明はいかがいたします?」  
「憲法の面では、改正第九条の集団自衛権の行使を突っ込む。クロイセルと同盟を結んだ後にね。だが、間違いなくそれだけでは収まりがつかないだろう、特に野党は。だから、材料が欲しいところだな」  
「材料ですか?」  
「国民の心に訴えかけるような材料だ。クロイセルからの説明では、オブディア帝国によって支配された地域では酷い虐殺も行われていると聞いた。  
その証拠があれば、国民に派遣の正当性を訴えかけられる。国際世論をも味方に付けられるかもしれん」  



450  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/02/26(月)  06:49:03  ID:???  
 それを聞き、防衛大臣が口を開いた。  
「それに関しては、クロイセルにいち早く特殊部隊を派遣したほうが良いかと。  
彼らに現地での情報収集に当たらせてはいかがでしょう。もちろん、後方支援部隊も同時に」  
 総理が頷いた。  
「よろしい、さっそくかかってくれ。ああ、それと、クロイセルへ派遣する部隊の司令だが」  
 今度は防衛大臣が頷く番だった。  
「お任せください。一人、適任の人物に心当たりがありますので」  




176  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/05/07(月)  09:08:08  ID:???  
 霞ヶ関  防衛省  防衛大臣執務室  
「というわけでだ、あっちに行ってくれるか?  小山内」  
 大臣はソファに座りながら、親しげに目の前の人物に話しかけた。  
 大臣の向かいに座る男は、小山内陸将補である。  
「単刀直入にいきなりそれか?  お前はいつもそうだな。もうちょっと歯に衣を着せたらどうだ、大森」  
 憮然と唸る小山内。大臣は笑いながら、小山内にタバコをすすめた。小山内がタバコを口に銜えると、大臣がライターで火をつける。  
「まあそう言うなよ。頼れるのがお前しかいないんだ。俺を助けると思って、な?  同期の桜のよしみだろ」  
 小山内司令は手を振る。  
「何が同期の桜だ。防大を出たくせに任官しなかった奴には言われたくないぞ」  
「仕方ないだろう。俺のところは親父がうるさかったんだ。帰ってきて家を継げって何度も何度も――」  
「二世議員ってやつはこれだから。大体、お前だったら親の反対を押し切ってでも」  
「またその話か。いい加減何度も説明しただろうが」  



177  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/05/07(月)  09:09:12  ID:???  
 二人の問答は留まるところを知らない。だが、二人の声には悪意は微塵も含まれていない。あるのは旧友に対する気安さと、親しみから来るやっかみであった。  
「……で、行ってくれるのか、くれないのか?」  
 一通り言葉の投げあいが終わったところで、大臣が言った。  
「行くに決まってる。どうせ断れないんだ。もう上には話してあるんだろう?」  
 大臣が笑うと、小山内司令はこれだから、と天井を仰いだ。  
「お前は富士教導団の副団長をやっていたし、今は空挺団と特殊作戦群の司令だろ。あちらにはなるべく、最高の技量を持つ人間を行かせたい。お前なら、派遣部隊の指揮官を安心して任せられる」  
「迷惑な話だな」  
 大臣は苦笑いしてすまん、とだけ言った。  
「なあ小山内、良くも悪くも、日本の軍事は変わる。この作戦が始まれば日本は目覚めざるを得なくなる。成功か失敗、そのどちらに転んでもな」  
「――今度の作戦、死人が出るぞ。いつかは自衛隊が実戦を経験する日が来るだろうとは思ってはいたが、まさか俺が任官しているときに来るとはね」  
「それこそ、覚悟していて然るべきことだったろう?  今までがおかしかったんだよ。軍とは認められないおかしな組織。その間違いが正される時が来たんだ」  
「間違い、か」  
「不謹慎な言い方かもしれないが、俺たちの悲願が、ようやく叶う」  



178  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/05/07(月)  09:09:50  ID:???  
 大臣が両手を組む。  
「そのために、お前は自衛官にならなかった、か。……議員になって、日本の軍事を政治の面から変えていくために」  
 小山内がソファから立ち上がった。  
「分かった、派遣部隊の指揮官の件は引き受けた。それと、クロイセルには俺が直接行こう」  
「そんなもの、スタッフの誰かにやらせればいいんじゃないのか?」  
 だが、小山内は首を横に振った。  
「これから戦場になる場所を、この目で直接見ておきたい。それに、俺自身が調べないといけない事もあるしな」  
「……そうか、わかった。それと、派遣部隊の編成案を作成して提出してくれ。そのときは、お前も総理に直接顔合わせするんだぞ?」  
「政治家は正直苦手なんだが、仕方ないな」  
 大臣も立ち上がる。  
「今度、家に呼んでくれよ。息子さんにも随分会ってないしな。今、何歳だ?」  
 大臣が尋ねた。  
「今年六歳だ、来年には小学校に上がる。うちに来たら、嫁の手料理でもご馳走するよ」  
「それは楽しみだな」  
 そうして二人は握手し合い、別れた。  



179  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/05/07(月)  09:10:39  ID:???  
 なお、女王は日本の滞在中、皇居を訪問し非公式に天皇陛下と会見した。  
 そしてお二方は高貴な古い血を持つ者同士として、なんらかの意見の一致をみたということである。  


180  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/05/07(月)  09:11:29  ID:???  
 数日後、日下たちを含む特殊作戦群の二個中隊――約三十人前後と、後方支援部隊が現地入りした  
(特殊作戦群はSASとデルタの組織編制にのっとり、4人の一グループを一小隊としてカウントしている。日下たちのチームは欠員が出ており、変則的な三人編成)  
 そして同時にクロイセル派遣部隊の司令官となった小山内陸将補も、現地における会議に出席するために、初めて異世界の地に足を踏み入れていた。  



181  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/05/07(月)  09:12:27  ID:???  
 王都クロイセル  王城  飛竜の間  
 王宮の一室、機密防護のために多重結界が張られた部屋で、クロイセルの最高意思決定会議――通称、円卓会議が開かれていた。  
 学校の教室二つ分ほどの広さを持つその間には、中央に楕円形のテーブルが置かれている。  
 そのテーブルの周りには椅子が整然と並び、多数の重臣が着席していた。ここに座る者たちは、王族、貴族、そして国民から選ばれた代表といった身分の者たちであった。  
 そして上座には円卓会議の議長として女王が座り、その左隣に小山内陸将補が居た。  
「それで、貴官の国はいかほどの戦力を派遣していただけるのですかな?」  
 テーブルに座る、王国の武官が小山内に尋ねた。  
「まずは、こちらの世界の戦略や戦術、兵器などについて知る必要があります。それを元に必要な戦力を算出するつもりです。  
そのため、あなた方の持つオブディア側の情報を開示して頂きたいのですが」  



182  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/05/07(月)  09:13:19  ID:???  
 武官が女王を見やると、女王は目を閉じ、黙って頷いた。  
「分かりました。こちらからできうる限りの情報をお渡ししましょう」  
「ありがとうございます。それと、いずれ来るオブディアとの戦いにおいて、クロイセル軍と自衛隊は共同作戦を行います。  
そのすり合わせをするために、指揮官同士で会合を持ちたいのですが」  
「分かっております。会議の場を設けることとしましょう。すると、やはり合同演習も行うことになるのですかな?」  
「ええ、そのつもりです。それと、こちら側に自衛隊の基地を設置することになりますが、場所の選定をさせて頂きたいのです」  
「それも、会議の場で話し合うことにいたしましょう」  
 そこで、女王の右隣に座っている老人が口を開いた。クロイセル王国の宰相である。  
「しかし……聞いておきたいのですが、貴国の軍が本格的に作戦が行えるようになるのに、どれぐらいかかるのですかな?    
何分、クロイセルの運命は時間との勝負ですので」  
 その言葉に、円卓についている者たちの表情が強張る。  



183  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/05/07(月)  09:14:38  ID:???  
「こちらに基地を設営し、部隊を移動させねばなりませんから。この世界の時間で言えばおおよそ三ヶ月、九十日前後は必要になります。  
さらに訓練や演習を行う時間も見ておきたいですので、最低でも四ヶ月というところでしょう」  
「ふうむ……」  
 宰相の表情が険しさを増す。  
「本当に大丈夫なのですかな?  その……あまりにも時間がかかりすぎていると思えるのですがね」  
 だが、小山内陸将補は頑として容れなかった。  
「焦りは禁物です。性急な作戦はいたずらに損害を増やすこととなります。部下の命を預かる以上、これは譲れないのです」  
 その言葉に、武官の口元に笑みが浮かんだ。  
「……仕方ありませんな。しかし、オブディア側の侵攻が早い段階で確認された場合は……」  
 小山内が力強く頷いた。  
「その時は、クロイセル軍と共に自衛隊が全力を持って応戦するでしょう」  
 宰相はようやく納得したのか、椅子に腰を落ち着ける。  
「陛下、それでは、国民にこの事実を発表するのはいつ頃にいたしましょう?」  
「……オブディアにこちらの動きを察知されるのはなるべく避けたい。作戦の発動直後に、国民に私から、直接この事実を知らしめることとしましょう」  
「では、そのように」  



184  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/05/07(月)  09:16:09  ID:???  
 深い森の中を、日下たちが進む。先頭に日下、中間に小西、後ろに荒島が続く。  
 場所は王都から数百キロ西の地点、敵勢力圏に程近い地域である。この付近はオブディア、クロイセル側との散発的な戦闘が起こっており、事実上の自由攻撃地帯(フリーファイアゾーン)となっている中立地域であった。  
 迷彩服に身を固め、フェイスペイントで隈取りした三人は中腰で銃を構えつつ、慎重に茂みを掻き分けながら進んでゆく。まずゆっくりと足を高く上げ、つま先で地面を探る。  
そして音を立てるものが無いことや、靴跡が残らないような地面であることを確認した後、これまたゆっくりと足を踵から下ろしてゆく。  
 まさに牛歩のごとき鈍足の行進ではあったが、その反面三人はほとんど音を立てていなかった。服はあらかじめ着古した上に土をまぶして匂いを消してあったし、スリングなど音を立てるようなものはテープで固定してあった。  
銃は元々艶消しをした上に迷彩が施されたもので、周囲に完全に溶け込んでいる。  
 時折鳥が鳴く声が響き渡り、木の葉が風で擦れ合う。日下は一定距離を進みつつ立ち止まって、後方の二人にハンドサインを送った。  




201  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/05/08(火)  04:00:37  ID:???  
と、先方で茂みが揺れた。三人の体に緊張が走る。  
距離が近い。日下はナイフを肩の鞘から抜き取り、全身をリラックスさせて構えを取る。  
茂みから何かが飛び出す。日下は音も無く滑るように地面を動き、その影にナイフを突き出そうとした瞬間――動きを止めた。  
ブヒブヒと、イノシシに似た短足の4足獣が目の前を暢気に歩き去ってゆく。日下はナイフを構えた手を、所在なさげにぶらんと垂らした。  
後ろでは二人が笑いをこらえている。日下は思い切り渋面を作って見せた。  



202  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/05/08(火)  04:01:31  ID:???  
「今は……おおよそこの辺か」  
 夜、三人は偶然見つけ出した岩場の横穴に身を潜めていた。日下は座り込みながら、小西の持っている地図にライトを当てつつ、一箇所を指差す。  
 その地図は先にクロイセル入りした陸自の支援部隊が急遽間に合わせで作成したもので、無人偵察機の航空写真をパソコンで処理して印刷したものだった。  
 さすがに日本で使われているような地図ほどの精度は無かったが、ランドナビゲーションには十分耐えうるものだった。  
「近くに村がありますね。名前は……オルムント?」  
 小西が日下の指の右斜め上、スケールで言って三キロほどの地点に目を留める。  
「明日はこの村を偵察しよう。何か情報が得られるかもしれない」  
「情報……ですか」  
「俺たちはオブディアによる弾圧の証拠を手に入れなきゃならないからな。この四日、まるで収穫ゼロだ。危険を冒す価値はある」  



203  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/05/08(火)  04:02:33  ID:???  
 その時、横穴の入り口、外からは影になっている部分で見張りをしていた荒島が口を開いた。  
「でもよお、本当に見つかるのか?  ブリーフィングでは『弾圧もしくは虐殺の証拠を見つけて来い』なんて言われたけど、雲を掴むような話だよな。それに、どうして俺たちにお鉢が回ってきたんだか」  
「きっと世論の形成のためでしょうね。オブディア側に何らかの人道的問題があるのなら、その証拠を手に入れられれば日本もこの戦争に介入しやすくなりますから」  
「結局は政治家の使い走りてことか。あんまし気持ちのいい任務じゃないな」  
 荒島がぼやく。  
「お偉いさんの意図なんて俺たちにはどうでもいい。それより、もし本当に話に聞いたような糞ったれ共が居るなら、その尻を蹴飛ばしてやるまでだ」  
 日下がわずかに怒りを含んだ声で告げる。  
「話……ホロコーストばりの虐殺が行われてるというやつですね。本当にあるのでしょうか?」  
「分からん。とりあえず今はやれることをやるだけだ。見張りを頼む、交代の時間になったら起こしてくれ」  
 日下はそう言って横に寝転んだ。荒島は頷いて外に向き直り、小西は日下と同様に横になる。  



204  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/05/08(火)  04:03:33  ID:???  
 鬱蒼と茂る森林の合間からは、月の光が漏れ出ていた。三人は暗闇の中でしばし、夜行性の野鳥の鳴き声に耳を傾ける。  
 不思議なものだな、と日下は思った。ここは自分たちの生まれ育った所とはまったくの異世界のはずなのに、何故か異国の地に来たという感じがしないのだ。  
 こう、どこか、全身を包み込まれるような懐かしい感覚を日下は味わっていた。  
 優しくそよぐ夜風は木々の香りをたっぷりと含み、夜中だというのに森の中には命の気配が満ち溢れている。そして、人工の光に汚されることの無い澄み切った夜空。いずれも現代社会では拝めないようなものばかりだ。  
 もしかしたら自分は、こちらの世界にかなり馴染んできているのではないか。意外とこの世界の土と水が合っているのではないかと考えつつ、日下は目を閉じた。  



205  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/05/08(火)  04:04:51  ID:???  
 翌日  
 クロイセル派遣師団駐屯地  建設予定地  
 王都の西、現実世界の尺度でいうと一キロほど離れた場所にある大草原。青々とした草が風になびくその広大な平野に、四角に切り取ったように更地になっている場所がある。その中に、自衛隊の天幕が設置されていた。  
 ここはいずれクロイセル入りする自衛隊の部隊がいずれ根拠とする、駐屯地を建設する予定の場所だった。天幕は先行してクロイセルに来た支援部隊が設置したもので、ブルドーザーなどの重機によって区画整理が始められていた。  
 また、その敷地の中には先だって導入が開始されたばかりの、プレデターUAVのための野戦滑走路も整備されていた。  
 敷地内ではネフェリアンの大工が木造の宿舎を建設していた。これらはクロイセル側の好意で行われているもので、派遣されてくる自衛隊の人員が宿泊する施設を提供するというものだった。  
 雲ひとつ無い晴天に、木材を切り出す鋸の音と、金槌の軽快な音が響き渡る。  



207  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/05/08(火)  04:07:41  ID:???  
 そして敷地内に設置された天幕の中では、司令部の隊員たちが忙しそうに作業を行っていた。今行われているのは主に偵察機から得た情報の分析と、それを基にした詳細な地図の作成であった。  
 そしてその中には、小山内師団司令の姿もあった。  
 周囲の隊員が机に向かって、ノートパソコンや電子機器に一心不乱に向かっている中で、小山内は机に広げられた偵察写真を前に幕僚たちと協議を行っていた。  



208  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/05/08(火)  04:10:46  ID:???  
「――問題はやはり橋、か」  
 小山内の言葉に、傍らの三佐が答えた。  
「はい。こちらの世界の河川に架かっている橋は、そのほとんどが木造、強度があるものでも石造りです。我々の装甲車両の大部分は通過することができません」  
「耐えられる重量の見積もりは?」  
「4〜5トン、といったところでしょう。高機動車程度なら渡れますが、同時に通れる数は相当制限されます。例え補強したとしても」  
「装甲車両や大型トラックはとても通れない、か。すると行く道の先々で、施設科に橋を架けてもらわなければならんな」  
 地図を前にして唸る。  
「戦車が渡河可能な地点の選定は?」  
「終わっています。ここと……ここと、ここですね」  
 幕僚が、写真の河川上に記された赤い丸を指差す。  
「パネル橋を木造橋の傍らに設置させる。パネル橋も元の街道沿いに設置しないとその能力を発揮できないからな。そのパネル橋の設置を開始するに先駆け、戦車と普通科部隊を迂回させて河を渡らせる。  
木造橋には敵が大量に張り付いているだろうから、対岸の部隊とそ渡河した部隊で挟み撃ちにして包囲殲滅。橋頭堡を確保後防御にあたらせる。その際、クロイセル側の部隊が橋頭堡の防衛に協力してくれるそうだ」  
 小山内が笑った。  
「特科部隊は後方より対岸の部隊を火力支援。そしてパネル橋が完成次第、部隊を前進させる……まあ、口で言うのは簡単だがな。それで、他に検討すべきことは?」  



209  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/05/08(火)  04:12:13  ID:???  
 幕僚の一人が手元の資料をめくる。  
「こちらの世界の魔法に関する問題と、対応があります」  
「魔法、ね」  
 渋い顔をする司令。  
「クロイセル側の説明では、魔法を操る人間――魔道士は、われわれの世界で言う砲兵のように運用されているようです。  
つまり、後方からの火力支援という形で前方の部隊を援護する、とのことです。また、魔道士は直接的な火力の提供だけでなく、負傷者の治癒、味方へ強化魔法を用いての補助なども行うらしく」  
「まるで万能兵科だな」  
「さらに脅威なのは、魔道士は精神に作用するタイプの魔法を行使することも可能である、ということです。幻惑・混乱といった効果のある魔法を使用された場合、  
わが方への影響は計り知れません。何しろ、こちらには物理的な防護はともかくとして、精神的攻撃に対する備えなど全くありませんので」  
 小山内はその言葉にうなずく。  
「それで、その件に関してクロイセル側の協力を取り付けられるのか?」  
「はい、我々の部隊に魔道士を同行させる、と。その魔道士がそういった魔法に対して対抗魔法(カウンターマジック)を仕掛けるのが、この世界の戦争における常識なのだそうです。  
後、それらの魔法攻撃を防ぐための護符(アミュレット)も貸与してくれる、とのことです。ただ……」  



210  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/05/08(火)  04:13:24  ID:???  
 幕僚の顔が曇る。  
「この世界では先ほどの対抗魔法のような、魔法をあらかじめ妨害する手段が発達しており、ある一定度の規模の儀式施設があれば、  
広域にわたって魔法へのジャミングが可能なのだそうです。そして、オブディア側はその施設をクロイセルの領内に建設してしまっており、  
このまま敵勢力圏内に突入しても、クロイセル側の魔法行使に支障が出るのだとか」  
「どの程度の支障だ?」  
「個人が使用するレベルなら問題は無いのだそうですが、集団で展開する大規模魔法の発動が困難になるのだとか。  
そして、そういった大規模魔法が戦争の帰趨を決めると言っても過言ではない、と。  
もちろんクロイセル側も領地内にこれらの施設を建設しており、敵側の魔法行使を妨害しています」  
「つまり、侵攻の際にはあらかじめその施設を破壊しておく必要があるわけか。その施設の位置は?」  
「ここです」  
 幕僚が、地図の数箇所を指し示す。それは敵戦線から100kmほど後方で、オブディア勢力圏内の真っ只中だった。  



211  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/05/08(火)  04:14:26  ID:???  
「この施設の存在があるため、クロイセル側は今まで相手を攻めあぐねていたのだとか」  
「なるほど。地の利があるはずの領土内で、今まで占領地を奪回できていなかったのはそういった理由か」  
 小山内は件の地点を睨み付けて呟いた。  
「――これは一度、小規模でもいいから合同で演習をする必要があるな。魔法がどれほどの脅威になるのか、この目で見ておかないと……」  
 と、そこで天幕に陸自隊員が入ってきた。迷彩服を着用して小銃を携えている、外で歩哨にあたっていた隊員である。  
「どうした?」  
 敬礼した隊員に、小山内が話を促す。  
「ネリス王女殿下がお見えです。駐屯地の前に、馬車でお着きになられました」  
「王女殿下が?  分かった。今日の会議はひとまずここで終わりだ、各自作戦案を練っておいてくれ。それと各部隊長へ決定事項の資料を回しておけ。三佐、行くぞ」  



254  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/05/10(木)  05:35:27  ID:???  
 傍らの幕僚を促し、小山内は天幕を出る。赤茶けた土がむき出しの敷地を横切り、仮に設置してある駐屯地の正門前に赴いた。そこには、クロイセル王家御用達の馬車が停まっていた。  
「これは王女殿下、ようこそ」  
「お邪魔しますね、小山内司令」  
 豪華な装飾の馬車から降り立ったネリスは、小山内に微笑みかけた。今のネリスはドレスではなく、野外を歩き回るための軽装姿であった。  
 白いシャツ(中世ヨーロッパ風のフリルのついたもの)に、ジーンズと思しきものを履いている。  
「何分まだ未完成なもので、むさ苦しいところではありますが」  
 小山内はネリスの傍らに立ち、駐屯地内を案内し始めた。  
「いえ、自衛隊の方々の勤勉さには常日頃からいたく感心しております。そして、ゴーレムも使わずにこれほどの敷地を短期間で造成するなんて、本当に驚きです」  
 小山内とネリスが並んで歩き、その後方に幕僚とお付の者たちが続いた。  
「それで、今日は我々の駐屯地を視察したい、とのことでしたが」  
「はい。ぜひ直接、自衛隊の方々の基地を見て回りたかったのです。それに、こちらの申し出に何か不備がないかどうか、この目で確かめたかったので」  
「そうですか」  



255  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/05/10(木)  05:36:07  ID:???  
 と、二人は野戦飛行場の目の前まで来たところで立ち止まった。  
「あれはなんでしょう?」  
 ネリスが細長く伸びる滑走路を指差す。  
「あれは滑走路というもので、飛行機が飛び立ったり、着陸するところです」  
「飛行機、ですか?」  
「空を飛ぶ機械です。あなた方の言うところの飛竜に似たようなものですよ。ほら、帰ってきました」  
 小山内の声にネリスが振り向くと、ちょうどプレデターがエンジン音を響かせ、着陸に入ろうとしているところだった。  
 プレデターの車輪が接地、エンジン出力を落としてアイドルへ、そのまま慣性を利用してタキシングに入る。プロペラの回転数が落ちると同時に、整備の隊員が偵察機に近寄って行った。  
「私たちにも飛竜部隊がありますが、異世界の方々も空を飛ぶ戦力をお持ちなのですね……」  
 ネリスが感慨深げに呟く。  



256  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/05/10(木)  05:36:53  ID:???  
 その後、二人(とその連れ)は、敷地内をくまなく回った。思わぬ訪問者に、駐屯地のどの人間も歓迎の意をあらわにした。  
 特に自衛隊の隊員たちは異世界の姫君の美しさに感嘆のため息を漏らし、中には写真を隠し撮りしようとして上官に怒鳴られる者も出た。  
 また、ネリスは隊員、駐屯地で働くクロイセルの民に分け隔てなくねぎらいの言葉をかける。そしてクロイセルの民の中には、姫の優しさに思わず涙するものもいた。  
 だが、駐屯地内の案内が次第に終盤に差し掛かるにつれ、ネリスの表情が段々曇っていった。  



257  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/05/10(木)  05:37:29  ID:???  
「どうかされましたか?  どこか、お加減でも」  
 ネリスの表情の変化を見、小山内が声をかける。  
「いえ……その……」  
 どこか躊躇いがちに、ネリスは口元に手を当てた。  
「日下さんの姿が見えないもので、どうしてらっしゃるのかな、と。挨拶もしたかったものですから」  
 ネリスの頬がわずかに赤くなる。それに、小山内は合点がいった様子で。  
「日下二曹は任務中でして、ここにはおりません」  
「任務、と言いますと、危険なものなのですか?」  
「申し訳ありませんが、それはお答えできかねます」  
 いかにも心配そうな様子で消沈したネリスに、小山内は苦笑しているようだった。  
「大丈夫ですよ。二曹たちはきっと無事に帰ってきます」  
 頷くネリス。  
 そして王女殿下一向は駐屯地で小山内たちの見送りを受けた後、王都へ向けて出発した。遠ざかる馬車の背を見ながら小山内は  
「やれやれ」  
 と、笑った。  



258  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/05/10(木)  05:38:35  ID:???  
 そこは、紛れもない地獄だった。  
「――酷いな」  
「ああ」  
 それ以上言葉も無く、眼前の光景を眺めることしかできない三人。三人は茂みに中腰で隠れつつ、目の前を凝視していた。  
 場所は昨夜の宿営地点から北東に2キロほど、地図で見つけた村のほど近くである。  
 その場所は村の畑らしく、木が切り開かれ、地面の土は耕されていた。そして中央には深い長方形の穴が大きく掘られている。  
 問題なのは、その穴の中身だ。その穴は、文字通り死体で埋まっていたのだ。  
 周囲に漂う死臭と腐乱臭が、日下の鼻腔を刺激した。すさまじい汚臭である。穴には羽虫が無数に群がっており、耳障りな羽音を立てている。そして、中の死体は訓練された者でなければ、とても正視できるような状態ではなかった。  
 腹からこぼれ出た内臓が周囲に散乱し、手足はもげている。顔は生前の面影を残さぬほどに破壊され、脳漿が飛び散っていた。  
 死体は男だけではない、女子供のものも多数あった。腐乱状態からまだ数日ほどしか経っていないようではあったが、それでもその光景は無残極まりない。  
 なんてことだ、糞。  



259  雑兵  ◆0SmEaqLCkA  sage  2007/05/10(木)  05:39:19  ID:???  
「小西、記録を頼む」  
 怒りを押し殺しつつ、日下は指示を出した。小西は黙ってうなずき、目の前の死体をデジタルカメラで撮影してゆく。  
「人間のやることじゃねえよ」  
 荒川が顔をしかめつつ、吐き捨てる。  
「――小西、終わったか?」  
 小西はデジタルカメラの電源を切り、懐にそれを納めて再び頷く。  
「よし、近くの村に行くぞ」  
「証拠はこれで充分なんじゃないのか?  人気のある場所に行くのは危険だぞ。それに、この様子だとその村も襲撃された後だろう」  
 荒島は死体の山を横目に言う。荒島の言うことももっともだった。この死体は間違いなくその村の住人たちであろうし、  
これほどの数からいって住人はほとんど皆殺しにされた後である、というのは容易に想像が付いた。  
 だが。  
「分かってる。しかし生存者がいる可能性がある以上、放っておけない。もし生き残っている人間がいるなら、この上ない証拠になってくれるしな」  
 その言葉とは裏腹に、怒り心頭な日下の様子を見て、二人は笑いながら肩をすくめた。  
「オーケー、お前がリーダーだからな。地獄まで付き合ってやるよ」  
「済まん」  
 日下は搾り出すように言葉を吐き出した。